小川高義のレビュー一覧
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著者の前著「私の名前はルーシー・バートン」のスピンオフのような短編集で,ルーシー・バートンと何らかの繋がりがある人(あるいは,さらにそこから孫繋がりしている人)達9人それぞれが主人公の9つの短編からなる.
自分もそうなのだが「私の名前はルーシー・バートン」を読んでいなくても全く支障は無い.
この主人公達は,皆が心に何かを抱えている.それを丹念に,かつ,淡々と綴っているだけ,といえばそれだけなのだが,心を揺さぶられる.仕掛けの一つが,各短編の主人公達が必ず他の短編で少しだけ登場(といっても言及されるだけの場合が多いが)することで,二つの違った角度から「何か」を見ることによって,人物や出来事の造形に膨らみがでているように思う. -
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恩田陸さんも以前『ねじの回転』というタイトルの長編小説を発表しており、タイムスリップSFモノだったので本作もそっち系なのかと思っていたのですが、全然違うお話でした。もっとも、本作の特徴である説明しすぎず解釈を読者に委ねる趣向は恩田さんも得意とするところなので、何かしらのオマージュは捧げているのかなあという気はします。
その趣向について少し述べます。主人公は語り手である「私」。両親と死別した兄妹の家庭教師として住み込みで雇われた「私」が、屋敷に出没する男女の幽霊から兄妹を守ろうとするのですが、実はこの幽霊は「私」以外の人間は見ることができません。そのため「幽霊は実際に登場した」という解釈や、「幽霊は語り手の妄想に過ぎない」等、物語の核となる部分で複数の解釈が読み手に委ねられています。私は子供たちの振る舞いを鑑みて、わずかの差で「幽霊は登場した」に一票を入れたいと思いました。さすがに裏表紙の内容紹介にある「私こそ幽霊なのではないのか」説はちょっと無いかなと思いましたが。これ以外にも様々な箇所で真相をぼかした表現が用いられており、その多面性こそが本作の大きな魅力になっています。
様々な解釈を許すことで作品世界に奥行きが出る小説は今でこそ数多く目にすることができますが、その先駆けとして本作の果たした役割は非常に大きい、というのも納得の面白さだったのでした。 -
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ネタバレすごく好み。今読んで良かったと思う。
ディカプリオ主演の映画を見て、小説も読んでみようと思った。
何社かから出版されていたので、本屋で迷った。私が外国の本を選ぶ際に重視していることは、日本の小説のように文脈に違和感を感じずに読むこと。外国語に忠実に訳されたところで、回りくどかったり日本語として成り立たず理解できなければ意味がなく、そんなに細かい言い回しが知りたいなら原文で読んだら良いと思うので。
まず村上春樹訳を手にとってみた。装丁の可愛さから初めに目を付けていたけれど、中を見てみるとザ・村上春樹という文体で、「オールドスポート」がそのまま書かれている。次に手に取った新潮文庫は日本語が古くて読み辛いと感じた。
この二冊から選ぶのは難しいと思っていたところ、光文社文庫からも出ていることが分かった。何となく思い込みで、堅苦しそうなイメージを持っていたけど、パッと見ただけでもとても読みやすそう。オールドスポートは訳されていなかったけれど、この本に決めた。
光文社のポリシーが「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」らしく、私が求めているものだったので納得。
機会があれば村上訳も見てみたいなぁ。
読んでみると、既に映画を見た後なので話が入ってきやすい。アメリカの恐慌前の様子を知らなかったしそもそも考えたこともなかったけど、まるでヨーロッパ貴族のようなオシャレな暮らしをしていたり、街全体が好景気で浮かれていたなんて。
客観的に見ると「結局まともだったのはギャッツビー」だと言うのが分かる。彼はデイジーしか見えていないようなロマンチストで現実的ではなかったが、それが彼の全てだった。他の生き方や、デイジー以外の原動力なんてなかった。
トムやデイジー等、現実を生きて幸せであるはずの人々がそれに満足できず、ふらりと逃避してしまう。子供も自分で育てず家政婦に任せっきり。そりゃあ退屈で遊ぶ余裕もあるだろう。
それで不器用で真っ直ぐなギャッツビーが振り回される。
ニックも語り手として隠れているけれど、巻き込まれた側だろう。
トムやデイジーはきっとこの先も周りを勝手に振り回して、その結果起こったことには責任を取らず逃げるだけ。
ギャッツビーにとって、緑の灯は遠いままの方が良かったのか……?
