亀山郁夫のレビュー一覧
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ネタバレ話の流れが掴みにくく読みにくいが、人々の理想や信念や思想がたくさん出てきて、それにじっくり向き合いたくなるような小説だ。
死者が出たのは驚きだったが、この出来事を通してまた登場人物たちがどう考えるのか、興味がある。
主人公アルカージーには、父と母を憎むのに十分な理由があるように思うが、そう単純には描かれていないことが徐々にわかってきた。憎んでもいるが愛してもいる。人間の複雑な心を深く見つめる視線を感じて好ましい。
妹のほうが落ち着いた聡明さを見せたりしていて、アルカージーのそそっかしさが目立ち、これから何をするつもりなのか心配だ。
その未熟なアルカージーの目線で話が進むため、全貌が見えていない。まだ今は細部を積み重ねていく段階で、今後いろいろなことが作用しあっていくのを予感して期待している。 -
Posted by ブクログ
『悪霊』と聞いてどんな姿を思い浮かべる?
姿があるものと仮定してだけど
なんか、むにゃむにゃっとした奴
向こう側がぼんやりと見える半透明で、色は黒っぽいけど、青でもあって、見ようによっては赤っぽくもある
体はなんか剥ぎ取られたカーテンのようで、形はあるようでないような
とにかくでっかくてゆらゆらしていて、何かこう覆いかぶさってくるような
で、ギザギザした口と尖った目が付いている
自分が思い浮かべる『悪霊』はそんな姿だ
そしてドストエフスキーの『悪霊』もそんな物語だった
別にいいのです
誰にも理解されなくても
『悪霊』はなんかむにゃむにゃっとした悪意のかたまりの物語でした
さぁ、ネンイチドスト来年は〜
『未成年』で〜す(サザエさんのエンディングか!)
と、その前になにやら「別巻」というのがあるらしい
一応読んでおくかー -
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長いわ!( ゚д゚ )クワッ!!
もうね、ず〜っとほのめかしなのよ
なんか裏で進んでるな〜
なんか企んでるな〜
なんか隠してるな〜
ってのは分かるのよ
分かり過ぎるのよ
でも肝心なことはち〜っとも出てこない
引っ張る引っ張る
つか引っ張りすぎやでドストエフスキー!
もう、いらん話ばっかりやん!っていうね
そして分かり過ぎるくらい分かることがもうひとつ
みんなちょっと狂ってる!
そしてちょっと狂ってる人の中からだいぶ狂ってる人が浮かびあがってくる!
そいつこそが『悪霊』なのだ!(ババーン)
あとさー
巻末の読書ガイド、あれいらんわー
いやドストエフスキーを分かりやすくって意図は分かるんだけどさー
ついつい「そんなん言われんでも分かっとるわ!」ってなんちゃうんよ
「なんかガイド読んで気付いたみたいに思われるわ!恥ずかしい」ってなっちゃうのよね〜
いや誰に思われるか知らんけど -
Posted by ブクログ
ネンイチドストです!
2023年『罪と罰』
2024年『白痴』
ときて今年2025年は『悪霊』でございますよ!
ドストエフスキーの五大長編を執筆順に読んでいるんですねー
もちろん大好きな光文社古典新訳文庫です
全3巻+別巻という構成となっておりまして、それぞれ546頁、747頁、626頁、363頁という大長編!さすがのわいもえいや!と気合を入れてかかる必要がありますわ
エンヤ!
はい、本編
もうね、さすがに三作目ともなるとドスちゃんのやり口にも慣れてきましたよ
あっち飛びこっち飛びです
しかもですよダブル主人公と目されるニコライとピョードルがまぁ出てこない出てこない
一巻の最後の方ですよ二人が出てくるの
つか恐らく主要な登場人物が勢揃いしたのが最後の最後です
500ページくらい読まされてのやっとですよ
しっかーし!この無駄に遠回りさせられたと思わせといてーの、ほんとに遠回りだったー!てのがドストエフスキーなのよ(じゃダメじゃん)
そしてね、一巻を読み終えてわいが思ったこと言っていい?
ダメ言われても言いますけどね
最後まで読んで、あ、ぜんぜん違ったー!てなるかもしれんけど、言っちゃいます
旅の恥はかき捨てとも言うし(いつ旅立った)
『悪霊』ってタイトルが秀逸過ぎる!!!
