あらすじ
絢爛豪華な邸宅に贅沢な車を持ち、夜ごと盛大なパーティを開く男ギャッツビーが、ここまで富を築き上げてきたのはすべて、かつての恋人を取り戻すためだった。だが、異常なまでのその一途な愛は、やがて悲劇を招く。過去は取り返せると信じて夢に賭け、そして砕けた男の物語。リアルな人物造形によってギャッツビーの意外な真実の姿が見えてくる新訳!
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Posted by ブクログ
アメリカ文学の古典的名著ということで、読まずにはおれんだろうというミーハーな気持ちで手に取る。
ディカプリオの映画予告編のイメージが強いからか、乱痴気騒ぎのエンタメ小説かと思っていたが抒情的な栄枯盛衰物語でしたね。
後半の展開で徐々に明かされるギャツビーの人物像とその魂胆、終盤の展開とハラハラさせれたな。
ところどころの風景描写の色彩豊かさ、情景を想起させる名文であることが翻訳ではあるが随所に感じられる。名家として根っからの富豪に対するきな臭い成金のギャツビーという対比、もっと大枠の上流階級と一般市民のパワーバランス、作品構成として非常に引き込まれる練り上げ方をされている。時代も国も違うけど、根源的な人間の無常感を感じさせる。1920年代、第二次世界大戦前の不穏な空気感を味わえた気がする。
村上春樹訳もあるとのこと。本書に思い入れが強いようなので気になる。文体が全く異なるだろうし、再読にはそちらも読んでみたい。
Posted by ブクログ
2024.07.21〜2024.07.23
映画を一度観たことはあるが、細かい内容は覚えていなかったので新鮮な気持ちで読めた。
小川高義さんの訳がとてもわかりやすく読みやすかった。
ギャッツビーの行動力がありすぎるゆえの一途な不器用さが魅力的。
物語が動き始めてからは一気に読み終えてしまった。
村上春樹さんの訳もあるようなので、読んでみたい。
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読めば読むほど味がする最高の小説。好きすぎて英語版も買った。難解な文章が多くて、翻訳者のセンスが試される。
ギャッツビーの「ッ」が気になって仕方ない。
ぶつ切りな文章が多いが全体的に良かった。
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初読。村上春樹訳も読んでみたいがこちらもすごく良かった。文章が独特かつ非常に美しい。(原文読めないけど)これはフィッツジェラルドの技術でもあるし、訳者の小川高義氏の手腕でもあるのだと思う。語り手からギャッツビーへの目線は淡々として中立的なようで、彼なりにギャッツビーに寄り添っているのがわかる。父親に関係を問われてすぐ「親友でした」と答えるくだりがよい。ギャッツビーがただ一人愛した存在であるデイジーが、後書きで触れられているような「頼りない、不安定な夢」であることが奇妙な誤読感に繋がっているように思う。
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何回目かわからないぐらい読んでいるけれど、今回は津村さんの世界文学の紹介をきっかけに再読。
フィッツジェラルド節満載で相変わらず文体がカッコいい。そして前回読んだ村上春樹訳とはまた違った味わいがある。こちらの方が読みやすい。
全員がどこかしら一癖ある西部出身の登場人物達が東部ニューヨークの風に馴染めず、それでもしたたかに生きるトム、デイジー、ベイカーに対し、やはり馴染めずに帰郷する語り手のニック、そして過去よもう一度とばかりに不器用ながら純粋に生きるギャッツビー。誰かに感情移入するということはなく、1920年頃の時代の雰囲気を感じることができる。
