小川高義のレビュー一覧
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『賢者の贈りもの』
貧しい夫妻が相手にクリスマスプレゼントを買うお金を工面しようとする。
夫のジムは、祖父と父から受け継いだ金の懐中時計を大切にしていた。
妻のデラは、その金時計を吊るすプラチナの鎖を贈り物として買うかわりに、夫妻が誇るデラの美しい髪を、髪の毛を買い取る商人マダム・ソフロニーの元でバッサリ切り落とし、売ってしまう。
一方、夫のジムはデラが欲しがっていた鼈甲の櫛を買うために、自慢の懐中時計を質に入れてしまっていた。
物語の結末で、この一見愚かな行き違いは、しかし、最も賢明な行為であったと結ばれている。
私はとにかく図書カードがほしい。
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「変わったタイプ」
初の小説集。
トム・ハンクスという名前を見た時、同姓同名だと思ったら、調べてみたら本当にあのトム・ハンクスだった。とひと驚き。日本でもよくある作家デビューなのかと期待半分疑い半分でいたら、ちゃんと小説を保った文章と表現、人物描写やストーリー性を感じる。と言うか、アメリカらしさ、そう、カントリーを感じる。ふた驚き。じゃあカントリーさって何?て考えた時、うまい表現が出来ない。完全にアメリカ文学における知識不足である。
しかし、初の小説「アラン・ビーン、他四名」が掲載されたのは、「ニューヨーカー」(2014年10月27日号)は、アリス・マンロー、J・D・サリンジャーのような錚々たる作家が名を連ねていたいわば文芸の聖地たるスペースであり、であれば、初小説に続いて書き上げられたその他16篇の完成度が高くても不思議はない。どれもナイス。
個人的には「へとへとの三週間」が一番読みやすく、映像も浮かびやすく、アンナにぴったりの男でなければよい、とのフリからの終わりもユーモラス。
タイトルは「変わったタイプ」でUncommon Type。これに関しては、堀江敏幸の言葉がぴったし。「正しい意味でUncommonなのは、登場人物を迎え入れる世界ではなく、この短篇集の書き手のほうだろう」。タイプライターマニアだからこんなに上手く書けるのか(な訳ない)。
ちなみに、これら16篇は編集者に何篇は書いてみれば?と言われて書いてしまったらしい。え、貴方は天才ですか? -
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かの名優トム・ハンクスの小説家デビュー作短編集。
各所で絶賛されているとのことだが、確かに古き良きアメリカの伝統を受け継いだ、ハートウォーミングでどこか切ない作風が清々しい余韻を残してくれる。
13篇が収められているが、うち3編(「へとへとの三週間」「アラン・ビーン、ほか四名」「スティーヴ・ウォンは、パーフェクト」)は四人組の登場人物が共通している。
また、作集タイトル『変わったタイプ』はタイプライターとも掛けられている。
13篇すべてのお話で、影に日向にタイプライターが印象的なキーファクターとして登場するのだ。
このあたりの巧みさには本当に驚いてしまう。
以下、各話の紹介。
へとへとの三週間
主人公が高校の同級生アンナと付き合うことになった三週間。スティーヴ・ウォン、Mダッシュとの四人組もの。
クリスマス・イヴ、一九五三年
大戦で片脚を失った父親がクリスマスイヴに戦友と電話で語る。
光の街のジャンケット
有名女優の相手役に抜擢された俳優がヨーロッパへの宣伝旅行に回り、途中で急にキャンセルされるお話。
ようこそ、マーズへ
大学生が父親とサーフィンに出かける。母姉二人との家族は崩壊しているが…
グリーン通りの一ヶ月
母子家庭が新居に引っ越す。母は、隣人の中年男を警戒するのだが、望遠鏡での天体観測を通じて接近していく。
アラン・ビーン、ほか四名
四人組がロケットで月まで行って帰ってくるというSFファンタジー(?)
