あらすじ
長崎の商家へ奉公に出てきた浦上の農家の娘キク。活発で切れながの眼の美しい少女が想いを寄せた清吉は、信仰を禁じられていた基督教の信者だった……。激動の嵐が吹きあれる幕末から明治の長崎を舞台に、切支丹弾圧の史実にそいながら、信仰のために流刑になった若者にひたむきな想いを寄せる女の短くも清らかな一生を描き、キリスト教と日本の風土とのかかわりを鋭く追求する。
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Posted by ブクログ
遠藤周作『沈黙』の初版本を半世紀前に読んで以来、遠藤周作のテーマにはずっと寄り添ってきたつもりでいたが、数年前、念願かなって、二泊三日ではあったが、長崎を訪れる機会に巡り合った時、私は、彼の地の切支丹の歴史はもちろん、「長崎」というものの本質的な姿、実体などもろもろ何も分かってはいなかったことを思い知らされた。唖然とするばかりだ。
この『女の一生』一部、キクの場合を熟読した後の今も、頭の中の混迷はますます深まるばかり。
とりあえず今、言えるのは、二部の「サチ子の場合」は、これを読んだ戦前戦中を生きた人々が物語の中に「あっ、サチ子は私自身だ」と感銘をもって共感できる典型を創造していったことだ。
そして一部は、二部と真逆で、読者である「私の場合」とは全く別人の「キクの場合」を、物語を通して追体験させてくれた。ただ物語に登場してこない数多の人々の一人ひとりの"場合"が隠されていることを強く強く感じさせてくれる。何も、隠れキリシタンだけが長崎の歴史の悲劇を、ひとり背負っていたわけではない。それはキクがキリスト教徒ではなかったことからも推察できる。
かなり言葉足らずの読後感で、誤解を招かなければと心配だ。
が、私が大好きな戯曲『マリアの首』(田中千禾夫)の終末と、この一部キクの場合の終わりごろ、聖母マリア様がキクに話しかけるシーンが、降りしきる雪のイメージとも重なってとても印象的、詩的だ。
やはり私は、未信者だが、母性的なマリア信仰にどうしても惹かれてしまうのだ。
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キクは気が強くて頑固で後先考えずに行動するタイプで、最初あまり良い印象がなかったが、“愛する者のために自分を犠牲にする強さ“に最後ウルっときた。
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数年前に読んだ時は、キクと清吉に注目していたが、今回再読して、役人伊藤に感情移入した。自分も働くようになったからか。
名作だ。このようなことが史実としてあったのか、信仰とは何なのか。
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2018.05.29再読しました。
前回この作品を読ませていただいた時は、お借りしていた本にもかかわらず、泪が止まらなくてページをぬらしてしまいました。まさに自分にとって人生の教科書になる作品だったので、今回は泣かないように再読を試みましたが…
ムリでした(TT)
浦上四番崩れ。
今からわずか145年前までこんなにも酷い事が行われてたんですね。
何回読んでもキクの美しい愛と心に感動します!
そして、「女の一生」、「沈黙」を読んだ時にも深く考えさせられる神の存在。
神は存在するのか?カタチはあるのか?と言う事。
わたくしの勝手な考えなのですが、神ってその人の人生なのではないか?と思うんです。その人がどうやって生きてきたか、によって神の存在を知る人、知らない人がいて、カタチを創る人創らない人もいて。
たぶん、その存在を信仰できる方たちはとてもステキな人生の持ち主なんだと思います。
キクもきっと人生という神様に出会えたのではないでしょうか。
決して汚れのない美しい人生だったと思います。
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強いことが全てじゃないし、弱いことは悪いことだと思わないけど、自分の弱さのせいで他人に迷惑をかけたり不幸にするならそれは反省すべき改善点でしかないと思うのです。
伊藤はそのことを知っているのに同じことを繰り返す。それは反省する自分に酔ってるだけ。弱き者はつべこべ言わずに従えばいいのです。それもまた強さだと思うんですけどね。
でも伊藤はそれも出来ない。
清吉じゃないけど最後は本当にぶん殴りたくなりました。マリア像と対話するキクが健気で可愛いらしかっただけに余計にボコボコにしてやりたい気分でした。
あたしは善人でもキリスト教徒でもないので清吉と同じ心情にはなれませんでした。最後の最後まで伊藤という人間が好きになれず、キクの一生は無駄じゃなかったという清吉にもモヤモヤしました。無駄か無駄じゃないかはキクにしか判断できないことだと思います。
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すごい衝撃受けた作品。一心にキリスト教を信じる清吉と、そんな清吉を一途に想うキク。どちらも真っ直ぐで純真で、どちらも幸せになってほしいとずっと思いながら読みました。すごく引き込まれた。幕末(江戸時代も)のキリシタンのこともあまり知らなかったので驚いた。2人以外に、伊藤のことがすごく気になって。自分の心に向き合えずコントロールできない伊藤が、歳を重ねて、清吉に会ったところがすごく印象的だった。
