亀山郁夫のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ずっと読んでみたかった名作。めちゃくちゃ長くてめちゃくちゃ時間かかったけど読んで良かった!
あとがきにあった、四巻+エピローグという形式は交響曲の形式と似ているっていうのにすごく納得。
第一部がアレグロ・コンブリオ(速くいきいきと)。登場人物が多い割に、時系列や人物関係、キャラクターが分かりやすくまとめられていて、さほど苦労せずに読めた印象。カラマーゾフとは何たるかを知る場面。
第二部がアダージョ(ゆっくりと)。ここが長くて辛かった!あとがきにここで挫折する人が多いとあったけど、それも頷ける。神がかり的な力を持つゾシマ長老に傾倒する無垢な三男アリョーシャと、「神がいないことで全てが許される」と説く次男イワンの対立が軸となって、ロシアの社会情勢や作者の無神論者的な考えが反映される。話の大筋には関係ないようなことが長々と語られて、交響曲であれば確実に寝てしまうところ。長ったらしい和音の中に時折魅力的なメロディや衝撃的な異音が混ざったりして、物語全体に深みをもたらす部分。特にゾシマ長老の「腐臭」の場面はかなりの衝撃だった。
第三部はスケルツォ(諧謔的に)。ここから話が一気に進み、本作のテーマである「父親殺し」に向かって話が展開していく。無類の女好きであり道化的な性格をもつ浪費家の父フョードルの性質がそのまま「カラマーゾフ」となって三兄弟にも受け継がれる。対極的な2人の美人、カテリーナとグルーシェニカ、そしてカラマーゾフ家の使用人グリゴーリーとスメルジャコフを巻き込んで、フョードル殺害をめぐる事件が起こるまでを描く。ドミートリー・イワン・アリョーシャの三兄弟がそれぞれ絡み合いながら行動し、それぞれが別の目的を持って一つの事件へと向かっていく。
第四部はモデラート・マエストーソ(ほどよい速さで厳かに)。カラマーゾフを語る上でポリフォニー(多声)的な視点というのはよく言われるが、第四部はまさにこの視点が多用される。登場人物たちの視点によって見えなかったものが見え、意味のなかった行動が意味付けされ、事件が一つの結論へと集約していく。対話によってその人物自身気付いていなかった心情に気付かされる場面や、「父殺し」の真相が明かされる場面は圧巻。そして最後の裁判シーンは最初から最後まで目が離せない急展開。陪審員の判決もまた、ドミートリーの「カラマーゾフ的」な性質を裏付けるものとなっている。
別巻のエピローグをもって完結となる本作だが、序説にもあった通り、これは「第一の小説」であり、本来は第二の小説に続くのだという。第二の小説が書かれることなく終わってしまったのは残念だが、むしろ第二の小説がないからこそ、最後の「カラマーゾフ万歳」がある種不穏で狂気的な印象を与えるのかもしれない。父親殺しの事件が一つの解決を見せ、これからアリョーシャと町の少年たちを中心とした話が始まるのだという兆しを見せるが、その未来は果たして明るいものなのか?ミーチャの脱獄が仄めかされ、カテリーナとグルーシェニカの関係も曖昧なままである。「カラマーゾフ」は女好きで道化で浪費家の象徴であった。父は殺され、長男は服役囚となり、次男は精神を病み、私生児とされるスメルジャコフは自殺した。三男のアリョーシャだけが万歳と祝福されるわけにはいかないだろう。
個人的には、カラマーゾフの血を受け継ぎながら、世間の人々やゾシマ長老、2人の兄、そして自分本位な父からも天使のようだと一目置かれていたアリョーシャの、カラマーゾフ的な一面を見てみたいと想像を膨らませてしまう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ終わってみれば何のことはないのだが、語り手アルカージーだけが事態に気づいていないパターンが繰り返され、読者としても振り回されるかたちになった。
