亀山郁夫のレビュー一覧
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法廷劇だ。こういう小説だったのか、とびっくりする。父フョードルを殺したのは誰か。前巻までの流れで読者は一応の犯人がわかっている。でも、流れはドーミトリィ=ミーチャの有罪に向かう。それが、弁論の展開で大きく揺さぶられ、そういう方向にいくかぁと思ったら、さらにひっくり返る。このあたりの展開は、確かに1巻よりあとは一気呵成、といわれるのもなるほどと思う。
これを書いている段階で、光文社版の最終巻は読み終えているんだけどさ。さらにエピローグが一冊あるのかぁ、と読み終えて、ちょっと先にいくのを躊躇した。それくらい、嘆息する終わりだったんだけどね。実際のところ、最終巻はほとんど解説で、エピローグは普通に -
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ネタバレ本作は最初から最後まで貴族社会を描いた物語であるということである。その前提がないままに読みはじめた私は、 デ・グリューが「僕」の見分けがついていない意味も、「ぼくが同じテーブルに勝手に顔を出したので、将軍はいかにも不満げに僕を見やった」意味も 理解できなかった。
上記のような仕打ちを受けて、僕が特に憤慨したり傷つく様子がないことも相まって、よほどこの主人公は捻くれ者なのか、 或いは将軍との間にどんな因縁があるのだろうかと勘ぐりながら読み進めることになった。
だが、ここが19世紀欧州の貴族社会であることを理解すれば、 単なる家庭教師である僕が、決して貴族たちと同等の扱いを受けられるはずがなく、ま -
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ネタバレいよいよユーリヤ夫人の祭りが開催されて、次々と事が起こる。思惑や行き違いやらで混乱が起きる描写はとても想像しやすかった。ピョートルのことだけは信じてはいけなかったのだ。
3巻では主要人物たちが次々と殺されたり病死したりして少し戸惑った。特に善良と言える人たちが死んでいくことに抵抗感があり、シャートフ殺害のシーンは悲痛ですらあった。生き延びると思われたニコライまでがあんなことになり、最後には虚しさだけが残る。
どういう意図で書かれたものなのか私には分からないが、これまでの生活と人生を捨てたヴェルホヴェンスキーが「許してあげなければ」と繰り返すシーンは胸を打った。 -
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どうだ見たか!これがドストエフスキーじゃい!(# ゚Д゚)
「白痴」と言われる主人公ムイキシン公爵と炎の友ロゴージン、そして謎多き絶世の美女ナスターシャの三角関係を描く恋愛小説の名作『白痴』
混乱のままに終幕した第一部に続くこの第二部はなんとナスターシャが一切登場しません(厳密には一言だけ声の出演があるんですが、最初誰だかわかりません)
おかげで物語は一切進みません
文庫本400頁弱の間それはもう見事に進みません
マジすか?マジすかドスちゃん?
マジ須賀小六(いらんいらん)
そして物語の本筋とは関係ないことを異常なまでにこねくりまわします
いやもちろん底んところで主題とつながってるん -
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ネタバレ一巻では何が起きようとしているのか分からなかったが、二巻でようやく把握できてきた。気づいたときにはもう遅いという事態になりそうだ。
二巻なのに登場人物がどんどん増える!でもその分人物像に深みが増すので、なくてはならない人々なのだ。
主要人物は誰も彼もが拗れた事情を抱えていて、敵か味方かと簡単に振り分けられないリアルな複雑さがたまらない。社交界のしがらみや利害関係、親子の不和など、人間関係に読み応えがあると感じた。
チーホン神父とニコライの会話が特に面白かった。自ら破滅に向かおうとするニコライと、別の道をすすめる神父。罪というものの捉え方と、自分を許し他人に許してもらうことが人生にどういう意味を -
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ネタバレ登場人物が多いであろうことは覚悟していたが、何人かが頭の中で同一人物になってしまって、修正するのが大変だった。でもそれだけたくさんの人が登場するだけに、人間関係に厚みがあって面白い。
見た目だけの人物描写ではなく、その人物のかもしだす空気まで伝わってくるようで印象的だった。信念は顔に表れるし、それぞれに生々しい感情があり生きていると感じられる。激情的なのにも関わらず非常に繊細な面も描かれており、言葉の意味をひとつひとつ拾いながらそれぞれの事情を読み解いていく。
ハッキリとものを言わない人々の見せた断片を集めて、徐々にこの町で起きた問題の姿が明らかになってくる点が絶妙だった。下手なことを言わない -
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ドスト!エフー!スキー!とぉーッ!(なんの変身ポーズやねん)
1年ぶりのドストエフスキーです
『白痴』全四巻スタートです
「白痴」とは重度の知的障害の呼び方。差別用語とされることがある。(ウィキペディアより)
とのことなんですが、なんとなくドストエフスキーが意図したものと日本語としての「白痴」はちょっとかけ離れた感じもするんです
まぁ『白痴』があまりにも定着しているがために、文中も「白痴」を使わざるを得ず、亀山郁夫さんのすんばらしい新訳がちょっと窮屈な感じになっているのがちょっと残念でした
んでも、なんて言うか去年『罪と罰』を読んだ時にも感じたドストエフスキーに対する凝り固まったイメージを -
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まずは約2週間かけて読破できた自分を褒めたい。非常に充足した気分。
振り返ると、第一部は非常に苦しかった。正直面白くなかった。全く知らない登場人物の詳細がないまま会話ベースに話が進んでいく。誰が、どんな気持ちで話しているか読み取るのが非常に困難だった。
第二部の大審問官は実は読み飛ばしてしまった。が、これから頑張って読み直そうと思う。
第三部からは打って変わって手が止まらなくなった。少しずつ各キャラの性格や、物語の向かう先がわかってきたのと、ドストエフスキーの文章(と、訳者の亀山さんの文章)に慣れてきたのもあり、一気に読みやすくなった。
第四部は終着点。正直最後は、えっ、これで終わり?と思って -
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翻訳者でドストエフスキー研究者の亀山郁夫さんのエッセイ。
文学者を志すようになった幼少期〜学生時代の体験、幾度にも渡るドストエフスキーの足跡を追ったロシアへの旅、日本と世界で起こった事件や災害についての体験など、内容が濃いが、魅力的な文章に引き込まれ、一気に読めてしまう。
亀山さんの情熱と優しさに包まれるような読書体験だった。
ずっと読んできて、終盤に、
「文学を愛するとは」
「芸術への限りない愛」
と言うワードに目が止まった。
最近タルコフスキー監督の映画を見たときにも、同じことが自分に突きつけられた(ので、これは著者のメッセージや本の感想というより現在の自分の個人的な心の在りようだが、