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Posted by ブクログ
心に響く言葉が本当に多い一冊でした。
あのちゃんの言葉はストレートで、ときにはかなり強い。それでも、だからこそ伝わってくるものがあるのだと思います。
読んでいて強く感じたのは、「自分の感じ方や生き方を、他人に否定されたからといって手放さなくてもいい」ということでした。
冒頭に、
「人から見たらどうでもいいことかもしれないけど、“それはどうでもよくない”って言うために書きたい。」
という言葉があります。
この一文からも、自分にとっての違和感や大切なものを、他人の基準に合わせて「どうでもいいこと」にしない人なのだと感じました。
特に印象に残ったのが、あのちゃんにとっての「復讐」という考え方です。
学生時代にいじめられていた経験から、あのちゃんは「復讐」を、相手を傷つけたり陥れたりすることではなく、自分の力で這い上がることとして捉えていました。
自分がテレビに出ることで、かつて自分をいじめていた人がテレビを見て笑ったり、自分の音楽がその人の生活の一部になったりする。それこそが復讐なのだと。
誰かに仕返しをするために力を使うのではなく、自分自身を前に進めるために力を使う。
すごく素敵だなと思い、とても印象に残りました。
一方で、「僕には復讐しかなかった」という言葉には、かなり胸を突かれました。
長いあいだ復讐を支えにして生きてきたからこそ、それを「もう終わりにしていい」「許せばいい」と簡単には手放せない。その背景には、惨めさや屈辱、これまでの自分の人生そのものを否定されたような感覚がある。
正直、耳が痛く、心も痛む話でした。
しかし同時に、これがあのちゃんのアイデンティティーなのだろうとも思いました。
人それぞれ、ここまで生きてきた背景は違う。だからこそ、自分には理解できない誰かの「大切なもの」を、簡単に否定しない人でありたい。自分自身のアイデンティティーも大切にしながら、他人のそれもできるだけ尊重したいと思いました。
また、「群れなくたって人は闘える」という考え方にも共感しました。
人と関わること自体は大切だし、興味がなくても「一旦試してみる」という負担も、ときには必要だと思います。
しかし、それが義務になってしまうなら、無理に群れなくてもいい。
「群れられない自分は駄目なんじゃないか」と不安になる必要もない。
自分のペースで人と関わり、自分のペースで進んでいけばいい。
そう思えるだけで、少し生きやすくなる気がしました。
そして、私があのちゃんの考え方に惹かれる一番の理由は、「壊れたものだけが持つ強さ」のようなものを感じるからです。
一度も挫折したことのない人には、なかなか持つことが難しいかもしれない、人の痛みを想像する力。
そして、挫折したところから立ち上がった経験があるからこそ知っている、自分なりの立ち直り方。
それは、ただ強いというより「しなやかな強さ」を持っているということなのだと思います。
私は歌手のAimerさんも好きなのですが、惹かれる理由は少し似ているのかもしれません。
一度傷ついたり、壊れたりした経験があるからこそ、暗闇にいる人へ届く言葉や音楽がある。
この本を読んで、改めてそんな「しなやかな強さ」に惹かれている自分に気づきました。
他人から見ればどうでもいいことでも、自分にとってはどうでもよくないことがある。
誰かに理解してもらえなくても、自分の感じ方まで否定しなくていい。
もちろん、それを少しでも理解してもらえる人に出会えたならとても幸せなことのように思います。
そんなことを考えさせてくれる一冊でした。
Posted by ブクログ
あのちゃんのことを、よく知らないので読んでみました。
よく知らない人のことを、勝手に「〇〇な人だ」って判断したくないから。
本を読んで、
あのちゃん すごっ、カッコよっ
と思った。
私は自分の思考だけで生きるのがしんどいから、本を読んで少しでもラクになれる思考を探す。
あのちゃんは、『本を読まない』とあって。
うん、あのちゃんにはどんな本も必要ないかも。自分で自分を生かしていけるから。
あのちゃんの復讐ルール、なんて清らかなルールだろう。
簡単にマネできることじゃない。
たくさんの人に読んで欲しいけど、この世界で生きるのがうまい人には難解な本かもしれない。
私があのちゃんに望むことは、未来で、おばあちゃんになったあのちゃんが見たいな、ということです。
Posted by ブクログ
「僕には僕がいる」というフレーズがぶっ刺さった。「涙くん、今日もおはようっ」の歌詞にも登場したフレーズだ。
一人じゃない、みんながいるからという言葉が嫌いだ。自分が誰にも助けられず、ずっと一人だったなんて思わないけれど、大好きな人は確かにいるけれど、でも根本的に、人生は一人ではあるだろと思うから、その温い響きが嫌いだ。
でも、一人じゃない。何故なら僕には僕がいるから。聞いたこともない表現で、とにかくぶっ刺さった。これを書いたの子と、歌ったあのの化学反応も凄まじかった。
このフレーズを筆頭に、本のなかであの曲やこの曲を連想しながら読んだ。この人は本当に、タレントとしてもアーティストとしても、そして作家としても、「あの」として生きているんだなと思った。媒体が変わっても、その時の考え方や重心が変わっても、魂が変わらない。こんなに芯がある人間は中々いない。
