遠藤周作のレビュー一覧
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装丁が美しいですね。本書に収められている同名の短編の中に出てくる大教会の写真だそう。
どの短編も時代をあまり感じないです。自分は、と言うことですが。
女優のはなしや、別の短編に出てくる女性の言葉使いなど今日的ではない箇所がたくさんあるのでその意味では古い時代の話なのですが、描こうとするものの有り様が当時と今とでもさほどに違いはない、五十年経っても人間の心の中にあるものにそう差異はないということなのかもしれません。
そして自然描写や建物の描写の端的で分かりやすいこと。遠藤先生の文を没後25年経ってまたこのように読めることの有りがたさをつくづく感じました。
佐藤愛子先生のことは他でも書かれていていましたが、初恋の人の話は胸をつかれました。
留学中の体の不調や孤独感と共に綴られた異国での話も、これまで様々読んできましたがやはり染みました。どの短編も遠藤エッセンスとでも呼びたくなるような先生独自の味わいが出ており、遠藤文学を読み続けていた自分の若い頃のことも思い出しました。
この本を出してくださった文学館関係者、出版社の方々、その他の関係者の皆様に感謝です。 -
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「死」というテーマについての短いエッセイがたくさん。「死」は誰も知らない経験。希に臨死体験者はいるが。でもすべての人に平等に訪れるもの。それについて話されることというのは、人間性というか人生観が滲み出てくる感じがする。そう、なんというか、じわじわと伝わってくる。「ああ、そうなんですね」ではない。じわじわとしたのが自分の中のなにかに触れて、ああ、こういうことかという言葉以上の受け取りが出てくるような気がする。
”じたばたして死ぬことを肯定してくれるものが宗教にはあると思うからです。”
たしかにそうなのかもしれない。死ぬことを考えないでもない。でも本当にその可能性があるときとないときでは向き合い方が絶対違うと思う。今は、「じたばたしない」と思っている自分がいる。どこかにいるじゃなくて、わりと大きな顔をして自分の中に座っている。
遠藤氏の書かれるなかで、自分があまり得意ではない「倶会一処」に似たことが、病により死を待つしかない人の慰めになると書いてあるところがあった。先に亡くなった祖父母、父母にあえるというようなことが。遠藤氏の文章から思ったのは、それは家族がいて、それにすべて安心して頼り切っていた幸せな時を思い出すことなのかなと思った。実際には会うという歓びよりも、その人と過ごしたときを今自分の体感として思い出して、なにかに身をゆだねるということなのかなと今までとは違ったことを思った。そうやって、死を迎える瞬間を乗り越えるのかと。
じわじわ感じること。彼の文章には苦しみには必ず孤独があるということが通底している。これは本当にそうだ。仏教もキリスト教も関係ないのだろう。人間の苦しみはそこにある。どんなに近くにいても、わからない。
宗教観。遠藤氏は、山に例えてどの道を通るかわからないが、宗教の行き着くところは同じかもしれないとおっしゃっていたが、ここは自分は違うような気がした。だってそれも誰も確かめようがないじゃないか。どこまでも自分が納得出来ないとだめな自分を再確認した。
とても親近感が湧くというか、近くでお話をしてもらっているような本。宗教に関係なく、一度手に取って読んでみるといいと思う。自分が避けて考えていることをまっすぐに書かれるともう聞くしかないから。 -
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ネタバレ遠藤周作の選集「人生には何ひとつ無駄なものはない」の中で度々この本の内容が引用されていて、とても惹かれる内容だったのでこの本を先に読んでしまいました。
読んでいる最中から、出会えてよかったと思えるほどの珠玉の言葉の数々。
45年も前に書かれた本なので、現代の価値観とは少し相容れないような表現もありましたが
クスッと笑えるような話も交えつつ、真摯に男女の愛の本質に近づいていく。
解説で述べられていた
「追いつめることは、たぶん子どものすることなのだ」という言葉のように、著者は追いつめることはせず
人間を見つめている。
「君の孤独は孤独のためにあるのではなく、孤独から抜け出て信頼のためにあるのだ。」
こんなことを言ってくれる人がいるのか...
この言葉に出会えてよかった。
「不完全だからこそ意味がある」という逆説的な表現に、希望を感じました。
この本に出会えてよかった。
これからも大事にしていきたい本です。 -
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遠藤周作は小説を読んできた。
エッセイが小説ではない文章がこんなにも心地良いとは思わなかった。
遠藤さんの小説は独特の表現と展開する風景がゾクゾクとする。小説の楽しみの真髄たるものがあるが、こちらのようなエッセイでは違う角度から教えて下さることばかりだ。
これはこう思わないかな?こうしてみると良いよ。
こんな事があったよ。こう感じたんだよ。
この人のこれが好きなんだ。
人の感想や意見なんて読んでも面白くない、そう思っていた私は幼かった…
感想でも意見でも、書き手の伝え方によっては本当に心に染みて、もっと知りたいと思ったり、血肉になっていくと実感した。
著者のキリスト教との関わり、キリスト教を知っているから故の仏教との違いも、嫌な感じがしないのは遠藤周作の言葉だからなんだと思う。 -
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怖がりで幽霊を信じていなくてちょっとシタゴコロのある遠藤周作が、「周作恐怖譚」という連載のため実地取材した怪談集。…となっているけれど、一部以外はドキュメンタリー風の怪談小説であって、完全実体験ではないってことでいいんですよね。
幽霊を信じていない遠藤周作本人が体験した三つの不思議な話。ルーアンの宿屋で感じた重苦しさと生臭さ、誰もいないはずのリヨンの学生寮に出入りする足音、そして熱海の宿で見たのは亡霊なのか?
