遠藤周作のレビュー一覧
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慶長遣欧使節の一員としてローマにわたった支倉常長をモデルとした小説です。
宣教師のベラスコは、現世を超越したものへの関心をもたない日本人にキリスト教の信仰にみちびこうとする強い情熱をもっていました。同時に彼は、布教のためには手段をえらばない、策略家でもありました。そんな彼のもくろみが功を奏して、陸前の港からノベスパニア(メキシコ)に向けて、使節が派遣されます。使節の役目を果たすことになったのは、召出衆と呼ばれる不遇の「侍」であった長谷倉六右衛門をはじめとする四人でした。長谷倉たちは、ベラスコに不信感をいだきながらも、海外との通商の窓を開くことを決意した藩主の親書をもって海をわたります。
その後一行は、大西洋を越えてヨーロッパへわたり、さらにローマ法王に謁見することになります。しかしそのころ日本では、幕府が禁教政策の強化に動き出し、主君の命を果たそうとする長谷倉たちの思いはむなしく終わります。そしてベラスコもまた、日本人をキリスト教の信仰にみちびくという望みがついえたことを知ります。
ベラスコに対立するペテロ会のヴァレンテ神父との討論では、キリスト教がけっして根づくことなく、いつのまにかそれを伝統的な信仰に変えていってしまう日本という風土にかんする著者自身の見かたが示されています。野心的な宣教師が経験することになったの挫折と、当初は簡単にわかりあうことがないように思えた「侍」の悲劇的な運命が交わるというストーリーの運びかたが見事な作品だと感じました。 -
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小説家である「私」を中心とする現代の話と、イエスの物語が交互に語られ、著者自身の信仰の核心にあるものがえがき出されている作品です。
「私」は、大学時代からの知人であり現在は聖書学者である戸田の案内で、イェルサレムの街をめぐります。戸田はイエスについての史実を説明し、イェルサレムで語られるさまざまな伝承が歴史的な裏づけをもたないことを「私」に話します。「私」は戸田に反論できないものの、彼自身の求めつづけてきたイエスのすがたを手放すことはありません。
一方で「私」は、やはり昔の知人である「ねずみ」と呼ばれていたコバルスキの最期のようすを知ろうとします。戦争のさなか、ナチスの収容所に閉じ込められたコバルスキは、英雄とはほど遠い、苦しみのなかを生きた人間でした。
これに対して、イエスのすがたをえがいた章では、奇跡を求める人びとの要求にこたえることができず、なにもできなかった男としてその生涯を閉じたイエスがえがかれています。みすぼらしく死んでいったイエスの人生は、苦しみのなかにいる人びととともに苦しむことをえらびつづけた道だったのであり、そのようなイエスが死後に人びとの信仰を集め、逆説的にも現代にまでその教えが伝えられることになったということを、著者は語ろうとしているように思えます。 -
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パリの民衆たちの王政に対する不満の声は日増しに高まり、ついに革命が勃発します。マリー・アントワネットは、頼りにならない王の背中を押して、暴徒と化した民衆を押さえつけようとしますが、彼女たちはしだいに後退を余儀なくされ、幽閉されてしまいます。
一方、革命軍もジロンド派とジャコバン派の対立をかかえており、マリーはどちらに転ぶともわからない不安のなかで、けっしてあきらめることなく、彼女を慕うスウェーデン人伯爵のフェルセンに協力を求めて再起の道をさぐります。しかし、革命を実現した民衆たちの高揚は鎮まることなく、やがてルイ16世は死刑台に引き出されることになります。以前は頼りにならなかった夫でしたが、彼はフランス国民の前で国王としての威厳を守り、そんな彼のすがたにマリーも彼とともに暮らした日々の幸福を認識します。
そしてついにマリー自身も、断頭台による処刑を受けることになります。民衆の好奇のまなざしにさらされながらも、彼女は最後まで優雅な振る舞いを保ちつづけようと心を奮い立たせます。
上巻では、過酷な運命に翻弄されながらも生き生きと活動するマルグリットのすがたと、味方のいない宮廷で心の闇を打ち消すように奔放に振る舞うマリーの二人が対照的でしたが、下巻では、革命の高揚に飲み込まれて暗い情念に支配されるマルグリットと、最後まで誇りをうしなうことのないマリーという、それぞれ立ち位置を変えての対照的な役割を演じています。 -
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フランスに留学した人物を主人公とした作品三編で構成されています。
第一章は、キリスト教文学について学ぶためにフランスにやってきた工藤という青年が主人公の短編です。彼は、日本でのキリスト教布教の希望を疑うことがなく、日本についての想像力を欠いた善意を示すフランスの敬虔な信者たちに、理解されることのない徒労を感じます。
第二章は、17世紀にヨーロッパにわたり、日本での布教活動を託された荒木トマスという人物をめぐる短編です。著者は、信仰を捨て去ったことでキリスト教の立場においては顧みられることのなかったこの人物にスポット・ライトをあてて、日本に帰国した彼がいったいどのような悩みに直面したのかということについて想像力を働かせています。
