【感想・ネタバレ】留学のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

留学の苦しみ。理想と現実との葛藤。

向坂の以下の発言が胸に刺さる。
「ぼくら留学生はすぐに長い世紀に亙るヨーロッパの大河の中に立たされてしまうんだ。ぼくは多くの日本人留学生のように、河の一部分だけをコソ泥のように盗んでそれを自分の才能で模倣する建築家になりたくなかっただけなんです。河そのものの本質と日本人の自分とを対決させなければ、この国に来た意味がなくなってしまうと思ったんだ。田中さん。あんたはどうします。河を無視して帰国しますか。」

0
2021年06月27日

Posted by ブクログ



三章仕立てですが、前半部を工藤と荒木トマスの類似、後半部を田中とサド侯爵の対比として読みました。

作中人物たちの葛藤が解消不可能であるだけに、バッドエンドであろうとわかっていながら、それでも救われてほしいという願いを込め、頁をめくりつづけました。「虚無に祈るような」と形容すれば良いのでしょうか、読者にこうした姿勢をとらせるのは、遠藤周作の作品に特徴的であるように思えます。

さらにいえば、この姿勢に、作中人物、あるいは作者自身が異教ーつまりはキリスト教、あえてここでは「異教」と記しますがーの洗礼を受けながら、自らの信仰と対峙しており、自分自身が祈る先には、偽りを隠せない信仰の前には、何者も存在しないのだということを半ば悟りながら、それでも何かはわからない、地に足のつかないものに救いを求め、いつまでたっても誰からも「よそ者」となってしまう姿が、オーバーラップしているようにも思えます。

「留学」と聞けば、一般的に華やかなイメージが想起されます。実際、作中人物も「留学」を目の当たりににするまで、それにあらゆる希望を見出していました。しかし、現実はどうでしょうか。作者は実体験を下地に、その偽らざる姿を描き、また問います。留学とは、かくも人を疲労の底へ、ゆっくりと、しかし確実に引きずり落とすのだと。それは一体いかなる理由からでしょうか。

工藤、荒木トマス、田中は、一見するところ、いずれも西洋に留学をしたという共通点以外は無縁といえます。生きる時代も、留学をした年齢も、留学目的も異なる。けれども、彼らは同じ結論に至っています。それはつまり、西洋と彼らの間にはいかなる紐帯もないということ。そこに影を落とすのは、永遠の暗闇であり、救いの光が照らすことはないのです。

彼らが根無し草であるのは、その土地やその文化に対してというだけでなく、彼ら自身の信条に対しても同様であり、意図してか意図せずしてか、ある種宿命的に、異教信仰や外国文学研究が今や彼らの自己同一性を担保する重大要素であるがために、この疎外感は尚一層深刻なのであり、そのために彼らの身は削られていくのです。(「宿命」は、作者の作品を解釈するキーワードとなりそうです。)

この作品は絶対的なバッドエンドのようにも思えますが、田中は大体このようなこともいいます。日本人がサドを研究する必然性はなくとも、サド所縁の地に赴けば、その地を舐めまわしたい衝動に駆られる。これだけは確かであり、またサドの屋敷に残る赤色の塗料をみて、こうも思うのです。

「しかし、俺に、この消すことのできぬ朱色はあるだろうか。決して亡びることのない朱の一点がほしい」。

彼は絶望しながら、やはりこうして希望するのです。

サドの城を前にして、男がひとり。降りしきる真っ白な雪の一点を溶かす、真っ赤な血。トロカデロをまわる向坂の横顔とともに、非常に印象に残った情景です。

(向坂は、「我々は別の血液型の人から血はもらえない」といっています。田中が日本に残した息子を恋しく思っても、妻のことを忘れてしまうように、「血」もまた、作者の中心課題であるようです。)

理解というのは、理解可能なことを理解するという意味ではないはずです。それはもう理解されたものであり、理解の対象とはなりません。まったく異質なもの、理解不可能なものを理解してこそ、理解となるならば、読者もまた、作者とともに祈るでしょう。彼らがどんなに無様であっても、その血が「朱の一点」であったら、と。

0
2018年05月08日

Posted by ブクログ

経験しているからなのかな、人の葛藤を描くのが上手いなあと思いました。昇進に悩む社会人とか勉学に励む学生とか、共感できる方は多いのではないかと思った。

0
2017年01月05日

Posted by ブクログ

自分も留学している身だが、共感することが非常に多い。留学考えている人はネットにある留学体験談じゃなくてこの本を読んだ方が良い。

0
2014年05月04日

Posted by ブクログ

人が異文化に接したとき、その異質さに打ちのめされることはままある。

あのテヘランの、どんよりした空気の中、ひとりバスに座り帰宅を急いでいたころをぼんやり頭に置きながら、読み進めた作品であった。時代も、場所も、作中の人物とは異なるけれども。

留学経験者には、なるほど頷ける場面が多い作品だとおもう。

0
2011年10月15日

Posted by ブクログ

フランスに留学した人物を主人公とした作品三編で構成されています。

第一章は、キリスト教文学について学ぶためにフランスにやってきた工藤という青年が主人公の短編です。彼は、日本でのキリスト教布教の希望を疑うことがなく、日本についての想像力を欠いた善意を示すフランスの敬虔な信者たちに、理解されることのない徒労を感じます。

第二章は、17世紀にヨーロッパにわたり、日本での布教活動を託された荒木トマスという人物をめぐる短編です。著者は、信仰を捨て去ったことでキリスト教の立場においては顧みられることのなかったこの人物にスポット・ライトをあてて、日本に帰国した彼がいったいどのような悩みに直面したのかということについて想像力を働かせています。

