亀山郁夫のレビュー一覧
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あの亀山郁夫さんが書かれたのだから、カラマーゾフの兄弟の続編かな、と思ったけど違った。1995年という阪神大震災とオウムに激震が走った年の日本を舞台に変え、カラマーゾフの兄弟のオマージュとして登場人物もストーリーも重なりながら進んでいく。どこかカラマーゾフの兄弟というより、シンボル的に現れるアイテムだったり、登場人物の精神的な旅の様子が村上春樹のようだ。
最初はなんだかカラマーゾフの兄弟の同人誌みたいだ、と正直気恥ずかしく読んだ。だが読み進めるうちに、これはオマージュであり、リライトであり、ドストエフスキー論であり、カラマーゾフの兄弟の講義であり、亀山さんの自伝であり、アバンギャルドな実験小説だと気づかされる。下巻くらいからは物語に引き込まれた。
読んでいるうちに、カラマーゾフの兄弟自体への理解が深まった気がした。 -
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ドストエフスキーを齧った者なら、
書店で並ぶ本書を見て、ある種の驚愕が走ったであろう。
新カラマーゾフの兄弟。ここまで大胆なタイトル、著者はあの亀山郁夫。
なるほど、ここまで大胆なのにも納得できる。
カラマーゾフの兄弟と絡めながら読み解いていくも
上巻だけで相当な量である。一筋縄ではいかない。
現代の日本、とは言え時代は1995年。
阪神大震災、そしてオウム事件と日本が震撼した年。
時代設定にこの年代を選んだのも、なるほど納得である。
旧ソ連の崩壊、そしてロシアの誕生。
国家の滅亡と誕生を目の当たりにした黒木リョウは何を思う?
まだまだ壮大な下巻へと続く途中、先を急ごう。 -
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ネタバレものすごいボリュームだけど、読み進めることは全く苦ではなかった。
私としては、結末よりもクライマックス、K先生の最終講義にとても惹かれた。
ドミートリー、イワン、アレクセイ。
それぞれの心に宿る「父殺し」の罪の共有。願望それ自体は、正常な生き方だと言われる。そこで手を下すことになったスメルジャコフは異端なのか。
幸司は、イサムの許しがなくとも「父殺し」を行ったか。恐らく行わなかっただろう。
「神がいなければ、全ては許される。」
その言葉に縋り、彼の欲望を開花させたのはイワンなのだと思う。
そうして、現代社会にはイワンを代弁する存在がきっと無数にいる。自ら「父殺し」を行うではなく、それを本能として許してしまう代理人。
そのため、父は実際に「殺される」。
しかし、正しくはないものの、ある意味それが為されたことで、カラマーゾフは黒たりえた。
ミツルは瑠佳を追うことが出来、イサムは香奈と心を共有させ、リョウは担う覚悟を決めた。それぞれに罪を背負うことと、生きることが再確認されるわけである。
レビューしながら、まとまりもしないのだけど。
上巻ではリョウによってグローバリズムへの恐怖が語られていた。
神が「不在」と見なされ、全能の源である情報過多と生命存続が無限になりつつある世界。
精神的成長である「父殺し」を歪んだ形で封じられたことによる人間的な鬱屈は、地下鉄サリン事件のようなカオスを引き起こす(ということか)。
これは上巻レビューでも述べたが、村上春樹の言うコミットメントとデタッチメントというキーワードに密接に関わっていると思う。『1Q84』や『アンダーグラウンド』との関わりについては省くけれど……。
私は父性とは基本的にデタッチメントであり、母性とはコミットメントなのではないかと思う。
ただ、カラマーゾフの場合、本来コミットメントするべき母親が充分でないまま子供たちを見捨ててしまう所に原罪がある。(しかし、瑠佳は敦子に本当の母を感じるわけだが)
リョウが最後に決めた覚悟とは、自身が守ると決めた多くの子供たちからいずれデタッチメントされることへの覚悟なのだろうか。
「古い世代の父親なら、黙っていても父親としての威厳を保つことができましたが、これからはまさに「それにふさわしいこと」の質が問われることになるのです。翻って、少子化時代に父親になる若い親たちは、どのような愛情でもって子どもたちに接するのか。彼らにとって「ふさわしいこと」とは何かを、真剣に考えてほしいと思います。」 -
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夏はスターリン。肝を冷やしてくれるから。なかなか骨の折れる大著だった。というのも取り上げられている6人の芸術家の作品に触れたことがまったくないので、そもそも読む資格なかったかもしれない。にもかかわらず各章ずしんときたのは亀山郁夫先生の筆のなせる技か。スターリンという恐怖の時代に作品を出すことと生きようとする本能とが激しくせめぎ合い、気持ちはヒリヒリしたし、頭のなかはぐるぐるした。なお残念ながらゴーリキーの章(熱狂を見つめて)だけ挫折。あとがきに、ショスタコーヴィチとエイゼンシュテインについては門外漢といった事が書かれており驚愕。とてもそうとは思えなかったのですが…。
