遠藤周作のレビュー一覧
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毎年8月になると終戦○年という特集が組まれる。今回はその流れでこちらの本を手に取った。
太平洋戦争中に実際にあった米軍捕虜解剖事件をもとに執筆された本作は、戦争という非常事態が人間の倫理観に与える影響を教えてくれる。
医療の発展という一見正しそうな理由をつけて米軍捕虜の解剖を正当化する登場人物たちの描写はとても生々しい。
敵と味方、彼らと我々の関係で支配された戦時中の感覚では、米国人などもはや人間ではなかったのかもしれない。戦争が人々の視野をどれだけ狭めるか、心の貧しさにつながるかを改めて考えることができた。
とはいえ、人間の残酷さというのは戦争中でなくても常に社会に露出している。極端 -
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一部のキクの従姉妹、ミツの孫にあたるサチ子のお話。サチ子の幼なじみの修平との話と長崎の教会にいたあとポーランドに戻ったコルベ神父の話とが並行して描かれています。
五百ページを超える長編に様々な登場人物の関わりが細やかに描かれていて、非常に読みやすい文章ではあるものの、苦しくて途中から涙が止まらなくて休み休み読み終えました。
ひとたび戦争が始まると殺すことを命じられる苦しさ。
見下ろす港がキラキラとして綺麗で、美しい教会、坂道、緑多い山々。
あんな悲惨なことがこの美しい長崎で暮らした普通の人たちに起こったということがあまりにも苦しく切ないです。
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この作品読んで、強く印象に残ったのは「信仰とは何か」という問いだった。
江戸時代の禁教令のもとで、隠れキリシタンたちは壮絶な弾圧を受けながらも信仰を守り続けた。なぜ彼らはそこまでして信じ続けたのか。
貧しい農民たちにとって、信仰は生きる希望であり、初めて知る人の温かさそのものだった。
しかし、その信仰の中で彼らが直面したのは、あまりにも過酷な現実だった。
何も悪いことをしていないのに与えられる苦しみ。そして、その中で神は何も語らない。「なぜ助けてくれないのか」という問いに対する、神の沈黙。
また、印象的だったのは、「弱さ」に対する描き方だった。
拷問や仲間の死に耐えきれず信仰を捨ててしまう者 -
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キリストの最期・江戸時代の基督教の弾圧が重なる。
自身の使命感のために迫害され殺されていく百姓や非人、彼らの声を聞かされ棄教を迫られる。かつての師にさえ諭される。もっともこの師も拷問され他者の死の責任を押し付けられ続けた結果なのだが。
終わりのないこれらの気怠さのため、唯一の拠り所であり、生涯愛すると心に誓った者の顔を踏みつけるまで追い込まれた。
師は言う「神は何もなさらなかったからだ」と。
自分の信仰心と目の前の惨たらしい狼藉とが闘い、全てを諦めた先にあったのは、どす黒い余生だった。(しかも踏絵後も助けられなかった信徒がいた始末)
理不尽と自分の中の「正義」の衝突が起こった時どうするべき -
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長谷倉という侍と、ベラスコという司祭、二人の視点で描かれる物語。
『沈黙』と似た雰囲気があり、本書も事実に基づいているらしく、こんな辛い時代があったのかと驚かされる。
キリスト教にも宗派の違いがあり、そこに政治も絡んでくる。
ベラスコは征服欲の強さから教えを押し付けるような行為をしてしまい、その傲慢さを自覚しながらも正当化していた。
しかし終盤になると、自分の行いを見つめ直すことになる。
そこでキリストや神への信仰が本物であると感じた。
暗く、報われない現実。
そんな世界にこそキリストは寄り添ってくれる存在なのだという。
華やかな生活の中ではなく、見すぼらしい苦しみの中に、それぞれの人の中 -
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ネタバレ時代だとは思いますが、女性の立ち場が無い。
現東京藝術大学を卒業した母が、ヴァイオリンばかり練習していて家庭のことを顧みないと思ってる夫、
主人公が入院したときに、子どもをちゃんと面倒みてないから入院したんでしょ?と思い込む伯母、
病院のベッド脇で左指だけでもバイオリンの練習をする母見て、怒りだす主人公。
主人公の退院後、まったくバイオリンを弾かなくなった母を見て、夫は満足そうにしていたが、結局両親は離婚。精神を病む母。
満州から帰国後も、バイオリン指導が厳しすぎて仕事をやめされられた母。
誰も救われない。
父親が酷い。主人公を父の元か、母の元、どちらに住むか選ばせるようでいて、半強制的。 -
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島原天草一揆くらいの時代、日本の調査と布教に来たポルトガル司祭が苦難に遭い背教を迫られるという話だが凄かった。
タイトル「沈黙」にもあるように、一つの大きな主題として「なぜ苦境の折に神は沈黙しているのか(なぜ救ってくださらないのか)」という悲痛な嘆きがあったが、主人公司祭の強い苦しみと実感を伴う問いとして物語終盤常に大きな存在感を保っていた。
主人公司祭が来日する理由にもなった、「拷問の末既に背教した司祭」の存在とのやり取りや奉行との問答の末の結末には陰鬱な気分になり、体調が悪くなった。
「布教は善であったのか」「何が民を救うことなのか」「主は何をしているのか」
じめじめと腐った潮風の様な問い -
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沈黙は見方によっていろいろな解釈ができる小説だなと思う。宣教師には宣教師の、切支丹になった農民には農民の、取り締まる役人には役人の理屈がそれぞれあって、どれも正しい。
救いを求めるロドリゴに対して神は「沈黙」したままで、結果的にロドリゴは棄教をしてしまう。でもそれは形だけの棄教で、信仰なんてものは自分の外側にいる神に祈ることではなく、自分の内面にいる神と対峙し対話することだということに気づいたが故の結果なのではないかと思う。
そして、キチジローの弱さはロドリゴの弱さで、キチジローとはロドリゴであったのではないかとも思う。人間は強いだけではいられない。誰にでもキチジローのような自分を抱えてい