第三章は、サドの研究のためにパリにやってきた、大学講師の田中が主人公の長編小説です。彼は、サドの研究者であるルビイから、「なぜ東洋人のあんたが、サドを勉強するのかわからん」という問いを投げかけられ、研究者にとって外国文学がいったいどのような意味をもつのだろうかという悩みにとりつかれます。さらに、後輩の研究者である菅沼が彼を追ってフランスにやってきたことで、みずからの出世の道が閉ざされたことを知り、パリの日本人仲間たちとのかかわりを避けつづけたことで、彼の運命はますます暗い方向へと向かっていくことになります。
キリスト教を中心とするヨーロッパ文化を学ぶ日本人が、彼我の文化のちがいに直面して思い悩むようすが一貫してえがかれており、このテーマについての著者の持続的な関心のありかがうかがえるように思います。 -
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「誰もが一度は味わってみたいとお思いになるフランスの魅力の一つを少し考えてみたいと思います。」から始まる表題のエッセイ。
イメージとかけ離れたところは私の感じたことと共通する。決して「おしゃれ」とか、「きれい」なところばかりではないという…。
彼から見た「今」も今は昔。
それでも「読書について」の他、主に新聞に掲載されたエッセイは、さすがに読みやすく面白いと思いました。
特に
「文学碑不要論」
「修学旅行」
「大学入試の文章」
「しゃべれぬ外国語」
はフムフム、と。
その他にも「良夫賢父の弁」はユーモアがありました。
2023年は遠藤周作生誕100年とのことで、また他の本も読んでみようと思います。 -
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ネタバレ祖父の本棚からもらってきた本。
共感できる言葉、勉強になる言葉、自分を戒めてくれる言葉などたくさんあった。
全部挙げればキリがないので、いくつかだけ挙げたい。この一冊を何度も読み返したい。
「我々の人生というものは、自分が選ぶ状況と、自分の意志とは関係なく与えられた状況がある」
「我々の人生のどんな嫌な出来事や思い出すらも、ひとつとして無駄なものなどありはしない。無駄だったと思えるのは我々の勝手な判断なのであって、もし神というものがあるならば、神はその無駄とみえるものに、実は我々の人生のために役に立つ何かを隠しているのであり、それは無駄どころか、貴重なものを秘めている気がする」
「我々の人生には絶対的なものなどありはしないということにつきる。」
「たとえばあなたの細君の人生で、あなたは彼女の重要な傍役である。あなたの友人の人生にとってあなたは決して主人公ではない。傍をつとめる存在なのだ。」
「また心配事が増えたぞ。生きていることには心配の連続の部分がある。」
「自分がいつも正しい、正義漢だと思っている人というのも、知らず識らずのうちに傲慢という罪を犯していると思います。なぜかというと、自分が正しいと言う気持ちは、必ず他人を裁こうとします。つまり、人を裁こうとする気持ちというのは、自分が裁く相手の心の悲しみとか寂しさということが、よくわかっていないことなのです。」
「愛慾は相手の自由をうばい、自分も深く傷つける。しかし愛はその逆になる。」
「教育とは結局、自分が自分にすることだなあ、と考える。そして、どんな環境にあってもそこから自分を教育するコヤシは見つかるのだなあ、とも思う。」 -
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ネタバレ1950年代から1990年代に書かれたエッセイ。再掲もありますが多くは遠藤周作文学館の資料室で見つかったものだそう。遠藤周作が語る書籍、映画など当時の文化を感じられる。個人的に印象に残ったものをピックアップ。
※巻末の初出一覧から発表年を書き出しました。
・フランスの街の夜
表題作。再掲。戦後が色濃く残る1951年。周囲の小国から入ってきた人たちの悲しみ、フランス人自体の悲しみが空気となり存在している。
「誰もが一度は味わってみたいとお思いになるフランスの魅力」(P12)
とありますが1951年発表のエッセイなので今の若い人にはもうそういった感情はないかもしれませんね。私もフランスは好きなのでちょっと寂しい。
・時間励行
1955年。時間を守るイギリス人と守らないフランス人と日本人。この頃は日本人も時間にルーズだったのかな。
・若さの情熱ーその生命のみずみずしさ
1959年。
「有名なプルーストの言葉に「安定は情熱を殺し、不安は情熱をたかめる」というのがあります。けだし至言というべきでしょう。」(P44)
・一人の若い作家として
1956年。自分の体験を書き綴る作家に対し
「だが他人にとっては彼の苦悩や孤独など、犬にでもたべられてしまえである。」(P48)
ばっさりいきすぎ(笑)現代は「共感」が大切にされているので新鮮に感じました。
・読書について
1959年。遠藤先生の読書論。
「自然の風景一つを描写した部分から作者の人生観を読みとるのは(これが小説の読み方である)文中の思想的会話を読むよりももっと大切な場合がある。そのためにには一つの小説を三、四度読み返してこそ感得できるのだ。」(P51)