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さっぱりわけがわからない、というのが正直なところ。
「わけがわからない」というのも何がわからないのかわからないみたいな、もうかなりぐちゃぐちゃにわからない。
僕はよく作品をとおして作者の性格や考えてることを想像してしまう。あまりいい癖じゃないかもしれない。ドストエフスキーは過去に何作か読んだことがあるから顔見知りぐらいにはわかるつもりだった。だけどこの本からは作者ってものがまったく想像できない。予想できない。何考えてこんなもの書いたんだ? いやもうさっぱりわからん。
ひたすら企みと悪意が描かれる。「同志仲間で」の混乱や、カルマジーノフの朗読みたいな、戯画化され誇張された滑稽さにカタルシスを感じる。作者自身が、「あーもうバカバカしい!」と言わんばかりにこれら登場人物に仕返しをしているような、何かそういった破壊的なものを感じる。
とりたてて誰かに感情移入できるってことはない…ロシアの当時の情勢に明るいわけでもないし、登場人物の思想はどれも極限まで突っ走っているように思えるから。ピョートルにいたっては全然わからん。小説的にあれだけ重要な役回りにも関わらず……たぶん人間じゃないんだろう。
印象に残ったところをかいつまんで…と思ったけどそれも案外難しい。どうなってるんだ。小説すべてが仄めかしのように思えて快いことなんてほとんどないし全体に暗い色調に沈んだみたいなのに、それこそ憑りつかれたように読んだし、そうせざるを得なかった。いつまでもこの小説に憑りつかれていたくはなかったから。 -
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『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』の新訳で有名な筆者によるドストエフスキーの生涯及び作品を講義形式で行う上巻です。彼の生い立ちから『白痴』についての詳細を極める解説が素晴らしかったと思います。
ドストエフスキーの作品を読みながらこういう解説を読むのは果たしていいものなのかどうかということは非常に迷うのですが、多様な解釈のできるドストエフスキーの作品を『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』の新訳で知られる亀山郁夫氏の筆による解説と講義で綴られる本書は、ドストエフスキーの悩み多き人生と、数々の要素に引き裂かれた心の中から生み出される複雑な小説及び登場人物、ストーリーに鋭く迫っております。
18歳で悲劇的な形で父親を亡くしたことからその人生のトラウマが始まるのですが、この父親がこれまたとんでもない人物で…。長じて寄宿生の学校に進学したドストエフスキーはそこでシラーなどの文学に親しむようになります。やがて、革命を夢想した彼は『ペトラシェフスキーの会』という秘密結社に加わるようになります。そして、秘密警察による逮捕。死刑判決を経て死刑場で銃殺されるまさにその瞬間。死一等が減じられるという劇的な(全て仕組まれていた)出来事があって、8年の徒刑に従事するようになります。『死の家』での生活は彼の人生及び精神世界に重大な影響を与えるこことなります。
『地下室の手記』である種の『転向』宣言をしたドストエフスキーは作風もがらりと変わったものとなります。そうして生まれた傑作こそ後の文学に多大な影響を与えた『罪と罰』であります。「分離派」にちなんだ名前を持つロジオン・ラスコーリニコフが退廃の街、ペテルグルグで『ナポレオン主義』という特異な思想から、金貸しの老婆とその妹を斧で惨殺し、予審判事であるポルフィーリイーとの知恵比べや、娼婦であるソーニャとの献身的な愛によって自らの『罪』を自覚し、『罰』を引き受けることで新しく生まれ変わるというストーリーを微に入り細に入り解説している描写が本当に面白かったです。
さらには『本当に美しい人間』として描かれるムイシキン公爵がたどる運命を描いた『白痴』。これにも登場人物の行動原理や思想の解説が面白く、ムイシキン公爵=キリストがあまりにも『純粋』であるがゆえに周りを巻き込んで悲劇を起こしていくというお話はなんともいえない後味を覚えてしまいました。それらの作品を産み落としながらも、彼の私生活といえば、狂ったように賭博や恋愛にのめりこみ、ここまで破滅的な人生を歩みながらも土壇場のところで作品を書いて全てを打っちゃっていくという『作家魂』を地で行くような『生き様』も読んでいて『なるほどなぁ』と感じ入ってしまいました。
一人の偉大な作家の前半生でも、これだけ濃い生き方をしているんだと思うと後半部が描かれている下巻を手にとって読むのが若干、躊躇気味になっている自分がおります。 -
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ドストエフスキーの小説の新訳が有名な亀山先生ですが、わたしは先生の翻訳したドストエフスキーをまだ読んだことがありません。そのかわり、『磔のロシア』などロシアの文化史の研究書を何冊か読み、たいへん強い印象を受けました。