自分は表に出る人間に対しては圧倒的であることを求める。昨今は親しみやすいだとか、応援したくなるとかがトレンドな空気を薄々感じるけど、黙れと思う。楽曲を聴いていても感じていたけれど、本書を読んで改めて、あのは圧倒的だと思った。本書のなかでは、恐らく自分が使う圧倒的に近い文脈で「絶対」という言葉を使っていた。デデデがまた観たくなった。
「絶対」とはまた、すごい表現だなと思う。これ以上にしっくりくる表現はないのではないか。自分のなかでそれに最も近いのは、「理想像」のことだった。あるべき姿として追い求めるもの。そしてそれを追い求めること=生きる意味だ。しかし本書では、それを否定はしないが、あの自身は理想像はなくていいと思っている、と書かれていた。どうやら自分にとっての「理想像」と、あのの言う「絶対」は違うものらしい。生きる理由はこれです。私はこうなりたいです。そんな風に言葉で表せてしまうようなもので収まってしまいたくない、と。なるほど確かにそうだなと思った。
確固たる自分の信念。美学。そしてそれを貫き通した結果見えてくる景色。付いてくる人々。これは確かに言葉で表せるものではないのかもしれない。言葉で表そうとするからこそ、無理が生じてしまうのかもしれない。非言語の世界にしか宿らないものは確かにある。そうした言葉に出来ない何かのことを「絶対」と呼ぶのではないか。誰かにとっても、自分にとっても揺るぎない「絶対」のなにか。それは、自分視点と他者視点の両方を同時に満たすなにかだ。自分にとっての「絶対」とはなにかを探したい。その為にはやはり、戦わなければならない。
あのは、復讐のために、自分のために、活動をしていると言う。実際、そうなんだと思う。だけど、曲を聴いても、出演したバラエティを観ても、本書を読んでも、彼女は本当に受け手のことを考えて発信をする人だなと思う。ファンのことを大切にしていることが一挙手一投足から伝わってくる。いや、ファンに限らず、あのの発信を受け取った人がどう感じるのか、その責任をしっかりと背負って発信をしていると感じる。月並みな言葉だけど、優しい人だなと思う。
Posted by ブクログ
あのちゃんは常に孤独と戦っている人というイメージだけれど、こんなにも人より辛い出来事を経験して自ら険しい道を選んで、圧倒的になるために覚悟を生きている本当に強い人だと思った
「復讐」という言葉もよくあのちゃんから聞いていたけれど、それは直接相手を攻撃するのではなく、自分が成り上がる事で幸せになることが最大の復讐だという言葉に涙がでました
そして何も分からないからこそ、の章を読んで本当にポジティブな人だと思った
無知からの災難や遠回りも全て学びだと良い事だと捉えて前向きに生きる姿はとても健気で根は明るい人間なんだと感じた。
私はあなたの幸せを心から願っています。
私も何故かずーーっと孤独と手を繋いでいきていますが、貴方見たな人が一生懸命に生きていると思うとまだ頑張れます。
この本を書いてくれてありがとう
Posted by ブクログ
あのちゃんのことを「あのちゃんだから許されてるだけ」と思ってる人は多い。けど、誰かが通った安全な道を歩いてる人間が嫉妬すんな、と思う。自分もあのちゃんだったら同じことができたって? でもあのちゃんは実際にやってる。「できる」と「やる」は大違いなんだよ。
読みながら何度も思ったのは、「あのちゃんは嘘が嫌いなんだな」ということだった。ここで言う嘘とは他人に対する嘘ではなく、自分に対する嘘である。よく言えば「自分に正直」なのである。
カントに言われるまでもなく嘘はよくない。でも僕らはどうしようもなく嘘をついて生きている。たとえばお世辞がそうだ。「いつもお綺麗ですね」。あのちゃんはこういうのが嫌いだろう。それは他人にではなく、自分に嘘をつくことが許せないのである。
本書には「綺麗ごと」という言葉が何度も出てくるが、これこそまさに嘘であろう。「そんなのは綺麗ごとだ」というのは、そうした嘘を自分に認めさせたくないのである。
こういう人間が生きづらいのは無理もない。自分の体験談になるが、昔アルバイトで接客をしていたとき、いわゆるカスハラに遭遇した。とはいえ、正論でも客を悪者にしてはならないのが客商売の悲しさである。僕も言葉の上では謝ったのだが、理不尽さに納得が行かず、つい相手をギロッと睨んでしまった。それを見逃さなかった客が「なんだその態度は」と激昂しかけたのである。幸い上司の取りなしで事なきを得たが、こういう癖は社会人になってもなかなか抜けなかった。
あのちゃんの場合、自分が間違っていたり悪いわけでもないのに、怒られたりいじめられたりしてきた。「自分が悪いんだ」と思うことは、自分に嘘をつくことだ。彼女にとって嘘をつくことは、二重の意味で悪なのかもしれない。
こういう人を世間では「不器用」と呼ぶ。僕もどちらかと言えばそうである。器用な人間とは、要するに悪者になることに慣れた人間のことだ。そして不器用な人とは、そのように生きられないから不器用なのである。世間と折り合えない不器用な人間は、他人から生き方を学ぶことができない。全部自分で考えるしかない。偉い哲学者の言葉なんて参考にならないのだ。だから哲学なんていらないという哲学なのである。
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