遠藤周作のレビュー一覧

  • 狐狸庵閑話

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    古今百馬鹿、現代の快人物がお勧

    「古今百馬鹿」「現代の快人物」で筆者は一気に肩の力が抜けたのだろう。読んでいる方も登場人物のバカバカしくも愛嬌のあるキャラに笑わざるを得ない。
    「現代の快人物」は平成の世における「オタク」の原型たる人物が多数登場する。遠藤周作が愛した「決して世間的に成功しないが、愛嬌がある」人物たちは形を変えて生き延びていくのだろう。

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    2016年10月12日
  • ぐうたら好奇学 狐狸庵閑話

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    前半にいわゆる「下品」な話が多いですが、中~後半は控えめです。
    昔日の渋谷の姿が描かれていて、今の姿との差に驚きを感じます。

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    2016年09月25日
  • 死海のほとり

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    信仰を追い求めてエルサレムにやってきた小説家の私と学生時代の友人でエルサレムに住む戸田が、イエスのたどった道を辿りながらイエスを追いかけるという話。
    戸田は気が付いていたみたい。イエスはけっこう造られた虚像であること。
    でも、その方がより現実的で、人間的なのかもしれない。
    あまりにも無力で、そんな男が多くの人を愛した。
    一人一人の人生を横切って残した痕。それは消えない。
    これから先も私と戸田には今まで通りイエスは消えないだろう。

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    2016年09月19日
  • 聖書のなかの女性たち

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    遠藤周作作品を読むと、一気に人間の幅が広がる気がする。
    本題はもちろんのこと、聖書と関係ないが「ひよこ」という偏でも、非常に心とらわれた。「秋の日記」でも、著者の心に刻み込まれた、もうすぐ死期を迎える夫とその妻の手を握り合った姿。どんなに愛し合っていても、人は死から救い出すことはできない、という当たり前だけど受け入れるしかないつらい現実。そこから残されたものが救われるためのヒントやなにかが聖書にはあると思った。
    誰も人を裁き、軽蔑する権力などもたない。それと同時に、相手の全てを理解するというのもできないのだと、しみじみと痛感させられる。当たり前の事実なのだが、過ぎていく日常の中で、私たちは驕ってこの事実を忘れ捻じ曲げて生きてやしないだろうか。

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    2016年08月29日
  • 女の一生 二部・サチ子の場合

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    第一部の幕末・明治初期から時代は下り、第二部は第二次大戦の時代が舞台になっている。

    コルベ神父、キリスト教信仰における非戦の問題、神風特攻隊、長崎の原爆など、さまざまなエピソードが織り込まれている。

    長崎で一緒に遊んでいた3人の幼馴染。一人は信仰と戦争の問題に苦しみながらも特攻隊として戦死し、一人はその恋人として別離に苦しみ、一人はアメリカ兵として原爆投下の飛行機に乗っている、、、

    戦争の不条理をこれでもかと思い知らされる。

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    2016年08月16日
  • 彼の生きかた

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    読み終わったあとに、心に何かが残る。
    久々に、そういう本を読んだ。

    主人公の福本、朋子、加納、藤沢と
    大きく4人の生き様、生き方が描かれているが
    どの生き方に対しても、理解ができるし、
    身近なあり方として感じられ、
    自分の生き方と合わせて考えられるところが
    本作のすごいところなんだと思う。

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    2016年06月23日
  • 死海のほとり

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     死海のほとりでイエスの足跡を辿る現代の旅と、イエスが迫害されゴルゴダの丘で処刑されるまでの過去の物語を交差させながら、奇跡の人ではない新しいキリスト像を提示しています。

     弱者のそばに寄り添いともに苦しむことしかできなかったイエス、しかしそのことは常人にはできないことであり、苦しみを抱えた人たちにとって大きな慰めであったのは間違いないと思います。

     この小説は、遠藤氏ご自身が一生を掛けて答を求め続けた「信仰とは何か」という問いかけと氏が到達したそれへの答が示されているのだと思います。圧倒的な文章力できわめて構築性の高い物語が形作られています。