三つ目の熱海の経験というのは作家の三浦朱門とともに泊まった宿での出来事であり、三浦朱門も別のエッセイで書いている。高名作家が同時に体験した怪奇現象(?)というのは珍しいようだ。 /『三つの幽霊』
顔反面のびっしりとした赤い痣。それは痣ではなく蜘蛛の卵だという。…ぐええええ(´д`)
前半にちょっと書かれた、病院でご遺体の手が、自分の手を求めるように動いたというエピソードも怖かった。 /『蜘蛛』
古道具屋で買ったカメラで撮った自分の顔に浮かび上がる奇妙な黒痣。 /『黒痣』
最初の話で語られた熱海の宿に改めて取材にいった、というお話。ちょっととぼけた感じ。ラストは、いたのかいなかったのか。 /『私は見た』
十年前の不審死事件を取材に行った記者は、被害者そっくりの男を見る。 /『月光の男』
妻に対して安心しきっている夫。だが二人の妻の話をしよう。リヨンで、恋人に夢中になったために子供を殺すシングルマザーの話。
もう一つは身近に日本の話。結婚した男は暴力夫になった。ある日赤ん坊は夫にそっくりだと気がついて。…いやああああこれは止めて(;´Д`)、本当に実話なの!? /『あなたの妻も』
怪談は、夏の良き物語だということもある。それを崩してよかったのか。 /『時計は十二時にとまる』
開けてはいけないといわれた部屋には、硝子瓶に浮かぶ人の目玉のようなものが。そしてその部屋で行われる賭けを覗き見してしまって。
==これはラストの言葉を信じていいんだよね。それにしてもたちが悪いけど。 /『針』
自分がベテラン兵としていじめた初年兵に再会した男。
==怖い思いをしたけど、まあ自業自得。 /『初年兵』
ジプシー女と結婚の約束をしたが、すっぽかした男に現れたのは呪いか。 /『ジプシーの呪』
気の弱い男。子供が病気でも、後輩に強請られれば金を貸してしまい取り立てることもできない。そんな男の前に現れたのは、過去の罪を思い出させる男だった。
==過去の罪はともかく、現在の相手に対してはさすがに気弱すぎ。 /『鉛色の朝』
予知夢を見るようになった女。夫は真面目だが締め付けが激しく人生に輝きも見えない。そして夫が自分を殺す夢を見るようになる。 /『霧の中の声』
明るい女学生の書いた文学作品は、かつて文壇から干されてすでに死んだ作家のものと酷似していた。死にながら作品だけ生かせるためにはどうすればよいのだろう。 /『生きていた死者』
オバケの扮装をした店員たちがお客を楽しませる酒場で、ドラキュラに扮した店員が近づいた客が倒れるようになる。本当にドラキュラなのか。
==まあこれはオチが、それはそれで酷いやつだなと。 /『蘇ったドラキュラ』
T大生だと嘘をついた青年は、黙っていてやるから学生運動家リーダーのふりをしろと脅迫される。
==追い詰められた人間の心理。本人はある意味スッキリしたのか? /『ニセ学生』 -
購入済み
疎外。自分を信じられるか?
美津子は恋愛遊戯から一転
妻の座に就くが、夫と合わない。
看護婦の自分も本心に思えない。
人には善悪両方があるのか。
ヒンズー教の女神の二面性が
それを肯定する。また、
病に苦しみつつ乳を与える神もいる。
弱虫の神学生大津は、誘惑され、
胸だけを許された後、捨てられる。
拠り所のキリスト教からも、
多神教的思考を否定される。
だが、異端でも、その後の彼の
行動は、むしろキリスト的だ。
美津子も大津も、疎外されるが、
自分を信じられたらよいか?
精神的危機を乗り越えたトルストイ
は破門されても強かった。
捨てるのが男なのが『復活』か。
恋愛遊戯が、結局治らないのが
『シンセミア』の田宮和歌子だ。 -
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遠藤氏の本を幾つか読んだが、私はその度「神とはなにか?」を考えさせられた。遠藤氏が書く本に現れる神は、所謂神頼みされる神、何かを授けてくれる神、奇跡を与える神ではなく、残酷で、冷酷で、何もしない神だと感じたからである。普段生きていて、神を思う時、それは何かを望む時であったり、なにか幸福に恵まれた時であったりするのが私だった。だからこそ余計に、遠藤氏の作品で現れる神は、どんな信念のもとにその姿をしているのかを知りたかった。この本を読むことで、それがほんの少しわかった気がし、同時にイエスという人に対して遠藤氏がどう考えているのか、イエスの像についてもほんの少し触れられた気がした。この本を読んですぐにはわからなかったが、じっくり自分の中で咀嚼し、反芻する内、ふと、あらゆる苦しさや悲しさや辛さを背負うことを選んだイエスと、そのイエスにずっと無言で付き伴った神の姿とその意味が心に浮かんできた。神は常にどんな時も其処に在る、その救いの意味が少しわかった気がした。私の理解はとてつもなく浅く、議論するに足りないものだろうが、そういうことを少しでも考えられるきっかけができたことは、私にとって大きかったと思う。
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めちゃくちゃ良かった。高野山に行ってから、信仰や宗教というものの"実態"とはなにかを知りたいと思っていた。しかし「仏教とは」とか「わかりやすいキリスト教」といった本はなんだか表面的でしっくりこない。
やはり実体験を伴った個人の思想や解釈、その欠片を集めたものが宗教というモザイク画になっていくのだろう。宗教や信仰というものは、思っている以上に曖昧で融通の効くものらしい。
本書はキリスト教の立場から見ているが、仏教との比較もあるし、キリスト教のここはちょっと嫌みたいな意見があけすけに聞ける。
宗教に対しての意識が変わる一冊。「沈黙」と同時に読み始めたがおもしろくてこちらが先におわってしまった。