遠藤周作のレビュー一覧
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ネタバレ罪の意識、自責を期待したが何も感じられない戸田と、所々で迷いや後悔の念が見える勝呂の対比が良かった。
上田の回想にも戸田の回想にも「面倒くさい」という表現が出てきたので、彼らは思考を途中で放棄してしまったが故に生体解剖の場に立ち会うことになってしまったのではないかと思った。
海の描写がしばしば出てきたが、その描写が登場人物の感情を繋げてる?
解説にあった、「罰は恐れながら罪を恐れない日本人の習性がどこに由来しているか、を問いただすために生体解剖という異常な事件を、ひとつの枠組みに利用した形跡がある。」とはどういうこと?▶︎行為の善悪よりも損得で動くから、罪の意識が育たず、倫理観の空白とし -
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ネタバレ悲しみの歌
著者:遠藤周作
発行:1981年6月25日
新潮文庫
初出:週刊新潮1976年1月1日号~9月2日号『死なない方法』
書籍化:1977年1月、新潮社
遠藤周作の初期の代表作といえば、戦争中、九州大学でアメリカ兵捕虜を殺した生体実験という犯罪を描いた小説『海と毒薬』。その続編と考えられる作品。『海と毒薬』では、若い助手時代に生体実験を手伝った医師・勝呂が、企業村のような殺伐とした郊外都市で開業している変わり者の開業医という設定だったが、この小説では舞台を新宿にしている。勝呂は、戦犯のその後を追う新聞記者の折戸から取材を受ける。自分はもう裁判も受けたし、あの時は断れなかったんだ、書 -
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ネタバレ重く、苦しく、面白い
印象に残った点
・番人の鼾だと思っていたものが、その実拷問受ける信徒の呻き声だったという場面は本当に意地が悪いというか、これほどまでに主人公に試練を与えるのかと思った。ここまでの2択を突きつけられたら、(もしも神が本当にいるとしたら、)神も転んだに違いないと思う。
・キチジローが悪者として書かれていて、私も嫌いだが、それは自分の弱さや都合の良さを彼の中に見るからで、彼のような弱い部分を誰しも否定できないのではと思った。むしろ、沈黙を貫いて殉教した方々の方が異常と感じるのは、時代か自分に信ずるものが無いからか。
・ロドリゴは救われた、自分の中で神を引き受けてある種の納得感 -
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ネタバレ"信じる"とはどういうことか考えさせられた。
基督はひたすらに沈黙をつらぬき、司教の問いに答えることは、ついになかった。けれど、転ぶことさえも主は赦すのだと。
信じながら疑い、背くことで、却ってその存在と向き合わされる。
残酷でありながら、どこか美しく、悦びを伴う結末。
キチジローは自分のことを弱い者だと言ったが、彼はまさしく私であった。
転んで、後悔して、縋ってもがいて、また転んで後悔して……
だけど赦されることを諦めない。
情けなくて、恥ずかしくて、思わず目を背けたくなるけれど、どうしても放ってはおけない、そんな人だった。
それが弱い生き方だと言われたら、そうなのかも -
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ネタバレ遠藤周作の『沈黙』は、「信仰とは何か」という宗教小説として読まれがちだけれど、芯に流れている問いはもっと人間くさい。
それが――誇りとはなにか、という問題。
この物語で描かれる誇りは、最初、とても“わかりやすい形”をしている。
ロドリゴ神父にとっての誇りは、信仰を捨てないこと、殉教すること、信者の前で強くあること。
言い換えるなら、「自分がどう見えるか」「自分が信仰者として正しいか」という、自分軸の誇りだ。
ところが日本での過酷な迫害の中で、その誇りは静かに揺さぶられる。
踏み絵を踏まされるのは自分ではない。
苦しむのは、名もなき信者たち。
彼らは神父の「正しさ」のために、呻き、死んでいく -
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ネタバレ神も悪魔も自分の中に存在する。
キチジローの言動は矛盾しているようで、その根底にあるものは一貫している。それは神を信仰しているということ。信じているから弱くいられる。
キチジローだけが、他の人のような自分で作り上げた神ではなく、本当の神を信仰できていたのかもしれない。彼がしているような、自分の想像を超える存在を信じるということは難しい。なぜなら自分の想像できないものは作り上げることすらできないから。キチジローは司祭を通して神を見ることができていたから、自分の想像に及ばない存在を心から信じられたのかなと思う。信仰は、1人では成り立たない。 -
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ネタバレ圧巻。素晴らしすぎる。
戦争下という特殊な環境において、善良な市民がごく一般的に倫理観を壊していく様を見事に描ききっている。
文章は平易だが情景描写に重みがあり澱んだ空気が広がっている。特に流される海音を聞き、人間として流動的に流されていく、というメタファーは怖しい。
勝呂に主眼は置かれているものの、序盤の「私」の平凡な日常の描写、上田の女性的な嫉妬の描写、戸田の人間失格に通ずるような描写、その全てが人間の愚かさを表現していて没頭した。
アーレントの「凡庸な悪」を想起しながら読んだ。
しかしこのような倫理観の欠落という問題を、単に日本人の無宗教的価値観のみと結びつけて論ずることは短絡的だと思う