配役は誰だ
アリゾナからニューヨークに出てきた女優の卵が路頭に迷う。旧知の演出家に再会し履歴書の書き方から指導を受ける。
特別な週末
1970年、両親が離婚した少年の10歳の誕生日。別れた母と出かけ母の恋人の自家用飛行機で帰宅するまで。
心の中で思うこと
古いタイプライターを衝動買いした女性。タイプ屋で修理を断られるが、別の中古タイプライターを紹介されて買う。
過去は大事なもの
大金持ちの男が、タイムマシンで1939年の万博を訪れ、そこで惚れた女性との時間を過ごそうとする。
どうぞお泊まりを
シナリオ風の形式。富豪が美人秘書とともに買収候補の土地を訪れ、モーテルを経営する老夫婦と出会う。
コスタスに会え
大戦後の時代。密航でニューヨークに来たギリシア系ブルガリア人の男が職を探す。
スティーヴ・ウォンは、パーフェクト
四人組もの。ボーリングでパーフェクトを出し続け世間から大注目を浴びる男。
時代背景も設定も作劇展開もバラエティに富んでいる。
さすが映画俳優と言うべきか、どのお話も映像化して観てみたくなるような生き生きとした魅力がある。
実際、俳優・女優が主人公になっているお話も含まれているが。
「へとへとの三週間」での大人になってからの恋愛のあり方が生み出す可笑しみだとか、「配役は誰だ」「コスタスに会え」での人生におけるチャレンジと苦境、そしてそこに救いをもたらす人との縁だとか、そのへんの肌触りの温かさがとても心地よく感じられる。
そして、一番気に入ったのは「ようこそ、マーズへ」。
ラストの切なさが堪らない。 -
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しっかり二度読み返した。とはいえ難しい話ではない。各篇に一人の話者がいて、ほとんどモノローグで、自分とそのすぐ近くにいる人々について語る、ただそれだけの話だ。特に何があるというわけでもない。貧しい暮らしを送ってきた中西部、イリノイの田舎町の人々の話である。田舎町の常として、人々はほとんどが知り合いで、一族の昔のことまでよく知っている。中には、人に知られたくないこともあるが、田舎人の楽しみというのは、他人に噂話をすることだ。それもひとかけらの遠慮もなく。
全九話。ひとつひとつが互いにどこかでつながっている。ひとつの話の中で話題に上る人物が、次の話の語り手を務めている。そうやって、多くの視点で多層的に語られることで、トウモロコシ畑と大豆畑とがどこまでも続く中西部にある田舎町アムギャッシュの佇まいや、そこに生きる人々のつましい生活が、鮮やかに、というのではない。薄汚く、わびしく、嫌らしく。それでいて、泥水の中にきらりと光る滑石のような、悲哀の底に沈む救いのようなものが最後に顔をのぞかせる。やりきれない話の集積の中、それが唯一の救いとなる。
九つの短篇をつないでいるのは、若い頃に町を出て行き、今はニューヨークに住む作家ルーシー・バートンその人である。立志伝中の人物というのは、こういう人のことをいうのだろう。子ども時代は相当貧しかった。父はベトナム戦争から帰って来ておかしくなった。いわゆるPTSDである。母親は仕立物をして一家を養った。子どもは三人。長男がピート、長女がヴィッキー、末っ子がルーシーである。
学校でもいじめられた。それでもルーシーは学校から帰りたがらなかった。その頃のことを用務員をしていたトミー・ガプティルは今もよく覚えている。巻頭を飾る「標識」は、そのトミーが語り手をつとめる。トミーは自分の酪農場が火事になり、借財を返すため土地を売って学校の用務員になった。トミーは時々一人暮らしのピートの家を訪れるが、ピートはそれを喜ばない。トミーの酪農場の火事は父の仕業で、トミーはそれを思い知らせるためにやってくるのだと思い込んでいる。
実は、トミーはずっと自分が搾乳機の電源を切り忘れたせいだと思っていた。ピートの父は仕事中手淫をしているところを雇い主のトミーに見とがめられたことを疎ましく思っていたのだ。トミーは火事に遭ったことを悔やんでいない。何が大切なのかを教えてくれた神の啓示だとさえ思うほどに。トミーは笑われると思って誰にも言っていなかったそのことをピートに話す。根っから善良なトミーの存在は、この田舎町の救いであり、この小説を静かに照らす灯りでもある。