難しいといえばそんなことはないのだけれど、決して分かりやすくはなく、人生経験を積んでからこそ味わえる作品という気がする。とはいえフィッツジェラルドが執筆したのは29歳の時。人生の重さが現代とは違う。
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トムとデイジーが大分クズ。特にデイジーは酷い。当時の恋愛事情がわからないけれどギャツビーと浮気したり、またトムに戻ったりふらふらとしていて好きになれないキャラ。ギャツビーはデイジーとトムの5年間をなかったことにすることに固執してしまったがためにうまく行かなかったんだろうなと思う。また新しく始めようとしていれば違った結果があったはず。あと情景描写がとんでもなく丁寧。
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その昔、村上春樹のエッセイかなんかで存在を知りながら読む機会がなく、存在も忘れてしまっていた小説。飛行機の中でディカプリオの映画を観たのを機会に手に取った。
結果、映画を観てから小説を読むのは、とくにキャラの立つ主人公の場合はイマジネーションをそこねると再認識。
でもとてもよかった。「読み終えた」ということに満足。
終盤が急ぎ足っぽいのと、デイジーがあほっぽいのが不満。
Posted by ブクログ
すごく好み。今読んで良かったと思う。
ディカプリオ主演の映画を見て、小説も読んでみようと思った。
何社かから出版されていたので、本屋で迷った。私が外国の本を選ぶ際に重視していることは、日本の小説のように文脈に違和感を感じずに読むこと。外国語に忠実に訳されたところで、回りくどかったり日本語として成り立たず理解できなければ意味がなく、そんなに細かい言い回しが知りたいなら原文で読んだら良いと思うので。
まず村上春樹訳を手にとってみた。装丁の可愛さから初めに目を付けていたけれど、中を見てみるとザ・村上春樹という文体で、「オールドスポート」がそのまま書かれている。次に手に取った新潮文庫は日本語が古くて読み辛いと感じた。
この二冊から選ぶのは難しいと思っていたところ、光文社文庫からも出ていることが分かった。何となく思い込みで、堅苦しそうなイメージを持っていたけど、パッと見ただけでもとても読みやすそう。オールドスポートは訳されていなかったけれど、この本に決めた。
光文社のポリシーが「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」らしく、私が求めているものだったので納得。
機会があれば村上訳も見てみたいなぁ。
読んでみると、既に映画を見た後なので話が入ってきやすい。アメリカの恐慌前の様子を知らなかったしそもそも考えたこともなかったけど、まるでヨーロッパ貴族のようなオシャレな暮らしをしていたり、街全体が好景気で浮かれていたなんて。
客観的に見ると「結局まともだったのはギャッツビー」だと言うのが分かる。彼はデイジーしか見えていないようなロマンチストで現実的ではなかったが、それが彼の全てだった。他の生き方や、デイジー以外の原動力なんてなかった。
トムやデイジー等、現実を生きて幸せであるはずの人々がそれに満足できず、ふらりと逃避してしまう。子供も自分で育てず家政婦に任せっきり。そりゃあ退屈で遊ぶ余裕もあるだろう。
それで不器用で真っ直ぐなギャッツビーが振り回される。
ニックも語り手として隠れているけれど、巻き込まれた側だろう。
トムやデイジーはきっとこの先も周りを勝手に振り回して、その結果起こったことには責任を取らず逃げるだけ。
ギャッツビーにとって、緑の灯は遠いままの方が良かったのか……?