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    2020年02月05日
  • キリストの誕生

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    [その後の話]イエスの死に際して自らの弱さに苛まれたであろう彼の弟子たちは、何故にその後殉教をも恐れぬ熱心な信徒となったのか......。クリスチャンでもある著者が、回答定まらないその問いに答えようと、イエスの死後の弟子たちの歩みを再構成した作品です。著者は、本書と『イエスの生涯』を著したことで、さらなる思考が求められたと語る遠藤周作。


    『イエスの生涯』を事前に読んでいたからでしょうか、遠藤氏の考える弟子像というものがすっと頭に入ってきました。その像がいわゆる正統の教義との関係でどう考えられるかまでコメントできる見識がないのですが、遠藤氏自身の自画像が非常に深く弟子像に投影されているように思います。「弱さ」という点が1つのキーポイントになっているのではないでしょうか。


    キリスト教の立ち上がりまでの動きが大まかに理解できるのも本書の魅力の1つ。聖書やキリスト教については、それこそ勉強を始めると終わりの見えない世界だと思うのですが、とりあえず概略を把握しておきたいという方には、(遠藤氏の思いが如実に詰まった作品であるということに留意しつつ)非常にオススメできる一冊です。

    〜イエスは現実には死んだが、新しい形で彼等の前に現われ、彼等のなかで生きはじめたのだ。それは言いかえれば彼等の裡にイエスが復活したことに他ならない。まこと復活の本質的な意味の一つはこの弟子たちのイエス再発見なのである。〜

    どうぞ素敵なクリスマスをお過ごしください☆5つ

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    2015年12月23日
  • 新撰版 怪奇小説集 「恐」の巻

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    幽霊の正体見たり……的な話もあれば、心底ゾッとする話もある。
    こんなことが自分の身に起こったことがないだけに、ほんとかなぁ??と思うこともないではないが。
    真相を調べに行こう!と再び怪奇現象のあった場所に行くのが面白い。

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    2019年05月20日
  • 人生には何ひとつ無駄なものはない

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    ネタバレ

    人生には何ひとつ無駄なものはない >>は、遠藤周作さんが残してくださった珠玉の言葉を、親しくされていた鈴木秀子さんが、選び取って編んだものだそうです。
    ≪人生というものがわからないから、われわれは生きて、そして人生とは何かということを、生きながら考えているのだと思います。≫ なるほど、どこまで行っても人生というものがわからないから、わからないのに死ぬわけにはいかないものね。だから生きているんだね。私は、もう57年も生きているのに、あいかわらずわからなくて、このようなタイトルの本があることを知って、内容が良いと聞くと手に取らずにはいられない。

    ≪60歳になる少し前ごろから私も自分の人生をふりかえって、やっとすこしだけ「今のぼくにとって何ひとつ無駄なものは人生になかったような気がする」とそっと一人で呟くことができる気持ちになった。≫そうなんだ。くやしいなぁ~私は、まだまだ、とてもそんな気持ちになれなくて、上手く行かなかったことをいつまでも後悔しているし、上手く行ったことも「もっと上手く出来たんじゃないかと」思ったりしている。

    57歳になった私が、今この本に出会えたのは、まさに運命のような気がする。≪滅入ったときには、本屋に行ってしかるべき本を買ってくるんだ。読めば一語一語が身にしみてわかるはずだ。≫という言葉が温かい。

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    2020年05月04日
  • 死海のほとり

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    [希求の末に]近くに赴いたついでにエルサレムに立ち寄った著者は、大学時代から聖書を研究していた戸田に案内を依頼する。キリスト教に対する熱度は往時の頃と比べて衰えながらも、イエスの足跡を必死に探す著者であったが、戸田は行く先々で皮肉な笑いとともにその思いを跳ね返してしまう......。エッセイ的記述に聖書の物語を挟み込んだ作品です。著者は、本書をしてもっとも「その人らしい」と言われる遠藤周作。


    遠藤氏が抱え込んでいた霧がかった心情を把握するために極めて適した一冊だと思います。個人的には遠藤氏はキリスト教の教え(特に無償の愛という点)そのものには共感を抱きつつも、現世に見られる数々の問題に対して人一倍の敏感さを備えてしまったが故に、その教えを最後まで信じきれなかったのではないかと。どこまで普遍化できるかは判然としませんが、遠藤氏の問題意識は極めて「日本的」「近代的」と言えるのではないでしょうか。