ギャッツビーが唯一得たものと言えば、ニックとの友情だろう。長い付き合いでもないニックが、葬儀に参列するように知り合いを訪ねて奔走してくれるほど、ギャッツビーには徳があった。本当はその他の薄情な人々に来てもらう必要などなかったのかもしれない。
個人的にはニックには全ての真実を関係者に明かしてほしかった。それが義務のような気がして。
読んでいると1920年代のアメリカの様子が分かる。エアコンがなくて夏は異常に暑かったこと、灰の谷と呼ばれる荒廃した地域とその周辺で住む人々、禁酒法と裏社会の稼業……作者がまさに生きていた時代だからリアルで興味深い。
T.J.エクルバーグ博士の目や、緑の灯火が何回も出てくる。視覚的にわかりやすく、はっきりした描写が楽しかった。
最後のシーンが特に美しくて大好き。
西部人が東部で暮らすのに違和感を感じるように、元々金持ちではないギャッツビーが生粋のお嬢様であるデイジーと一緒になるのは難しい。過去を取り戻すことも。
それでも夢を追うギャッツビーが素晴らしいということか。自分の意志を持って光に進んでいくことが。
20180909 -
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ぴかぴかとまではいかずとも、それなりに磨き上げ手を入れていたガラス窓に、ぴしりと小さなヒビが入った。じわじわと広がっていくそのヒビをくいとめる法などあるはずもなく、不安に思ううちにそれはしまいには窓は砕け散ってしまう。
バージェス家の兄弟妹の生活が、それだ。とりあえず均衡を保っていたものがあれよあれよと崩れ落ちていく。
きっかけは妹の息子がモスクに豚の頭部を投げ入れたことから始まる。少し昔の小説であれば、この息子の心理を探ることに物語の核があったのかもしれないが、息子のその暴挙の理由は「なんとなく」なのである。こちらのほうがいまや現実的に響くのであるから恐ろしい。
前作のあとがきの、どんな「田舎町の日常にも、人の心の中まで見れば作家が書くべきものはある」という言葉が本作にもあてはまる。
子どもの頃は、理由もなく「今の生活がずっと続く」と信じていた。自分が家庭を持ち、子どもたちが腰周りにべたべたとくっついている頃も、そんな風に思っていたものだった。はたと今の現実に気づいたところで自分の気持ちがついていかない。そんな主婦に私は自分が重なった。
けれど、最後にはゆるゆると温かなものが流れてくれる。読んでよかった。 -
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ある一家の1年ほどを描いて、問題噴出なのにどこかユーモラスで、しかもあたたかい結末。
アメリカの抱えるさまざまな問題がびっくりするほど関わってきます。
バージェス家のジムとボブ、妹のスーザン。
長男のジムは、やり手の企業弁護士。
ボブはジムにばかにされながらも慕っている気のいい弟で、弁護士なのだが法廷には全然向かない。
二人はニューヨークに出ているが、メイン州に残った妹のスーザンから連絡が入る。
息子のザックが事件を起こしたため来てくれというのだ。
ジム夫婦は、社長夫妻と一緒の休暇旅行を優先して、ボブだけに行かせる。
ザックはモスクに豚の頭を投げ捨てたのだが、軽犯罪だからすぐ帰れるといわれて、ボブは内心途方にくれながらも逆らえない。
高校からスターでいまや成功したジムの俗物っぷりは笑えるほどで、夫婦仲はいいのだが、それも事件の推移と共に崩壊の危機に‥?!
