遠藤周作のレビュー一覧
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ネタバレキリスト教信仰と、被曝地となった長崎、そしてアウシュビッツ。
第二次世界大戦の被害がとりわけ大きかったこの二つの土地が描かれている。
けれどこの作品は、戦争そのものを描いた小説ではなく、
タイトルの通り「女の一生」――
サチ子という一人の女性の生き様を描いた物語だったのだと、読み終えて強く感じた。
修平にとってキリスト教は、ただでさえ制約の多い戦時中において、さらに重たい枷となっていた。
教会でも「いたずら」をしてしまうような悪ガキだった修平にとってもやっぱりキリスト教の教えは心の指針だったのに、戦争によってそれが壊されていく...
その中で抱え続けた葛藤は計り知れず、同時に彼のまっすぐな -
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ガストンが『深い河』にも登場していて驚いた。
調べてみると、ガストンのモデルは、遠藤周作がフランス留学中にお世話になった神父だという。
また作中では、ガストンがキリストを象徴する存在として描かれていることもうかがえる。
人生は辛く、悲しいものというのがテーマ。
正義と悪だけで単純に割り切れるものではなく、それぞれに深い背景や過去がある。
ガストンはキリストのように、人と共に悲しむ存在であり、その姿勢は『沈黙』と通じる思想だと感じた。
作中の神父は信じた者だけが救われると語るが、ガストンと勝呂の関わりを見ていると、必ずしもそうではないように思える。
神を信じていない勝呂に対しても、ガストンは -
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ネタバレこんなに悲しい悲劇的な小説もないというほど悲しいが、文句のつけようのない面白さだった。
イエスという未知の大きな存在、それらに惑わされ翻弄される人々、想像もしていなかった世界に対する戸惑い、これらが全て余す事なく表現されており、続きが気になって仕方なかった。風景や船旅の描写もとても素晴らしく、どれだけ過酷で残酷であったのかが分かりやすく伝わった。大袈裟な表現は一切ない。あれが現実なんだと心から納得させられる、だからこそ辛い感情もたくさんあった。
この作品の登場人物達に何か共感する事などとてもおこがましく感じる。日本とは狭く小さな国だと自分たちが言うのと、当時の侍が言うのでは重みが違う。
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あくまでユダヤ教の一派、それも異端派として十字架にかけられたイエスはもういない。存命中に関わった人間と、人間としては関わりが無く信仰の対象として伝えられた人間とが発生する。見聞きしたか、聞いたかで神格化の度合いは異なってくる。発生発展展開の時代がやってきた。
キリスト教がヨーロッパを席巻した後にも、宗派の違いで異端にされたり、火刑にされたり、戦争になったりってあったよなというのを踏まえると、人それぞれがキリスト教の中から信じたいエッセンスだけ抽出して、形作って固めて唯一無二にするみたいなことになるんだなって、解釈の違いってやつ?
最初期にも解釈違いが起こってた上に、"総本山&qu -
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名作。
胸が熱くなり、最後は涙が出そうだった。
死を迎えるためにガンジス河へ向かう、貧しく苦悩に満ちたヒンドゥー教徒たち。
ガンジス河は人生を、罪を、そして死を流していく場所で、生と死がそこで交わる。
全てを優しく包み込む深い河。愛に満ちた河。
本書にはキリスト教、ヒンドゥー教、仏教が登場するが、特に大津の思想が強く印象に残った。
神は多面的であり、どの宗教にも存在すると語る彼は、周囲から異教徒とみなされてしまう。
宗教の違いで争いが起こるこの世の中で、私は無宗教だからかもしれないが、大津のような考え方があってもいいのではないかと思った。
人生で一度は、聖なるガンジス河、そして飢えと病苦と -
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西洋(キリスト教)の「永遠」の感覚と日本(仏教)の「無常感」の対比が面白かった。
キリスト教では罪を犯しても神に懺悔して赦しを乞えば救われる、死=永遠の命への入り口っていう考え方。
対して日本では抗えない運命への静観、移ろい衰えていくものへの諦めに近い無常感が根底にある。
根本的な感覚がこんなにも違うのに、日本でクリスマスとか祝われてるのが陳腐に思えてくる。
あと日本人キリスト教徒はこの辺りの感覚の違いをどう対処しながら自分をキリスト教徒たらしめているんだろう。機会があれば当事者に聞いてみたい。
以下、読んでいて感じた疑問とchatGPTの回答
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名作だった。
戦時中、捕虜となった白人を生体解剖するという、倫理的問題を真正面から描いた作品。
実際の事件を基にしている。
どうせ死ぬ命なら、実験で多くの人の役に立てるほうが良いとして行われた行為に対し、勝呂医師は深い葛藤を抱く。
一方、戸田医師は自分には心がないのかと良心の呵責を求めて実験に参加するが、恐怖も罪悪感も湧かない自分に気づき、諦めにも似た無感情な境地に至る。
時代背景や環境の影響が、人の倫理観をどれほど左右するのかを考えさせられる。
著者の遠藤周作はクリスチャンであり、キリスト教には明確な倫理規範があるが、日本人にはそうした指針が乏しいため、流されやすいのではないかと彼は考えて