人物相関図が必要と思えるくらい関係が入り組んでいる。まず、ルーシーの同級生でナイスリー姉妹の末娘パティは、高校の進路指導を担当していて、ヴィッキーの娘ライラに、子どもがいないことを性的な経験がないせいだと揶揄される。実は、夫は継父に性的虐待を受けて不能になり、パティはパティで母親が他の男と寝ているところを目撃して以来、性行為を嫌悪しており、夫婦仲はよかったが子どもはできなかったのだ。勢いでライラに汚い言葉を吐いたパティは翌日謝罪し、ライラもパティに心を開くようになる。
小説の深部で常に響いているのが、戦争後遺症であり、児童虐待であり、性的少数者の問題であることは論を俟たない。それが表面上に浮び上ることはないが、様々な要因が相乗的に積み重なり、とんでもないところで問題を起こす原因になっている。戦争にさえ駆り出されていなければピートの父もチャーリー・マコーリーも、性に溺れたりせずにすんでいただろう。すっかり変わってしまった夫の扱いに疲れた妻は子どもに辛くあたり、ルーシーたち兄妹は虐待に近い扱い受ける。
パティの姉のリンダや、パティの同僚で仲のいいアンジェリーナの家族の話も挿まれ、ルーシーたち兄弟と同じく貧しい暮らしをしていたメイベルとドティー兄妹も立派になった姿を見せている。ゴミ箱の中に入り、まだ食べられる食べ物を漁っていたメイベルは今では空調会社の社長に収まっている。ドティーはB&Bの経営者だ。二人の逸話も味わい深い。ルーシーとの距離の遠近により、語られる内容の深さや軽さに変化があって、深刻になりがちな話の中で程よいバランスを保っている。ただ、その中にもやはり性的抑圧は姿を覗かせている。どこまでいってもそれはついてくるのだ。
アムギャッシュに久しぶりにルーシーが帰ってきて、三人兄妹が再開する話が「妹」。視点人物は兄のピートである。有名人になった妹を出迎えるために、ふだんしたこともない掃除をし、ラグまで買いに走る兄が微笑ましい。しかし、兄や姉の昔話を聞くうちにルーシーはパニック発作を起こしてしまう。会いたくて帰っては来たが、帰郷は蓋をして覆い隠していた過去を一挙に引きずり出してしまう。作家となった今でも、ルーシーは真実に向き合うことができない。ルーシー・バートンの思いもかけない脆さが痛々しいが、ピートやヴィッキーの真情が垣間見え、読んでいてうれしくなる。読者にとって、ルーシーが実在するようにピートもヴィッキーも生きているのだ。
『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評がうまいことを書いている。「なぜストラウスを読むかと言うと、その理由はレクイエムを聴くのと同じだ。悲しさの中にある美しさを経験する」。そういう小説世界が好きなら絶対にお勧めである。いうまでもなく『私の名前はルーシー・バートン』の続編、いわば姉妹編である。『史記』でいうなら「本紀」に対する「列伝」。短篇集ながら、フォークナーのヨクナパトーファ・サガにならって「アムギャッシュ・サガ」の誕生と呼びたい。『私の名前はルーシー・バートン』を読んでから読むと面白さは倍増する。 -
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ネタバレ新訳ということで、読みやすくなった(わかるようになった)と期待していたんですけど……
しょっぱなから延々4行にわたって続く一つの文に(しかも続けて2文章)、思わずうめいちゃいました(笑)
いや、その後はそれほど長い文章はなかったんですけど、まあ、それでも読みづらい、読みづらい。
ただ、それは訳のせいでなくて、作者の地の文章がそうだから仕方ないんでしょう(たぶん)。
(ただ、訳はかなりこなれた日本語になっているように感じます)
訳者のあとがきを見ると、ヘンリー・ジェイムスという人の文章はわかりづらいということですが、この『ねじの回転』については、わざとわかりづらく書いている面もあるのかなーと。
つまり、幽霊は出たのか?出ないのか?ではなく、出たとも出ないとも読めるように書いたんじゃないですかね。
