遠藤周作のレビュー一覧

  • 海と毒薬(新潮文庫)

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    日本人の罪への意識を問う作品。繰り返してる戸田が、社会的な評価には恐れがあるが、良心には響かないという表現を何度も繰り返しているところが印象的だった。

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    2026年09月06日
  • 死海のほとり

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    ネタバレ

    この本は、新約聖書を研究する中で明らかになった実際の出来事と、聖書として語られている内容を分析しながら、ひとつの物語として構成されている。新約聖書についてほとんど知らない私でも、何が実際に起こったと考えられる出来事で、何が後から演出・脚色されたものなのかをたどることができる、わかりやすい構成になっていた。

    特に、キリスト教のような西洋から輸入された思想は、日本人にとって心から共感できるものなのかという疑問を、私自身も抱いたことがあった。本作では、それと同じ疑問を抱く人物が主人公として登場し、物語が進んでいく。

    私自身も西洋への憧れから留学を考えたことがあったが、文化や宗教の違いを考えると、どうしても心から共感できるものではないのではないかと思い、諦めた経験がある。そのため、主人公が抱えるキリスト教への距離感や疑問には、どこか自分と重なるものを感じた。

    本の中では、実際にはみじめな存在だったイエスや、奇跡を起こせなかったこと、周囲から下げすまされていたことなどが描かれている。また、現実に存在していた、わびしく、ずるく、薄汚れた人々の姿とイエスの姿がうっすらと重ねられるような描写も印象的だった。主人公のイエスへの失望と、それでもなおイエスを諦めることができないのはなぜなのかという葛藤が描かれており、そこには学者としての人生の使い方や、小説家としての迷いも重なっている。そのため、物語でありながら非常にリアルな時間の流れを感じることができた。

    また、『沈黙』から続く作品としての重要な位置づけも感じられ、遠藤周作がイエスを「永遠の同行者」として捉えていることを知ることができた。キリスト教についてほとんど知らない私でも、遠藤周作がキリスト教をどのように捉えていたのか、その思想の一端を垣間見ることができた。

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    2026年09月06日
  • 新装版 わたしが・棄てた・女

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    遠藤周作や三浦綾子はクリスチャン作家として有名であるが、彼等の作品に共通するテーマとして「愛」や「赦し」がある。
    この「わたしが・棄てた・女」は森田ミツの「愛」を描いた物語である。
    主人公の吉岡努と出会ってから彼女の人生は一変する。

    ハンセン病についても書かれており、当時の排他的な差別がミツを苦しめた。
    ミツの感情はジェットコースターのように揺さぶられドン底まで落ちてしまう。なぜ自分だけこんなに苦しい思いをしないといけないのか、と神をも恨む。

    客観的にみれば森田ミツの人生は不幸で不憫なものであるが、はたして本当にそうなのだろうか。
    不幸で不憫な人間が他人に対して愛を与えることができるだろうか。
    この物語に希望はあるのか。

    愛について考えさせられる作品だ。

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    2026年08月31日
  • 海と毒薬

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    戦争で捕虜の死体解剖する話
    グロくなくて読みやすい。「こころ」の時と同じく、場面分けが何個かあってそれぞれ読んでいくとわかってくるのが面白い。

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    2026年08月26日
  • 海と毒薬(新潮文庫)

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    ネタバレ

     読み始めてまず印象に残ったのは、作品全体に漂う独特の不穏な空気だった。ミステリーというわけではないのに、先に何が起こるのかという緊張感がずっとある。読み終わってから振り返ると、冒頭の外国人のマネキンに対する独特な表現や、ガソリンスタンドの人間などが口にする「戦争に行ったのだから、人を殺したことくらいある」というような言葉も、後に起こることをどこかで暗示していたように思えて、何気ない描写の一つ一つにゾッとした。最初からすべてを理解していたわけではなく、読み終えた後だからこそ意味が変わって見えるところが面白かった。

     もっとも、この作品を読んで一番考えさせられたのは、やはり「良心とは何なのか」ということである。人体解剖という題材だけを見ると、人間を解剖することの倫理性を問う作品のようにも思えるが、実際に描かれているのはもっと複雑なものだと思う。なぜ人は、自分では間違っていると思っていることに加担してしまうのか。何をもって「これはやってはいけない」と判断するのか。その判断を支えているものは何なのか。そこまで掘り下げている作品だと感じた。

     そのことを考えるうえで、勝呂の存在が非常に興味深かった。勝呂は最初から人命を軽視していたわけではなく、むしろ患者を救いたいという思いを持っている。だからこそ、人体解剖を拒むこともできたはずなのに、なぜ拒まなかったのかが気になった。