ギャッツビーが唯一得たものと言えば、ニックとの友情だろう。長い付き合いでもないニックが、葬儀に参列するように知り合いを訪ねて奔走してくれるほど、ギャッツビーには徳があった。本当はその他の薄情な人々に来てもらう必要などなかったのかもしれない。
個人的にはニックには全ての真実を関係者に明かしてほしかった。それが義務のような気がして。
読んでいると1920年代のアメリカの様子が分かる。エアコンがなくて夏は異常に暑かったこと、灰の谷と呼ばれる荒廃した地域とその周辺で住む人々、禁酒法と裏社会の稼業……作者がまさに生きていた時代だからリアルで興味深い。
T.J.エクルバーグ博士の目や、緑の灯火が何回も出てくる。視覚的にわかりやすく、はっきりした描写が楽しかった。
最後のシーンが特に美しくて大好き。
西部人が東部で暮らすのに違和感を感じるように、元々金持ちではないギャッツビーが生粋のお嬢様であるデイジーと一緒になるのは難しい。過去を取り戻すことも。
それでも夢を追うギャッツビーが素晴らしいということか。自分の意志を持って光に進んでいくことが。
20180909
Posted by ブクログ
映画の『華麗なるギャツビー』の原作本。映画を見た
わけではないのですが、アメリカといえばギャツビー
みたいなところがあるし、ギャツビーっていう単語で
なんとなく派手で、かっこよくて、繊細で、おしゃれ
な感じがするような気がします。
ただこの本は初めて読みました。でもやはり面白く
読めました。個人的には非常に好きなタイプの小説であった
と思います。
Posted by ブクログ
戦前に書かれた作品にもかかわらず、最新作のようなみずみずしさを感じるのは、新訳であるのが理由なのだろうか。
それにしても、第二次大戦前から、純粋な愛情とうものは既に廃れたものという風潮があったというのは悲しい。
Posted by ブクログ
栄光というのは本当にはかないと思います。
それがある種の社会への復讐という
想いがあったギャッツビーにとっては。
(純粋な愛の裏には復讐もあったことでしょう)
そして、終盤には美しい文体から
人間の醜さを浮かび上がらせてくれます。
そう「金の切れ目は縁の切れ目」
所詮それが人間というものなのです。
だけれども、これはあまりにもさびしすぎる。
名作で、静かさと華やかさが
素敵だけれども、デイジーは大嫌いです。
ただの尻軽でしょ。
空っぽの女なんか遊びにしかならない。
でもジョーダンはかわいいですね。
あの後、どうなったのかな。
Posted by ブクログ
村上春樹が好きだと言っていたのでフィッツジェラルドを読んでみた なるほど村上節に通じるおしゃれさがあった 村上作品のアメリカっぽさはこうゆうのから影響を受けているのかな
ついでにディカプリオ主演の映画も見た
内容としてはまずまずかなあ
Posted by ブクログ
『グレート・ギャツビー』との接点は映画版(2013年)くらいで、観た当初は訴えたい内容が何も伝わってこなかった。
原作に挑戦した今でも掴みどころがないのには変わりないが、どことなく記憶に足跡を残す物語である気がしている。
舞台は「狂乱の20年代」と呼ばれた、1920年代のアメリカ。
自動車に映画館、ジャズ・ミュージックで彩られた豪華なパーティーと、作品の端々でギラついたアメリカが垣間見られる。タイトルの『グレート・ギャツビー』自体、まさに「ギラつき」の代表格ではないだろうか。
しかし、当の本人であるギャツビーさんは全くの謎に包まれた人物で、それこそ掴みどころがない。
誰も彼の出身や経歴について知らず、「夜な夜な屋敷で豪華なパーティーを開く謎の大富豪」としか認知されていない。そのパーティーに招待されるのは、よほど特別な人物とされている。(パーティーは、基本的に飛び入り参加自由)
ギャツビー邸の隣に引っ越してきた青年キャラウェイは、ある日ギャツビーからの招待を受け、以降交流を深めていくことになるが…
「人間には四種類しかない。追われる、追う、動きたがる、動きたがらない」(P 130)
小説の登場人物というのは、ルックスや動向を通して、読者側に手に取るように伝わってくるものだ。一方でギャツビーは…映画版でギャツビーを演じたレオ様を何とか当てはめたものの、読書中はイマイチ手応えがなかった。