今のところさ、悪霊感ないのよ
悪霊感ってなんなのか具体的に述べよと言われたら困るけどないのよ
まあまあ平和なのよ
だけどなんとなく不穏な空気も感じとれるのね
だけどだけどそれって『悪霊』ってタイトルに引っ張られて深読みしちゃってるだけ?なんてことも思えるのよ
いやーどっちなのー!キーっ!
やばい2巻が楽しみ過ぎてドストエフスキーの術中にはまってーる -
Posted by ブクログ
★★★★ 何度も読みたい
ロシア文学というかドフトエフスキー特有の、回りくどくキャラクターが入り乱れる作品。読み途中で数日置くと、誰だかわからなくなってくる。
主な登場人物は、おそらく主人公のアレクセイ(アリョーシャ)、その父のフョードル、そして長兄ドミートリー(ミーチャ)、次兄イワン。カッコ書きで示したのは愛称だが、この作品でも『罪と罰』など他の作品と同様、何の前置きもなく突然愛称が登場する。
さて、肝心の内容だが、金や女に汚い父フョードルと長兄ドミートリーの間で勃発した美女・グルーシェニカの争奪戦に、清廉な少年アレクセイがカラマーゾフの血の汚さに気付いていく、といった感じだと推測される。アレクセイは家族ではなく、教会で長老らとともに清楚に暮らしており、本人は他のカラマーゾフとは全く異なり、男女の関係が話題に出るだけで赤面するほどの初心だ。しかし物語中盤、長老が危篤となり、彼はこれまでの支えを失い、直接自身の出自や血筋と向き合うことになる。
正直聖職者や誠実な婚約者に対して嘲笑するような姿勢のフョードルやドミートリーに対して嫌悪感を覚える中、アレクセイの清純さが救いだった。
しかし何となくこの物語のテーマが、清純から欲望への破滅という成長なのかもしれないという気がしているので、不安。ただ最後まで読むと思う。 -
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6章までの展開がわずか2週間の間に起きた出来事だなんて信じられない……ラスコーリニコフの混乱と狂気、罪の意識が次々と押し寄せ、大洪水を起こすネヴァ川のような勢いで濃密な読書体験に読者を巻き込んでいく小説でした。
正直6章まではとにかく陰鬱な小説で私の好みでは無いかもしれないと思って(やや渋々読み進めて)いましたが、エピローグを読んでこれは紛れもなく「愛(と信仰と自由)」についての作品なのだと気づいてから、作品の見え方が一変しました。それだけラスト、ソーニャとラスコーリニコフが互いの愛を感じ、蘇るシーンに強く心を打たれました。この瞬間のための1〜6章つまり「罪と罰」だったのですね。
ただ、ふたりの人間を殺めた自分勝手で傲慢なラスコーリニコフへの減刑については(そのほかにどれだけの善行を積んでいようとも)、本当にそれでいいのだろうか、と引っかかるものがなくはありません。でもそう感じるのは、そこまでしないと愛や信仰の力を知ることができなかったラスコーリニコフと異なり、私自身が幼い頃から「たまたま」両親や周囲の大人から愛情を受け、食べ物にも住む場所にも教育を受けることにも何不自由ない社会的環境に育ったからだとも思えるのです。ここには見えないスタート地点の大きな格差があり、私が私の人生観にのみ照らして簡単にジャッジできない要素を含んでいるのだと思います。
この問題については、またいつか偶然「罪と罰」に再会したときに考える問いとして残しておこうと思います。 -
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法廷劇だ。こういう小説だったのか、とびっくりする。父フョードルを殺したのは誰か。前巻までの流れで読者は一応の犯人がわかっている。でも、流れはドーミトリィ=ミーチャの有罪に向かう。それが、弁論の展開で大きく揺さぶられ、そういう方向にいくかぁと思ったら、さらにひっくり返る。このあたりの展開は、確かに1巻よりあとは一気呵成、といわれるのもなるほどと思う。
これを書いている段階で、光文社版の最終巻は読み終えているんだけどさ。さらにエピローグが一冊あるのかぁ、と読み終えて、ちょっと先にいくのを躊躇した。それくらい、嘆息する終わりだったんだけどね。実際のところ、最終巻はほとんど解説で、エピローグは普通に短かった。