『ねじの回転』は10年前に創元文庫のものを読んだことがあるのですが、その時はそんな風には思わず、たんに「結局どういうことだったんだろう?」で終わってしまったんです。
でも、この新潮文庫のものは、なんとなくでも「もしかしたら、そういうこと?」となったんで、そういう意味ではこっちの方がいいのかなー。
ただ、創元版の方が、読んでいて情景が浮かんだような気がするんですよね(ただし、10年前の記憶なのでソート―いい加減w)。
なんと言っても、創元版は冒頭の一文が4行に渡ってないから、とっつきはいいし(笑)
まあ、幽霊は出た?出ない?じゃないですけど、どっちがいい/よくないは人それぞれなんでしょうね。
しかし、語り手のマイルズに対する、最初の萌えぇぇ~っぷりと終盤の怒りからくる嫌悪の落差。
「かわいい」というのはポジティブな感情である一方で、それはあくまで対象が自分の意に逆らわない、自分の興を削がないと感じた時の感情で。実は、身勝手に一方的に押し付ける、かなり“黒い”感情でもあるんだなーと思っちゃいました(笑)
で、結局どうだったのか?というのは、この訳を読んでもわからないですね。
というのは、終わりがかなり唐突に来るというのもあって。結局「え?どういうこと!?」になってしまうんですよね。
というか、読者がそうなるように書かれているんじゃないでしょうか(?)
そこいくと訳者はさすがで、何がどうなったのか?をわかっているようで、あとがきで「やっぱりそういうこと?」と読者がおぼろげに想像できるように書いてくれています。
ただ、あくまでそれは訳者の見解であって。何が起きたのか、起きていたのかは、オバケは出た?出ない?を含め、正解なんてものはなく、読んだ人がそれぞれ思ったストーリーでいいんじゃないですかね。
(訳者もそんなようなことを書いていますし)
正解(?)という意味では、訳者があとがきで、「…成就しない恋愛感情を、〇〇を可愛がる職務で代償して…虐待に行き着くのと、どっち(前任者と語り手の家庭教師)が醜悪だったのだろう」書いていましたけど。
その前任者の不義のエピソードをこの小説の「答え」代わりに、誰でもいいから書いてくれないかと切望します
(それでも、その作家の解釈でしかないわけですけどね)。 -
Posted by ブクログ
もう各方面で絶賛されていて、わたしの感想も同じだからいまさら書くことないなあ、って思うんだけど、とにかくよかった!
今の話もあり、昔の話もあり、タイムマシンが出てくるSFあり、脚本あり、新聞記事の体裁もあり、映画業界の話あり、戦争の話あり、移民の話あり、ロマコメ映画にできそうな話あり、本当にバラエティに富んだ短編が17編。なにがすばらしいって、テーマとしては重かったり悲しかったりするものもあるんだけど、それでも全部が全部、ユーモアがあってファニーで温かい、ってこと。ぜんぜん嫌な気持ちにならない。いかにも「よきアメリカ」って感じがする。
……でも、トム・ハンクスのいい人そうな人柄(っていうか、実際に接したことがあるわけじゃないから、こういう人っぽいって勝手に思っているってことだけど)がすけて見えるような気がしながら読んでるからいっそうそう感じるのかもしれないけど。(個人的にファンだし……小説読んでさらに好きになったわ!)。
俳優としても小説家としてもすばらしいっていったいどういう人間よ、と。俳優として優れているから、いろいろな人物の心を「声」として表現できるってことなのかも。 -
Posted by ブクログ
題名だけは知ってるけど、実際にはどんなもんか全然知らん、みたいなやつ。ギャッツビーってどっかのムースかなんかであるくらいで、金持ちの鍛えたお兄ちゃんがぶいぶい言わせるような話なんかと勝手に思ってたけど、ちょっと違うような違わないような。ぶいぶい言わせてるけど、実はいろいろあるんやで・・っていう話だった。
しかしこの金を持って無双、しかし金を持っても愛は手に入れられないぜ、という流れは、100年前にはぐっとくるものがあったにせよ、今の時代にはやや微妙ではある。飽食の時代にはお金なんて!ってなって、その揺り返しがやって来て。
要するに馬鹿とお金は使いようって事やね。違うか。