だが物語が進行するにつれ、実は意中の人を射止めようと、あらゆる策を講ずる情熱家であることが明らかになっていく。それまで大富豪の余裕をちらつかせていたのに、段々と落ち着きのなさも露呈していく…。(事故の後、かの女性の邸宅前に佇む場面が今も忘れられない)
経済も恋愛もイケイケどんどんな時代に、珍しく純情な男がいるもんだと妙に感心したし、ようやく実態という名の尻尾を掴んだ気分だった。
結局キャラウェイほか一部の人間(読者含む)を除き、誰も本当のギャツビーを知らないまま、彼は物語から退場する。
どことなく記憶に足跡を残したものの、まだ何か物足りないような感覚が残っていて、本編終了後はいささか不安になっていた。そんななか、面白い切り口の視点が訳者あとがきに書いてあったので、最後に引用したい。
ギャツビーのことばかり書いてきたけど、本書は彼のような富裕層と庶民階級との対比がはっきりと描かれており、特にそれぞれの立場によって自動車との関わりが違っているのだとか。
前述の通り自動車は20年代の産物で、ギャツビーもまたカーライフを謳歌している。現代のガソスタ的役割も果たす自動車修理屋のウィルソンは、ギャツビーらとは対極の位置にあった。当初サービスする側だった彼は、ある自動車事故を機に車に関わることを放棄する。
新興成金のギャツビーとはまた違う形で、ウィルソンも時代への反乱を起こしていた、という見解には、目から鱗がボトボト落ちたな…。
これで私のギャツビー考が終わったとは思えないから、いつかまた考察本を持ち込んでくるだろう。その時はどうか、ギャツビーのような温かい眼差しで見守ってください…。
Posted by ブクログ
アメリカンドリームに乗り遅れた男の話(乗り遅れたというより時代がすでに終わってた?)。乗り遅れたけど、とりあえず金持ちにはなれた。希望する形ではないだろうけど。
初めて読んだので、まだ飲み込みきれてない。今まで読んだ海外文学の中では、一番オシャレな感じがする。訳の影響もあるだろけど。
まるで関係ないんだけど、読んでいる最中、どうも頭の中に「アルジャーノンに花束を」がちらほらと浮かんでくる。理由は不明。あっちはSFだし。
ほとぼりが冷めたらまた読もうと思う。
Posted by ブクログ
あくまで平民出身の人は貴族には勝てない、、みたいに感じて辛かった。
トムとデイジーのいいかげんさがすごく苦手。その2人が貴族なのも気に食わない。貴族だからこそ取ってつけたような上辺だけの人間で、芯のない人なのかもしれないけど。
ギャッツビーはすごくまっすぐで自分にも他人にもすごく期待してる気がする。だからこそデイジーの理想像だけで鍛錬みたいなスケジュールを淡々とこなし、成功を収める。貴族への憧れみたいなものもあるんだろうけど、デイジーを目標にしたのが間違いな気がする。他人を目標にするの自体良くないし、人選も間違い。
下剋上は失敗する、みたいな話に感じた。
読み返したけど1回目より色々と発見があった。対比がわかりやすい。
Posted by ブクログ
村上春樹訳で読んだことのある本を、別の訳者で読んでみるという試み。ギャッツビーの純粋さというものが、自分の中にあるならそれを離さずにいたい。「あいつら、腐りきってる」「あんた一人でも、あいつら全部引っくるめたのと、いい勝負だ」というセリフが好き。
Posted by ブクログ
ディカプリオの映画をみて、原作を読もうと積ん読の本書をらひっばりだす。
ちょっと飽きがくるけど、村上春樹もおススメなのだから、読みが足りないんだな、きっと。いずれ再読しよう。
Posted by ブクログ
題名だけは知ってるけど、実際にはどんなもんか全然知らん、みたいなやつ。ギャッツビーってどっかのムースかなんかであるくらいで、金持ちの鍛えたお兄ちゃんがぶいぶい言わせるような話なんかと勝手に思ってたけど、ちょっと違うような違わないような。ぶいぶい言わせてるけど、実はいろいろあるんやで・・っていう話だった。
しかしこの金を持って無双、しかし金を持っても愛は手に入れられないぜ、という流れは、100年前にはぐっとくるものがあったにせよ、今の時代にはやや微妙ではある。飽食の時代にはお金なんて!ってなって、その揺り返しがやって来て。
要するに馬鹿とお金は使いようって事やね。違うか。
