Posted by ブクログ
2019年12月29日
--概要--
・「イエスが死後どのようにキリスト(救世主)として認められていったか」というテーマ。『イエスの生涯』に続く著書とのこと(私はこちらは未読)。
・巻末の高橋たか子氏の解説にあるように、「イエスという人が実際にいた、そして十字架上で死んだ、ということがあった、それを素材として創作された話が...続きを読む新約聖書なのだという見方」で書かれている。ペトロ、ヤコブ等の弟子や宣教師ポーロなどの視点で、彼らがどのような体験・思いから書簡(=今日の新約聖書)を書いたのかが様々な資料の研究の上に述べられている。
・イエスの死、迫害、分派、弟子や伝道師の殉教、ユダヤ戦争での多くの信徒の死といった苦境の中で、「神がなぜ沈黙しているのか」「キリストはなぜ再臨しないのか」という解き難い謎が浮かび上がった。脱落する者もいたが、残った信徒たちはこれらの謎から信仰の意味を掴もうと悩み、もがき、苦しみ、それらの苦しみが信仰のエネルギイにもなっていった。
--感想--
・「Aという説がある。しかし、Bかもしれない。いずれにせよ、確かなのはC。」というような論調が多く、少し読みにくさを感じた(後半では慣れた)。
・私自身は聖書の記述を事実と捉える立場のクリスチャンであるが、その分聖書の記述を「そういうもの」と固定的に捉えてしまい、各書簡の著者が神とどのように向き合っていたかをあまり意識できていなかったと、この本から気付かされた。その観点を持って改めて聖書に向き合ってみたい。
・信徒を苦しめた「謎」については現在も同じことが言えると思う。戦争や犯罪、また自然的な災害や事故などについて「神がいるならば、なぜこのようなことが起こるのか」と言われたら答えられない自分がいる。次のフレーズに共感したため、諦めずに考えていきたい。
「ひとつの宗教はそれが組織化されるだけでなく、神についての謎をすべて解くような神学が作られた途端、つまり外形にも内面にもこの人生と世界について疑問と謎がなくなった瞬間、衰弱と腐敗の坂道を転がっていくのである。」(p.264)