※私は無学な小人なので、論語を書いてある通りに読みました。後の世において論語がいかに解釈されたかは知りませんので、それは君子同士で議論されてください。
※本自体に文句はありません。以下はあくまでも論語本体に対する文句です。
1. 論語は私に向けて書かれていないのだから、刺さるはずがない。
これは至極当然の話だが、春秋時代の一般的なおっさんであった孔子にとって、女は教育の対象ではない。当時の女性は内助の功に尽くすことが倫理だったわけだから。
だから孔子は2020年代に生きる女性に関心などないし、ましてや倭人女性など見るのも嫌でしょう。この本はそもそも私に対して書かれたものではない。
「いや女性でも努力さえすれば君子に」という希望も論語を読めば打ち砕かれる。君子とは、生まれ持った性質と努力が両立した時に初めて達成できる状態だからだ(文質彬彬として然る後に君子なり)。
この生まれ持った性質には「Y染色体を持っていること」がほぼ確実に含まれると思うのですが、どうでしょうか?少なくとも孔子本人は100億%そう思ってたでしょ。論語での女性に対する言及がほぼゼロである以上。
よって私は君子にはなれない。言っとくけど男性諸君だって「論語を読んで君子になろう!」と思っても生まれ持った性質が良くなければなれないですよ。
つまりこの本は現代の世に生きる人類の女性全員と、君子にはなれない(が幸せになることに全く支障の無い)大多数の男性には無関係な本ということになる。
だから刺さらないのは当たり前で、むしろ刺さるわけがない。春秋時代のおっさんの言葉が、令和のOLたる私に刺さる方が異常事態と言ってよかろう。
2 君子、一言で言うとキモい。
論語は春秋時代において決して万人向けに書かれたのではなく、エリートに向けて書かれたものだ。春秋時代に政治や官職は息子が学問に精を出す余裕がある家庭に育ったオボッチャマにしか就けなかったからだ。
エリートといっても想像がつかないかもしれないので、東大生男子に論語を音読してもらう想像をすると良くわかると思う。
「そこそこのレベル以上の人とは高尚な話ができるが、それ以下の人とはできない(中人以上には以って上を語る可き也。中人以下には、以って上を語る可からざる也)」
「君子の中にも仁が欠けている者もありはするが、小人(レベルの低い奴)でありながら仁を備えた人などは滅多にいない(君子にて不仁なる者有らんか、未だ小人でありながら仁なる者有らざる也)」
「(他人の子の無作法な振る舞いを見て)あの子は好学心に燃えているのではなく、早く大人になろうと背伸びをしているのだ(益を求むる者に非ざる也。速成を欲する者也)」
「君子は何事をするにもそれを自分に還って追求するが、小人はそれを他人に向かって追求する(君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む)」
「君子は凡庸であるために死んでも無名であることを嫌う(君子は世を没するまで名の称せられざるを疾む)」
「40歳にもなってみんなから嫌われているようでは、もうおしまいだね(年四十にして悪まる、それ終らんのみ)」
・・・この人と友達になりたいですか?
論語って終始「お前何様?」って感じなの。他人の言動に首突っ込んでダメ出しするパートが多いからかな。
そりゃ時には言い得て妙なこともあるんだけど、小人も言い得て妙なことは言うよ。
3. 夫は君子じゃなくていいと思う件
私は君子になる資格がない者なので、「自分が君子になることが良いか、悪いか」を論じる資格もない。
女子として許されているのは、夫は君子である方がいいかどうか、という議論しかないでしょう(こんなことをしている時点で無作法すぎて嫁の貰い手がないが)。
んー、私は君子嫌いだから、小人と結婚したいですね。
家でごちゃごちゃ抜かされるの嫌だもん。「女と小人は扱いにくいよね(唯女子と小人とは養い難し)」とかさ。
夫は君子になることは目指さないでいいし、目指さないでほしいと思う。今の時代、春秋時代の理想を達成するよりも、ずっと重要なことがあると思うんで。