遠藤周作のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
抜群の雰囲気作り! そしてスムーズに話を進めていく文章力!
遠藤周作のイメージは『海と毒薬』『沈黙』のあらすじであったり、本人がキリスト教徒であったり、などがあって、固い・説教くさい、という印象を勝手に作っていたのだけど、初めて読んだ遠藤周作の短編集『怪奇小説集』は、それを完全に覆されました。
冒頭二編「三つの幽霊」と「蜘蛛」から、一気に心つかまれる。「三つの幽霊」は著者が実際に体験したとする奇妙な心霊体験らしきものが語られる話。
外国での体験談だったり、ベタに民宿での体験だったり場所は色々あるのですが、どの話でも得体の知れない気持ち悪さ、日本の怪談らしいジメッとした不快感、何かがまとわりつくような感覚がたまらない。
怪談話なのでスッキリとしたオチがないのですが、それが実体験感をあおり、また肌寒い感覚をまとわせる。
あくまで個人的な意見ですが、怪奇小説には明確なオチも、読後の感動や教訓もいらないと思っています。
とにかく不気味な雰囲気を演出する文章力。イヤーな感覚を五感で訴える描写力。話を前へ進めつつも、怖さや不気味さに浸るテンポも忘れない筆運び。
この三点があれば、キレイな解決も、読後の感動や教訓も二の次なのです(と書きつつも、この三点もそれ以上にハードルが高い気がするけれども……)
「蜘蛛」は、その三点が全てそろった作品だったと個人的に思います。
叔父の怪談を語る会に招かれた私は、その帰り道、同じく会に参加していた男とタクシーを同伴することに。タクシーの道中、男が語ったこととは……。
これも描写が光る。男の気持ち悪さや、臭いの描写。雨がしとしとと降る中、進むタクシー。視覚、聴覚、嗅覚など文章から様々な感覚の刺激を受けるよう。
そして嫌が応にも想像力をかきたてられてしまう男の不気味な話に、ラストの得体の知れない空気感が残る幕引きと、怪奇小説に欲しいと思っているもの全てが、この一編に詰まっていました。
描写力では「ジプシーの呪」もスゴかった。
かつて船乗りとして、世界を周り各国で女性とそのときの限りの逢瀬を楽しんでいた男。あるとき、一人の女性と関係を持った船乗りは、軽い気持ちで彼女と結婚の約束を交わすが……
視覚的な気持ち悪さはもちろん、音の描写もたまらなく不快で本当に気持ち悪くて、最高の作品でした。「蜘蛛」もそうですが生理的な嫌悪感を、ここまで感じた作品は久しぶりです。
そうした気持ち悪い描写も良いのですが、心理描写で読ませる作品もあって、それもさすが文豪の作品だと感じます。
「霧の中の声」は夫との単調な結婚生活を過ごす主婦が語り手。彼女はあるときから、予知夢のような夢を見始めて……
近所に越してきた青年への憧れ。ケチで小言の多い夫への不快感。結婚生活への飽きと、刺激を求める心理。一方で平穏が一番と想う心もせめぎ合い……
女性の心理や日常の退屈を感じる描写と、隣の青年へのときめきと期待、そして予知夢という不思議な出来事が絡み合う。オチ自体は読みやすいけど、こちらも文章の運びと心理描写の丁寧さで話を引っ張っていきます。
「時計は十二時にとまる」は脱力感、そしてなぜか切なさを残す不思議な短編。三人の週刊誌の社員たちが、怪談話を確かめるために廃旅館に向かい、その案内役に歓迎されるのですが……
コントを見ているような展開もあり、そして十二時にとまる時計の真偽を確かめた後に起こる、語り手の心中だったり、一概に怪談とは言い切れない。でもある意味、怪談にまつわる矛盾と、寂しさを感じさせる話になっています。
バラエティー豊かだなと思うのが、こうした恐怖小説の皮を被っているのに、思わず脱力してしまうようなオチが待っている短編もあるということ。
「なんじゃそりゃ」と思わず苦笑いを浮かべてしまうような短編もあり、思いっきり作者の手の上で転がされたような感覚に陥る。それもまた面白い。
そしてどこまでが本当で、どこまでが冗談なのかちょっと考えてしまう。でもそれすらも、作者の手の平の上で転がされているのかもしれない。
先に書きましたが、基本的には教訓も感動もないし、怖い話は明確なオチもありません。それでもイヤーな雰囲気に酔うような感覚は絶品の一言!