    純粋に物語として引き込まれることができるのも本書の魅力の1つ。人間の弱さを見せ続ける「ねずみ」と呼ばれた人物に関するエピソードは読む者をして深い思索に誘ってくれるはずです。なお、本作は『イエスの生涯』という作品と裏表をなしているのですが、個人的には『イエスの生涯』を読んだ後にこちらを読むことをオススメします。

    〜付きまとうね、イエスは。〜

    (涙を誘うものではなく)じーんと来る読書でした☆5つ

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    2015年09月11日
  • さらば、夏の光よ

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    微笑ましくもあり、あまりに哀しくもあり・・・
    喜怒哀楽のバランス・展開が実に絶妙です。
    プロローグから第一章への導入はとても印象的。

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    2015年08月14日
  • 彼の生きかた

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    ネタバレ

    10年以上前に1度読み、この本がきっかけで遠藤周作が好きになった。
    「うすよごれた、陰険な人間の世界」「純真無垢な動物たちの世界」
    この2つの世界を対比させたとき、確かに人間って醜いなあと思った。利益のために自然を破壊する行為、共存を唱えても、権威のためには、動物愛護などの崇高な言葉は引っさげてしまう。
    自分の私利私欲のために動物を殺す人間と、生存するために必要な殺生しかしない動物。
    なんだかやるせない。

    朋子の人間関係による心情の変化も、すごくうまくかけていると思う。「生きるって、時には周りを傷つけてしまう」相手を慮った言葉だけど、一平からしたら違うとらえ方をしている。
    結局、自分のことを一番よく知っているのは、他人。他人あってこその、自分なんだと思う。

    強く生きたい。その強さとは何か、を考えさせられる良書だと思う。

    あと、生きるって、本を読めて、少し食べられればそれでいいっていう捉え方ができればなあとおもった。

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    2015年05月16日
  • 怪奇小説集

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    これは面白かった!
    さすが遠藤周作。短編でも、読みごたえ十分。
    最初のいくつかの短編は怖くて、夜一人では読めなかった~。
    そして、だんだん「怖いけど最後にオチのある面白い話」
    が多くなって、思わず笑ってしまった。
    いろんな種類の怖い話がいっぱいで、「この話はどんな終わりが待ってるのか」「次はどんな話か」楽しみで読んでてワクワクドキドキ。
    さすが遠藤周作。描写がうまいな~~。

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    2015年05月06日
  • 沈黙

    明

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    神の存在について考えさせられる

    読んでみると、神の存在・信仰の盲点というか何が正解なのかわからなくなりました。
    非常に考えさせられる内容です。ぜひ興味ある方は読んでください。

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    2015年01月20日
  • 十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。

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    手紙の大切さ、手紙の書き方について書かれている。
    当時に比べて今は手紙を書くことがあまりなくなって、この作品に教えてもらったことを実践する機会があるかどうかはわからないが、それでも読んでよかったと思えた。
    どんなコミュニケーションにも通ずることばかりだったし、何より、読んでいてとても楽しかった。
    ユーモアを交えて書かれた文章はリズミカルで、今とは大分言葉遣いが違うにも関わらず、すんなりと頭に入ってきた。

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    2014年12月17日
  • 『深い河』創作日記

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    人はそれぞれ誰にも想像すらできない、悩み、重荷も背負い生きている。そしてそれを下ろす方法を探している。この本ではインドへの旅へと向かう。
    人は集まると争いが生じる。宗教ですらそうだ。争うことでしかアイデンティティが保てないのか。人は他人と比較することでしかアイデンティティを保てないのか。
    大津は違った。自分の価値観、神との対話だけで生きてきた。そのように生きるのは難しい。ただ、大津のように生きたいかはわからない。
    宗教はガンジス川のようであるべきだ。平等で最期の希望であるべきだ。

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    2014年10月10日
  • 王妃マリー・アントワネット(下)

