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「本当に苦しいでしょうね」「やがて私たちもそうなるんですから」生き残る者のこの言葉はまもなく地上を去っていく者に理解と人間的連帯とを示し、ある程度の慰めを与える。だが、それは死んでいく者の苦しみの半分を慰めてあげても、あとの半分を鎮めはしない。その五〇パーセントをも鎮めるには……。著者が遺そうとした心優しいメッセージ。
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Posted by ブクログ
◯どういうきもちになる ・死生について考えるきっかけになる ・生活ではなく人生と捉えるようになる。やるべきことが見えてくるような気がする ・亡くなった親類や友人がきっと静かで穏やかな世界にいけてるんだろうなと救われる ・「死について」ではなく「死について考える」というタイトルがぴったり。死後の...続きを読むことなんて誰にも分からないけどその先を考えることで救われたり生を全うしようという気持ちになるよねー ・死を意識することで嫌でも生を突きつけられるから、死について考えることはやっぱり必要なことだと思う。自分が何をすべきか、何のために生まれたのかが見えてくるような気がする。死と何度も隣り合わせになった著者だからこそ書けるんだなーと。 ・一度死んでから息を吹き返した人の体験談を集めたものの中に、 病気で失明していたのにはっきりとその時の光景が見えたという話が面白かった。息を吹き返した後、自分が着ている服装や状況を当てたらしい。すごくね?他にも同じ経験をした人は多く(死んだ時の自分を上から見た・亡くなった親類に会えたなど)興味深いなーと思った。 ・印象的だったのは神は自死を拒否しなかったり、道徳的に正しいとされることを神は正解と考えていないこと。(遠藤周作がそう考えてるだけかもしれないけど) キリスト教その他の宗教について全く知識がない私は神様は綺麗で正しくて美しいことしか愛さないイメージだったから、こんなに自由で懐の深い人なんやと思った。死ぬときは泣き喚いたっていいんだと知った。 とりあえず原民喜「夏の花」を読んでみたくなった。
時にユーモアを交え、死についてさまざま語られた本。 「亡くなった肉親や先祖たちのいる世界に戻るという感覚」 そう捉えると、死もこわいものでは無くなる気がする。
「死」というテーマについての短いエッセイがたくさん。「死」は誰も知らない経験。希に臨死体験者はいるが。でもすべての人に平等に訪れるもの。それについて話されることというのは、人間性というか人生観が滲み出てくる感じがする。そう、なんというか、じわじわと伝わってくる。「ああ、そうなんですね」ではない。じわ...続きを読むじわとしたのが自分の中のなにかに触れて、ああ、こういうことかという言葉以上の受け取りが出てくるような気がする。 ”じたばたして死ぬことを肯定してくれるものが宗教にはあると思うからです。” たしかにそうなのかもしれない。死ぬことを考えないでもない。でも本当にその可能性があるときとないときでは向き合い方が絶対違うと思う。今は、「じたばたしない」と思っている自分がいる。どこかにいるじゃなくて、わりと大きな顔をして自分の中に座っている。 遠藤氏の書かれるなかで、自分があまり得意ではない「倶会一処」に似たことが、病により死を待つしかない人の慰めになると書いてあるところがあった。先に亡くなった祖父母、父母にあえるというようなことが。遠藤氏の文章から思ったのは、それは家族がいて、それにすべて安心して頼り切っていた幸せな時を思い出すことなのかなと思った。実際には会うという歓びよりも、その人と過ごしたときを今自分の体感として思い出して、なにかに身をゆだねるということなのかなと今までとは違ったことを思った。そうやって、死を迎える瞬間を乗り越えるのかと。 じわじわ感じること。彼の文章には苦しみには必ず孤独があるということが通底している。これは本当にそうだ。仏教もキリスト教も関係ないのだろう。人間の苦しみはそこにある。どんなに近くにいても、わからない。 宗教観。遠藤氏は、山に例えてどの道を通るかわからないが、宗教の行き着くところは同じかもしれないとおっしゃっていたが、ここは自分は違うような気がした。だってそれも誰も確かめようがないじゃないか。どこまでも自分が納得出来ないとだめな自分を再確認した。 とても親近感が湧くというか、近くでお話をしてもらっているような本。宗教に関係なく、一度手に取って読んでみるといいと思う。自分が避けて考えていることをまっすぐに書かれるともう聞くしかないから。
