小川高義のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
『グレート・ギャツビー』との接点は映画版(2013年)くらいで、観た当初は訴えたい内容が何も伝わってこなかった。
原作に挑戦した今でも掴みどころがないのには変わりないが、どことなく記憶に足跡を残す物語である気がしている。
舞台は「狂乱の20年代」と呼ばれた、1920年代のアメリカ。
自動車に映画館、ジャズ・ミュージックで彩られた豪華なパーティーと、作品の端々でギラついたアメリカが垣間見られる。タイトルの『グレート・ギャツビー』自体、まさに「ギラつき」の代表格ではないだろうか。
しかし、当の本人であるギャツビーさんは全くの謎に包まれた人物で、それこそ掴みどころがない。
誰も彼の出身や経歴につ -
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Posted by ブクログ
ネタバレルーシーの日記を読んだのか。
この本は、ただ思い出した事をパラパラと書き留めた状態なのだが、繋がってまとまってる。
続編が気になる。
他人の親切で生きている。
人の事は分からない。
自分の事も自分でもわからないんだと思う。
トラウマは、愛でしか治せないと思う。
誰しもが何かしらのトラウマがあるだろう。
ルーシーがウィリアムの財産を放棄したのは、自分に受け取る価値が有るとは思えないんじゃないか。自己肯定感。
貧乏、夫婦、家族。
人は自分の知っている、見たことあるものにしかなれないんじゃないかな。
父、母に似ないように整形をする。
外見を変えても、考え方や性格とか似ている。
お金と環境と教育が -
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Posted by ブクログ
エリザベス・ストラウトが作り出した作家“ルーシー・バートン”(愛称はボタン)の作風は本作でも全開で、一人称によるストーリーの語りの中にルーシーの脳内コメントがビシバシと差し込まれ、記憶の連鎖と浮かび上がる追憶がおもむくままに、あちらこちらへ回想が飛び回る。
その辛辣な観察眼と人物評は、ときに嫌味や意地悪な視線でもある一方で、その鋭さと深さが胸の奥まで届く瞬間があってハッと心を揺さぶられる。
それはまるで、手練れのボクサーがジャブで翻弄しながらリズムを作ったところで、ストレートパンチを鮮やかに差し込むかのよう。
その言葉は、ラウンドを重ねていくにつれて、けっこう、効く。
しかしなんとも一筋縄 -
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Posted by ブクログ
幸せな家庭も、不幸せな家庭も、はたから上っ面を見ても分からない。だから人の人生を羨むことも、比べることも意味などない。
まさにその通りなのだが、私の大事な人生だって同じことだよ、いいことなんて続きもしないし、辛く惨めな傷と記憶を抱え込んで、尽きることのない不安と苦労を受け止めていくのが人生だよ、みんな変わりはしないよ、この残酷ともいえる真実を達観したかのように受け止めて、人生なんてそんなもん、とうそぶく境地には、僕はまだまだ至れない。
本書では、短編ごとの登場人物が己と誰かを語り、また語られ、あちこちに顔を出す。そうやって多面的に描かれて一つの像を結ぶのかというと、そうではない。むしろ逆で -
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不思議な書き方をする作家だ。
真っ白な画布のあちこちに、ちょこちょこっと描き込みをしていく。決して余白を埋め尽くしてはいかない。
更に細々としたエピソードは、動き出して大きなストーリーを物語る訳ではない。
それでも、こんなことがあった、あんな話をした、といったピースで埋められていくと何かが見えてくる。
いや、正解に言うと、何か書かないものがあることがわかってくる。
思わせぶりな要素はない。むしろ情報はたくさんあって、上手く読み手を空白の渦の中心へ誘ってゆく。
ここに時間の遠近法が加わるところがまた、心憎くて唸らされる。
“いまとなっては昔なのだが、私が入院して、ほぼ九週間に及んだということ -
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いろいろな作家、評論家が「名作」と言っているので、いつか読もうと、なるべく知識を入れないように人生を過ごしてきた。読んだときの楽しみや驚きが減るから。
題名を知ってから数十年、ついに読みました。
一回目読んだときはまだるっこしい会話や表現が多く、結末も唐突でなんだこりゃと思ったけど、それだけではないはずと、二回目。ああ、これ「信頼できない語り手」だなと。そして、はっきりと山岸凉子の絵で再生された。
この作品が文学界に激震を起こし、物語の世界を塗り替えたのは確かだなと思った。似たような小説、マンガ、映画を読んだ、見たことがあるから。
山岸凉子で再現されたのは「ハーピー」や「スピンクス」や「スト -
Posted by ブクログ
不思議な魅力に満ちた本。
ミセス・ナッシュがルーシーに一揃えの服を買ってくれるエピソードや、パーティで出会った53歳くらいの女が出会い系サイトで人生が変わったという話を見ず知らずのルーシーに話す場面とか、淡々とした語り口の中に、深く刺さるシーンが同じ温度で差し込まれ、ハッとさせられることしばしば。
訳者の語り口なのか、エリザベス・ストラウトの本来の語り口なのか、わからないのだが。
繰り返される、「ああ、ウィリアム!」
という呟きは作者本来のものなので、きっとストラウト自身の語り口をうまく訳者が翻訳したということかな。
ルーシーシリーズの、順番的には3番目の本なのだが、他の2冊が短編集の形 -