そして、恐怖に構えていたら、突然すっ転ばされる、お茶目な側面もある短編集です。
文豪は何書いても上手いんだなあ、と心底思いました。遠藤周作の有名どころの『海と毒薬』『沈黙』あたりも読んでみたい。一体どれだけ、この『怪奇小説集』との温度差を感じるのかしら…… -
Posted by ブクログ
<バカじゃない…バカじゃない。あの人はおバカさんなんだわ。
素直に他人を愛し、素直にどんな人をも信じ、だまされても、裏切られてもその信頼や愛情の灯をまもり続けて行く人は、今の世の中ではバカに見えるかもしれぬ。
だが彼はバカではない…おバカさんなのだ。自分に人生のともした小さな灯をいつまでもたやすまいとするおバカさんなのだ。P289〜抜粋>
隆盛のペンフレンドは、ナポレオンの子孫だというガストン・ボナパルト。
突然日本に来るという知らせが来た。
隆盛と母の志津、妹の巴絵は慌てて準備する。初めて見るフランス人、しかもあのナポレオンの子孫!
しかし現れたのは背が高くて馬面で、汚れた服で貧乏旅行をするぼーっとした感じの青年だった。
ガストン…、ガスさんは、戦後の混乱にある日本で、騙されても脅されてもただただ人を信じ傍にいようとする。そのため最初は彼をバカにしていた人たちの心にも変化が現れるのだった。
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友人に、とても好きな本だとお薦めされた1冊。
題名や表紙の絵の雰囲気やらナポレオンの子孫のぼーっとした青年ということで、ユーモア小説かと思っていたら、徐々に切実で壮絶な展開に。
舞台が戦後の日本なので、喧騒のドヤ街、身を売ってその日暮らしをするしかない人々、野犬狩りで連れ去られた犬、原住民殺しの濡れ衣を着せられて処刑された一兵卒、そして復讐だけが生き甲斐となった不治の病の殺し屋。
<真心…あんた、この言葉を聞いても今の日本人は感動もせん、そんなもんは世間を渡るのに通用せん無用なものと思うとる。貧しい国の悲劇ですたい。ミスター・ガス、貧しいのはものじゃない。心の貧しい国が今の日本じゃ。P142>
そんな人々をただただ信じて寄り添うガスさんは、遠藤周作にとってのイエス・キリストなのでしょうか。
<どんな人間も疑うまい。信じよう。だまされても信じようーこれが日本で彼がやり遂げようと思う仕事の一つだった。P135>
”仕事の一つ”と書かれていますが、ガスさんが日本に来た理由は明かされないので、余計に具体的な理由があって来たのではなく、キリストのように人の苦しみに寄り添うために来たのだ、という印象です。船底から現れて天に消えていったというのもなんだか象徴的。
ちょっとホッとするのは、日本でガスさんを迎えるのはマイペースな兄としっかりもので口うるさい妹のやり取り。彼らの家は戦後とはいえそれなりの生活や知的水準を保っているので、喧嘩ばかりとはいえやはり品が良い。兄「(お小遣いを)貸さざれば、貸すまで待とう ほととぎす〜」妹「いいえ!お兄さまには貸せません!」みたいな品の良い言葉遊びが飛び交う喧嘩がなんだか読んでいて安堵する(笑) -
Posted by ブクログ
ネタバレ凄まじい名著。
イエスの死、ヤコブ・パウロ・ペテロの死、ユダヤ戦争の災禍ー。繰り返される「神の沈黙」と「神の不再度降臨」に対する思考と信仰。そしてそれらを途切れさすことのない、イエスの中にあった「何か」(筆者はXという)。
どのようにキリスト教が立ち上がってきたのかを、人間的リアリティを持って味わうことのできる一冊。
キリスト教理解のはじめにこの本を読むと、凄まじくとっつきやすいが、小説家・遠藤の視点がかなり内在化しそうな気もする。
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- イエスの死後...
- 原始キリスト教団の誕生
- 12使徒たち中心に
- 師の本物の愛と、師への裏切りの痛み
- 「イエスの死の意味は何だったのか?」
- イザヤ書での一致
- 人間の罪をかぶって、イエスは死んだ
- イエスは人間の罪を被って死んだ
- イエスは復活する
- イエスは再臨する
- 神の怒りの犠牲でイエスは死んだ
- 神の怒りに疲れていたユダヤ教徒に染みる
- 指導者ペテロ
- 慎重派。神殿と戒律を遵守。
- イエスは神殿と戒律を遵守せず殺された。
- ただしばしば弾圧。
- 「イエスを用いて布教するな」
- よりイエスのことを考えるように
- 愛の義人からメシアへ思考の変化
- 保守派(ペテロ)と革新派(ステファノ)
- ヘブライ語とギリシャ語(ディアスポラ・外を知りリベラル)
- イエスは神殿・戒律より大事なものを説いていたではないか。
- ステファノの処刑
- 第二の見殺し。革新派グループのイスラエル外への離散
- パウロの会心
- 厳格なユダヤ教徒
- 厳格であるがゆえに、本質をよく考える
- 何故、イエスはここまで人を惹きつけるのか?