本書は亀山先生のロシア音楽への熱い思いが溢れていて、巻末のロストロポーヴィッチ(チェロ奏者)、ゲルギエフ(指揮者)との対談も含め、たいへん興味深く読むことができました。ただ、音楽を切り口にしたロシア文化論である本書を、入門書的な本のタイトルから内容を想像して読み始めると、戸惑うかもしれません。著者はチャイコフスキーそのものよりも、副題「熱狂とノスタルジーのロシア音楽」の方に力点を置いて熱弁をふるっていますので…。
個人的には、20世紀の音楽に様々な刺激を与えたロシア音楽の系譜を改めて聴きなおしていきたい、という思いを強く持ちました。 -
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ネタバレキリスト教的世界観の抱える問題をどう突き詰めるか。
それを表現するにあたって、
『悪霊』はうってつけの舞台である。
ドストエフスキーは本作において、
記憶するのが容易でない数の人物を登場させ、
かの世界を、政治的文脈を交えた隘路を超克しうるものとして提示する。
ここに脈絡づけられるものとして、
本作に据えられたプーシキンの詩とルカ福音書のエピグラフは
あまりにも象徴的である。
《悪霊》には少なくとも三つの意味を見出すことができる。
西欧から入り込んできた無神論という思想。
無政府主義実現のため、活動組織をオルガナイズすべく暗躍するピョートル。
そして、ニヒリストであり退廃的なスタヴローギン。
さまざまな《悪霊》が、
農奴解放令を迎えた過渡期に生きる人々のエートスを揺がせ、
また彼らを惑溺させる。
中でも注目すべきがスタヴローギンだ。
汎スラヴ主義者のシャートフ、人神思想の持ち主キリーロフ、
無政府主義の五人組、リーザを始めとする女性たち……。
多くの登場人物がこの悪霊に憑依され、
身を滅ぼしてゆく。
そのアンチテーゼとして存在しえたのは、
「信仰」の象徴たるステパン・ヴェルホヴェンスキーくらいであろう。
その空虚さゆえの妖しさと魅力が、
スタヴローギンにはある。
最後に、物語において重要な位置を占める「スタヴローギンの告白」。
チーホン僧正の述べる、
「無神論は完全な信仰へ向かう道である」とは非常に意味深い。
問題をロシア正教の再肯定に収斂させてゆく、
ドストエフスキーの真髄をここに見て取ることができよう。 -
Posted by ブクログ
悪霊は、自分が最も好きな本で、最もよく意味が分かっていない本。その悪霊の謎を、亀山郁夫先生が読み解いてくれる。だが、それでも分かった気にしかならない。
今回分かったことは、悪霊が書かれた当時のロシア、スタヴローギンの告白出版における揉め事がストーリーに大きな影響を及ぼした事。
そして、スタヴローギンという人物が、もう少しクリアになったこと。悪霊の意味の分からなさは、スタヴローギンという人物が悪魔的にも関わらず、物語の中では特に何もしない事だ。だが、物語の中では語られていない、過去に行われていたであろう事、スタヴローギンの心情を想像する事から垣間見得る恐ろしさ、そしてスタヴローギンの分身ともいえる人物達、それらによる物語の重層性。これらが薄ぼんやりと掴めた気がする。
また近いうちに、新たな気づきがあるか、悪霊を読み返してみたい。 -
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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012の会場で手にして、
待ち時間の間に読み終えた…途中で著者本人の
講演も聴いて…それまで、やや退屈にも感じていた本書が
俄然面白くなったんです!
もともと本人は、あまりチャイコフスキーがお好きではないらしく…
副題の「熱狂とノスタルジーのロシア音楽」に思い入れがあったのです。
新書のタイトルは、版元の意向で、よりキャッチーなものへと
替えられることが多く、多くは内容にそぐわないタイトルになっている…
もしかしたら、本書も、よくあるそんな一冊であるのかもしれません。
ただ、著者本人がロシア音楽が大好きであるのは疑いようもなく、
そんな熱気は、本書からも伝わってきます。音楽が生まれた背景…
それが抱える歴史を概観するには格好の書でもあるでしょう。
講演の中でカミングアウトされていたのですが、
浅田彰氏は、本書について、YouTubeを聴いて書いていることを
正直に綴っているのが良い…などというようなコメントをしたらしく…
本人は、シニカルな評かもしれませんが…とも云っていたけれど…
専門外のボクには、星の数ほどあるYouTubeの情報から
これぞ!と思うものをピックアップできることこそ、
慧眼であるんだろうな…って感じたんです…
なにしろクラシック音楽の解説書は、レア音源を扱うものが多すぎて…
良さそうだから聴いてみよう…なんて思っても、
その機会にめぐりあえずにいることが多く、ジレンマを感じてました。
本書は、お薦めの曲は、比較的お手軽に接することができ…
まさに、入門書として、良心的なつくりになっているんです。
自分へのおみやげに手にしてきた、本書とCDを振り返りながら
GWの熱狂とノスタルジーにひたる…この頃…
ま、これだけ楽しませてもらえば、いいんじゃあないかな…?