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    マリー・アントワネットは、フランス王妃。14歳で結婚し、37歳でギロチン死刑となるが、フランス革命は王妃のお金遣いが荒いせいだけではなく、軍事費(アメリカ独立革命に干渉してのこと)によって財政の苦境に見舞われた。王妃のスキャンダルもあったが、実際は王だけで浮気はしていない。スウェーデン人ウェルセン伯爵とはプラトニックで終わっている。どんなに辛くても、王妃としての優雅さを忘れず死刑のときも保っていたという。

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    2014年07月30日
  • 王妃マリー・アントワネット(上)

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    ネタバレ

    マリー・アントワネットは、フランス王妃。14歳で結婚し、37歳でギロチン死刑となるが、フランス革命は王妃のお金遣いが荒いせいだけではなく、軍事費(アメリカ独立革命に干渉してのこと)によって財政の苦境に見舞われた。王妃のスキャンダルもあったが、実際は王だけで浮気はしていない。スウェーデン人ウェルセン伯爵とはプラトニックで終わっている。どんなに辛くても、王妃としての優雅さを忘れず死刑のときも保っていたという。

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    2014年07月30日
  • 反逆(下)

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    遠藤周作著、「反逆」上・下巻を読む:
    大河ドラマに出演している田中哲司という俳優が、荒木村重役をなかなか、うまく演じていたので、改めて、荒木村重を考察する過程でこの作品を知ったので、読むことにした。戦国大名というものは、全く、主君を選ぶことも命懸けであること、又、その一族郎党ともども、ひとつ間違えば、謂われのない、或いは理不尽な理由で、磔にもなってしまう。まるで、今日のサラリーマンの人事抗争さながら、もっとも、自己破産しようが、今日では、少なくとも、磔にはならずに済むから、まだましなことであろうか?
    小説というものは、ある種、作られたものであるとはいえ、当時の勝者の歴史、敗者の歴史をどれ程、反映しているかは、著者の歴史観にも関わって、おおいに、異なるところである。又、歴史上の古文書やら、後世に作成された伝聞書も、想像力と読み方次第では、不名誉な部分は、余り触れられず、おおいに面目を施した部分のみが、今日、歴史学上は、語られることが、おおいものである。それらの歴史学上の課題を見据えても、尚、今日的にも、なかなか、このタイトルの有する「反逆」なる言葉は、歴史上の人間関係の相関図を改めて、眺めても、面白いものがある。
    物語は、天正6年の荒木村重の叛乱に始まり、本能寺の変、山﨑の戦いを経て、天正11年までを大筋として、北の庄で、柴田勝家が秀吉により滅ぼされるところまでを、様々な人間関係の中で、その各人の心理状態を解きながら進められる。とりわけ、主君、織田信長を中心として、明智光秀・羽柴秀吉・丹羽長秀・柴田勝家・佐久間信盛・松永久秀・滝川一益・細川藤高・徳川家康・荒木村重・中川清秀・高山右近・足利義昭・朝廷、そして、武田信玄・上杉謙信・一向宗徒・顕如・毛利輝元・長曾我部元親・安国寺恵瓊・千利休ら茶人人脈・紀州雑賀衆、等、これらのきら星の如く居並ぶ人物達の中を、その友人関係・縁故関係・政治関係を、細かく、心理描写することで、何故、「反逆」を起こさざるを得なかったのかを小説風に書くものである。
