あらすじ
長崎の商家へ奉公に出てきた浦上の農家の娘キク。活発で切れながの眼の美しい少女が想いを寄せた清吉は、信仰を禁じられていた基督教の信者だった……。激動の嵐が吹きあれる幕末から明治の長崎を舞台に、切支丹弾圧の史実にそいながら、信仰のために流刑になった若者にひたむきな想いを寄せる女の短くも清らかな一生を描き、キリスト教と日本の風土とのかかわりを鋭く追求する。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
大浦天主堂には2回行ったが、恥ずかしながら幕末の切支丹迫害については何の知識もなく、明治維新直後にはまだこうしたことが行われていたとは知らなかった。小説ではあるので、このまま史実として受け取ることはしないが。
沈黙でも思ったことだが、これだけの迫害を受けながらも棄教をしない精神的な支えってなんなのか⋯。
Posted by ブクログ
すごい衝撃受けた作品。一心にキリスト教を信じる清吉と、そんな清吉を一途に想うキク。どちらも真っ直ぐで純真で、どちらも幸せになってほしいとずっと思いながら読みました。すごく引き込まれた。幕末(江戸時代も)のキリシタンのこともあまり知らなかったので驚いた。2人以外に、伊藤のことがすごく気になって。自分の心に向き合えずコントロールできない伊藤が、歳を重ねて、清吉に会ったところがすごく印象的だった。
Posted by ブクログ
「沈黙」に続く遠藤周作のキリスト教&長崎テーマの読書。
作品自体は「沈黙」のほうが素晴らしい出来のように感じたけれど、キクという女の一生を通して、信仰や愛について描かれているだけに、より感じるものは多かった。
キクの激しくも哀しい一生にはもちろん胸を打たれたんだけれど、伊藤とプチジャンの海辺での対話が圧巻。(むしろエピローグの津和野での懺悔が蛇足に感じた。勝手な感想だけど。)
神は本藤よりも伊藤を愛すると。本藤のような人に神は必要ないのだというような。
そうなのか…。本藤はすごく頑張ってるからこその成功なのにな、神様がその頑張りを見守ってくれて、幸運を与えてくれないと、割にあわなくない?なんて最初は思ったけれど、筆者の描く神はそうではないのね。救済を与えるのではなく、傍にあって苦しみをともにしてくださる。それならダメ人間ほど神に愛されるってこと?それって不公平じゃない?いやいやでも、人間は完璧じゃないんだから、本藤のような人だって弱くずるく醜い部分があるわけで、そこにおいては神がともにあって…。っていうかそもそも不公平って発想自体がおかしいような。でも…。
「沈黙」に続いて、考えれば考えるほど、神という存在の意味が、大きく変わってくる読書。
Posted by ブクログ
第一部は幕末から明治にかけて長崎の商家に奉公に来ている娘キクを主人公にした作品です。
キクは、キリシタンである男清吉に思いを寄せる。やがてキリシタン弾圧の手は清吉の元にも及び、彼は津和野に流され、惨いせっかんを受ける。
清吉が信じている神さまは、清吉が苦しんでいるのになんでなにもしてやらんのん...そう思ったキクは教会の聖母マリア像にやるせない思いをぶつけるようになる。やがてキクは清吉を助けるために伊藤という男にいいくるめられ、身体を任せ、その後肺病を病み、マリア像のそばで息を引き取ってしまう、という話。
第一部は私が小学校の頃に小泉今日子主演でドラマになっていたので物語の最初のほうだけなんとなく記憶がありました。そのドラマを見た時、子供心にキクさん可哀想やなぁと思っていました。
時が流れてあらためて原作を読んで、ラストで伊藤が清吉に自分もまたキクに惚れとったと告白したところで胸がつまりました。こんな形でしか愛情を伝えられんかったのか、と思うと。。。。また、秀吉がキリシタン弾圧をしたころはかなり惨かったと歴史の時間にも習ったが、明治の世でもやはりひどい弾圧がなされていたのだということに驚きました。
Posted by ブクログ
幕末の浦上四番崩れの一人を愛した「キク」の物語。
「畜生ォー」。流刑地で主人公の怒鳴り声が響く。何に対する怒鳴り声か? 転んだ仲間に? 残酷な仕打ちをする役人に? 目に見えぬ権力に? それとも黙っている神に対してか?
隠れキリシタンに対する投獄や拷問の小説は、読んでいてとても辛い。そして、私自身が無宗教のためか、信仰を棄てない信者の気持ちがわからない。口先だけで転ぶと言えばいいのに? なぜ?、と。
拷問を避けるため、口先だけの”嘘”でも、キリスト教を棄てたと見做され、赦されないのか。「神」は、棄教を口走った弱者を見放すのか?本来、弱い人間こそ赦されるべきではないか?
特に幕末の混乱の最中、そんなにも厳密・厳格なのか?と思えてしょうがない。
エンディングで、「伊藤」が、津和野ですべてを話して、清吉に許しを乞う。「神は彼のような人を見放さなかった」という。拷問で死んだ人、獄中で亡くなった人、苦しんだ人、そして、キリスト教徒ですらない「キク」が、哀れでしかたなかった。”神”に赦されたとしても、私は、「伊藤」のような人間を、許すことができない。
Posted by ブクログ
浦上四番崩れという明治初期のキリシタン迫害のことを題材にした内容。
様々な登場人物の心模様が描かれて、人というのは弱い者だと、そして、神様など信じたりする事で強くもなれ、相手を思いやることが出来るようにもなるのだと思う。
苦労をすることで、人々は繋がりをより強くし、相手をおもいやり、自分も成長していくものだと。
Posted by ブクログ
長崎のキリシタンを愛してしまった少女キクの一生の話。なにゆえこの時代は貧しいのか、ひたむきに生きてきたキクはクロとして捕まった清吉を助けるためのついには自分を売る…。そしてその先には清吉との再会があるわけでもなく結核という病魔が。
遠藤周作の物語というのはだいたい同じテーマで進んで行きますから好きな人は好きでしょう。
僕はコルベ神父の記述がこの本にあると聞いたので読んでみたのですがなかったですね。
2部のほうにあるのかな。
Posted by ブクログ
「清吉さんのためうちにできたことは……少しのお金ば作ってやったことだけ。ばってん、そんなお金のために……体ばよごさんばいかんやった」
高校2年、修学旅行の事前学習として学校からだされた課題本のひとつ。
もともと遠藤周作の作品はほかのキリスト関連の文学作品よりも抵抗なく読める。視点が偏っていないからだ。遠藤周作氏も洗礼をうけたキリシタンだけれど、彼の視点は第三者であり、読者に考えさせる余地を作ってくれる。なぜキクは身を売るほど清吉を愛していたか、それを踏みにじった伊藤。伊藤の二面性にみえるのは人間の本質だ。キクが一途に清吉を想う過程は、決して清らかなものではなかった。胸張り裂けんばかりの衝撃、悲痛が混じり合う。だからこそ読み進めずにはいられない作品だ。