あらすじ
絢爛豪華な邸宅に贅沢な車を持ち、夜ごと盛大なパーティを開く男ギャッツビーが、ここまで富を築き上げてきたのはすべて、かつての恋人を取り戻すためだった。だが、異常なまでのその一途な愛は、やがて悲劇を招く。過去は取り返せると信じて夢に賭け、そして砕けた男の物語。リアルな人物造形によってギャッツビーの意外な真実の姿が見えてくる新訳!
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Posted by ブクログ
すごく好み。今読んで良かったと思う。
ディカプリオ主演の映画を見て、小説も読んでみようと思った。
何社かから出版されていたので、本屋で迷った。私が外国の本を選ぶ際に重視していることは、日本の小説のように文脈に違和感を感じずに読むこと。外国語に忠実に訳されたところで、回りくどかったり日本語として成り立たず理解できなければ意味がなく、そんなに細かい言い回しが知りたいなら原文で読んだら良いと思うので。
まず村上春樹訳を手にとってみた。装丁の可愛さから初めに目を付けていたけれど、中を見てみるとザ・村上春樹という文体で、「オールドスポート」がそのまま書かれている。次に手に取った新潮文庫は日本語が古くて読み辛いと感じた。
この二冊から選ぶのは難しいと思っていたところ、光文社文庫からも出ていることが分かった。何となく思い込みで、堅苦しそうなイメージを持っていたけど、パッと見ただけでもとても読みやすそう。オールドスポートは訳されていなかったけれど、この本に決めた。
光文社のポリシーが「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」らしく、私が求めているものだったので納得。
機会があれば村上訳も見てみたいなぁ。
読んでみると、既に映画を見た後なので話が入ってきやすい。アメリカの恐慌前の様子を知らなかったしそもそも考えたこともなかったけど、まるでヨーロッパ貴族のようなオシャレな暮らしをしていたり、街全体が好景気で浮かれていたなんて。
客観的に見ると「結局まともだったのはギャッツビー」だと言うのが分かる。彼はデイジーしか見えていないようなロマンチストで現実的ではなかったが、それが彼の全てだった。他の生き方や、デイジー以外の原動力なんてなかった。
トムやデイジー等、現実を生きて幸せであるはずの人々がそれに満足できず、ふらりと逃避してしまう。子供も自分で育てず家政婦に任せっきり。そりゃあ退屈で遊ぶ余裕もあるだろう。
それで不器用で真っ直ぐなギャッツビーが振り回される。
ニックも語り手として隠れているけれど、巻き込まれた側だろう。
トムやデイジーはきっとこの先も周りを勝手に振り回して、その結果起こったことには責任を取らず逃げるだけ。
ギャッツビーにとって、緑の灯は遠いままの方が良かったのか……?
ギャッツビーが唯一得たものと言えば、ニックとの友情だろう。長い付き合いでもないニックが、葬儀に参列するように知り合いを訪ねて奔走してくれるほど、ギャッツビーには徳があった。本当はその他の薄情な人々に来てもらう必要などなかったのかもしれない。
個人的にはニックには全ての真実を関係者に明かしてほしかった。それが義務のような気がして。
読んでいると1920年代のアメリカの様子が分かる。エアコンがなくて夏は異常に暑かったこと、灰の谷と呼ばれる荒廃した地域とその周辺で住む人々、禁酒法と裏社会の稼業……作者がまさに生きていた時代だからリアルで興味深い。
T.J.エクルバーグ博士の目や、緑の灯火が何回も出てくる。視覚的にわかりやすく、はっきりした描写が楽しかった。
最後のシーンが特に美しくて大好き。
西部人が東部で暮らすのに違和感を感じるように、元々金持ちではないギャッツビーが生粋のお嬢様であるデイジーと一緒になるのは難しい。過去を取り戻すことも。
それでも夢を追うギャッツビーが素晴らしいということか。自分の意志を持って光に進んでいくことが。
20180909
Posted by ブクログ
栄光というのは本当にはかないと思います。
それがある種の社会への復讐という
想いがあったギャッツビーにとっては。
(純粋な愛の裏には復讐もあったことでしょう)
そして、終盤には美しい文体から
人間の醜さを浮かび上がらせてくれます。
そう「金の切れ目は縁の切れ目」
所詮それが人間というものなのです。
だけれども、これはあまりにもさびしすぎる。
名作で、静かさと華やかさが
素敵だけれども、デイジーは大嫌いです。
ただの尻軽でしょ。
空っぽの女なんか遊びにしかならない。
でもジョーダンはかわいいですね。
あの後、どうなったのかな。
Posted by ブクログ
過去に縛られる男の話といえば、私の中ではやっぱり『秒速』だろうか。男は過去に、女は未来に。そんな二元論が嫌いなのは、それが幾分的を得ているのだという考えが自身の心の中にあるからなのかもしれない。
本作の主人公であろう「ジェイ・ギャッツビー」は、かつて愛した女性に再開したが、彼女にはすでに婚約者がいた。あとはもう当然起こるであろう出来事の連続で、当然起こるであろう結末を迎える。これはもう様式美なのではないだろうかと思うほどに。
主人公の名前だけのタイトル、冒頭の語り手の独白、物語序盤から始まるミステリアスな「ギャッツビー」像がだんだんとなくなってゆき、最後には実直な青年だった彼が現れる物語の運びが本当に上手くて、彼を終始疑問視していた語り手が最後まで彼に付き添うところは心憎い。
過去は取り戻せないと述べる語り手に対し、「できるに決まってるじゃないか!」と言ってのけるギャッツビー。「何言ってんだよ」と思いつつも、語り手のように彼にどこか惹かれてしまうのは、読み手もきっと同じだと思う。
解説では当時のアメリカにおけるこの小説の位置づけについて書かれており、また面白かった。