遠藤周作のレビュー一覧
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<バカじゃない…バカじゃない。あの人はおバカさんなんだわ。
素直に他人を愛し、素直にどんな人をも信じ、だまされても、裏切られてもその信頼や愛情の灯をまもり続けて行く人は、今の世の中ではバカに見えるかもしれぬ。
だが彼はバカではない…おバカさんなのだ。自分に人生のともした小さな灯をいつまでもたやすまいとするおバカさんなのだ。P289〜抜粋>
隆盛のペンフレンドは、ナポレオンの子孫だというガストン・ボナパルト。
突然日本に来るという知らせが来た。
隆盛と母の志津、妹の巴絵は慌てて準備する。初めて見るフランス人、しかもあのナポレオンの子孫!
しかし現れたのは背が高くて馬面で、汚れた服で貧乏旅行を -
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非常に面白い作品でした。遠藤周作作品にしてはかなり読みやすいらしいです。僕は海と毒薬しか読んだことないのでよく分かりませんが…。遠藤周作は純文学作品の著者として高い評価を得ていますが(沈黙、海と毒薬など)、本作品はそれらに比べて通俗的な、所謂、大衆文学的な要素が多く含まれています。
物語は、一人の男と二人の女で構成されています。
貧乏大学生の主人公吉岡は、日頃の鬱憤と溜まりに溜まった性欲を晴らすために、たまたま知り合った田舎娘のミツと関係を持ちます。田舎臭く、容姿も悪かったミツを吉岡はゴミのように棄て連絡を断ちます。大学卒業後、吉岡は就職し職場で知り合った社長の娘と結婚。ミツは吉川への想 -
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ネタバレ凄まじい名著。
イエスの死、ヤコブ・パウロ・ペテロの死、ユダヤ戦争の災禍ー。繰り返される「神の沈黙」と「神の不再度降臨」に対する思考と信仰。そしてそれらを途切れさすことのない、イエスの中にあった「何か」(筆者はXという)。
どのようにキリスト教が立ち上がってきたのかを、人間的リアリティを持って味わうことのできる一冊。
キリスト教理解のはじめにこの本を読むと、凄まじくとっつきやすいが、小説家・遠藤の視点がかなり内在化しそうな気もする。
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- イエスの死後...
- 原始キリスト教団の誕生
- 12使徒たち中心に
- 師の本物の愛と、師への裏切りの痛み
- 「イエスの死の意味は何 -
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人間イエスの姿が、リアリティを持って迫ってくる一冊。久しぶりに素晴らしい良書に出会った。
従来のユダヤ教主流派の神は、裁き、怒り、罰する神であった。だが、そのような神は、貧しく、弱い民衆を救うことはできない。
一介の大工の巡回労働者として生活してきてイエスは、庶民や、特に弱者や、差別され、虐げられた者たちの姿を、つぶさに見ていた。
人間にとって一番苦しいのは、病や貧しさでは無く、そこからくる孤独と絶望にある。
そしてそれを救うのは、神の罰では無く、愛である。イエスはこう考えた。
「神の愛をどのように証明し、知らせるか。」
イエスは、このテーマに、生涯取り組むことになる。
ただ、これ -
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イエスの死後、原始キリスト教団の歩みを追い、イエスがいかにキリストに高められていったのかを辿る。イエスの架刑、ステファノの受難、ペトロやポーロ、ヤコブの死、ローマ軍によるエルサレムの蹂躙。これら幾多場面において突きつけられた「神の沈黙」、「キリストの不再臨」。わずかの期間に起きたこれら壮絶な出来事を経てもなお絶望しなかった原始キリスト教団の人たちは、愛のみに生きたイエスを忘れることができない。その意味でイエスはキリストとなり彼等ひとりひとりに再臨したのでは、と結んでいる。著者は「人間が続くかぎり、永遠の同伴者が求められる」と記しているが、宗教の本質を端的に指摘しておられると思い、感嘆する。
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転ぶ。
信仰とは何か?、ということすら、生きる上で全く考えることのない、無意味なくらいの、そんな侍の社会。
その社会で大切なのは、ただただ忠誠であり信仰とは似て非なるモノ。
その時代の人達が。
何故ヨーロッパに行くのか?
キリスト教が介在したのは何故?
危険を冒す理由があったのか?
という事は、史実でも、まさに本文中でも、たっぷり書かれている。
個人的に唸ったのは。
商売の利と信仰を天秤に計る人の心理
忠誠を示す為に信仰を選ぶ心のさざ波
司祭同士の出世争いの場にされた日本
功名心を信仰心で巧みに隠してく醜さ
棄教を前提に自分自身を欺くその描写
日本に戻った侍の心の描写が、その答えだ -
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ヨーロッパなどの先行研究に触れながら、著者自身のイエス像を客観的な筆致で描く。
受難物語では奇跡をみせずに、自らが架けられる十字架を自ら背負い、ゴルゴタの処刑場に向かったイエス。著者は、聖書はイエスの無力を積極的に肯定しながら、無力の意味を我々に問うていると指摘する。また、彼の生涯は愛に生きるだけという単純さをもち、愛だけに生きたゆえに、弟子たちの眼には無力な者とうつった、だがその無力の背後に何がかくされているかを彼らが幕をあげて覗くためにはその死が必要だったのである、とも指摘している。
その答え、残念ながら今の自分には確たるものがない。 -
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ネタバレ遠藤周作らしいいろんなテーマがあった。
神の沈黙が、今回は「殺すなかれ」と教えながら戦争を黙認する教会の沈黙や、「神なんていない」という救いのないアウシュビッツに変奏していた。
神は直接の救いをもたらすわけではないが、修平の渾身の疑問を正面から受け止めて苦しげに分からないという高木牧師や、アウシュビッツに共に収容されていながら、いつもあなたのために祈っていると語るコルベ神父を通して、神の沈黙は沈黙ではないと語られている気がする。つまり、直接目に見える解決はしなくとも、苦しむ人ともに苦しむ愛なる神、のように。神のみならず人間も、他者の苦しみを前に無力だ。サチ子も修平の苦悩を前にマリア像に祈るしか