父と子が揃って幼稚で、醜態を演じていて呆れ返ってしまった。特に感動屋で相手の嘘を見抜けないアルカージーにはヤキモキさせられる。どこに行っても子ども扱いされていて、まさにその通りの若者なのだ。今後働き口を探したら探したで何かよからぬことに巻き込まれそうだし、大学に行ったら行ったで詐欺に遭いそうで正直不安だ。
マカールの話を聞いているときだけは少なからず幸せを感じた。しかし彼の話はそれを聞いている瞬間は感動を呼び起こすが、忙しない日常のなかに埋もれていくものなのかもしれない。そのためには語り続けなければならず、アルカージーやその家族に必要なのはマカールだったのではないかと思う。
それにしても大変な物語だった。読みにくいことはなかったが、読み切るにはそれなりに根気がいる。アルカージーに付き合う根気が。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ話の流れが掴みにくく読みにくいが、人々の理想や信念や思想がたくさん出てきて、それにじっくり向き合いたくなるような小説だ。
死者が出たのは驚きだったが、この出来事を通してまた登場人物たちがどう考えるのか、興味がある。
主人公アルカージーには、父と母を憎むのに十分な理由があるように思うが、そう単純には描かれていないことが徐々にわかってきた。憎んでもいるが愛してもいる。人間の複雑な心を深く見つめる視線を感じて好ましい。
妹のほうが落ち着いた聡明さを見せたりしていて、アルカージーのそそっかしさが目立ち、これから何をするつもりなのか心配だ。
その未熟なアルカージーの目線で話が進むため、全貌が見えていない。まだ今は細部を積み重ねていく段階で、今後いろいろなことが作用しあっていくのを予感して期待している。 -
Posted by ブクログ
『悪霊』と聞いてどんな姿を思い浮かべる?
姿があるものと仮定してだけど
なんか、むにゃむにゃっとした奴
向こう側がぼんやりと見える半透明で、色は黒っぽいけど、青でもあって、見ようによっては赤っぽくもある
体はなんか剥ぎ取られたカーテンのようで、形はあるようでないような
とにかくでっかくてゆらゆらしていて、何かこう覆いかぶさってくるような
で、ギザギザした口と尖った目が付いている
自分が思い浮かべる『悪霊』はそんな姿だ
そしてドストエフスキーの『悪霊』もそんな物語だった
別にいいのです
誰にも理解されなくても
『悪霊』はなんかむにゃむにゃっとした悪意のかたまりの物語でした
さぁ、ネンイチドスト来年は〜
『未成年』で〜す(サザエさんのエンディングか!)
と、その前になにやら「別巻」というのがあるらしい
一応読んでおくかー -
Posted by ブクログ
長いわ!( ゚д゚ )クワッ!!
もうね、ず〜っとほのめかしなのよ
なんか裏で進んでるな〜
なんか企んでるな〜
なんか隠してるな〜
ってのは分かるのよ
分かり過ぎるのよ
でも肝心なことはち〜っとも出てこない
引っ張る引っ張る
つか引っ張りすぎやでドストエフスキー!
もう、いらん話ばっかりやん!っていうね
そして分かり過ぎるくらい分かることがもうひとつ
みんなちょっと狂ってる!
そしてちょっと狂ってる人の中からだいぶ狂ってる人が浮かびあがってくる!
そいつこそが『悪霊』なのだ!(ババーン)
あとさー
巻末の読書ガイド、あれいらんわー
いやドストエフスキーを分かりやすくって意図は分かるんだけどさー
ついつい「そんなん言われんでも分かっとるわ!」ってなんちゃうんよ
「なんかガイド読んで気付いたみたいに思われるわ!恥ずかしい」ってなっちゃうのよね〜
いや誰に思われるか知らんけど -
Posted by ブクログ
ネンイチドストです!
2023年『罪と罰』
2024年『白痴』
ときて今年2025年は『悪霊』でございますよ!
ドストエフスキーの五大長編を執筆順に読んでいるんですねー
もちろん大好きな光文社古典新訳文庫です
全3巻+別巻という構成となっておりまして、それぞれ546頁、747頁、626頁、363頁という大長編!さすがのわいもえいや!と気合を入れてかかる必要がありますわ
エンヤ!
