小川高義のレビュー一覧
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ネタバレ三作の中で唯一表題作含めて知らない短編しか収録されておらず、そのせいもあってかかなり新鮮な気持ちで読むことができた。表題作「魔が差したパン」は解説を読む限りでは翻訳の苦労が偲ばれる。内容はいつも古びたパンを買う客の素性が気になり、善意で押し込めたバターが、製図を書く時に消しゴムがわりにパンを使っていたことで皮肉な結末に繋がる物語であり、かなりのブラックユーモアである。画家ではないかと思われていた客の素性の謎、古びたパンばかり買う謎と、これは立派な「日常の謎」でもあり、タイトルも含めてオチも秀逸な短編である。
こうしたブラックな読み味の短編も今までのO・ヘンリーのイメージを覆す意味でも楽しかっ -
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翻訳の語り口の癖が強く、若干読みづらさはあるものの、基本的に全ての物語にしっかりと話が落ちるため安心して読むことができる。表題作かつ最も有名であろう短編の一つ「最後のひと葉」はラストシーンの美しさもさることながら、貧乏な画家志望のレズビアンカップルを偏屈な老人が命を賭けて救う物語だというのは解説を読むまで気づかなかった。それはある種のダンディズムでありながらも二人の生き方を阻害するものではなく、加えて軽薄な美に対する徹底した現実として写実的な「ひと葉」が残るというオチも素晴らしい。そういう視点で読んだことはなかったので再読は非常に勉強になった。
他には覚悟した因果応報である「ブラックジャック -
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ネタバレ訳文が直訳に近く、落語や講談のように作者の「語り」が強調されているせいか、当初抱いていたイメージと違って読み手を選ぶ上に、全体的に文章のクセがだいぶ強いものの、ストーリーは流石は短編の名手といった塩梅でどの短編も一捻りされてて面白かった。
O・ヘンリーはこの短編集の表題作でもある「賢者の贈りもの」や「最後のひと葉」が有名すぎてそちらのイメージに引っ張られがちであり、本作も「水車のある教会」など、所謂「いい話」はあるのだが、そのユーモアやペーソスの中に皮肉的な視座が隠れていたりブラックなオチがあったりと、そのバリエーションは意外と多岐に渡る。全体的にどこかトボけた味わいの話も多く、それだけにし -
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波乱万丈でなんだかいろいろとめんどくさいことになるよりは、「ていねいな暮らし」と言えなくもない決まったルーティンをこなして、淡々と生活する方が平穏に過ごせる。波風なんてたくさん。
そんなことを思って暮らしていくうち、本来なら一回こっきりの錯覚(「アレ」を赤毛の人かと見間違うこと)までもが毎回の「お約束」になり、そのうち思考もがっちりと型にはまったものになり、いよいよ人生そのものが型通りになる。128ページのこのくだりにハッとさせられる。
どんなに規則正しく生きていたって、およそもらい事故みたいな他人絡みの厄介事に心ならずも関わることはある。それは自分のあずかり知らないこと。完璧を期するなんても -
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カポーティの思春期(!)から青年期にかけての短編集。習作集って言ってもいいくらいかな。
20歳前後で彗星のごとく現れた天才。この天賦の才をさらに幼い頃に示した作品の数々がアーカイブから見つかり、それをまとめたもの。
おそらく才能を持った画家が幼い頃に見せるように、カポーティも頭の中にあるものを文章にしたくて仕方がなかったのだろうなというその衝動が伝わってくる。
物語としても、構成としても、大人からしたら確かに荒い。でも余韻の残し方であったり、脳内で再構成される情景に深みを出す記述だったり、あるいは人物に対する圧倒的な共感力だったり。「ねえ、こう書いたら気持ちいいんでしょ?」っていう技巧はもう誰 -
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『グレート・ギャツビー』との接点は映画版(2013年)くらいで、観た当初は訴えたい内容が何も伝わってこなかった。
原作に挑戦した今でも掴みどころがないのには変わりないが、どことなく記憶に足跡を残す物語である気がしている。
舞台は「狂乱の20年代」と呼ばれた、1920年代のアメリカ。
自動車に映画館、ジャズ・ミュージックで彩られた豪華なパーティーと、作品の端々でギラついたアメリカが垣間見られる。タイトルの『グレート・ギャツビー』自体、まさに「ギラつき」の代表格ではないだろうか。
しかし、当の本人であるギャツビーさんは全くの謎に包まれた人物で、それこそ掴みどころがない。
誰も彼の出身や経歴につ -
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ネタバレルーシーの日記を読んだのか。
この本は、ただ思い出した事をパラパラと書き留めた状態なのだが、繋がってまとまってる。
続編が気になる。
他人の親切で生きている。
人の事は分からない。
自分の事も自分でもわからないんだと思う。
トラウマは、愛でしか治せないと思う。
誰しもが何かしらのトラウマがあるだろう。
ルーシーがウィリアムの財産を放棄したのは、自分に受け取る価値が有るとは思えないんじゃないか。自己肯定感。
貧乏、夫婦、家族。
人は自分の知っている、見たことあるものにしかなれないんじゃないかな。
父、母に似ないように整形をする。
外見を変えても、考え方や性格とか似ている。
お金と環境と教育が -
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エリザベス・ストラウトが作り出した作家“ルーシー・バートン”(愛称はボタン)の作風は本作でも全開で、一人称によるストーリーの語りの中にルーシーの脳内コメントがビシバシと差し込まれ、記憶の連鎖と浮かび上がる追憶がおもむくままに、あちらこちらへ回想が飛び回る。
その辛辣な観察眼と人物評は、ときに嫌味や意地悪な視線でもある一方で、その鋭さと深さが胸の奥まで届く瞬間があってハッと心を揺さぶられる。
それはまるで、手練れのボクサーがジャブで翻弄しながらリズムを作ったところで、ストレートパンチを鮮やかに差し込むかのよう。
その言葉は、ラウンドを重ねていくにつれて、けっこう、効く。
しかしなんとも一筋縄 -