     私は、勝呂は単純に「悪に染まった」のではなく、自分が信じていた正義や良心を、現実の中で維持できなくなったのではないかと思った。目の前の患者を救いたいという思いがあり、そのために努力していた。それでも救えない現実に直面し、自分の善意だけではどうにもならないことを知ってしまう。そのとき、「それでも自分は正しくあり続ける」というより、「もうどうにでもなれ」という方向に傾いてしまったのではないか。良心を捨てようと決意したというより、良心を信じること自体を諦めてしまった、と考えると勝呂の行動が少し違って見えてくる。

     そこから、作中の「神」の扱いも興味深く感じた。日本人の多くは、宗教的な意味で絶対的な神を信じて生きているわけではない。そうだとすると、自分が何を守るべきなのか、何が正しいのかを判断する最後の拠り所は、自分自身の良心になる。勝呂にとって、目の前で救いたいと思っていた患者は、一時的にその「神」のような存在だったのではないかと思う。抽象的な神を信じるのではなく、目の前の現実の中から「自分はこの人を救うべきだ」という精神的な支柱を作っていた。しかし、その支柱を失ったことで、何を信じていいのかわからなくなった。カトリックを信仰する人物との対比も含め、絶対的なものを外部に持つ人間と、自分自身の良心を拠り所にするしかない人間の違いが描かれているように感じた。 

     上田看護師についても、過去の出来事が現在の人格にどう影響しているのかを考えさせられた。もしあのとき死産をしていなければ、彼女は違う人間になっていたのではないか。そう考えると、良心や倫理観というものは、最初から人間の中に完成された形で存在するものではなく、経験や喪失によって形を変えていくものなのだと思う。

     そして、個人的にこの作品の怖さを最も感じたのは、登場人物たちが人体解剖に「いきいきと」積極的に参加しているわけではないことだった。むしろ、どこかおかしいと思いながらも、はっきりと拒絶するほどの強い信念がなく、なんとなくその場に流されていく。その「なんとなく」が積み重なって、最終的には人を殺すことにまでつながってしまう。ここは今の社会にも通じるところだと思う。人間は、必ずしも「悪いことをしよう」と思って悪いことをするわけではない。「おかしいとは思うけれど」「自分だけ逆らうわけにはいかない」「みんなやっているから」と判断を少しずつ他人や状況に預けていく。その結果、自分の中では一度も明確に「人を傷つけよう」と決意していないのに、取り返しのつかないところまで行ってしまう。

     だから、『海と毒薬』を読んで最後に残ったのは、人体実験の是非そのものより、「自分ならどこで拒むことができただろうか」という問いだった。良心を持っていることと、良心に従い続けられることは同じではない。自分の中にある「これは間違っている」という感覚を、周囲や状況に流されずに最後まで守れるのか。

     この作品は、人間の残酷さを描いているというより、むしろ人間が良心を失っていく、その過程の怖さを描いているのだと思う。だからこそ、戦時中の特殊な事件を扱った作品でありながら、読み終えたあとに残るのは「彼らは異常だった」という感想ではなく、「自分も同じ状況に置かれたらどうなるのだろう」という、少し嫌な問いなのだと思った。

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    2026年08月22日
  • P+D BOOKS 宿敵 下巻

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    加藤清正と対立し、憎み合った小西行長。関ヶ原で敗れ、生涯を終えた。その居城である宇土城の櫓を熊本城に運び宇土櫓として今に残した清正もまたいい男であった。

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    2026年08月18日
  • 悲しみの歌(新潮文庫)

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    「深い河」のような群像劇みたいな作品だった。
    勝呂、ガストンとその他の人々の生き方の対比、他人を思う生き方と自分のことばかりの生き方の対比をみているようだった。
    勝呂の生き方がつらい。命を助けたい、人を助けたいと思っているのに命を奪ってしまうこともつらいし、戦時中という異常時に人体実験に携わることになってしまったことで、こんなに後ろ指さされて生きて行かなきゃいけないこともつらい。
    同じ状況に立たされたら誰でもも携わることになったのではないかと思うだけに、そんなにみんなから追われなければならないのかとつらい。
    そしてガストンと勝呂の関わりをみてると、人を救うことは難しいと思う。すっきりと解決してあげられることはほとんどないと言っていい。少しだけその人の心を温められばいい、というくらい。みんな非力。

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    2026年08月17日
  • 海と毒薬

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    良心の呵責を感じない戸田が印象的だった。いい子のフリをしたり、蝶のはく製を盗んだり、手を出した女性が妊娠したら自分で中絶手術したり、結構ひどい。でもバレると思うと苦しいのにバレないと分かると平気。
    ここまでひどくなくても、バレなければ平気というのは誰にでもある心の動き。そういう記憶は全くない人はいないのでは、と思う。生体解剖の後も戸田は自分の心の中に良心の呵責を探すけれど、見いだせない。良心の呵責、罪の意識、ひどいことをした、という自覚は自分の心の中からわいてくるものだと思うけど、戸田の今までのどこをどうしたらよかったのかわからない。