すみません…と謝ってしまいたくなる。10年後ぐらいからそういった読み方をする予定です。今は自分にとっての良書を探しているところなのです(汗)
・外国文学にみる「愛の告白」
1954年。
世間の恋人達をみるがよい
やつと告白がはじまると
もう彼らは嘘言を強ひられてゐるのだ。
P56の引用はリルケから。
西洋文学における愛の告白の淵源とは
「中世の騎士が貴婦人たちをほめたたえ、美化する頌歌から始まっています。つまり、陶酔を土台にした愛の告白です。」(P62)
少女漫画みたいだなぁ。
・世界映画の「つながり」の中で
1957年。
「「映画は生まれつつある思潮のもっとも鋭敏な触覚だ」とは武田泰淳氏の言葉だが、私もそれには賛成なのだ。」(P138)
私も諸手を挙げて賛成です。
・変質者の時代ーあらゆる世界に草加次郎的人物がいる
1963年。草加次郎という人物を初めて知りました。同性愛については古い考え方ですが、犯罪者については現代と変わらない、ああ、怖い…。
「変質者が我々に与える恐怖はこのナチの使った偶然の恐怖に似ている」(P182)
こういった内容の中にさらっと
「私は子供の時、関心ある女の子の髪の毛をひっぱったり、馬糞を放りつけたことがあったが、それはその女の子が憎いからではなく、彼女の関心を惹きたいためだった。」(P186)
さくっとこういう文章を入れてくる狐狸庵先生(笑)私は馬糞を放りつけてくる男性は好きにはならないなぁ。
・歩き歩き、物思う…
1992年。蕪村の句について。味わい深い。 -
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文庫版解説で朝井まかて氏が、遠藤周作氏の別著作である「わたしが・棄てた・女」を読んだ時に「小説はここまで書くものなのか」と心を揺さぶられた、と印象を語っているが、著者の死後に発見されたという今作に対しても、当てる角度は異なれどまさしくその表現がふさわしい、と私は思った。
私小説、とまでは言えないとしても、自身とその家族がモデルであることは自明であるこの「影に対して」には、文字通り愛憎入り混じったどうにも昇華しきれぬ澱のようなどろりとした感情が塗り込められている。
できれば人に知られたくない、あるいは自らが思い起こしたくもないであろう過去やそれにまつわる自身の想い、それらを曝露することこそは、紛れもなく文学の一つの形であるに違いない。
本書には表題作の他、"母"を巡り関連する既作が幾つか編まれている。
どうして本作のみが生前未発表であったのか、本当の理由は今となっては分からないが、それらと比較し、通底するものとそうでないものとを慮ってみるのも、読み手の醍醐味の一つかもしれない。 -
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筆不精を直す話。今の時代なかなか手紙を書く機会はないが、昔からよく書いていたことを思い出す。
便箋、封筒、葉書、切手を身の回りに用意しておくこと。字の上手下手や文体にこだわらず書いていたことを思い出す。
恋文に関することに多くの紙面を割かれている。
書き手に興味を持たせる。
相手の美点を上手に褒める。
無駄な不安感や警戒心を与えない。
ネチネチしたものの言い方を避ける。
褒める場合の要領は以下の2点。
抽象的な褒め方はしない。
彼女だけが気づいていて、あまり他人が気づいていないところを探す。
断りの手紙はハキハキと書く。
お悔やみは難しい。著者もそう感じている。
ちょっとした葉書や挨拶状、手紙こそ相手に印象を与えるように注意すべき。
書く前に相手の趣味や経歴などをよく考えて、喜ばれるようにする。
年賀状や、暑中見舞いより、季節外れの思いがけない一枚の葉書が相手の印象に残る。
本書は遠藤氏が亡くなってから見つかった原稿とのこと。しかも執筆から約半世紀後。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ野球おもしろいんだけれど、テレビ無駄にやりすぎじゃね? 洗脳装置のおバカワイドショーは仕方ないけれどニュース番組にまで食い込んできて気持ち悪い。
なので本読み。古い写真を見ていたら子供たちの授業風景で、黒板に先生が山田長政って書いた場面で、ああずいぶん昔に見た懐かしい名前だなぁと思いつつ、山田長政って何をやった人だろう? 誰か小説を書いてないかなと検索したら遠藤周作さんいました。
長政さんなんとなくタイにある日本人町の町長さん的なシュッとした実務家っぽいイメージを持ってましたが、ぜんぜん違いました。ほとんど戦国時代の名のある武将クラスの豪胆な人じゃないですか! さらには権謀術数にも長ける参謀タイプでもあると。つまりは戦いと陰謀に明け暮れた人だったのですね。
なんたってタイ(シャム)に上陸して見惚れた王女さまへの想いが最後にかなうのかと思ったら、かなり残念な結末になってしまっていて、まぁそういうもんよねぇなんて思いつつウィキペディアを見たら、長政さん王女さんと早々に結婚してるじゃないか! 周作……。
《王宮には至るところに罠がある。笑うている者に毒がある。近よってくる者は刃をかくしている。温和しい者は術策を考えている。お前たち日本人はそうした王宮の者から見れば、まるで子供だ、とても太刀打ちはできぬ》