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米兵捕虜の生体解剖事件で戦犯となった過去を持つ中年の開業医と、正義の旗印をかかげて彼を追いつめる若い新聞記者。表と裏のまったく違うエセ文化人や、無気力なぐうたら学生。そして、愛することしか知らない無類のお人好しガストン……華やかな大都会、東京新宿で人々は輪舞のようにからみ合う。――人間の弱さと悲しみを見つめ、荒涼とした現代に優しく生きるとは何かを問う。
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Posted by ブクログ
重くて深みが凄く、後々まで考えてしまいそうな小説だった。 春に読んだ「海と毒薬」の続編で、事件の30年後が描かれている。 正義って何だろう?と改めて考えた。 善と悪ってすっぱり二つに割り切れるものではなく、両方つながっていて、当然グレーゾーンというものもあって、人は立たされた立場やその時の世情によ...続きを読むって、簡単にその善と悪を行き来するような生き物なのだと思う。 「海と毒薬」は戦時中の物語で、この小説は戦後の物語。米兵捕虜の生体解剖事件の戦犯となった勝呂医師は刑期を終えて新宿で開業医をしているが、彼にはその過去から来る陰鬱な影が常につきまとっている。 戦時中の倫理観の狂いから起きた事件が、戦後の彼を苦しめ続ける。 深い事情や彼の心理を知らない者たちは、その事件の表面だけを見て彼を糾弾する。若い新聞記者である折戸も。 折戸の正義感は、きっとその時代の倫理観からすると正しい見方なのだろうけど、善と悪はすっぱり二つに割り切れると信じている青さが、人生経験の少なさと若さを象徴しているのだと思う。 人の奥深い心理を無視しすぎている直球な言葉は、色んな人を傷つけてしまう刃になりかねない。 私もどちらかというと直球なタイプで、もう少し若い時は今よりも善と悪の感覚が違っていたように思う。それこそ折戸のように、グレーゾーンなんて認めない、悪いものは悪い、というような感じで。 でも人間ってそんな簡単には分けられないし、何かに流されて悪い方に行ってしまうこともある。 そのこと自体は悪だとしても、過ぎ去ったあとその事柄をどんな風に受け止めて生きていくか。 人の悪さを糾弾するのは簡単だけど、そもそも人が人を裁くなんて出来ないのではないか?って。 遠藤周作さんはキリスト教を主題にした作品を多数残されているそうで、この小説にもその要素は垣間見える。 人を裁くことは神にしか出来ない(神が存在するとして)。 この小説のある意味主役とも言えるフランス人のガストンは、無償の愛を他人に注げる嘘みたいにお人好しな人間で、彼の存在はイエス・キリストのメタファーになっていることが分かる。 人のために喜んだり泣いたりすることがガストンにとっての幸せで、針のむしろ状態の勝呂医師の側に常に彼がいたことは、勝呂医師にとって大きな救いになったように思う。 そして、人の死をコントロールするという罪悪についても描かれている。 法律上安楽死は許されないのに、妊娠中絶は許されているという事実を、改めて考えさせられる。 両方とも、その本人が望むのだとしたら?どうして妊娠中絶は良くて安楽死は駄目なのか? そしてそれに手をかけた医師は、再び深く苦悩することになる。 とても悲しい物語だった。 まさに悲しみの歌が、物語中にずっと流れているような。 倫理的には悪者である勝呂医師と、その対比として登場するたくさんの人物たち。読者にとってどちらがより悪いか、憎々しく映るか。 人の噂や単純すぎる倫理観で人を見てしまうことは現実にも山ほどある。だからこそそういうものだけに惑わされないで、自分の目で見て感じる力を身につけたい。そんなことを思った。
暗い小説です。 太平洋戦争末期に九州医大で行われた捕虜の生体解剖実験を元にした『海と毒薬』の実質的な続編である本作。 その前作も暗い小説でしたが、その「暗さ」のイメージが異なるように感じます。 例えるならば、『海と毒薬』は夕闇のような限りなく闇に近い暗さ、『悲しみの歌』はどんよりとした曇り空でその...続きを読む上霧雨の降るような薄暗さ、という感じでしょうか。 その「暗さ」の違いは、それぞれの作品で遠藤周作が書きたかったもののオマージュとなっています。 『海と毒薬』では戦争末期の絶望的な状況の中で起きた非人道的な実験への倫理的な問いかけ、そして『悲しみの歌』では勝呂の抱える罪の意識と悲しみ。 この違いが、私が両者の「暗さ」の違いとして感じた正体であるように思います。 …とかなんとか書いてるうちにだんだん何言ってるか自分でもよく分からなくなってきました。 とにかく暗いですが面白い小説だったことは間違いありません。乱文終わり。