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    2026年08月12日
  • 沈黙

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    映画は見たことがありました。内容はうろ覚えですが。

    沈黙とは、神からの沈黙だったのですね。

    私は一応カトリックですが敬虔な信者ではありません。
    でも、高校生のころアメリカにホームステイしていて、毎朝6時から聖書を家族で読んで、7時くらいから学校のセミナリーに参加していた頃、日々の祈りの中で神様と通じ合った感覚がありました。
    これまで生きてきて初めての感覚で、祈りにも努力というか、日々の鍛錬というか、自己研鑽が必要なんだと感じました。
    でもそれ以来、日本でまた怠惰な日々を過ごしている訳で、そのような感覚はもう残っていないですが。

    神様との祈りを通じての会話って、簡単ではないんですよね。
    もちろん、この小説の中で出てくる司祭は、人生をキリスト教に捧げている訳で、私みたいな一般市民とは信仰度合いに天と地の差がありますが。

    イエス様が司祭を許して彼が踏み絵を踏んだのか、それとも司祭は本当に転んだのか。それは司祭のみが知る、ということでしょうか。

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    2026年08月11日
  • 海と毒薬

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    ネタバレ

    九州大学生体解剖事件という実際のテーマをモチーフにしているがあくまでフィクションである。

    しかし登場人物を露悪的人物としても時代の被害者としても描かず一人の個人として丁寧に描写することにより、その個人になりうるのだ、という圧力を突きつけられた。

    勝呂は患者の死に心を痛める良心的な人物ではあるが、おばはんに親身にするのは本来の優しさだけではなく、どこか自分を良心側だと言い聞かせる盾でもある。
    そのおばはんという藁を失った結果、流されるままに解剖に加担する弱さは、良心も嘘ではないが声を上げる正義の味方ではない多くの個人の体現のように感じる。

    一方で戸田は他人の死や道徳に対して徹底して冷めており、殺人に加担した後も良心の呵責に苛まれることはない。別の人物として描かれているがこれも人が持つグラデーションのうちの一つであり、
    見知らぬ他人の死やニュースを傍観できる、時にはエンタメとして昇華できる、建前の裏にある感情を体現しているように思える。

    そして上田は彼らとも違い、ただの嫉みや不満の正当化の行為として、復讐すべき相手への叩き棒として殺人への加担を行う。
    そこには人の死に対して焦点すらあっておらず、存在するのは個人的かつ矮小な感情だけである。
    これもまた別のベクトルで不気味ではあるが、誰しもが抱える人格である。

    戦争という毒薬により人間の死が身近になり、感覚が麻痺して境界線が曖昧となってしまった場合、
    人を殺すことに特別な理由はいらず日常の価値観としてそれが溶け込んでしまえば、隣の善人も真向かいの変人も合理的なあなたも絶対的価値観の中にはおらず、流されるままに人を殺すことがあるのだ、と言われた気がした。

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    2026年08月12日
  • 海と毒薬(新潮文庫)

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    彼の気持ちは非常によくわかります。さて その登場人物は誰かというと勝呂くんではありませんよ。戸田くんです。子ども時代や学生時代の自分の悪事が裁かれることなく 素通りしてしまい、うまく すり抜けて生きてこれてしまったという、この自分のずるさや逃げ、弱さ、そして何より罪の自覚のなさ。共感しかありません。

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    2026年08月11日
  • 海と毒薬

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    生体解剖に関わった人々の人生描写が見事
    戦争という時代や罪とは何か
    読み終わった後色々なことを考えさせる名著
    見事な作品

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    2026年08月08日
  • 新装版 海と毒薬

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    むずかった
    九大医学部の戦時中における米軍捕虜解剖殺害事件
    良心の根底に宗教とかの根拠がない日本人はいかに周りに流されやすいかっていう話
    多分もっと深い読みがあるはずなのにできなかったのがもどかしい。


    おばはんの実験手術への反発と後半の盲従か対比だったのか面白い

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    2026年08月07日
  • 沈黙

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    歴史書であり、信仰の書であり、大きなドラマであった。日本を収穫の多い、素晴らしい伝道の地と考えて、キリスト教が禁忌とされている江戸時代に渡来したポルトガル人、ローマ人がいたのだ。ポルトガルでも見たこともない、日本の貧しさも伝えている。そしてこの時代の後、踏み絵の歴史も長いが、今に至るまで、その信仰を絶やさずに伝えてきた人々もいたということを私たちは知っている。
    けれど、日本人のクリスチャンは1%とか。やはりこの本に書かれているように、日本人の捉えたデウスは、キリスト教の神と違うのか?神はなぜ沈黙しているのか?問い続けることが重要な気がした。

