遠藤周作のレビュー一覧
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納得出来る部分多々、ぶっ飛んでる部分もたまに 女性の分析や男性目線の女性とは、だったり、恋、愛について、闇のような感情、死、教育、子供などについて書かれており、、、小説家であるからか、一般的な社会倫理から外れていてもびくともしない、むしろそうゆう人たちの感情、考えをもっと知りたい、という面が強く、一般的には怖くて避けたくなる対象を探していて、スゴイな、受け入れ対象が広いんだな、と驚いた。
書かれているどこかの部分は、よく言葉にしてくれた、ほんとにそうだな、と強く共感する部分もあるだろうから、一回読んでみてはいかがか。ただ40歳過ぎじゃないと分からない部分が多いだろうから、ある程度人生を経験した後で。 -
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遠藤周作先生の初期のエッセイ。
冒頭はこの本が書かれた当時の
プレイ・ボーイとはどういう者か、
それとドン・ファンそしてカサノバの違いについて。
どれも、女性を誘惑する者であるが、
遠藤先生はどれも情熱はあるかもしれないが
愛を知らなかったと。
私も結婚して10年以上たつので
多くの人と同様に倦怠である。
既に情熱はない。
しかし、遠藤先生の言葉を借りるなら
《二人が忍耐して、倦怠期や病気や失業や子供の入学、子供の卒業、その他もろもろの日常と人生の悲しみと悦びとを一緒にしながら(どこの他人が君とこれほど君の人生を共にしてくれるかね)二人の連帯を努力して続けていこうとするのが「愛」というのだ。》
ならば、わが夫婦生活も愛をはぐくんでいる
最中に他ならない。どんなドン・ファンにも
負けぬ愛の世界を知ったものとして
夫婦生活を貫くべきなのだろう、
私の人生はやはり素晴らしいのである、というために。
後半の”病床交友記”では、先日読んだ庄野潤三氏
が見舞いに訪れた際のことが書かれていた。
作風と変わらず、穏やかな人物を思わせた。
さすがの遠藤先生、お見舞いに来られる
作家先生方が豪華で驚いた。 -
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私と戸田の巡礼の記録と、2000年前のイエスを取り巻く群像の一人ひとりの物語が交互に語られ、一度その人の人生を横切ったからには「永遠の同伴者」として共にいる惨めで貧しいイエス像を描き出す。
神は清らかで威厳があり高く尊いもの、という一般的なイメージに対して、今回も遠藤周作が描くのは、無力で惨めで汚らしく、ぼろ切れのように棄てられるイエス。戸田が語るように、奇跡を期待する民衆に対して何もできず、その無力さに愛想を尽かされて皆に棄てられるのだが、一度関わった人は誰も彼を忘れられない=イエスは誰も見棄てない。
弱くてずるい修道士のねずみはナチスの収容所で最後まで弱いまま、ただ最も歳若だった少年に自分の最後のパンをやって追い立てられていく、その後ろ姿に付き添って歩くイエスの姿を少年は見る。石鹸にされたねずみと、人々の罪や汚れを落とすイエスは重なって、最も弱い者の中にも(だからこそ?)イエスは存在している。 -
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倫理についての捉え方、命の価値や正義は、その時代に応じて大きく変わる。
10年程前のアメリカでは、半数以上の人が、日本への原爆投下は正しかったと言った。だが、今では7割の人が、原爆投下は不必要であったと答えた。
テロは神風と呼ばれ、特攻はテロと同列に語られることもでてきた。
私たちは戦争のない国に生まれ、道徳というものを学んだから、この九大の事件を酷い話だと感じるが、例えば今、自国で戦争が始まったとして、敵国の捕虜が人体実験に使われようとしていると知ったとき、そのことに対し声を上げることは出来るのだろうか。同胞の仇を前にして、倫理を貫けるか。自分が勝呂の立場に立ったとき、恐れることは、人命を軽々しく扱うことではなく、そのことが露見して激しく糾弾されることではないだろうか。
また、時代が変わったときに読みたい一冊である。 -
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ネタバレあなたにとっての「良心」とはなにか。
生体解剖がどれほどいけないことだったのか、私には分からない。
ましてや戦時中で捕虜を生きたまま解剖するとは!という声が出版当時は聞こえてきそうだが、現代のわたしがこの本を読んだとしても、そのような感想は出てこなかった。
現在でも病理解剖と言うのも行われているし。
生きたまま行うのはうわ、っと思ったが麻酔はかけられていたし、描写であったようにどうせ捕虜として戦争で死ぬならば今後の生きる人のためになるならいいんではないか?っという様なことに納得してしまう自分が嫌になった。
なにか、自分が正しいと心を律するために誤魔化すような能力だけ秀でてしまい本当に考えなければいけないことを考えれていないと思った。
誰かに意見を言われたら「確かにそうだね」とすぐに意見を流されてしまい「良心」が変わってしまうような日本は今そんな世の中になっている気がする。
誤ったニュースが報道されたとしても自分で真意を調べずにすぐに自分の意見を主張する。悪いと思ったら徹底的に批判する。
その後、本当のニュースが流れたとしても前回の自分の意見を撤回することなくまた意見を変えて流される。
そういう自分にならないように意識していかなければならない。