★は、ひとつおまけして…ということで… -
Posted by ブクログ
ドフトエフスキーの五大長編の中で、もっとも解釈に苦しむ「悪霊」。この作品につき新訳で知られる亀山氏、ロシアの研究者サラスキナ氏の討論と質疑応答を中心に組み込んだ、文学好きには必読の書。
特に主人公スタヴローギンの「告白」の取り扱い方と解釈。また、彼のエルサレムからヨーロッパを縦断し、アイスランドに至る放浪をどのように位置づけるのか。という二点がヤマ。
ロシア正教とその異端、ここのところが事前の知識として必要である。正直、自分はスタヴローギンのアイスランドへの渡航を、作者はどのようなバックボーンを得て作品に入れたのかを解説した終盤の部分にもっとも興味をそそられた。
「悪霊」そのものを一度しか読んでいないので、とてもではないが、この考察には全てついて行けなかった。 -
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なぜ父は殺されるのか?
それは復活のために。
アリョーシャ実行犯説は聞いたときからピンと来なかった。
モチーフである父殺しの反復といえど、ガリラヤのカナで目覚めたアリョーシャが皇帝を、というかキリストを象徴的にでも殺すということがピンと来なかった。
で、本書。読む前は、イワンが無意識にスメルジャコフをそそのかしてフョードルを殺しミーチャが巻き添えをくらったように、アリョーシャが無意識にコーリャをそそのかして皇帝を殺しイワンが巻き添えをくらうのかな、なんて思ってたけど、ガチョウの下りを読んでたときにはたとひらめく。
コーリャがバカをそそのかしてエサに夢中なガチョウの首をはねたように、アリョーシャがトロイをそそのかしてテロに夢中なコーリャの首をはねるんじゃないだろうか。
だからカルタショフはトロイのエピソードを割り当てられたんだよ(木馬だけに)。な、なんだってー!?
とまあ、この思いつき自体には大した意味はない。このひらめきがもたらした意味は内容じゃなく、第二の小説は父殺しを反復する物語ではなく、父殺しを踏みとどまる物語なんじゃないかという考え。
そう考えるなら散々いわれてる検閲も問題ない。そして最後まで読んでるうちにその考えが、冒頭にでてきた言葉にまで発展した。
なぜ第一の小説で父は殺されなければならなかったのか?
自伝的要素のため?古来から用いられてきたモチーフだから?キリスト教を否定するため?
否。それは復活のため。新たなキリストとしてアリョーシャが、ロシアのキリストとして、神の人アレクセイとして提示されるために。
な、なんだってー!?
とまあ、本文とは全然ちがう読み方をして楽しんでいた。ミステリーで謎解きが楽しいよね、って感覚がいまいちわからなかったけど、これは確かに楽しいもんがある。
本文の推理は非常にスマート。さまざまな伏線、構造、自伝的要素までをも巧みに回収して、第二の小説のプロットを提示する。
確かにコーリャはガチョウの断頭台よりは、ミーチャの誤審を反復する方が強いわなー。さらにシベリアなんて裏ドラつき。そしてカラマーゾフシチナや無言のキスまで回収する鮮やかさ。
しかし、まあ、冒頭の考えは捨ててない。
新たなキリストというよりは、神の人アレクセイのように、その死後有名になるパターンだから序文じゃ無名だったんじゃないかなって具合に、いまだにあーだこーだと空想してる。
そういった意味でこの偉大すぎる小説が、より偉大な第二の小説の前振りでしかなかったという事実は、そしてその第二の小説が書かれなかったという事実は、人類の莫大な損失ではあるけれど、測りきれない恩恵でもあるよねっつー。
ま、恩恵たるには今後数百年かかるだろうけど、そのおこぼれとして、こういった楽しみ方ができるんだから、それはそれでありあり。フェルマーの最終定理的な、もしかしたら素人でも人類を悩ませてきた偉大な謎を解くことができるかもしれない、っていう20年くらい前の空気にも近い。
本書はそんな謎解きの世界に読者を誘ってくれる。豊潤で汲み尽くせない謎がそこには待っている。偉大な、偉大な小説家が残した謎が。