スーザンは離婚して独り身。口が悪くてあまり性格は良くないのだが、それは母親に一番きつくあたられて育ったせいという哀しさも。
無口でどこか未発達な息子のザックのことを、いつも心配してきた。
バージェス家の父は事故で早く亡くなっていて、それも幼いボブが車をいじったせい。
このトラウマを抱えているボブは、どこか気弱でたまに放心する癖がある。
だんだんわかってくるのは、兄妹3人ともが、自分のせいだったと責めていたこと‥
ザックの事件は連邦犯罪のヘイトクライムと扱われる危険が出てきて、ジムも駆けつける。
田舎町にはソマリアからの難民が増えていて、見た目や風習の違いに、スーザンは違和感を覚えていた。
ソマリ人の視点もあり、暴漢に襲われる危険に脅える心理も。
ところが公判でザックを見たソマリ人は、その弱々しさに驚き、ただの寂しい子供だという説得に理解を示してくれるのです。
ジムとボブが中心ですが、ジムの妻、ボブの別れた妻や、かかわる人間達が皆生き生きとしていて、なんとも人間臭い。
抱えている問題は皆いずれは表面に出てくるもの、という印象。
大変なことになってしまった窮地が少しずつ解きほぐされ、全員に希望が見えてくる展開が感動的です。
「オリーヴ・キタリッジの生活」でピュリッツァー賞を受賞しているストラウト。
作品数は少ないのに、とても尊敬されている作家のようですね。
「オリーヴ・キタリッジ」はひとつひとつは短いのに濃くて、確かに読みでがありました。
田舎町出身の兄弟や家族の話も、アメリカ人の琴線に触れることでしょう。
読みきると案外、重くない、愛と希望に満ちた話でした。 -
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サリンジャーが少年期ならば、フィッツジェラルドはまさに青年期にふさわしい。
失ってしまったもう戻らないもの、失うまいと光を追い求める人々、この短編集に出てくるすべての悲しみや情熱や美しさや儚さは、全部わたしたちの中にあるものだ。失ってしまったものを取り戻すために、それらを思い出すために文学が存在するとしたら、フィッツジェラルドは永遠に忘れ去られることはないだろうと思う。
原題は"ALL THE SAD YOUNG MEN"だが、これを『若者はみな悲しい』と訳した翻訳者のセンスに敬意を表する。
若者はもちろん、かつて若者であったすべての人々に読んでもらいたい作品だ。
中でも『冬の夢』と『常識』は特に好きな短編です。 -
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エリザベス・ストラウトの新刊。
この独特の文体は、訳者の腕が良いのか、そもそも、このようにしか訳せないのか。英語をもっと勉強しとけばよかったなーと海外文学の秀作を読むたびに思う。
どちらのおかげか、ともかくも、ストラウトの語り口調に魅せられてしまっているから、今回の「海辺のルーシー」も存分に楽しめた。
あちらに行き、こちらに行き、ストラウトの小説の登場人物の脳内は、私たち同様、日常のこまごまとしたことでごちゃごちゃしてて、とてもリアル。忘れていたことを思い出しり、忘れたり、とりあえず頭の隅に置いておいたり、急に大きくクローズアップされたり。
そんなふうに、小説の最終地点(大団円、あるいは悲劇)に向かってひたすらまっしぐらでないところが、とてもとても好きな理由のひとつ。
のらりくらりぶりが、ルーシーが(おそらく作者自身も)歳をとってきたこともあり、「老人小説」の風合いとしてもとてもいい肌触り。最初はオリーヴ・キタレッジだけが「おばあさん」らしくない「おばあさん」だったんだけどね。あー、みんな年をとります。
出てくる人たちは、きっぱりしてないんだけど、ナイーブというほど繊細でビクビクしてはない。どこかとぼけてて、そのとぼけたもの同士で慰めあったり。
これが、生きてきた時間の長さというものかのかなと、思わせる。
ルーシーとオリーヴ・キタレッジという二つのシリーズの主役たちがとうとう一つの小説の中で交差し始めた。次の作品では2人が登場するという。今から楽しみだ。 -
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ネタバレ1920年代、禁酒法真っ只中。
第一次世界大戦が終わり、節制の時も終わりを告げる。
自動車が世の中を席巻し、大量生産・大量消費の時代に突入している。
女性の社会進出も進みはじめ、身体を締め付ける服からゆとりのあるファッションへ。
そんな浮き足だった華やかな時代において、巨大な屋敷で毎晩のように豪華なパーティーを催すギャツビー。
初めは掴めず上品で聡明な男の印象があるが、物語が進むにつれメッキが剥がれていく。
生まれながらの金持ちお嬢様への恋を成就させるべく、人様には自慢できない方法で巨万の富を得ている。
恋を実らせるための常軌を逸した執念と、出自を誤魔化す部分が見えてくる。
アメリカンドリームが過去のものになった世界で必死にもがいて成り上がっても、生まれながらの金持ちとは肩を並べることができない。
語り部はやるせなさ、情けなさを抱いているように見える。
一方でナチュラルボーン金持ち連中から見え隠れする他者への無関心さにも嫌悪感を抱いている。
序盤の華やかで騒がしい様子から一転、ラストはなんとも皮肉が効いた締めくくり。
ギャツビーのモデルで有力なのは密造酒王のジョージ・リーマスと言われている。
この本が出版された1925年、彼はヴォルステッド法違反で起訴されている。
彼はギャツビーのように、いやそれ以上に派手なパーティーを開くほどの成金で、時代の寵児といえた。
ヴォルステッド法での逮捕は間違いなく痛手だったはずだが、致命的ではなかったはず。
致命的だったのは妻の浮気及び資産持ち逃げだった。
ほとんどの資産を妻とその愛人に持ち逃げされ、しまいには彼女を銃殺している。
そしてなんと、元弁護士の実力を発揮して無罪を勝ち取った。
とはいえ、失われた資産及び社会的地位は回復せず、ひっそりと生涯を閉じている。
事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。