あらすじ
自分の人生と戦い続けるためにーー老いてこそ真価を発揮する教養とは何か。
読書、音楽、外国語、老い……、ドストエフスキー研究の第一人者が多角的な見地から真の「教養」に迫る。
●時を経た「再読」が、老いてからの可能性を教えてくれる
●教養人の知識は、つねに「哲学」に裏付けられている
●苦手なもの、嫌いなものこそ可能性の泉となる
●大江健三郎と村上春樹から考える「教養の継承」
●難解な長編小説を読むコツは、冒頭三十ページの二度読み
●英語を学ぶことで失うもの、母語の重要性
●検索エンジンでの複数の語をぶつけあって生まれる「知」
●豹変を恐れるな、隣人の「愛」を模倣せよ
●老いをどう乗り越えるかーーエネルギー源としての「忘却」
本書の内容
序章 人は信念とともに若く
第一章 「教養」、すこやかな喜怒哀楽
第二章 少年時代 「私」という書物1
第三章 青春時代 「私」という書物2
第四章 「私は外国語が苦手」
第五章 モンタージュ的思考
第六章 実践の技法
第七章 俯瞰的思考
第八章 老いの作法
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Posted by ブクログ
ドストエフスキーの訳書などで知られる亀山氏の教
養について語られた自伝的著作です。
そもそも教養とは何か。から始まり、自身にとって
その教養を身につけるためにどのような人生を歩ん
できたかを語ります。
納得させられたのは、高校生の時からの読書量とそ
の中身です。
重厚な文学小説に挑んでいます。
やっぱりその頃の読書は後の人間を形づけるのだな
あと思い知らされます。
ちなみに亀山氏の「教養とは?」の問いに対する答
は「もっとも高価だけれど、もっとも安く手に入る
最高のブランド品」だそうです。
Posted by ブクログ
最初はとっつきにくい本だったけど、内容の幅広い厚みのある人生の指南書て感じ。ドストエフスキーを縦糸に人生を横糸にして書いたしてあるが、色路教えられ勇気をもらい本を紹介してもらっている。
これからも人生の伴奏者として百歳に向けて我々の檄文を寄せてほしい。
若いころは酒とかけ事にのめりこんだと書いてあるけど何にのめりこんだのだろう。
Posted by ブクログ
「変えられることと変えられないことの境界を区別できること」「そして変えられないことは受け入れること」
この人の話を聞いていると、文学や音楽というものが、将来自分を振り返ってみた時、かなり大事なものになる、それらから何を得たのか、見ることができたのか、考えることができたのか。自分も後半に入ったのは間違いないのだから、大袈裟でなく、残りの一日一日を考えながら生きたいと思った。
Posted by ブクログ
亀山氏というと、ドストエフスキーの翻訳が有名だね。いくつか本を読んでいるし、佐藤優氏との対談も読んでいる。本書は、亀山氏の読書を中心とした知の変遷。興味は惹かれつつ、ドストエフスキーとかロシア文学から感じられるカタサのようなものから、退屈なんじゃないかなぁなんて思ったものだけど、予想よりも面白かった。学生運動が華やかだった亀山氏の学生時代から、研究に向かう懊悩、ソ連に行ってスパイと間違えられてほんとに殺されるんじゃないかと思ったような体験など、引き込まれて読んだな。俺自身は夏目漱石の『こころ』は教科書以外未読なんだけど、十代で読んだときと、大人になってから読んだ印象がまったく変わっていたというあたり、読書人の成熟を感じられるエピソードだった。音楽や、大学人としての話、英語とのつきあい方など、話題も幅広く、楽しかった。
Posted by ブクログ
ドストエフスキーの翻訳で知られるロシア文学研究者の著者が、少年時代から青年時代を経て、老いに向きあいつつある現在にいたるまでのみずからの来歴を振り返りつつ、教養の意義について語ったエッセイです。
「教養」の失効が問題視されるようになった時代はとうの昔のことで、むしろ比較的近年になって、阿部次郎の『三太郎の日記』に代表される、いわゆる「大正教養主義」について、竹内洋や高田里惠子らの歴史的・批判的な立場からの検証がなされたことで、かえって「教養」ということばを目にする機会が増えたように感じます。そうした現代において、「教養」というテーマを正面に押し出して、その意義についての考察が展開されている、ある意味ではめずらしい本です。
著者は「教養」を「共通知」と規定し、他者と「分かち合う」ことの重要性を説くことで、現代における「教養」の意義をあらたに示そうとしています。一方で、グローバル化が進行する現代において、このような意味での「教養」が押し流されてしまいかねないという現実を、著者はけっして無視しているわけではありません。むしろみずからの考えが「古臭いよ、君は」といわれかねないことを知りつつ、そうした情勢におもねるのではなく、肩の力を抜いて著者自身の学問形成の来歴を、ユーモアをまじえつつ語ります。
こうした著者のスタンスは、「教養」などという「古臭い」「時代錯誤的」なものを押し流す現代の情勢に「打ち勝つ」ことはできないけれども、そうした情勢に「負けない」ためのスタンスといえるでしょう。本書で用いられていることばを借りるならば、「レジリエンス」に通じる力を身につけることが、著者の考える「教養」なのではないかと考えます。
Posted by ブクログ
ロシア文学者であり東京外大学長である著者における教養とは?何が語られるのか、興味を持って読み始めた。人生百年と銘打ったタイトルから、どんな提言が出てくるのか、教養について、一般論的に本質論が展開されるかと思ったが、そんな期待は肩透かしにあった。著者の人生を辿る形で、ドストエフスキーとの関係性を底流に、個人史的な歩みの中で教養というものを捉えている。教養は個人の中で閉じるものでなく、他者との関係性をもって初めて生きるものである、という論旨は納得できる。
還暦を過ぎたあたりからの教養に基づく人生観が語られ暗い印象が落ちてくるが、最後の段になって、ロシアのウクライナ侵攻に触れる段落には警句とすべき文言が見出される。
Posted by ブクログ
亀山郁夫先生が、若い頃、賭け事やアルコールに依存したこともあったとは。そんな過去の苦い経験も含めて、これからこの困難な時代を生きていく後輩たちに送った書。
温かく真摯な書だと思った。
神という絶対的な存在を持たない我々には、芸術がそれに置き換わることができること。
目から鱗!
大人であるには、「公共の嘘」を受け入れるしたたかさが必要であること。
リアルな助言。
村上春樹や大江健三郎を読むにあたって、ドストエフスキーの知識が基礎となること。
ドストエフスキーはやはり避けては通れぬか…。わかってはいるのだ(笑)亀山先生が言うのなら読もうではないか。
「桃李成蹊」
なにはともあれ、これからもバリバリ本を読もう!