遠藤周作のレビュー一覧
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ネタバレ尊敬する人が遠藤周作さんの本がお好きとのことで読んでみました。
戦争時の生体解剖に関わった人の話。
実際に起こった事件から、少し内容等変えて書かれているそうですが(解説で知りました)
本当に起こっているかのような表現に、ドキドキハラハラしながら読みました。
途中良心が痛みすぎてしんどくてなかなか読み進められないところがありましたが、勝呂さん、戸田さんそれぞれの心境がよく書かれていて、私は勝呂さんの方にとても感情移入しましたが、戸田さんのような人も中にはいるのだなぁと思いました。
勝呂さんもこのようなご経験があったから、冒頭のような生活をしていたのか…などと後でつながりました。
戦争時の心理状態 -
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ネタバレ【夫婦の一日】
夫婦揃ってキリスト教徒だが、妻が夫の身を案じるあまり占いに頼って言われたことを実行しようとする。
【授賞式の夜】
キリストの教えを守る模範的教徒(?)が実は教えを破り滅茶苦茶にしたいという願望を密かに持ち続け、よく暗示的な夢を見る程追い詰められている話。
【ある通夜】
敬虔なキリスト教徒が、見た目は自分と瓜二つだがダークな従兄弟に、心の底に眠る欲望を刺激されて葛藤する話。
【六十歳の男】
肉体の衰えと死に怯える男が、女子高生の生命力を目の前にして欲望を感じる。
【日本の聖女】
「沈黙」に通ずる、中世日本のキリスト教観の話。日本人は十字架を下ろすために解脱する。キリストは -
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ネタバレまず著者自身が疑問を持って考え尽くしたのだろうと思った。迷い苦しむ弟子たちに対する親密なまなざしが、文面からでも伝わってくる。
キリスト教のことはよくわかっていない立場からの感想だが、取り繕わずに率直に、堅苦しくなく書かれていて非常に興味深く読んだ。
著者による福音書の読み解き方を知るにつれ、使徒たちの死を「書かない」という行為に、ルカの正直さと人間味を感じた。胸に浮かんでくるこの気持ちは何なのだろうか。書物の向こうに人間がいると気づいたような感覚。
死はきっとどんな人間にも呆気ない。たとえ神に一生を捧げた者でも、死には劇的なものなんてないのではないかと思う。
強い信仰を持ったことがないわたし -
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教養なく見た目もよくない森田ミツは、修道女に「一番好きなのはミッちゃんみたいな人。どういう人になりたいかと問われればミッちゃんのような人」と言わしめ、自分を棄てた吉岡に「聖女」と言わしめる。
他者に強く強く共感し、自分ごとのように他者の苦しみを受け止め、他者の苦しみを見過ごせないミツ子は、それが美しい行為であることに本人は全く気づいていない。だからこそ、その心の清らかさに周囲が圧倒される。
社会の角で生きて早逝したミツ子は、確かに「消すことのできぬ痕跡」を吉岡に残した。私自身もまた本書を通してミツ子と出会い、その痕跡を残されたような気がする。
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納得出来る部分多々、ぶっ飛んでる部分もたまに 女性の分析や男性目線の女性とは、だったり、恋、愛について、闇のような感情、死、教育、子供などについて書かれており、、、小説家であるからか、一般的な社会倫理から外れていてもびくともしない、むしろそうゆう人たちの感情、考えをもっと知りたい、という面が強く、一般的には怖くて避けたくなる対象を探していて、スゴイな、受け入れ対象が広いんだな、と驚いた。
書かれているどこかの部分は、よく言葉にしてくれた、ほんとにそうだな、と強く共感する部分もあるだろうから、一回読んでみてはいかがか。ただ40歳過ぎじゃないと分からない部分が多いだろうから、ある程度人生を経験した -
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遠藤周作先生の初期のエッセイ。
冒頭はこの本が書かれた当時の
プレイ・ボーイとはどういう者か、
それとドン・ファンそしてカサノバの違いについて。
どれも、女性を誘惑する者であるが、
遠藤先生はどれも情熱はあるかもしれないが
愛を知らなかったと。
私も結婚して10年以上たつので
多くの人と同様に倦怠である。
既に情熱はない。
しかし、遠藤先生の言葉を借りるなら
《二人が忍耐して、倦怠期や病気や失業や子供の入学、子供の卒業、その他もろもろの日常と人生の悲しみと悦びとを一緒にしながら(どこの他人が君とこれほど君の人生を共にしてくれるかね)二人の連帯を努力して続けていこうとするのが「愛」というのだ -
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私と戸田の巡礼の記録と、2000年前のイエスを取り巻く群像の一人ひとりの物語が交互に語られ、一度その人の人生を横切ったからには「永遠の同伴者」として共にいる惨めで貧しいイエス像を描き出す。
神は清らかで威厳があり高く尊いもの、という一般的なイメージに対して、今回も遠藤周作が描くのは、無力で惨めで汚らしく、ぼろ切れのように棄てられるイエス。戸田が語るように、奇跡を期待する民衆に対して何もできず、その無力さに愛想を尽かされて皆に棄てられるのだが、一度関わった人は誰も彼を忘れられない=イエスは誰も見棄てない。
弱くてずるい修道士のねずみはナチスの収容所で最後まで弱いまま、ただ最も歳若だった少年に自分