    荒木村重は、何故に、叛乱を起こしたのであろうか?何故に、一族を見殺しにして、自らを、(まるで、道端に転がる犬の糞のような存在であると揶揄し)「道糞」と称して、茶の湯の世界に、埋没し、再三の秀吉からの取りなしを拒否し、息子、村次に、譲り、後に、秀吉のお伽衆として、利休の弟子7人衆の1人としてはやされるようになって「道薫」と、称して、茶の湯の世界、一方で言えば、非政治的な世界という対局であるものの、逆説的には、実は、光と影のような同じ世界で生き抜いていたのであったかも知れない。密室で、二人きりで、茶を立て、密談を凝らすと言うこともまた、当時は、生臭い政治闘争の裏舞台では、当たり前のことだったのであろう。それにしても、崇高な、自分には成し遂げられないようなカリスマ性を有する主人へのコンプレックス、嫉妬、強い執着心、おののきとおびえ・恐れ・不安、そして、未来に対する確信の代わりに芽生える捨て去られるであろうひとつの単なる道具への恐怖、やれどもやれども、報われぬ感情と成功報酬への不安、何よりにも勝るところの政治戦略的な合理性、血も涙も許さない合理的な冷徹さ、闘いの果てにみた人間の心の弱み、悲哀、寂寞感、無常観、それは、この時代を生き抜いた家臣団には、古参であれ、外様であれ、多かれ少なかれ、似たような心理的な葛藤と苦渋が、見られたはずである。それは、息子、元康を切腹に処さねばならなかった家康にも、北陸の陣中で、勝家と口論の挙げ句、戦陣から許可無く帰還した秀吉も、叔母を殺された光秀も、松永久秀も、誰もが、一様に、程度の差こそあれ、同じような複雑な感情を有して、仕えながら、結局、或る者は、謀反という形で、反逆へと収斂していったわけである。
    遠藤周作は、同じキリスト者として、荒木村重との関係の中で、敢えて、片山右近を、その友人関係の中で、詳しく、その心理描写で取り上げている。このキリシタン大名として名高い人物は、心理的な葛藤の中で、如何にして、自分の行為を正当化してゆけたのであろうか?それとも、それが、秀吉によるキリシタン禁教以降、やはり、武士の身分を最終的に棄てて、最後には、国も棄てることで、自己完結したのであろうか?キリスト教による異教徒との闘いへの疑問、この場合には、本願寺一向宗門との闘いであるが、これ即ち、信長側に味方することになったわけであるが、、、、、、、、。その意味からしても、村重同様に、秀吉からも、誘いの手がその後まで、及び、結局、武士を棄てることを決断させたのは、ある種、村重の生き方にも共通するところがあろう。当時、一体、どれ程の武士が、身分を棄て、茶人や商人になったのであろうか?恐らく、主君を理不尽に失い、一所懸命に、守ってきた先祖伝来の土地を失い、やむなく、土地を離れたり、身分を変えた人々は、歴史書の中には、決して、表には、出てくることはなかろう。村重と関係で、妻のだし、さと、(村次に明智より嫁ぎ)、その明智の娘、たま(後の細川ガルシャ)など、当時は、親戚・一族、様々な形で、養子・縁組み・血縁関係による同盟関係が、当たり前だったことを考えると、何とも、歴史の選択、情勢判断、決断の行く末とは、恐ろしいものである。
    それにしても、多かれ少なかれ、当時は、誰もが、ある種、少なからず、主君には、知られずに、ひたすら、忠義を尽くす一方で、心底、己が取って代わるという野望を抱いていたのかも知れない。この物語の中で、主亡き後の時代に際して、実に、秀吉と言う男は、変わり身の早い行動をひたすら、主君家を立てながらも、役に立てられるものは、すべて、理にかなうのであれば、友人関係、ありとあらゆる関係を駆使して、調略してゆく、人垂らしの才能は、やはり、槍一本で名をなした武硬派の行く末と比較しても、余すところなく、示唆している。(後の柴田勝家・佐久間信盛・加藤清正・福島正則等)、とりわけ、後に、加賀100万石となる前田利家などは、勝家との関係性の中で、必ずしも、賤ヶ岳の戦いで、非難されども、その後の歴史の中では、うまく、秀吉・家康の世の流れの中を無事、乗り切り、北陸に、今日、金沢・加賀100万石という国を建てられたのも、単なる「処世術」とは言い切れぬ何ものかがあるのかも知れない。賤ヶ岳の戦いの中で、討ち死にした中川清秀にしても、生き延びていたら、ひょっとしたら、村重・清秀・秀吉・光秀、等と一緒に、時代の頂点に立てた可能性もあったかも知れないと想像すると、なかなか、歴史というものは、面白い。家康は、そんな秀吉の才能と天運を誰よりも、横目で、学習していたのかも知れない。


