亀山郁夫のレビュー一覧
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ネタバレ終わってみれば何のことはないのだが、語り手アルカージーだけが事態に気づいていないパターンが繰り返され、読者としても振り回されるかたちになった。
父と子が揃って幼稚で、醜態を演じていて呆れ返ってしまった。特に感動屋で相手の嘘を見抜けないアルカージーにはヤキモキさせられる。どこに行っても子ども扱いされていて、まさにその通りの若者なのだ。今後働き口を探したら探したで何かよからぬことに巻き込まれそうだし、大学に行ったら行ったで詐欺に遭いそうで正直不安だ。
マカールの話を聞いているときだけは少なからず幸せを感じた。しかし彼の話はそれを聞いている瞬間は感動を呼び起こすが、忙しない日常のなかに埋もれていくも -
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ネタバレ話の流れが掴みにくく読みにくいが、人々の理想や信念や思想がたくさん出てきて、それにじっくり向き合いたくなるような小説だ。
死者が出たのは驚きだったが、この出来事を通してまた登場人物たちがどう考えるのか、興味がある。
主人公アルカージーには、父と母を憎むのに十分な理由があるように思うが、そう単純には描かれていないことが徐々にわかってきた。憎んでもいるが愛してもいる。人間の複雑な心を深く見つめる視線を感じて好ましい。
妹のほうが落ち着いた聡明さを見せたりしていて、アルカージーのそそっかしさが目立ち、これから何をするつもりなのか心配だ。
その未熟なアルカージーの目線で話が進むため、全貌が見えていない -
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『悪霊』と聞いてどんな姿を思い浮かべる?
姿があるものと仮定してだけど
なんか、むにゃむにゃっとした奴
向こう側がぼんやりと見える半透明で、色は黒っぽいけど、青でもあって、見ようによっては赤っぽくもある
体はなんか剥ぎ取られたカーテンのようで、形はあるようでないような
とにかくでっかくてゆらゆらしていて、何かこう覆いかぶさってくるような
で、ギザギザした口と尖った目が付いている
自分が思い浮かべる『悪霊』はそんな姿だ
そしてドストエフスキーの『悪霊』もそんな物語だった
別にいいのです
誰にも理解されなくても
『悪霊』はなんかむにゃむにゃっとした悪意のかたまりの物語でした
さぁ、ネン -
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長いわ!( ゚д゚ )クワッ!!
もうね、ず〜っとほのめかしなのよ
なんか裏で進んでるな〜
なんか企んでるな〜
なんか隠してるな〜
ってのは分かるのよ
分かり過ぎるのよ
でも肝心なことはち〜っとも出てこない
引っ張る引っ張る
つか引っ張りすぎやでドストエフスキー!
もう、いらん話ばっかりやん!っていうね
そして分かり過ぎるくらい分かることがもうひとつ
みんなちょっと狂ってる!
そしてちょっと狂ってる人の中からだいぶ狂ってる人が浮かびあがってくる!
そいつこそが『悪霊』なのだ!(ババーン)
あとさー
巻末の読書ガイド、あれいらんわー
いやドストエフスキーを分かりやすくって意図は分かるん -
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ネンイチドストです!
2023年『罪と罰』
2024年『白痴』
ときて今年2025年は『悪霊』でございますよ!
ドストエフスキーの五大長編を執筆順に読んでいるんですねー
もちろん大好きな光文社古典新訳文庫です
全3巻+別巻という構成となっておりまして、それぞれ546頁、747頁、626頁、363頁という大長編!さすがのわいもえいや!と気合を入れてかかる必要がありますわ
エンヤ!
はい、本編
もうね、さすがに三作目ともなるとドスちゃんのやり口にも慣れてきましたよ
あっち飛びこっち飛びです
しかもですよダブル主人公と目されるニコライとピョードルがまぁ出てこない出てこない
一巻の最後の方ですよ -
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★★★★ 何度も読みたい
ロシア文学というかドフトエフスキー特有の、回りくどくキャラクターが入り乱れる作品。読み途中で数日置くと、誰だかわからなくなってくる。
主な登場人物は、おそらく主人公のアレクセイ(アリョーシャ)、その父のフョードル、そして長兄ドミートリー(ミーチャ)、次兄イワン。カッコ書きで示したのは愛称だが、この作品でも『罪と罰』など他の作品と同様、何の前置きもなく突然愛称が登場する。
さて、肝心の内容だが、金や女に汚い父フョードルと長兄ドミートリーの間で勃発した美女・グルーシェニカの争奪戦に、清廉な少年アレクセイがカラマーゾフの血の汚さに気付いていく、といった感じだと推測され -
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6章までの展開がわずか2週間の間に起きた出来事だなんて信じられない……ラスコーリニコフの混乱と狂気、罪の意識が次々と押し寄せ、大洪水を起こすネヴァ川のような勢いで濃密な読書体験に読者を巻き込んでいく小説でした。
正直6章まではとにかく陰鬱な小説で私の好みでは無いかもしれないと思って(やや渋々読み進めて)いましたが、エピローグを読んでこれは紛れもなく「愛(と信仰と自由)」についての作品なのだと気づいてから、作品の見え方が一変しました。それだけラスト、ソーニャとラスコーリニコフが互いの愛を感じ、蘇るシーンに強く心を打たれました。この瞬間のための1〜6章つまり「罪と罰」だったのですね。
ただ、ふ -
Posted by ブクログ
法廷劇だ。こういう小説だったのか、とびっくりする。父フョードルを殺したのは誰か。前巻までの流れで読者は一応の犯人がわかっている。でも、流れはドーミトリィ=ミーチャの有罪に向かう。それが、弁論の展開で大きく揺さぶられ、そういう方向にいくかぁと思ったら、さらにひっくり返る。このあたりの展開は、確かに1巻よりあとは一気呵成、といわれるのもなるほどと思う。
これを書いている段階で、光文社版の最終巻は読み終えているんだけどさ。さらにエピローグが一冊あるのかぁ、と読み終えて、ちょっと先にいくのを躊躇した。それくらい、嘆息する終わりだったんだけどね。実際のところ、最終巻はほとんど解説で、エピローグは普通に -
Posted by ブクログ
ネタバレ本作は最初から最後まで貴族社会を描いた物語であるということである。その前提がないままに読みはじめた私は、 デ・グリューが「僕」の見分けがついていない意味も、「ぼくが同じテーブルに勝手に顔を出したので、将軍はいかにも不満げに僕を見やった」意味も 理解できなかった。
上記のような仕打ちを受けて、僕が特に憤慨したり傷つく様子がないことも相まって、よほどこの主人公は捻くれ者なのか、 或いは将軍との間にどんな因縁があるのだろうかと勘ぐりながら読み進めることになった。
だが、ここが19世紀欧州の貴族社会であることを理解すれば、 単なる家庭教師である僕が、決して貴族たちと同等の扱いを受けられるはずがなく、ま