遠藤周作のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
遠藤氏はカトリック信者であるので、
聖母マリアの母性的な愛をイエスキリストにも
見出し、その視点で描かれている作品が多いと思う。
キリストと関わった女性は、
母マリア、7つの悪霊に取り憑かれたマグダラのマリヤ長血を患う女や娼婦を生業としている女達等など。
皆、人として弱くまた社会から排除された人々である。
キリストはそのような女性達に寄り添い、その哀しみを受け止める、決して裁くためではなく
救うために。
実は東野圭吾の「手紙」を読んだばかりである。
兄が犯罪を犯し、その為に弟が社会から差別され
排除される話である。
東野作品のあとに遠藤氏の作品を読んだ時、
社会から排除されねばならない差別に苦しむ弟に
キリストならきっと、寄り添い共に歩みその哀しみと重荷を受け止めてくれただろうと思う。
遠藤氏は言う、人間は弱いものだと。
その弱さを知らずに自分だけは正しいと裁いてしまう。
しかしキリストは彼を求める人の指先からでさえもその孤独を感じ取りあなたの重荷を背負うと。
そこに救いがある。
しかし、60年代の作品であるので、イブとマリアの二元的捉え方は
やや現代では無理があるとも思った。
あとがきを宮澤エマさんが書いているが、その文章も卓越していて読み応えがあった。
遠藤氏のキリストと女性達の関係への想いは、弱いものとしての私をも救ってくれる優しいものだった。
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Posted by ブクログ
生きていれば何か必ず事件が起こりうるものだが、たった一つ出来事によって、人生があっという間に転落していくことがある。それはその人の持っていた騙されやすいとか偏屈などの素質によるものか。環境のせいだったのか。はたまたただの運命か。いずれにせよ、一度転落してしまっては、人間らしい心を取り戻すのがなかなか難しい。これ以上傷つかないように、人は心を麻痺させていくからだ。
戦時、それも終戦間近という頃、誰にとっても死が日常であった。爆弾で死ぬのも飢えて死ぬのも病気で死ぬのも区別されない。人体実験で死ぬのはむしろ医療への貢献と思い込もうとする人、流れに身を任せる人等々、特殊な環境において、多くの人の感情は完全に麻痺している。一方、最後まで倫理を失うまいと必死に抗っている人もいるのも事実。
今まで自分の行なってきた罪に対する呵責、胸の激しい痛み、心を引き裂くような後悔の念、そうした感情を引き起こそうとして、人体実験の立ち会いを引き受けた医師戸田。だが、人体実験を行ってもなお、心の苦しみはとうとう訪れずれることはなかった。
胎児を亡くした上に子宮摘出。夫にも捨てられて虚無的な毎日を過ごしている看護師上田。人体実験に立ち会っても何も感じない。皆が知らない秘密をある人と共有していると点において、優越感すら抱いている。
この2人とは対照的に描かれる勝呂。自身の倫理と必死に戦うも、抗いきれていない感じの描写がなんとも心を蝕む。勝呂の「あの時は仕方なかった」は本当に仕方なかったのか。読者に問いかけている。
罰は恐れながら、罪は恐れないと言われていた日本人。罪の意識がない日本人特有の問題なのか、というとそうでもなさそうだ。異常な状況下であっては、異常な事件に身を委ねることは通常に見えるらしい。