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一言で言うなら『凄い愛の話』。二部はパワーダウンするので読まなくて可。神を罵ることも「祈り」なのだなぁ。罵倒される日常もそう思うとちょっとラク。
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長崎を舞台に描かれる物語。
江戸の隠れキリシタンとその司教の迫害から長崎に原爆が落ちるまでが、キクとその子孫サチ子の目を通して描かれている。
途中長崎の大浦天主堂で布教活動をした後に祖国へ戻ったコルベ神父を追って、アウシュビッツも登場する。
手に汗握る。そんなレベルではない。息苦しい程に心に迫る本。
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江戸幕末から明治時代にかけての壮絶な恋の物語。キリシタン禁制の時代に信念を強く持ったひとは、絶対的な精神力の強さがあったんだろうなぁ…。
その強さが欲しい。
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遠藤周作の本を読むといつもキリスト教の惨さを思う。どんなに祈ろうと、どんなに善行を積もうと、神は報いてくれない。それでもキリスト教信者は、神を信じ神に祈る。
多神教徒なら都合のいい時に都合のいい神様に神頼みをするのに…
でもだからこそ、心に滲みるのが遠藤周作の小説である。キクのような生き方こそ神様だよね。私は伊藤だ、熊蔵だよなぁって思いました。
女の一生2部はないのかなぁ
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幕末から明治にかけての長崎において、密かに信仰を保っていたキリスト教徒が弾圧された”浦上四番崩れ”という歴史的史実を、弾圧されたキリスト教徒に思いを寄せる非キリスト教徒の女性キクを主人公に描いた遠藤周作の1982年の作品。
『沈黙』でも描かれるようなキリスト教徒への迫害の様子のおぞましさはさることながら、主人公のキクとの出会いにょり最終的に改修する迫害する側の人間の心の弱さや、明治に入り諸外国との外交関係の観点から弾圧が次第に問題視されていく様子など、様々な主題が交差する。
それにしても、若干ステレオタイプな表現もあるにせよ、遠藤周作はこうした悲劇的な女性を描かせても巧い。通俗小説ではあるが個人的に強く印象に残っている『わたしが・棄てた・女』を思い出した。
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女性の尊厳を描くことで男性の尊厳を浮かび上がらせ、総じて人間の尊厳とは何か、を考えさせる。
長崎が舞台でとても読みやすい。ただ、やはり遠藤周作は重すぎて、1冊読むと食傷してしまう。
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幕末から明治維新の時代にかけての長崎・浦上崩れ(検挙・弾圧事件)を題材にした小説。
恋い慕うキリシタン青年が流刑になり、その彼のために、死に至るまで自分の身を汚してまでも愛し抜いたキク。
神を信じているのに、なぜ不条理とも言える苦難が振りかかるのか、、、神義論的な問いを突きつける。
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「沈黙」に続く遠藤周作のキリスト教&長崎テーマの読書。
作品自体は「沈黙」のほうが素晴らしい出来のように感じたけれど、キクという女の一生を通して、信仰や愛について描かれているだけに、より感じるものは多かった。
キクの激しくも哀しい一生にはもちろん胸を打たれたんだけれど、伊藤とプチジャンの海辺での対話が圧巻。(むしろエピローグの津和野での懺悔が蛇足に感じた。勝手な感想だけど。)
神は本藤よりも伊藤を愛すると。本藤のような人に神は必要ないのだというような。
そうなのか…。本藤はすごく頑張ってるからこその成功なのにな、神様がその頑張りを見守ってくれて、幸運を与えてくれないと、割にあわなくない?なんて最初は思ったけれど、筆者の描く神はそうではないのね。救済を与えるのではなく、傍にあって苦しみをともにしてくださる。それならダメ人間ほど神に愛されるってこと?それって不公平じゃない?いやいやでも、人間は完璧じゃないんだから、本藤のような人だって弱くずるく醜い部分があるわけで、そこにおいては神がともにあって…。っていうかそもそも不公平って発想自体がおかしいような。でも…。
「沈黙」に続いて、考えれば考えるほど、神という存在の意味が、大きく変わってくる読書。
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印象的だったのは、折々のキクとマリア像との対話(?)だ。いつも真っ直ぐで飾り気のないキクの言葉は、時に微笑ましく、時に悲しく、その一途な思いは美しい。
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半年くらい前に、津和野に行きまして。
そのときたまたま立ち寄った、山奥にあるちいさな教会が、
ずっと昔、キリスト教を棄教させようと
集められた教会だという話を聞きました。
まさかそのモデルになっているとは。
この本に出てくるあの場面が、拷問のあった場所を指しているとは。
すごく衝撃的でした。
早くこの本を読むべきだった…
この本、先輩Wさんからお借りしたのですが、
そのWさんと、宗教について考えさせられる本だよね、
という話をしました。
宗教とは? 信じるとは? 愛とは?
