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Posted by ブクログ
遠藤周作は小説を読んできた。
エッセイが小説ではない文章がこんなにも心地良いとは思わなかった。
遠藤さんの小説は独特の表現と展開する風景がゾクゾクとする。小説の楽しみの真髄たるものがあるが、こちらのようなエッセイでは違う角度から教えて下さることばかりだ。
これはこう思わないかな?こうしてみると良いよ。
こんな事があったよ。こう感じたんだよ。
この人のこれが好きなんだ。
人の感想や意見なんて読んでも面白くない、そう思っていた私は幼かった…
感想でも意見でも、書き手の伝え方によっては本当に心に染みて、もっと知りたいと思ったり、血肉になっていくと実感した。
著者のキリスト教との関わり、キリスト教を知っているから故の仏教との違いも、嫌な感じがしないのは遠藤周作の言葉だからなんだと思う。
Posted by ブクログ
遠藤周作は読んだことなかったけど、"死に上手"という言葉が目につき、手にした一冊だった。
死に様こそ、その人の生き方の集大成な気がして、死に上手って何だろうと思って。
結果読んでみて、理解はできたものの深い共感までは得られなくて、まだまだ死からはほど遠い場所にいるんだなぁと感じた。
一方、深く頷きながら読んだのは"生き上手"の部分。(生きる、死ぬを切り分けて書かれてるわけではないし、何なら切り分けられないものだと思うけど、あえて切り分けた)
その中から特に印象に残った感じたことを記したいと思う。
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呼びかけても、そこには沈黙しかないこと。
でもそれはメッセージの伝え方の違いで
言葉にならない声にならないメッセージがあったかもしれない。それを聞き取れなかっただけかもしれない。沈黙を聴く。沈黙の中にある言葉。
もしくは沈黙というメッセージ。
『神も仏もあるものか』
神に祈り、必ず好転すると信じて信じて、結局裏切られて、出た失意の言葉。
しかし、そこから本当の信仰は始まると著者は言う。
再生するその過程は何より尊いもので、そこには例えば奇跡体験があり、運命や巡り合わせなどのスピリチュアル体験があり、"神や仏"を一番身近に感じられるのが再生の過程。
ゆえに再生は信仰になり得る。
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"このみち、ひとすじ"という極めて日本人らしい生き方に対して異論を唱える。ひとつのチャンネルだけじゃなく複数のチャンネルを持ち、好奇心を持つことで、得られる可能性、悦びと幸せ。
おそらく、そうなのだろう。
みんなそう言うし、本当にそうだと思う。
自分はそこまで好奇心旺盛ではない。
というか、自分が好きなことや好きなものが、本当に好きすぎて、他に目を向けられない。両手が塞がってる。
本当はもっと余裕を持って、あれこれやってみたいけど、広く浅く的な人生は出来そうにない。
出来そうにないけど、ひとつ胸に刻んでおいても損はないだろうし、いつか好奇心を試される選択を迫られたときに思い出せたら、と思う。
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『恋と愛の違い』
一篇だけ毛色の違うものがあって、それがこの話。
なんだか他の話とは違って口調がくだけてて、照れ隠しのようでかわいらしさすら感じた。
愛とは忍耐。据える気力。
恋は誰にでもできても、愛は簡単ではない。
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『一人の人間の個性を創り出すためにそこに働いたあまたの縁がある』
個性的、独創的といわれる要素にも必ず源流があり、あまたの縁や出会いがある。今の自分は自分の力だけで切り拓いたと驕ることなく、周囲の環境ゆえにあることを忘れずにいたい。
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随所に見られた芸術論に感銘を受けた。
模倣することは良いことだが、そこから自らで噛み砕いたオリジナル作品を生むことで完成されるのが本当の芸術。(だから日本はいまだに芸術の輸出国になれない)
動十分心 動七分身
余白にこそ風趣を感じさせるのが日本の美学の縦糸。
人を驚かすものは一時的に驚愕を与えても、長い鑑賞には耐えず、それは芸術とはいえない。
実力の七、八分で賞をもらい、なお余裕のある者こそ長距離競争に耐えられるプロになる。
もはや芸術論を超えて、人生論のように思う。
やっぱり余白、あそびの部分って大事だよなぁ。
Posted by ブクログ
随時集は短文の集まりでも、その作家なり人となりがにじみでるのだけれど、この集はちゃんと人生論になって、上手く一冊の本にまとめられている。作家があちらこちらにお書きになるとき、そうしようとてその意識がおありだったのかも。
「老年というのはふしぎなもので若い折の肉体や壮年時代の知性はたしかにおとろえていくが、ある種の触覚・感覚はとぎすまされていく。そのとぎすまされていく間隔をシュタイナーは次なる世界への媒介感覚といった。」
氏60代ころの文だけど、わたしの年齢でちょうどいい、よくわかる。
としをとるほど見えてくる、もう一つの世界への旅立ちの準備。
「自分の救いは自分のなかにある」
「余白のなかの完成」
「生活の挫折は人生のプラス」
「よく学び よく遊ぶ」
「すべてのものには時季がある」
目次を並べればなるほど、ごもっとも、なにしろ文章がうまいから。
氏ほど病に苦しまず、世間にも知られていないけど、この心境は共感できる。
「死ぬときは死ぬがよし(良寛)」の言葉がお好きだそう。
Posted by ブクログ
遠藤周作の死生観、仏教にもキリスト教にも精通している著者のエッセイであるが、タイトルほど内容は重いものでもなく、著者もあとがきで「読者も寝っ転がって、気楽な気持で読んでください。」と書いてる通り、著者の経験やエピソードなどが綴られる。
私が特に面白いと感じた話は、善魔という悪魔の対義語、これは著者の造語であるが、こちらの善や愛が相手には非常に重荷なっている場合も多く、それに気づかず、自分の愛や善に溺れ、眼がくらんで自己満足している様子。
これは、自分にも多く当てはまるなと。
悪魔は悪意を持って、相手に悪い行いをするのに対して、善魔は悪意は無いのである。その上、自己満足している。
相手に負担や重荷になっている事も考慮して、善行はしないとなと勉強になったお話でした。
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