言わずと知れたニュース解説者の池上彰と、元外交官で神学を修めた佐藤優の対談。2人の対談形式の本はたくさんあると思うが、これは2015年時点の世界情勢を踏まえて、世界史学習の必要性について語った本。世界史を学ぶための2人のおすすめのブックガイドも最後に載っている。「大世界史」というタイトルの意味は、「第一は、「世界史と日本史を融合した大世界史ということだ。(略)第二は、歴史だけでなく、哲学、思想、文化、政治、軍事、科学技術、宗教などを含めた体系知、包括知としての大世界史ということだ」(p.253)。
ちょっと自分が世界情勢に弱いので、この2人が10年前に言ったことの答え合わせ的なことが出来ないのが残念。改訂して注とかで現在どうなってるのかを補う版が出ればまた売れると思う。
あとは勉強になったところのメモ。外務省の幹部の話、ということで、「一〇世紀から一四世紀のシーア派とスンニ派のさまざまなイデオロギーを勉強した方がいい。そうしたイデオロギーが二一世紀のテクノロジーとつながるから厄介なのだけど、いずれにせよ、こういう混乱した状況になると、最終的には思想が人を動かす。だから過去にどういう思想の鋳型があったのかを調べることが重要だ」(p.42)ということだから、特に歴史まで勉強しないと今の情勢は理解できないし、歴史の勉強から始まるとも言えるのだと思った。「さまざまなイデオロギー」ってどんなものがあるんだろう。人は感情で動くものだと思うので、時代や集団を支配するイデオロギーを知ることは不可欠。歴史の勉強の中にも「当時はこういう考え方をした」という話がもっとあればいいなと思う。トルコの近代史の話で、言語の改革の話はどこかで知った気がするが、忘れてしまっていた。「それまでほぼ一〇〇%だった識字率が、わずか二%に落ちてしまった」(p.55)ってそんなこともあったらしい。ロシアのプーチンみたいな人がトルコにもいるんだ、というのが分かった。ミナレットが6本あるという「エルドアン・モスク」って今も見れるのだろうか。次に中国の話で、「ソマリアまで言った鄭和の大航海」の話が面白かった。「鄭和は雲南のイスラム教徒でしたが、明に捕らえられ、宦官にされた。やがて永楽帝に重用されて大艦隊を率いることになります。」(p.89)という話で、「宦官にされたのは、裏返すと、信頼されていた、ということですね。能力が高いから。そういう人間を使うには、宦官にするか独身制を導入するのが合理的でした。そうしないと財力や権力の世襲が生じてしまうから」(pp.89-90)だそうだ。あとは歴史教科書の話はだいぶ前にものすごく話題になったが、この本で紹介されている韓国の歴史教科書、って過激だなと思った。「テロリスト史観」(p.96)による歴史、ってそんな捉え方があるのか、という感じ。確かに各国がどんな歴史教科書を使って学んでいるか、というのはその国や人々を理解するのに必要なのに、あんまりない視点だなと思った。次にギリシャの話。「一八二九年に、古代ギリシャの滅亡以来、一九〇〇年ぶりに独立を果たすのですが、国民は、DNA鑑定をすれば、トルコ人と変わらない。(略)言語も、古代のギリシャ語とはまったく違います。(略)しかし、古代ギリシャと関係があるかのように誤解させることをロシアとイギリスが合作で行ったのです」(pp.105-6)ということだから、ギリシャ人のアイデンティティは他国によって政治的に恣意的に作られたもの、ということだ。でも言語学的には、現代ギリシャ語と古典ギリシャ語は全く違ったとしても、関係ないは言い過ぎだと思うけど。ギリシャ人の働き方の話が出てきて、労働時間が短い、ということ。「労働時間の短縮という意味においては、社会主義の理想がかなり生かされた」(p.112)ということがあるらしい。あとやっぱり大きなテーマはウクライナの話。ロシアのウクライナ侵攻は2022年だから、それよりも7年前の時点でのウクライナ情勢の話が書かれていて、この辺りの答え合わせがどうなっているのか気になる。「最終的には、ウクライナは『フィンランド化』を受け容れていくしかないでしょう。独立は維持するものの、ロシアの強い影響下にとどまるほかない。国内の政治状況も混乱をきわめていますし、EU諸国も本気で面倒を見る気などないでしょう。」(p.139)となっている。この流れでフィンランドの歴史も解説されるが、それもあんまり知らなかった。2015年のプーチンのヴァチカン訪問について、「見た目は正教、実はカトリックという『ユニエイト教会』が、ウクライナの現政権を支えていて、この協会と折り合いをつけるのが、ヴァチカン訪問の狙いです。ウクライナ情勢を動かしているキー・プレイヤーの一つがヴァチカンなのをプーチンはよくわかっている。」(p.200)ということなのだそうだ。全然知らなかった。次にアメリカの話。この当時はオバマとトランプだったらしく、「オバマは、まだまだ任期を残したこの早い段階で、すでにレームダック(無力)化しています」(p.142)という話が出てきたが、レームダックというのは政治用語らしい。そして、この本の特徴的なのは、ここから沖縄の話が出てくるということで、個人的には改めて最近沖縄の話を最近見たり読んだりしていたので、気になるところだった。とは言っても、結局自分の関心は言語に向いてしまうので、「現在では、沖縄ではなく、移民がいる南米のボリビアの方が琉球語をきちんと話している」(p.164)という話は、よくある移民の方が言語を保存する話の例だなと思った。あとは、反知性主義との闘い、がこの本のテーマなのだそうだが、教養の大切さについて語った部分で、「ヨーロッパの大学では、リベラルアーツと呼ばれる七科目が学問の基本とされました。(略)リベラル(自由)・アーツ(技芸)で、『人を自由にする学問』。こういう教養を身に付ければ、偏見や束縛から逃れて、自由な発想や思考を展開できる」(p.224)という話。最近英語の授業で、「リベラル・アーツなんか自分でやればいいから大学で学ぶのはもっと実学にすべきだと固く信じる女子高生」というとんでもない人物が登場する、ある模試のリスニングの過去問をやっていて、その時に、この女子高生がいかに世の中の利益や都合に束縛されていて自由じゃないか、という話をすれば良かった、と思った。リベラル・アーツが教養科目、って当たり前すぎてなんでそんな名前なのか、っていうのを考えてなかったことを反省した。最後に、「エリートのナルシシズム」の話が印象的だった。「エリート層は、個人の利益増大だけに関心を集中させる」(p.229)、つまり「高等と言われる階層は、自らのうちに閉じこもり、外部から遮断されて生きることになり、自分では気づかぬうちに、大衆や民衆に対して距離を取り軽蔑する態度を発達させていくかもしれない。」、「質の高い教育を社会のためでなく自分のために役立てる」(同)というのは、なんか進学校で教えていると、おれの接している生徒たちにありそうで、現にそういう振る舞いを見ることもあるが、それは未熟さゆえに共感力が低いから、ということだけではなかったとしたら、恐ろしい話だなと思う。成長すればもっと人のことを自然に考えるようになるだろ、と思ったらそういうことではなかった、という話。ノブレス・オブリージュ的なことって一生懸命学校教育で教えていくことなのかな、単純に人の役に立つことの喜びを体験させるのがいいのかな、とか思う。(25/12/21)