あのちゃんのことを「あのちゃんだから許されてるだけ」と思ってる人は多い。けど、誰かが通った安全な道を歩いてる人間が嫉妬すんな、と思う。自分もあのちゃんだったら同じことができたって? でもあのちゃんは実際にやってる。「できる」と「やる」は大違いなんだよ。
読みながら何度も思ったのは、「あのちゃんは嘘が嫌いなんだな」ということだった。ここで言う嘘とは他人に対する嘘ではなく、自分に対する嘘である。よく言えば「自分に正直」なのである。
カントに言われるまでもなく嘘はよくない。でも僕らはどうしようもなく嘘をついて生きている。たとえばお世辞がそうだ。「いつもお綺麗ですね」。あのちゃんはこういうのが嫌いだろう。それは他人にではなく、自分に嘘をつくことが許せないのである。
本書には「綺麗ごと」という言葉が何度も出てくるが、これこそまさに嘘であろう。「そんなのは綺麗ごとだ」というのは、そうした嘘を自分に認めさせたくないのである。
こういう人間が生きづらいのは無理もない。自分の体験談になるが、昔アルバイトで接客をしていたとき、いわゆるカスハラに遭遇した。とはいえ、正論でも客を悪者にしてはならないのが客商売の悲しさである。僕も言葉の上では謝ったのだが、理不尽さに納得が行かず、つい相手をギロッと睨んでしまった。それを見逃さなかった客が「なんだその態度は」と激昂しかけたのである。幸い上司の取りなしで事なきを得たが、こういう癖は社会人になってもなかなか抜けなかった。
あのちゃんの場合、自分が間違っていたり悪いわけでもないのに、怒られたりいじめられたりしてきた。「自分が悪いんだ」と思うことは、自分に嘘をつくことだ。彼女にとって嘘をつくことは、二重の意味で悪なのかもしれない。
こういう人を世間では「不器用」と呼ぶ。僕もどちらかと言えばそうである。器用な人間とは、要するに悪者になることに慣れた人間のことだ。そして不器用な人とは、そのように生きられないから不器用なのである。世間と折り合えない不器用な人間は、他人から生き方を学ぶことができない。全部自分で考えるしかない。偉い哲学者の言葉なんて参考にならないのだ。だから哲学なんていらないという哲学なのである。