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過去に縛られる男の話といえば、私の中ではやっぱり『秒速』だろうか。男は過去に、女は未来に。そんな二元論が嫌いなのは、それが幾分的を得ているのだという考えが自身の心の中にあるからなのかもしれない。
本作の主人公であろう「ジェイ・ギャッツビー」は、かつて愛した女性に再開したが、彼女にはすでに婚約者がいた。あとはもう当然起こるであろう出来事の連続で、当然起こるであろう結末を迎える。これはもう様式美なのではないだろうかと思うほどに。
主人公の名前だけのタイトル、冒頭の語り手の独白、物語序盤から始まるミステリアスな「ギャッツビー」像がだんだんとなくなってゆき、最後には実直な青年だった彼が現れる物語の運びが本当に上手くて、彼を終始疑問視していた語り手が最後まで彼に付き添うところは心憎い。
過去は取り戻せないと述べる語り手に対し、「できるに決まってるじゃないか!」と言ってのけるギャッツビー。「何言ってんだよ」と思いつつも、語り手のように彼にどこか惹かれてしまうのは、読み手もきっと同じだと思う。
解説では当時のアメリカにおけるこの小説の位置づけについて書かれており、また面白かった。
Posted by ブクログ
ディカプリオの映画を見たすぐ後に読んだ。
昔20代で読んだ時はこんなに面白く感じなかったはず。
前半、ギャツビーが対岸にある緑のライトを見つめるシーンで、思わずぐっと来たのは映画を見てギャツビーのデイジーへの想いを知っていたから。きっと一度読んだだけでは、良さはわからないのかも。
Posted by ブクログ
誰の発言かがわかりにくくて読み飛ばしてしまった部分もあるけど、ギャッツビーのデイジーを思ってまた会えるシーンはドキドキした。
ギャッツビーがデイジーはトムを愛してなかったと思いたいとこだわる気持ち、わかるようなわからないような気持ち。あと、デイジーは最後ギャッツビーに会いにこなかった。
そんなものだったのかと思ったり。
Posted by ブクログ
よくわからなかった
本当のところこの時代を生きた(あるいはこの時代を知っている)アメリカ人でなければ読み取れないことが多分にあるんだと思うんです
でも「わからなかった」で片付けてしまっては古典を読む意味がないじゃないか!!
…とは思わないんです
読んでみてわからなかった
立派な感想じゃないですか
「わからなかった」から自分なりにいろいろ調べてみてもよし、さらに深く考えてもよし、わからないままでもよし
「わからない」を始点にしてもよし、終点にしてもよし
いいんですよ
古典なんてわからなくっても
「ああ、それならお父さん読んだことあるよ」って言いたいだけなんですから
「どうだったって?」て聞かれたら
咳払いのひとつもして「あ、そうだ植木の伸びたの切っとけって言われてたんだ」とかなんとか言えばいいんです
それでもしつこく聞かれたら「いや〜グレートだったね〜、ギャッツビー、グレートだったわ」とか言っとけばいいんです
古典ってそういうことです(絶対違う)
Posted by ブクログ
過去の恋人との別れを白紙に戻すために犯罪めいた仕事に手を出して富を得、彼女を振り向かせようとする。そのいかがわしさは、誰も振り向かせない孤独の死という道化に至る。ひとりニックの思いやりだけが救いだった。2022.3.15
Posted by ブクログ
ディカプリオ主演の映画も観たが、原作そのまんまで、再現度はかなり高い。車で逃走するシーンなどがあるが、当時は車が登場して間もなく、車の所持は「アメリカン・ドリーム」の一種だったことも押さえておきたい。
Posted by ブクログ
アメリカ小説の古典。1920年頃のニューヨークを舞台とする謎の多い男ジェイ・ギャッツビー。日本でも有名でディカプリオ主演で映画化もされている。
正直全体を通して読みにくいと感じた。随所に上流階級と下流階級、東部と西部の比較が表現されている。当時のアメリカ富裕層の華やかな暮らしを垣間見ることが出来、一途な恋のせつなさも有り。
再読したい。
Posted by ブクログ
久しぶりの海外文学。読みやすく訳されてるが、最近易しい日本小説に慣れ過ぎて、1行に凝縮された文が多く感じた。背景を理解しないと、置き去りにされる感。