人は遅かれ早かれいづれ死ぬ。大作家だって犯罪者だっていづれ死ぬ。死について考えないで人生終えれたらどんなに楽だろうと思う。死は怖いし死んだらどうなるかなんて誰もわからない。だから人はその死の恐怖をやわらげるために宗教に頼ったりするんだろうか。
中年に入り、自分よりも親が先に逝くのだろうと思うけど、考えるのを避けられなくなってきた『死』について。 『老いる』すら(しばらくはいいか…忙しいし)と深く考えずに、『命の結末と向き合う』ことを先延ばしにしているのは、わたしもそう生きているなと思いました。 準備して置かなければ、いざその時にやってしま...続きを読むうかもしれない…それは、特に先輩の文豪たちをみてきた小説家の心に深く残ったことでしょう。 狐狸庵先生はクリスチャンですが、仏教にも造詣が深くて、キリスト教至高!みたいなところが好き。 しかし、キリスト教の「運命は神に委ね、罪は神に判断してもらい、人はそれを粛々と受け入れる」というのは相容れないです。 八百万の神みたいに、人間のことなんて考えていない高次元の存在…のほうがしっくりくる。 神が人間を理解して、合わせたり助けたりしてくれるなんて…神は誰も理解しない・理解されない存在なのです(過激派) 長崎の、遠藤周作文学館で買いました。 100周年記念カバーをもらったので付けています。
またかけがえのない人が亡くなったときこれを読みたいです。仮にある人がまだこの世界にいても、いつか亡くなったときのことを想像するだけで今いる時間を大切にしようと思えます。
「死」に対して様々な角度から、カトリック教徒としての遠藤周作の私見が書かれている。最初の方は、遠藤周作があの時代に力を注いでいたホスピスの様な医療の普及について書かれていた。たった30年ほどしか経っていないのに、ホスピスもたくさんあるし、癌の告知も当然のようにされる世の中に変化していることに驚いた。...続きを読むこのあたりの文は、時代が少しばかり違うので、あまり共感する部分はなかったけれども、後半の宗教的(哲学的)な考え方には共感し、彼の考える「救い」の広さに感動した。遠藤周作のキリスト教との向き合い方がよくわかった。
氏は、60歳を過ぎて死について考えないのは、怠慢か、鈍感な人であって、決して褒めるべきことではありませんよ、と話したといいます。 昔であれば、60歳なんて、バタバタと死んでいく人がいたものです。 死を身近なものとして捉えるにあたり、本書はまさに適切な一冊と言えるでしょう。
「死について考える」なんていうタイトルなので、死ぬことを哲学するような内容の本かと思うけれど、 それよりは少し肩の力の抜けた、老年を迎えた作者が死や歳を取ることについて思うことを書いたエッセイである。 カトリック信者の著者による本なのでところどころキリスト教について触れているところがあり、そうは...続きを読む言えども日本人でもあるわけなので、西洋と日本の死生観の違い、その辺を本人の中でどう折り合いをつけているのかなどが面白い。 どちらかと言えばキリスト教から見た死と、日本人にとっての死との共通点を見出そうとしている感じである。ただ、カトリックと日本古来の信仰とは比較的近く、仏教(主に禅)はやや離れていると言っているように感じた。 30年以上前の本だけれど、言っていることはほぼ現代にも当てはまる(「老害」という言葉が既に出ている!)。(信仰上の立ち位置等も含め)じゃあ自分はどう考えるか?を意識してこそ意味のある本。
遠藤周作は昔の人だから、仏教的な考えで死に向き合ってると思ってたら、まさかのキリスト教 死というのは、たぶん、海みたいなものだろうな 入っていくときはつめたいが、いったん中に入ってしまうと…
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遠藤周作
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