あらすじ
主人公を導いた「神の意志」とは何か? 作品を覆う死の気配の正体は?『罪と罰』の謎をドストエフスキー研究の第一人者が読み解く。
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Posted by ブクログ
永遠の名作『罪と罰』の新訳で知られる亀山郁夫教授による解説書です。明治大学の齊藤孝教授も『罪と罰』を何度も読み返すと聞きましたが、本書を読んで初めて知ったディティールの細かさに、何度も驚かされました。
これを読む前、ロシアで製作されたドラマ版の『罪と罰』を見ていました。原作に忠実なつくりで、主人公のロジオン・ラスコーリニコフがたどる苦悩と『救済』への道のりが丁寧に描き込まれていました。
亀山郁夫教授による『罪と罰』を呼んだのはそれよりも何年か前の話になりますが、忘れかけていた話のディティールを映像で視覚的に思い出したあとで、本書を読むとまた違った感慨がわくものでありました。
ここには亀山教授によるドストエフスキーが人間に向け投げかけられた根源的な問いである
『人を殺すことはなぜ許されないのか?』
『人は人を本当の意味で裁くことができるのか?』
『傷ついた人間の魂に復活は果たしてありえるのか?』
ということが記されております。僕は正直ここまで『罪と罰』を読み込んだことが無かったので、ページをめくるたびに
『おおっ!?』
という新鮮な驚きと
『ええっ、そんな解釈もアリなのか!?』
という衝撃を覚えてしまいました。
たとえば、究極のダメ人間であるマルメラードフの会話からこの物語の時間軸が13日間であることを割り出したり、『黄色の鑑札』を受ける前にソーニャが初めての『仕事』をした『相手』に関する箇所はそうでした。
「ナポレオン主義」という独特の選民思想に取り付かれた元大学生のロジオン・ラスコーリニコフがその思想を実践するために金貸しの老婆であるアリョーナを斧で殺害するというのが大まかな筋ですが、偶然その場に居合わせてしまった『神がかり』である腹違いの妹、リザヴェータまでもを殺害してしまった所から、彼のロジックに狂いが生じるのです。
狂気の街、ペテルブルクを彷徨しながらラスコーリニコフは様々な人物と出会います。予審判事のポルフィーリーとの鬼気迫る頭脳対決。スヴィドリガイノフやマルラメードフなどに代表される『規格外』の過剰な人物。彼等彼女等の内在的論理や行動原理を亀山教授は丁寧に解き明かしていきます。この辺はさすが専門家と、脱帽の限りでございました。
やがて、罪の重さに耐え切れなくなったラスコーリニコフはソーニャの部屋で自らの罪を告白する場面では聖書の『ラザロの復活』の箇所をソーニャに読んでもらうのですが、ここにも様々な『意味』が挟み込まれてあって、読んでいてとても面白かったです。
ラスコーリニコフはシベリアに8年という比較的『軽い』罰で徒刑するのですが、ソーニャが彼を追ってシベリアに赴くという展開。自らを『凡人』と悟り、ソーニャとの愛に生きるという希望に満ちたラストに何を見出すのかは我々一人ひとりの中にあるものですが、この小説の持つ奥深さを存分に教えてくれたということで、本書とは出会って良かったなと心からそう思っております。
※追記
本書は2023年5月12日、平凡社より『増補 『罪と罰』ノート (944;944) (平凡社ライブラリー 944) 』として再版されました。
Posted by ブクログ
難しかった…。
キリスト教や思想に関する単語を知らないと理解が難しいかもしれない。これは罪と罰そのものに言えるだろうけれども。
分かるようで分からない。体系的に解説されているわけではなく、ただ章ごとにズラズラと述べられていくので自分の読解力では難しかった。またリトライしたい。
Posted by ブクログ
マイ“ドストエフスキーブーム”の中で、亀山郁夫さんのこの新刊に出会えたのはラッキーだった。亀山先生はNHKの「100分de名著」でもドストエフスキーを解説された専門家。温厚そうなお人柄と語り口調がそのまま著作にも表れている。とにかくドストエフスキー愛が半端ではない方だ。
ご自身の持論だけではなく、様々な研究家(有名無名を問わず)の指摘や発見も紹介されていて、ドストエフスキーが小説の中に仕込んだ謎を露わにしてくれる。
主人公ラスコーリニコフは、選民思想(しかしこれには矛盾が多く、実際は傲慢からくる誤った意志の力)により殺人を犯すが、その背景には宗教、歴史、政治のパノラマと、そして何より作者ドストエフスキーの自伝的要素が、象徴化され散りばめられている。が、それらディティールを全てつぶさにしたところで、この作品の持つカオスは簡単に語り尽くせるものではないだろう。読み手側も、自分が一生を生きてみても、到底、理解できるテーマではないのかもしれない。神への信仰があるかないかで180度読み方が変わってしまうと先生が語るように、完全に哲学の世界である。
ドストエフスキーが明快に示したメッセージは、この作品のラストシーンに象徴されるように、「生き続けよ」ということなのだろう。