あらすじ
作家ルーシー・バートンの前夫ウィリアムは、71歳にして人生の荒波に翻弄されている。彼の亡母ゆかりの土地を訪ねる旅に同行することになったルーシーは、結婚生活を振り返りながら、これまでの人生に思いをめぐらせる。『私の名前はルーシー・バートン』姉妹篇
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Posted by ブクログ
エリザベス・ストラウトが作り出した作家“ルーシー・バートン”(愛称はボタン)の作風は本作でも全開で、一人称によるストーリーの語りの中にルーシーの脳内コメントがビシバシと差し込まれ、記憶の連鎖と浮かび上がる追憶がおもむくままに、あちらこちらへ回想が飛び回る。
その辛辣な観察眼と人物評は、ときに嫌味や意地悪な視線でもある一方で、その鋭さと深さが胸の奥まで届く瞬間があってハッと心を揺さぶられる。
それはまるで、手練れのボクサーがジャブで翻弄しながらリズムを作ったところで、ストレートパンチを鮮やかに差し込むかのよう。
その言葉は、ラウンドを重ねていくにつれて、けっこう、効く。
しかしなんとも一筋縄ではいかない作家だ。
『私の名前はルーシー・バートン』と同じく、本書も現在地から過去を回想する形式なのだが、回想の中で、更に過去の様々な断片が思い出されていき、前作『私の名前は…』と『何があってもおかしくない』で埋まっていなかったピースがはまっていく様は見事。
記憶の螺旋階段をぐるぐると降りて、ルーシーの意識の深部へと巧みにいざなわれていくかのようであり、終盤にかけてはルーシーの独白による心の流れ取り込まれて、共にたゆたってゆく体験となる。
そしてふと気づくと、ルーシーの想いが自分の記憶の呼び水となる。両親のこと、結婚して築いた家庭のこと、いつでも周囲との間にうっすらと薄い膜があるように感じていた気持ち、大切な人を傷つけたこと。
ルーシーの想いと僕の想いが、ぼんやりと交互に浮かんで流れてゆく。
ルーシーの心の流れと共にたどり着く地点は、いわば数多の作家が書き、誰しもが一度は思うこと。
しかし、言葉に込められた想いの信頼度が違う。
ここにいたるまで長い旅路があったのだと、作りごとではないのだと、そう信じさせてくれる確かなつよさがある。
ああルーシー。あぁエリザベス! 読み終わるとそう嘆息したくなる。
Posted by ブクログ
不思議な魅力に満ちた本。
ミセス・ナッシュがルーシーに一揃えの服を買ってくれるエピソードや、パーティで出会った53歳くらいの女が出会い系サイトで人生が変わったという話を見ず知らずのルーシーに話す場面とか、淡々とした語り口の中に、深く刺さるシーンが同じ温度で差し込まれ、ハッとさせられることしばしば。
訳者の語り口なのか、エリザベス・ストラウトの本来の語り口なのか、わからないのだが。
繰り返される、「ああ、ウィリアム!」
という呟きは作者本来のものなので、きっとストラウト自身の語り口をうまく訳者が翻訳したということかな。
ルーシーシリーズの、順番的には3番目の本なのだが、他の2冊が短編集の形式で、それぞれの最初の短編をつまみ読みしてるせいで(笑)、ルーシーのことなんとなく知ってるから問題なく読めてしまった。
でも、大方の人間関係はわかるようにした上で、パズルの隙間を埋めていくような書き方をしてくれているので、どの本から読んでも大丈夫だと思う。
3冊(すぐに4冊目が出るらしいが)全部読んでパズルがハマるのを楽しみに次々と読んでいくことにしよう。
Posted by ブクログ
ああ、感動的だった。
散文的に、言葉少ないのに、こんなにも感動的でよく出来た話を、よくも書けるな。
そのこともまた感動的、奇跡的だ。
これは映画化しても描ききれない、この作家でないと書けない世界だ、と思う。