遠藤周作のレビュー一覧
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ネタバレあなたにとっての「良心」とはなにか。
生体解剖がどれほどいけないことだったのか、私には分からない。
ましてや戦時中で捕虜を生きたまま解剖するとは!という声が出版当時は聞こえてきそうだが、現代のわたしがこの本を読んだとしても、そのような感想は出てこなかった。
現在でも病理解剖と言うのも行われているし。
生きたまま行うのはうわ、っと思ったが麻酔はかけられていたし、描写であったようにどうせ捕虜として戦争で死ぬならば今後の生きる人のためになるならいいんではないか?っという様なことに納得してしまう自分が嫌になった。
なにか、自分が正しいと心を律するために誤魔化すような能力だけ秀でてしまい本当に考えな -
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慶長遣欧使節の一員としてローマにわたった支倉常長をモデルとした小説です。
宣教師のベラスコは、現世を超越したものへの関心をもたない日本人にキリスト教の信仰にみちびこうとする強い情熱をもっていました。同時に彼は、布教のためには手段をえらばない、策略家でもありました。そんな彼のもくろみが功を奏して、陸前の港からノベスパニア(メキシコ)に向けて、使節が派遣されます。使節の役目を果たすことになったのは、召出衆と呼ばれる不遇の「侍」であった長谷倉六右衛門をはじめとする四人でした。長谷倉たちは、ベラスコに不信感をいだきながらも、海外との通商の窓を開くことを決意した藩主の親書をもって海をわたります。
そ -
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小説家である「私」を中心とする現代の話と、イエスの物語が交互に語られ、著者自身の信仰の核心にあるものがえがき出されている作品です。
「私」は、大学時代からの知人であり現在は聖書学者である戸田の案内で、イェルサレムの街をめぐります。戸田はイエスについての史実を説明し、イェルサレムで語られるさまざまな伝承が歴史的な裏づけをもたないことを「私」に話します。「私」は戸田に反論できないものの、彼自身の求めつづけてきたイエスのすがたを手放すことはありません。
一方で「私」は、やはり昔の知人である「ねずみ」と呼ばれていたコバルスキの最期のようすを知ろうとします。戦争のさなか、ナチスの収容所に閉じ込められ -
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パリの民衆たちの王政に対する不満の声は日増しに高まり、ついに革命が勃発します。マリー・アントワネットは、頼りにならない王の背中を押して、暴徒と化した民衆を押さえつけようとしますが、彼女たちはしだいに後退を余儀なくされ、幽閉されてしまいます。
一方、革命軍もジロンド派とジャコバン派の対立をかかえており、マリーはどちらに転ぶともわからない不安のなかで、けっしてあきらめることなく、彼女を慕うスウェーデン人伯爵のフェルセンに協力を求めて再起の道をさぐります。しかし、革命を実現した民衆たちの高揚は鎮まることなく、やがてルイ16世は死刑台に引き出されることになります。以前は頼りにならなかった夫でしたが、 -
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フランスに留学した人物を主人公とした作品三編で構成されています。
第一章は、キリスト教文学について学ぶためにフランスにやってきた工藤という青年が主人公の短編です。彼は、日本でのキリスト教布教の希望を疑うことがなく、日本についての想像力を欠いた善意を示すフランスの敬虔な信者たちに、理解されることのない徒労を感じます。
第二章は、17世紀にヨーロッパにわたり、日本での布教活動を託された荒木トマスという人物をめぐる短編です。著者は、信仰を捨て去ったことでキリスト教の立場においては顧みられることのなかったこの人物にスポット・ライトをあてて、日本に帰国した彼がいったいどのような悩みに直面したのかとい -
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「誰もが一度は味わってみたいとお思いになるフランスの魅力の一つを少し考えてみたいと思います。」から始まる表題のエッセイ。
イメージとかけ離れたところは私の感じたことと共通する。決して「おしゃれ」とか、「きれい」なところばかりではないという…。
彼から見た「今」も今は昔。
それでも「読書について」の他、主に新聞に掲載されたエッセイは、さすがに読みやすく面白いと思いました。
特に
「文学碑不要論」
「修学旅行」
「大学入試の文章」
「しゃべれぬ外国語」
はフムフム、と。
その他にも「良夫賢父の弁」はユーモアがありました。
2023年は遠藤周作生誕100年とのことで、また他の本も読んでみよう -
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ネタバレ祖父の本棚からもらってきた本。
共感できる言葉、勉強になる言葉、自分を戒めてくれる言葉などたくさんあった。
全部挙げればキリがないので、いくつかだけ挙げたい。この一冊を何度も読み返したい。
「我々の人生というものは、自分が選ぶ状況と、自分の意志とは関係なく与えられた状況がある」
「我々の人生のどんな嫌な出来事や思い出すらも、ひとつとして無駄なものなどありはしない。無駄だったと思えるのは我々の勝手な判断なのであって、もし神というものがあるならば、神はその無駄とみえるものに、実は我々の人生のために役に立つ何かを隠しているのであり、それは無駄どころか、貴重なものを秘めている気がする」
「我々の -
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ネタバレ1950年代から1990年代に書かれたエッセイ。再掲もありますが多くは遠藤周作文学館の資料室で見つかったものだそう。遠藤周作が語る書籍、映画など当時の文化を感じられる。個人的に印象に残ったものをピックアップ。
※巻末の初出一覧から発表年を書き出しました。
・フランスの街の夜
表題作。再掲。戦後が色濃く残る1951年。周囲の小国から入ってきた人たちの悲しみ、フランス人自体の悲しみが空気となり存在している。
「誰もが一度は味わってみたいとお思いになるフランスの魅力」(P12)
とありますが1951年発表のエッセイなので今の若い人にはもうそういった感情はないかもしれませんね。私もフランスは好 -
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文庫版解説で朝井まかて氏が、遠藤周作氏の別著作である「わたしが・棄てた・女」を読んだ時に「小説はここまで書くものなのか」と心を揺さぶられた、と印象を語っているが、著者の死後に発見されたという今作に対しても、当てる角度は異なれどまさしくその表現がふさわしい、と私は思った。
私小説、とまでは言えないとしても、自身とその家族がモデルであることは自明であるこの「影に対して」には、文字通り愛憎入り混じったどうにも昇華しきれぬ澱のようなどろりとした感情が塗り込められている。
できれば人に知られたくない、あるいは自らが思い起こしたくもないであろう過去やそれにまつわる自身の想い、それらを曝露することこそは、紛