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    2026年08月05日
  • 海と毒薬

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    私の好みの作品だった。なんとも思わない私が変なのだがところどころ生々しい描写はあるもののスラスラと読めた。終戦後すぐの話だがすぐに過去に飛ぶ。人々の苦しみや覚悟、容易く想像できるものではないが想像できるほどの文章の心地よさだった。命を軽んじている戦争という存在と命を慮る医療現場の対比が重たかった。

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    2026年08月03日
  • 海と毒薬(新潮文庫)

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    実験にまつわる「罪と罰」の内面的意識を描く。人間とは社会的視点から生まれる罪の意識しかなく、良心から生まれる罪の意識は存在しないのかもしれない。罰というのも曖昧なものでここには戦争などという時代背景が複雑に絡み合ってくる。結局、罪と罰というものはその時代による曖昧なもので、そこに法律というものは限定的なものとしてのみある。

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    2026年08月02日
  • 深い河 新装版

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    「深い河」と書いて「ディープリバー」と読ませるのは、この河が日本にはない、日本どころか世界を探してもここにしかない、「すべてを受け入れ、流す河」という意味を込めてのことだったのかな

    その河の前には皆平等で、すべての苦しみも歓びも飲み込んでいく。その河に受け入れられることを望みたく成るような、そんな過去と向き合うことは人々にとって、生きていく上で避けられないことなのかもしれないと感じた。

    「深い河」は実際に目にすることができる「たまねぎ」なのかもしれない。



    主な登場人物の磯辺、美津子、沼田、木口、そして大津のそれぞれの目線・エピソードがどれも何ともいえない気持ちになる。

    戦時中のエピソードなどは、やはり戦争を経験していない世代には書けない生々しさを感じる。
    (遠藤周作は戦地には行ってないみたいだけど。)

    美津子の大津への歪んだ関心が、友情ではなく、愛というほど綺麗でもなく、言葉に表せられないというか名前のないような関係性が独特で上手いなと思う。
    でもこういう「縁」の人っているし、特別だよねと

    もっと感想書きたいのに、うまく整理できないし、言葉にならないの悔しいなあ

    また読み返すと思います

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    2026年08月01日
  • 海と毒薬(新潮文庫)

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    ネタバレ

    確かに戦争でただ死ぬだけなら、意味を持って殺された方が良いのかなぁ。でも、人間のやることとしては怖すぎる。

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    2026年07月29日
  • 沈黙

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    ネタバレ

    難しかった、、、。
    宗教とは、信仰とは、どれだけ頑張っても神は何も言ってくれない。過酷な拷問に晒されてもなお沈黙を貫く神、主人公とその前に布教していたフェレイラの葛藤と思考が辛い。最終的に何度も転んでも、間違ったことをしても、主人公に許しを求めたキチジローだけが主人公と最後を共にした。弱いことは悪いことではないけど、人間らしい弱さをキチジローからは感じることができた。沈黙、神を信仰することは本当に救いになるのか。

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    2026年07月27日
  • 沈黙

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    キリシタンが弾圧されている日本で、ポルトガル司祭がキリスト教を再布教しようとするお話。

    キリシタンに対する弾圧が酷く、読んでいてつらい場面も多々あった。
    「なぜ神は沈黙している?」
    「もし神がいないんだとしたら・・・」
    と何度も己の行動に葛藤する場面も苦しい。

    現代日本人の私としては「なぜそこまでして?」というのが率直な感想だった。
    これについては、物語の中でも元司祭が日本人の信仰の感覚を説明しており、
    どれだけ説明しようと分かり合うことの出来ない感覚なのだと思う。

    印象的な登場人物はキチジローだ。
    物語を読んでいるとどうしても主人公ロドリゴ視点になり感情移入してしまうため、キチジローがとんでもなく卑怯者で弱い奴に見える。
    しかし、本来日本人の感覚、現代人の感覚はキチジロー寄りだと思う。
    むしろ終盤までの信仰に固執し、視野狭窄となりその思想に行動が制限されることは危険とさえ感じた。

    心と体(行動)は必ずしも一致している必要はないと私個人としては思う。
    一方で、行動が伴ってないといくら口で言おうとも信仰を示すことは難しい。ちょうどキチジローのように。
    キチジローがどう見えるかというと、『裏切者』『卑怯者』が当てはまるだろう。
    ただ、その信仰による行動は本当に神に向けてやっているのか?人間へのアピールではないか?神は人間の内面の信仰を感じることはできないのか?行動でしか信仰は示せないのか?

    終盤主人公は神は人間が弱い存在なことを知っていたから内面の信仰があれば自分の弱さも受け入れてくれると解釈する。
    それで良かったと思う。

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    2026年07月21日