っていうのが主要なテーマかと。
自分を信じるのってすごく大変。
そして不安も伴うし。
だけど、誰かがそばにいてくれたら、
何かが支えてくれたら、
きっと自分という人間は生きていける。
そう思わせてくれる本です。
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久しぶりに遠藤周作の本を読みました。
私が受けたとき、この本じゃないけど、遠藤周作がセンター試験の問題だったなぁ…。Z会の問題にも『海と毒薬』とかでてたなぁ…。
ともあれ、凄く面白かったです。キリスト教云々とか日本人とは、という思想的な部分はちょっと何とも言えないけれど、ストーリーが良いです。
映画とかにしたらいいと思います。
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この本を読んだのは、大好きなアーティストの言葉がきっかけ。この本を読んで、愛すること、大切な人がいること・・・を想いながら曲を作ったと話していた。実際読んでみると、曲のタイトルや歌詞の内容により深みが増したように思う。もともと、個人的にグッとくる歌詞だったから気になって、一気に読んだ。いわゆる目を覆いたくなるような描写も多くて、字を追うのが辛い場面もあるし、ストーリーを通して救われないと感じることも多いかもしれないけど・・・。
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「堕ちて行く女」を描いた作品が個人的に好き。
堕ちる中でも気高さや品格を失ってない女性像に憧れがあるからか?;
「居酒屋」「ナナ」「椿姫」にはまったの時と同じツボを刺激された気がする
第2部もいいけど、どちらかというと、こっちのほうが私は好み
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江戸時代末期の長崎。切支丹弾圧の中で信仰を続ける村の若者と彼にひたむきに想いをよせる浦上の農家の娘キク。
この時代、キリスト教への迫害ってすごいものだったんだね。でも何故 拷問にあったり流刑になったりしてまで信仰は捨てないんだろうか。そんなにキリスト教って重いものなのかしら。キクは強い想いを抱いてしまったばかりに不幸な終わり方をしてしまったけど、そんなにも惚れた男の人に会えたのは幸せなんだろう。
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第一部は幕末から明治にかけて長崎の商家に奉公に来ている娘キクを主人公にした作品です。
キクは、キリシタンである男清吉に思いを寄せる。やがてキリシタン弾圧の手は清吉の元にも及び、彼は津和野に流され、惨いせっかんを受ける。
清吉が信じている神さまは、清吉が苦しんでいるのになんでなにもしてやらんのん...そう思ったキクは教会の聖母マリア像にやるせない思いをぶつけるようになる。やがてキクは清吉を助けるために伊藤という男にいいくるめられ、身体を任せ、その後肺病を病み、マリア像のそばで息を引き取ってしまう、という話。
第一部は私が小学校の頃に小泉今日子主演でドラマになっていたので物語の最初のほうだけなんとなく記憶がありました。そのドラマを見た時、子供心にキクさん可哀想やなぁと思っていました。
時が流れてあらためて原作を読んで、ラストで伊藤が清吉に自分もまたキクに惚れとったと告白したところで胸がつまりました。こんな形でしか愛情を伝えられんかったのか、と思うと。。。。また、秀吉がキリシタン弾圧をしたころはかなり惨かったと歴史の時間にも習ったが、明治の世でもやはりひどい弾圧がなされていたのだということに驚きました。
Posted by ブクログ
長崎に隣接する浦上村馬込郷に生まれたキクは、中野郷の青年である清吉に恋心をいだきます。しかしキクの兄の市次郎は、中野郷の者は「クロ」であるという理由で、キクが清吉とかかわりをもつことを反対します。やがて「クロ」とは、かくれキリシタンのことであったことが判明します。