    この時代は、江戸時代のような道義的な忠節はなかったのかも知れない。換言すれば、主君が、凡庸と思えば、別の主君に平気で仕え、主君も、主君で、役に立たないと思えば、部下を見限る「飴と鞭」の統治手法だったのかも知れないのである。そして、その中の最たる者が、信長だったのかも知れない。村重や光秀にしても、主君との関係は、征服者と外様家臣の関係ではなく、憎しみと恐れ、コンプレックスと嫉妬複雑な感情を抱かせる、そんな複雑な重層的な関係だったのかもしれない。そうした中でも、せめぎ合いの狭間に当たった地域の地侍、在郷の豪族達は、先祖伝来の土地と墓を守り抜く「一所懸命」と言う地侍の信念を有して、謂わば、「寄らば大樹」という地侍独特の考え方が主要で、武士道や士の忠節の考えは、ずっと、後の世の話である。
    秀吉の生き方というものは、誰よりも、率先して、主君、信長の良い道具になることこそ、何よりの奉公であると考えたのに対して、日本人特有の新参者を見下す古参家臣団による蔑視・嫉妬・悪口・辛酸に、ひたすら、当時は、耐えるという秀吉の性格は、インテリには、真似できないものがありそうである(今太閤と称された田中角栄を懐かしく想い出されるが、、、、、、)。生き抜く知恵が足りない、耐えることを知らない、又、人生を駆ける術を知らないと村重の謀反を聞いたときに、秀吉に作者が言わしめたものは、こういうことだったのであろう。人生での出来(しゅうたい)に失敗する人間、時の熟する迄を待たずに軽挙妄動してしまうそういう人間の性も、村重の中に描かれてしまう。
    光秀も又、朝廷・義昭陰謀説、怨恨説、老齢説、長宗我部元親陰謀説、等、現代でも、未だ、新しい資料が発見されても、実際の動機は、謎の又、謎であるが、少なくとも、秀吉とは異なり、教養が邪魔をしてしまったのか?歯の浮くような世辞が駄目で、お追従もできない。洒脱の振りも出来ない、猥談をすることで自分を売ったり、相手の自尊心を傷つけぬように細心の注意を払い、勘気を被ることを避けるようにした秀吉とは、何処かで、心理的な対応が、限界であったのかも知れない。カリスマの魔神力にとりつかれ、褒められれば、褒められるほどに、喜びが増すタイプ(そう振る舞っていたのかも知れないが、、、、)とは、別人格だったのかも知れない。神才信長・豪才勝家・奇才秀吉・秀才藤孝と、遠藤は、細川藤孝に言わしめる。
    人生というものは、とりわけ、生存権が権利として確立されている現代と、全く確立されていない当時の背景では、万事、一生、筋を通すということは出来ないのかも知れない。その意味で、物語の中で、村重を通じて、中川清秀や片山右近、松永久秀、そして、前田利家なども、その心の矛盾と葛藤の具体例として、茶道を通して、巧みに描こうとしている。右近の決断、とりわけ、天正6年の信長への恭順と屈服、そして、天正15年の最終決断の違い、棄教と遁世、そして、南坊という雅号を有する右近と利休のわび茶の共通意識という挿話、そして、秀吉とのよしみと親爺様と呼ぶ勝家との対立から、利家の困惑と躊躇、壮年という自分の年齢への焦り、家門と所領と家臣達の処遇との相克と決断、前田家の歴史書には、そんな葛藤、大勢に逆らうことは自殺行為、流石に、裏切りとは書いていないのは、もっともである。
    人間の有する心の弱さ、逃げの心、反逆は、怨念・野望にかられたモノではなく、人間の心がひとつではないこと、嫉み、屈辱、猜疑、怖れが複雑に絡み、絶望と希望の狭間で生じる葛藤、そんなものが、有るときに、窮鼠猫を噛むのかも知れない。京での馬そろえでの神の宣言、他よりも異なる存在であることを示唆するような示威行進の実施、等、この物語の中では、信長以外の人物は、すべて弱虫である。本能寺の変、高松城の水攻め、中国大返し、山﨑の戦い、そして、賤ヶ岳の戦い、へと、、、、。
    天正14年村重は、病没する。
    我々は、今日も、一生懸命に家族のために働き、幸せを求めて、ある種の決断を下し、明日も又、生きて行かなければならない。黒田官兵衛というキリシタン軍師のことも、今日、播磨灘物語以外にも、どんな想いで、村重や右近や光秀を見ていたのであろうか、興味深いところである。

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    2014年07月05日