小川高義のレビュー一覧
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ネタバレすごく好み。今読んで良かったと思う。
ディカプリオ主演の映画を見て、小説も読んでみようと思った。
何社かから出版されていたので、本屋で迷った。私が外国の本を選ぶ際に重視していることは、日本の小説のように文脈に違和感を感じずに読むこと。外国語に忠実に訳されたところで、回りくどかったり日本語として成り立たず理解できなければ意味がなく、そんなに細かい言い回しが知りたいなら原文で読んだら良いと思うので。
まず村上春樹訳を手にとってみた。装丁の可愛さから初めに目を付けていたけれど、中を見てみるとザ・村上春樹という文体で、「オールドスポート」がそのまま書かれている。次に手に取った新潮文庫は日本語が古 -
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「アモンティリャードの樽」
一文あらすじ
幻のワイン「アモンティリャード」を餌に、憎き男を生き埋めにして復讐を果たす、ある貴族の話。
メモ
首尾一貫して、主人公の男がなぜ殺人を決行するのか、その理由が明かされない。わかるのは、彼の家の訓戒が「侮辱ニハ逆襲アリ」ということだけ。彼が憎む男は、永久に地下墓所の岩にくくりつけられたまま、完全犯罪が成し遂げられておわる。謎が謎のままにされるところ、それがこの作品のおもしろさだろうと思う。復讐する男の歓喜と恐怖の雄叫び、復讐される男の吠えるかのような絶叫・・・ふたつの声の不協和音が、いつまでも耳にこびりつく。
引用
すると鎖につないだは -
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ぴかぴかとまではいかずとも、それなりに磨き上げ手を入れていたガラス窓に、ぴしりと小さなヒビが入った。じわじわと広がっていくそのヒビをくいとめる法などあるはずもなく、不安に思ううちにそれはしまいには窓は砕け散ってしまう。
バージェス家の兄弟妹の生活が、それだ。とりあえず均衡を保っていたものがあれよあれよと崩れ落ちていく。
きっかけは妹の息子がモスクに豚の頭部を投げ入れたことから始まる。少し昔の小説であれば、この息子の心理を探ることに物語の核があったのかもしれないが、息子のその暴挙の理由は「なんとなく」なのである。こちらのほうがいまや現実的に響くのであるから恐ろしい。
前作のあとがきの、どんな「田 -
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ある一家の1年ほどを描いて、問題噴出なのにどこかユーモラスで、しかもあたたかい結末。
アメリカの抱えるさまざまな問題がびっくりするほど関わってきます。
バージェス家のジムとボブ、妹のスーザン。
長男のジムは、やり手の企業弁護士。
ボブはジムにばかにされながらも慕っている気のいい弟で、弁護士なのだが法廷には全然向かない。
二人はニューヨークに出ているが、メイン州に残った妹のスーザンから連絡が入る。
息子のザックが事件を起こしたため来てくれというのだ。
ジム夫婦は、社長夫妻と一緒の休暇旅行を優先して、ボブだけに行かせる。
ザックはモスクに豚の頭を投げ捨てたのだが、軽犯罪だからすぐ帰れるといわれ -
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サリンジャーが少年期ならば、フィッツジェラルドはまさに青年期にふさわしい。
失ってしまったもう戻らないもの、失うまいと光を追い求める人々、この短編集に出てくるすべての悲しみや情熱や美しさや儚さは、全部わたしたちの中にあるものだ。失ってしまったものを取り戻すために、それらを思い出すために文学が存在するとしたら、フィッツジェラルドは永遠に忘れ去られることはないだろうと思う。
原題は"ALL THE SAD YOUNG MEN"だが、これを『若者はみな悲しい』と訳した翻訳者のセンスに敬意を表する。
若者はもちろん、かつて若者であったすべての人々に読んでもらいたい作品だ。
中でも -
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ネタバレ三作の中で唯一表題作含めて知らない短編しか収録されておらず、そのせいもあってかかなり新鮮な気持ちで読むことができた。表題作「魔が差したパン」は解説を読む限りでは翻訳の苦労が偲ばれる。内容はいつも古びたパンを買う客の素性が気になり、善意で押し込めたバターが、製図を書く時に消しゴムがわりにパンを使っていたことで皮肉な結末に繋がる物語であり、かなりのブラックユーモアである。画家ではないかと思われていた客の素性の謎、古びたパンばかり買う謎と、これは立派な「日常の謎」でもあり、タイトルも含めてオチも秀逸な短編である。
こうしたブラックな読み味の短編も今までのO・ヘンリーのイメージを覆す意味でも楽しかっ -
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翻訳の語り口の癖が強く、若干読みづらさはあるものの、基本的に全ての物語にしっかりと話が落ちるため安心して読むことができる。表題作かつ最も有名であろう短編の一つ「最後のひと葉」はラストシーンの美しさもさることながら、貧乏な画家志望のレズビアンカップルを偏屈な老人が命を賭けて救う物語だというのは解説を読むまで気づかなかった。それはある種のダンディズムでありながらも二人の生き方を阻害するものではなく、加えて軽薄な美に対する徹底した現実として写実的な「ひと葉」が残るというオチも素晴らしい。そういう視点で読んだことはなかったので再読は非常に勉強になった。
他には覚悟した因果応報である「ブラックジャック -
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ネタバレ訳文が直訳に近く、落語や講談のように作者の「語り」が強調されているせいか、当初抱いていたイメージと違って読み手を選ぶ上に、全体的に文章のクセがだいぶ強いものの、ストーリーは流石は短編の名手といった塩梅でどの短編も一捻りされてて面白かった。
O・ヘンリーはこの短編集の表題作でもある「賢者の贈りもの」や「最後のひと葉」が有名すぎてそちらのイメージに引っ張られがちであり、本作も「水車のある教会」など、所謂「いい話」はあるのだが、そのユーモアやペーソスの中に皮肉的な視座が隠れていたりブラックなオチがあったりと、そのバリエーションは意外と多岐に渡る。全体的にどこかトボけた味わいの話も多く、それだけにし -
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波乱万丈でなんだかいろいろとめんどくさいことになるよりは、「ていねいな暮らし」と言えなくもない決まったルーティンをこなして、淡々と生活する方が平穏に過ごせる。波風なんてたくさん。
そんなことを思って暮らしていくうち、本来なら一回こっきりの錯覚(「アレ」を赤毛の人かと見間違うこと)までもが毎回の「お約束」になり、そのうち思考もがっちりと型にはまったものになり、いよいよ人生そのものが型通りになる。128ページのこのくだりにハッとさせられる。
どんなに規則正しく生きていたって、およそもらい事故みたいな他人絡みの厄介事に心ならずも関わることはある。それは自分のあずかり知らないこと。完璧を期するなんても -
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カポーティの思春期(!)から青年期にかけての短編集。習作集って言ってもいいくらいかな。
20歳前後で彗星のごとく現れた天才。この天賦の才をさらに幼い頃に示した作品の数々がアーカイブから見つかり、それをまとめたもの。
おそらく才能を持った画家が幼い頃に見せるように、カポーティも頭の中にあるものを文章にしたくて仕方がなかったのだろうなというその衝動が伝わってくる。
物語としても、構成としても、大人からしたら確かに荒い。でも余韻の残し方であったり、脳内で再構成される情景に深みを出す記述だったり、あるいは人物に対する圧倒的な共感力だったり。「ねえ、こう書いたら気持ちいいんでしょ?」っていう技巧はもう誰