- 異邦人にも宣教していく
- 第二の弾圧
- 暴君カリグラ帝によるユダヤ教弾圧
- ユダヤ教徒の「勝利」
- 神・戒律・神殿への正しさへの意識高まる。排外主義的に。
- キリスト教徒への迫害
- by ユダヤ人
- by ユダヤ人を敵に回せない分国王
- さらにイスラエル外にキリスト教が広まる
- ユダヤ人が特に大事にしていたもの
- 安息日
- 割礼
- これらなしでもOKという革新派キリスト教が国外で広まる
- 異邦人問題
- イエスの教えは、異邦人にも必要だ (順応すべき)
- イエス教えと、ユダヤの戒律、両方守るべき(同化すべき)
- 沈黙の問題にも通じる
- 律法に囚われすぎて逆に罪を犯す人間を許すために、神がイエスを送り、イエスが贖罪した。
- パウロ、アテネ(汎神論的世界)では布教に失敗
- 捕らえられ、ローマへ。
- ヤコブ・パウロ・ペテロの死。そして死の描写の沈黙。神の沈黙。
- キリストの死と同じ。
- 何故、熱烈に神を信じ信仰を広げた彼らは、死ななければいけなかったのか?死の意味は何か?
- 原始キリスト教団が筋肉質になっていく。(脱落するものもいた)
- いざこざ→ユダヤの反乱(ユダヤ戦争)→ローマがエルサレム落とす→原始キリスト教団(保守派)いなくなる。理由は不明。
- ユダヤ教
- サドカイ派の没落(神殿なくなる・司教殺される)。
- 原始キリスト教団の苦しみ
- 神の沈黙(イエス→ヤコブ・パウロ・ペトロ→ユダヤ戦争)
- 神の不再降臨
- 脱落者&逆に信仰のエネルギーにも。
- やましいことをした場合...
- 相手の否定(裏切り)
- 他の世界への逃亡
- イエスの愛の前では、両方不可能だった。
- 神の沈黙に対し、イエスは今もなお人間にその謎と回答の自由を与えている。
- 人間は永遠の同伴者を求めるからである。 -
Posted by ブクログ
イエスの死後、原始キリスト教団の歩みを追い、イエスがいかにキリストに高められていったのかを辿る。イエスの架刑、ステファノの受難、ペトロやポーロ、ヤコブの死、ローマ軍によるエルサレムの蹂躙。これら幾多場面において突きつけられた「神の沈黙」、「キリストの不再臨」。わずかの期間に起きたこれら壮絶な出来事を経てもなお絶望しなかった原始キリスト教団の人たちは、愛のみに生きたイエスを忘れることができない。その意味でイエスはキリストとなり彼等ひとりひとりに再臨したのでは、と結んでいる。著者は「人間が続くかぎり、永遠の同伴者が求められる」と記しているが、宗教の本質を端的に指摘しておられると思い、感嘆する。
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Posted by ブクログ
転ぶ。
信仰とは何か?、ということすら、生きる上で全く考えることのない、無意味なくらいの、そんな侍の社会。
その社会で大切なのは、ただただ忠誠であり信仰とは似て非なるモノ。
その時代の人達が。
何故ヨーロッパに行くのか?
キリスト教が介在したのは何故?
危険を冒す理由があったのか?
という事は、史実でも、まさに本文中でも、たっぷり書かれている。
個人的に唸ったのは。
商売の利と信仰を天秤に計る人の心理
忠誠を示す為に信仰を選ぶ心のさざ波
司祭同士の出世争いの場にされた日本
功名心を信仰心で巧みに隠してく醜さ
棄教を前提に自分自身を欺くその描写
日本に戻った侍の心の描写が、その答えだった。
「侍は自分が見たのは、あまたの土地、あまたの国、あまたの町ではなく、結局は人間のどうにもならぬ宿業だと思った」
信仰と不信。
二つのテーマが、ぐるぐると廻り、巡り、描かれる一冊でした。
信仰があることがイイワルイではない。
自分がどうあればいいのか?とか、信じないといけないとか、奇跡なんて科学的じゃない、理論的じゃないとか、どうでもいい。
信仰することで救われる人がいるんだ。
ただただ、そのコトだけを知り認める心を持つだけでいいんだと、そんな読後の感想でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ遠藤周作らしいいろんなテーマがあった。
神の沈黙が、今回は「殺すなかれ」と教えながら戦争を黙認する教会の沈黙や、「神なんていない」という救いのないアウシュビッツに変奏していた。
神は直接の救いをもたらすわけではないが、修平の渾身の疑問を正面から受け止めて苦しげに分からないという高木牧師や、アウシュビッツに共に収容されていながら、いつもあなたのために祈っていると語るコルベ神父を通して、神の沈黙は沈黙ではないと語られている気がする。つまり、直接目に見える解決はしなくとも、苦しむ人ともに苦しむ愛なる神、のように。神のみならず人間も、他者の苦しみを前に無力だ。サチ子も修平の苦悩を前にマリア像に祈るしかできないし、ジムも長崎の不運に心を痛めながら原爆を落とすしかない。でもそこで祈ることや痛むことは無意味ではなくて、人間はつまりいつでもそういう存在を望んでいる。弱っている時、ただそこにいてともに苦しんでくれる相手を。「沈黙」「侍」と相通じるテーマで、とにかく苦しいけど深い。