はい、本編
もうね、さすがに三作目ともなるとドスちゃんのやり口にも慣れてきましたよ
あっち飛びこっち飛びです
しかもですよダブル主人公と目されるニコライとピョードルがまぁ出てこない出てこない
一巻の最後の方ですよ二人が出てくるの
つか恐らく主要な登場人物が勢揃いしたのが最後の最後です
500ページくらい読まされてのやっとですよ
しっかーし!この無駄に遠回りさせられたと思わせといてーの、ほんとに遠回りだったー!てのがドストエフスキーなのよ(じゃダメじゃん)
そしてね、一巻を読み終えてわいが思ったこと言っていい?
ダメ言われても言いますけどね
最後まで読んで、あ、ぜんぜん違ったー!てなるかもしれんけど、言っちゃいます
旅の恥はかき捨てとも言うし(いつ旅立った)
『悪霊』ってタイトルが秀逸過ぎる!!!
今のところさ、悪霊感ないのよ
悪霊感ってなんなのか具体的に述べよと言われたら困るけどないのよ
まあまあ平和なのよ
だけどなんとなく不穏な空気も感じとれるのね
だけどだけどそれって『悪霊』ってタイトルに引っ張られて深読みしちゃってるだけ?なんてことも思えるのよ
いやーどっちなのー!キーっ!
やばい2巻が楽しみ過ぎてドストエフスキーの術中にはまってーる -
Posted by ブクログ
★★★★ 何度も読みたい
ロシア文学というかドフトエフスキー特有の、回りくどくキャラクターが入り乱れる作品。読み途中で数日置くと、誰だかわからなくなってくる。
主な登場人物は、おそらく主人公のアレクセイ(アリョーシャ)、その父のフョードル、そして長兄ドミートリー(ミーチャ)、次兄イワン。カッコ書きで示したのは愛称だが、この作品でも『罪と罰』など他の作品と同様、何の前置きもなく突然愛称が登場する。
さて、肝心の内容だが、金や女に汚い父フョードルと長兄ドミートリーの間で勃発した美女・グルーシェニカの争奪戦に、清廉な少年アレクセイがカラマーゾフの血の汚さに気付いていく、といった感じだと推測される。アレクセイは家族ではなく、教会で長老らとともに清楚に暮らしており、本人は他のカラマーゾフとは全く異なり、男女の関係が話題に出るだけで赤面するほどの初心だ。しかし物語中盤、長老が危篤となり、彼はこれまでの支えを失い、直接自身の出自や血筋と向き合うことになる。
正直聖職者や誠実な婚約者に対して嘲笑するような姿勢のフョードルやドミートリーに対して嫌悪感を覚える中、アレクセイの清純さが救いだった。
しかし何となくこの物語のテーマが、清純から欲望への破滅という成長なのかもしれないという気がしているので、不安。ただ最後まで読むと思う。 -
Posted by ブクログ
6章までの展開がわずか2週間の間に起きた出来事だなんて信じられない……ラスコーリニコフの混乱と狂気、罪の意識が次々と押し寄せ、大洪水を起こすネヴァ川のような勢いで濃密な読書体験に読者を巻き込んでいく小説でした。
正直6章まではとにかく陰鬱な小説で私の好みでは無いかもしれないと思って(やや渋々読み進めて)いましたが、エピローグを読んでこれは紛れもなく「愛(と信仰と自由)」についての作品なのだと気づいてから、作品の見え方が一変しました。それだけラスト、ソーニャとラスコーリニコフが互いの愛を感じ、蘇るシーンに強く心を打たれました。この瞬間のための1〜6章つまり「罪と罰」だったのですね。
ただ、ふたりの人間を殺めた自分勝手で傲慢なラスコーリニコフへの減刑については(そのほかにどれだけの善行を積んでいようとも)、本当にそれでいいのだろうか、と引っかかるものがなくはありません。でもそう感じるのは、そこまでしないと愛や信仰の力を知ることができなかったラスコーリニコフと異なり、私自身が幼い頃から「たまたま」両親や周囲の大人から愛情を受け、食べ物にも住む場所にも教育を受けることにも何不自由ない社会的環境に育ったからだとも思えるのです。ここには見えないスタート地点の大きな格差があり、私が私の人生観にのみ照らして簡単にジャッジできない要素を含んでいるのだと思います。
この問題については、またいつか偶然「罪と罰」に再会したときに考える問いとして残しておこうと思います。