遠藤周作のレビュー一覧
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ネタバレ人は、信仰を持たないと罪の意識も持てないのだろうか。
信仰の有無とは違う、という感覚は覚えるけれど、それならばどうやって裁きを受け入れるのだろう。反省して罪を償おうと思えるのだろう。
“信仰”で捉えるのも二元論的なのかなぁ。
無理…と押し潰されてしまう勝呂も、良心の呵責を期待して果たせなかった戸田も、両方とも読んでいる自分から距離はありませんでした。
上田看護婦すら、わからなくもない…という存在。
特にこの3人の心情がひしひしと生々しく伝わってきます。
そして、終わらない空襲と敗戦の予感の、疲労と諦念があれば、わたしも容易に傾いていきそうという怖さがあります。
加えて、F県在住なので、移転 -
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「革命」という言葉の持つ高揚感や疼きを、じゃあ実際どうなのって史実ベースで語ると常軌を逸している。身体の奥底から湧き上がる、滾ってくる激情が、正義だの平等だの権利だのお題目を無視て破壊衝動のみを連れてくる。理性的な生き物がただの獣に戻る。「民衆」という、数のみが頼みの存在は、しかし一度でもその武器を振るうと、制御が効かなくなり暴徒と化す。
エネルギー。それはしかしもしかすると、今の時代に求められている力なのかもしれない。
マリー・アントワネットが悲しいだとかというよりも、フランス革命がいかにありえないことだったのかが伝わってきた。
「ありえない」なんて事はありえない -
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遠藤周作が語る、宗教とは、神とは、信仰とは、の話し。
いちおう対談形式になってはいるが、質問者の質問はほとんど意味をなしておらず、雑で安易な質問ばかりしている印象でした。(架空の対談かもしれないが)
おそらく初心者や無神論者に対する配慮として、簡単で専門的ではない質問にしているのだと思いますが、もう少し質の高い質問や議論があっても良かったかなと思いました。
ただ、序盤は世俗的で浅めの思想で始まりますが、中盤から終盤にかけて少しずつ深くなっていく思考の流れが良かったです。
本人も言っているとおり、2世信者として、意味もあまりわからずに幼少期に受洗しているので、西洋人に近い、生活に根付いた信 -
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この本を読んで安心した。
「超然」。キリスト教に限らず、宗教やスピリチュアル的なものに感じること。理解を阻むもの、受け入れがたい何かがある。理解を超えてしまっている。理解しようと努めるというよりも、そういうものであるというふうに落とし込む方がいいのかもしれない。この本を読む前まではそう思っていた。
遠藤周作の描くイエスを読む。そうしたイメージからは程遠い悩む一人の人間がそこにはいた。人々から期待され、担がれても、自分という存在以上になれないと悩む一人の人間であった。
弟子たちだってそうだ。一枚岩では決してない。今自分が信じているこのイエスを信じなくなることで、自分を自分たらしめている拠り -
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九州で凄惨な事件が起きた。
米兵を生きたまま解剖した、という事件が。
九州の大学病院で学ぶ主人公、勝呂と同僚の戸田は病院内の政治が活発化するのを横目に日々を過ごしていた。毎日戦闘機が飛び回り人々が命を落としていく中、2人は生きたままの米兵を解剖してみないか、という誘いに乗ることになる。
初めて遠藤周作作品を読んでみました。本当に練り込まれた作品でした。中でも感情移入を強くしたキャラクターは勝呂の友人、戸田でした。悪事をしても罪悪感がそれほど湧かず、一番恐ろしいと感じるのはそのことによる社会的な制裁というキャラクター。どこか自分と重なる部分があります。米兵の殺害の片棒を担いでしまったことに強 -
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遠藤周作の最晩年の作品らしい。ブックオクで目に留まり購入。情報無しになにげに読み始めたら止まらなかった。こちらは一気読み。
インド観光ツアーに参加する人々の過去や事情から、生きる意味、神を信じるとは?転生などの深いテーマが描かれる。
後半には混沌としたインドの空気が文字から溢れ、目の前に紅茶色の荘厳なガンジス河の風景が広がってくるから圧巻である。
聖なる大河に安らぎを求めて集まるヒンズー教徒達。心と身体を洗い清める者、死して流されるために河を目指して歩み続ける老人。遺体や遺灰を流す横で同時に沐浴が行われる。生と死に境目は無く、祈りが存在するのみ。
キリスト教もヒンズー教も仏教も境目は無い。全 -
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人は死を前にしたとき何を思い、どう行動するか。本書は常に死の雰囲気をまといながら生きる人たちを描いている。彼らが行き着いたのはインドのガンジス川。生と死、聖なるものと汚れたもの、貧富、全てが混ざり合って存在するガンジス川。今まさに死に絶えようとしている人が目指す川。その光景をみた人たちは生きる意味を見つける。
ガンジス川の情景を読み、人は無力だなと感じた。死に絶えようとしている人にできることは寄り添うことだけ。飢えをしのごうと必死で手を伸ばしてくる子供達にしてあげられることはない。その無力感を思うと、人の神なるものへの信仰心が生まれるのかもしれない。