一方、日本にやってきたフランス人の神父であるプチジャンは、厳しい禁教令が敷かれていた日本で、役人たちの監視からのがれてひそかにキリスト教の信仰を守りつづけてきた人びとが存在していると聞き、彼らを見つけ出すことに情熱を燃やします。その後、清吉たちがプチジャンに接触を図り、プチジャンは彼らを正しい信仰へみちびこうと行動を起こしますが、彼らの活動を知った奉行所に、清吉たちは捕らわれてしまいます。
やがて江戸幕府の体制は崩壊しますが、そのあとの明治政府も禁教政策を引き継ぎ、清吉たちは厳しい弾圧を受けます。奉行所の役人である伊藤清左衛門は、清吉の身を案じるキクの弱みにつけ込みますが、彼女はみずからの身を削って清吉への愛をつらぬきます。
「浦上四番崩れ」の史実をもとにした小説です。クリスチャン作家としてこれまで著者が手掛けてきたテーマが随所に示されますが、基本的にはキクの悲劇的な恋を中心にしたストーリーとなっています。
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幕末の浦上四番崩れの一人を愛した「キク」の物語。
「畜生ォー」。流刑地で主人公の怒鳴り声が響く。何に対する怒鳴り声か? 転んだ仲間に? 残酷な仕打ちをする役人に? 目に見えぬ権力に? それとも黙っている神に対してか?
隠れキリシタンに対する投獄や拷問の小説は、読んでいてとても辛い。そして、私自身が無宗教のためか、信仰を棄てない信者の気持ちがわからない。口先だけで転ぶと言えばいいのに? なぜ?、と。
拷問を避けるため、口先だけの”嘘”でも、キリスト教を棄てたと見做され、赦されないのか。「神」は、棄教を口走った弱者を見放すのか?本来、弱い人間こそ赦されるべきではないか?
特に幕末の混乱の最中、そんなにも厳密・厳格なのか?と思えてしょうがない。
エンディングで、「伊藤」が、津和野ですべてを話して、清吉に許しを乞う。「神は彼のような人を見放さなかった」という。拷問で死んだ人、獄中で亡くなった人、苦しんだ人、そして、キリスト教徒ですらない「キク」が、哀れでしかたなかった。”神”に赦されたとしても、私は、「伊藤」のような人間を、許すことができない。
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浦上四番崩れという明治初期のキリシタン迫害のことを題材にした内容。
様々な登場人物の心模様が描かれて、人というのは弱い者だと、そして、神様など信じたりする事で強くもなれ、相手を思いやることが出来るようにもなるのだと思う。
苦労をすることで、人々は繋がりをより強くし、相手をおもいやり、自分も成長していくものだと。
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長崎のキリシタンを愛してしまった少女キクの一生の話。なにゆえこの時代は貧しいのか、ひたむきに生きてきたキクはクロとして捕まった清吉を助けるためのついには自分を売る…。そしてその先には清吉との再会があるわけでもなく結核という病魔が。
遠藤周作の物語というのはだいたい同じテーマで進んで行きますから好きな人は好きでしょう。
僕はコルベ神父の記述がこの本にあると聞いたので読んでみたのですがなかったですね。
2部のほうにあるのかな。
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「清吉さんのためうちにできたことは……少しのお金ば作ってやったことだけ。ばってん、そんなお金のために……体ばよごさんばいかんやった」
高校2年、修学旅行の事前学習として学校からだされた課題本のひとつ。
もともと遠藤周作の作品はほかのキリスト関連の文学作品よりも抵抗なく読める。視点が偏っていないからだ。遠藤周作氏も洗礼をうけたキリシタンだけれど、彼の視点は第三者であり、読者に考えさせる余地を作ってくれる。なぜキクは身を売るほど清吉を愛していたか、それを踏みにじった伊藤。伊藤の二面性にみえるのは人間の本質だ。キクが一途に清吉を想う過程は、決して清らかなものではなかった。胸張り裂けんばかりの衝撃、悲痛が混じり合う。だからこそ読み進めずにはいられない作品だ。