この世は「悲しみ」でできている。本書を読み終えてまず思った感想は、こうだ。本書は複数の文学賞を受賞し、映画化もされた著名な『海と毒薬』の続篇にあたり、同作に登場した勝呂医師がふたたび登場する。『海と毒薬』の内容をもう1度おさらいしておくと、第2次世界大戦の末期、九州帝國大學において、捕虜になった米兵...続きを読むが、生きたまま解剖された史実をもとにした小説で、戦時中とはいえもちろんそんな行為は立派な犯罪である。ひるがえって本作の勝呂も、刑期を終えたことが物語中に描かれており、生体解剖がちゃんと断罪されたことがわかる。しかし、ほんとうに勝呂医師だけが悪かったのだろうか。あるいは、ほんとうに断罪されるべきであったのだろうか。むろん、行為じたいが褒められるべきではなく、むしろ責められるべき性質をもつことはわかる。しかし、いちいちネタバレをするほどのことでもないので詳述は避けるが、勝呂医師の「最期」をみるに、この断罪によってはたして救われた人はいるだろうか。言いようのない「悲しみ」を増幅させただけではないか。勝呂医師は現在は新宿で開業医をしていて、やがて新聞記者に過去のことを嗅ぎつけられ、断罪される。しかしその新聞記者もまた、真実を追求するいっぽうで、互いに惹かれあってたはずの恋人からは別れを切り出されてしまう。正義とはなにか。これもまた、悲しみの一種なのではないか。べつの記者である野口のセリフの端端には、こういった無力感のようなものも垣間見える。そして、勝呂医師のまわりに集まる患者や、その見舞客たち。それぞれがさまざまな事情を抱えていて、とても幸福そうには見えない。生きることの本質は、悲しみではないであろうか。末期癌の患者は、やがて勝呂医師に「安楽死」させられる。しかし、それこそがほんとうの救いなのではないか。生きるとは。死ぬとは。幸福とは。悲しみとは。この行為ひとつとってみても、世の中がそう単純には割り切れないことだらけであると知る。著者はキリスト教の熱心な信者であることで有名で、本作の作中にも聖書の一節が引用されている。しかし、著者はそのキリスト教の救済に対してさえも、なにか本質的な疑問を感じているように思える。救済とはいったいなんなのか。あまりにも重すぎるテーマばかりで考え込んでしまうが、それだけに読む価値はじゅうぶんすぎるほどある。
登場人物が、あちこちで関係を持つのがフィクションならではだが、勝呂医師には共感できる。勝呂を糾弾する記者折戸に対する同僚野口の言葉。「絶対的な正義なんてこの社会にないということさ。戦争と戦後のおかげで、ぼくたちは、どんな正しい考えも、限界を超えると悪になることを、たっぷり知らされたじゃないか。君があ...続きを読むの記事を書く。それは君にとって正しいかもしれない。しかし、君はそのためにあの医者がこの新宿の人々からどんな眼で今後、見られるか考えたかい」折戸や常に世間体を気にする矢野教授のような人は、悲しいかな、この社会には多い。2015.5.6
海と毒薬の後日端らしい。売ろうかと思ったが思いとどまり、読み出して止まらなくなった良作。落ち着いたときに、もういちど読み返してみたいものだと思う。
海と毒薬の続編。 生きることの悲しみや苦しみ、正論は人を追い詰め苦しめる。 登場人物は多いけど、とてもわかりやすく描かれており、文章から情景が見える作品。
人が人を裁く資格なんてない。40年経った今も、当然それは変わらない。 追い求める正義は、果たして誰にとっても正義なのか。自分がその立場に立った時、絶対に起こらないと断言できるのか。 生きることに付随する悲しみが、あまりに多すぎる。もう苦しまなくていい、もう辛いことはない。誰もが死に向かう中で、死を求...続きを読むめることが「良くない」ことだと断言ができなくなる。 人間の悲しみを知らないように振る舞う人間は、眩しい。し、暴力的だ。
大晦日に読破。良かった。もう一度読みたい。 人間はやがて死ぬ。早いか遅いか。今していることは、だからなんなん、と自問するとに戸惑うことばかり。どう生きようか。
ガストン良い奴過ぎる。勝呂医師は天国で涙を流しているんだろうか。 自分の中にも折戸がいるのかもしれない。
『海と毒薬』の続編的な位置付け。これを読むことで「海と毒薬』への理解も深まったような気がする。誰しも不安、迷い、弱さ、後悔、孤独を抱えている。一見、交わることのなさそうな登場人物たちが何かしら勝呂医院と繋がりながら交錯し、すれ違っていく。虚栄や欲望に飲み込まれていく中で、頼りなくもピュアで無償の優し...続きを読むさを持ったガストンの存在が微笑ましく救いになっているような気がする。勝呂も彼にだけは心を開こうとしていた。人を救うために医者になったのに、結局人の命を奪ってばかりいると自らを省みる勝呂。罪の意識がありながらも救いや許しを求めている訳ではない。理解されない寂しさ、悲しさ、諦めによる辛い結末。牧師や聖書の言葉に耳を傾けていたら少しは救われていたのだろうか。神を信じることで救われる部分もあれば、やっぱりそれだけで全てが解決する訳ではなくて、心のしこりのような負の感情は簡単には消せないということを表したかったのかな。80年代初頭の作品だけど描かれる人間の内面は今でも変わらない。何でもバッサリと善悪や明暗で切り分けられがちな今こそ、改めて考えされられる作品。
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