文学作品としては高峰に位置づく本作だと思うけどさ。面白さはマニアックではなく、俺みたいに万人に通じるものだと思う。読み進めればね。 -
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ネタバレ本作は最初から最後まで貴族社会を描いた物語であるということである。その前提がないままに読みはじめた私は、 デ・グリューが「僕」の見分けがついていない意味も、「ぼくが同じテーブルに勝手に顔を出したので、将軍はいかにも不満げに僕を見やった」意味も 理解できなかった。
上記のような仕打ちを受けて、僕が特に憤慨したり傷つく様子がないことも相まって、よほどこの主人公は捻くれ者なのか、 或いは将軍との間にどんな因縁があるのだろうかと勘ぐりながら読み進めることになった。
だが、ここが19世紀欧州の貴族社会であることを理解すれば、 単なる家庭教師である僕が、決して貴族たちと同等の扱いを受けられるはずがなく、また、彼がそれを受け入れていることにも合点がいくのである。
そういう意味で、貴族社会に縁のない私にとっては非常に興味深い作品に感じられた。
例えば、本作には以下の様な記述がある。
「こういう人物と並木道を散歩するのは、べつに問題ないどころか、かりにこういう表現が可能だとして、人物証明の代わりになる。」
「将軍としてももはや、こうした風変わりな女性の姻戚関係で、一般客たちの間に自分の名が穢されるのではないかなどと恐れてはいなかった。」
これは、貴族社会の狭さを象徴している。それは、まあ当然の話だろうが上流階級の数は限られているだろうし、それも名門になればなるほど名が 知れ渡っているだろうから、彼らはその一挙手一投足に気を遣わなければならないのである。
その様は、皮肉にも社会階級で言えば真逆の小さな村社会のような状態であったのだろう。
他にも、執事や小間使いがそもそもカジノに入れなかったり、「温泉地では、〔.....〕ホテルの支配人や給仕長が部屋を客人に 割り振るさいに指針とするのは、客の要求や希望よりもむしろ、客人にたいする彼らなりの個人的な目である。」というように、 本作では至る所で当然の様に貴族社会が、つまり階級差別が描かれている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレいよいよユーリヤ夫人の祭りが開催されて、次々と事が起こる。思惑や行き違いやらで混乱が起きる描写はとても想像しやすかった。ピョートルのことだけは信じてはいけなかったのだ。
3巻では主要人物たちが次々と殺されたり病死したりして少し戸惑った。特に善良と言える人たちが死んでいくことに抵抗感があり、シャートフ殺害のシーンは悲痛ですらあった。生き延びると思われたニコライまでがあんなことになり、最後には虚しさだけが残る。
どういう意図で書かれたものなのか私には分からないが、これまでの生活と人生を捨てたヴェルホヴェンスキーが「許してあげなければ」と繰り返すシーンは胸を打った。 -
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どうだ見たか!これがドストエフスキーじゃい!(# ゚Д゚)
「白痴」と言われる主人公ムイキシン公爵と炎の友ロゴージン、そして謎多き絶世の美女ナスターシャの三角関係を描く恋愛小説の名作『白痴』
混乱のままに終幕した第一部に続くこの第二部はなんとナスターシャが一切登場しません(厳密には一言だけ声の出演があるんですが、最初誰だかわかりません)
おかげで物語は一切進みません
文庫本400頁弱の間それはもう見事に進みません
マジすか?マジすかドスちゃん?
マジ須賀小六(いらんいらん)
そして物語の本筋とは関係ないことを異常なまでにこねくりまわします
いやもちろん底んところで主題とつながってるんだろうけどさ
でもやっぱり関係ないことこねこねしやがって!と思うのよ
そんなにこねたら酵母死ぬわ!一切膨らまんわ!と思うのよ
だけどこれこそがドストエフスキーなのよ!(ほんとに分かってる?)
そしてこれが面白い!
人間の内面を皮肉を込めてなんたらかんたら言いたくなるのよ!
ドストエフスキーってそういうものなのよ!
でも第三部はどうか話進めて下さい
なにを読まされてんねんとちょっと思いました
ちょっとです