第三章は、サドの研究のためにパリにやってきた、大学講師の田中が主人公の長編小説です。彼は、サドの研究者であるルビイから、「なぜ東洋人のあんたが、サドを勉強するのかわからん」という問いを投げかけられ、研究者にとって外国文学がいったいどのような意味をもつのだろうかという悩みにとりつかれます。さらに、後輩の研究者である菅沼が彼を追ってフランスにやってきたことで、みずからの出世の道が閉ざされたことを知り、パリの日本人仲間たちとのかかわりを避けつづけたことで、彼の運命はますます暗い方向へと向かっていくことになります。

キリスト教を中心とするヨーロッパ文化を学ぶ日本人が、彼我の文化のちがいに直面して思い悩むようすが一貫してえがかれており、このテーマについての著者の持続的な関心のありかがうかがえるように思います。

0
2023年07月15日

Posted by ブクログ


当時の留学の苦悩と孤独感が苦しく、重い。
この救いの無さ、読後虚脱感の最高峰は『侍』だと思うが、他の名作の影に隠れた良い作品だと思う。

0
2023年01月08日

Posted by ブクログ

重く長い。
工藤も田中も遠藤周作自身なのだなと思った。
彼らの中には必ず劣等感があり、その部分こそが私たちを同じ人間なのだと狂わせる。
誰も同じなわけないのに。
我々はいつどこの場所に生きても、思い悩み、一点の消えない朱色を追い求めるんだ、と思った。

0
2020年07月25日

Posted by ブクログ

三部作。最後の話やたら長い。本作も他の作品と同じく西洋文化キリスト教と日本の文化との対峙、本質的な相違について描かれている。
主人公はもちろん遠藤周作ご本人がモデルなんだけど、しかし苦しい。なんでこんなに苦しまなあかんのか。時代ゆえなんか、芸術とか文学を志す者ゆえなんか、とにかく苦しい。文学者として、日本人して、クリスチャンとして、男として、人間としてと、いろんな、○○としての自分がのしかかってきて、押しつぶされている。重い。今時「私らしく」とかいう一言で済まされそうなもんなのに。重い重い。でもそんなものに縛られて必死に逃れようとしてまた何かに引っかかりけつまずき、劣等感を抱いたりプライドを傷つけられたり卑屈になったり、苦しんで苦しんで葛藤して、まさに「身を切り肉を切り」言葉を生み出して何かを伝えてきたのが日本の文士(この言い方は出てこないんやけど)なのかなと思える。私はサドよりそっちをベロベロ舐めたいわ。
サドのことは全然知らんが、主人公が記したサドに関する考察はおもしろかった。しかし、サドの本が読みたいとはあんまり思わん。

0
2014年02月05日

Posted by ブクログ

著者自身の留学経験を下に書かれたであろう、留学経験者で有れば誰でも思わず頷く様な、現地での葛藤や苦労を描いた作品です。 現代社会とは少し違った感覚、古臭い側面も多々有りますが、時代は変わってもこういった気苦労やコミュニケ―ションにおけるもどかしさや歯がゆさは、いつの時代でも変らないみたいですね。 遠藤周作もこういう感情になっていたんだと思うと少し感慨深いものが有る今日この頃です。

0
2014年01月06日

Posted by ブクログ

仏蘭西に実際に留学して西洋文明の理解しようとつとめる日本人との間に存在している溝、それを解消しようとする苦悩が著者の小説の主人公を通じて、ひしひしと伝わってくる。異国情緒。そして絶望。でも、その感情の発露はある意味で正しく自然の成り行きなのかもしれないと感じた。

0
2013年09月13日

Posted by ブクログ

三部作中、小説として完成度が高いのは前二編のように思う。遠藤作品で繰り返し語られるカトリックと日本人とのテーマ。だが自分に一番響いたのは三編目「爾も、また」インテリとしての自負、だが実の所平凡で俗的な自分を自覚し欧州文化に押しつぶされていく主人公。サドを研究テーマとしながら自分とサドの接点などまるでないと悩む。真理を追究もできず表面的にうまく立ち振る舞うことも出来ない。
その姿は、表現すべき中身を持たず、表現の場を得るために上手くコミュニケーションすることも出来ず、それなのに表現することを辞められない自分に酷似。つらい。
時々こういう自分を突きつけられるような体験をするから読書はやめられない。

二回目に城を訪れた時の、喀血と雪のコントラストが実に映像的で鮮やか。

0
2013年07月22日

Posted by ブクログ

留学というタイトルにまとめられた三編。二つ目と三つ目が印象的であった。自身の留学体験をもとにして、日本と西洋の文化的、と言ったら表面的すぎるだろうか、心理の深層に流れるモノの根本的な差異を謳っている。これだけ読むとそれは混ざり得ないもののように描かれるが、基本的に遠藤の宗教的著作にはこの問題が底流にあり、それは時代をおうと共により「救い」として消化されていると思う。全体で一つの作品といっても言い過ぎではないのではないか。

12/6/23

0
2012年06月23日

Posted by ブクログ

第三章『爾もまた』について

ものすごいリアルで、designerの太刀川さんがおっしゃっていた「具体的且つ主体的なストーリーの共有」という話を思い出した。

主人公の田中は非常に悲観的且つ内省的で、自己肯定の難しさを非常に感じた。そこにポイントを置くという事は私もそうだからなんだろうけどw

遠藤周作も留学で苦労したって言ってたし、いちいち田中と遠藤周作を比較してしまう。
主人公の設定をものすごいコンプレックスを持ち、妻以外と関係を持ったことのない、気の小さい不器用な「田中」が「サド」を研究テーマにしたところ、本人もそれを思案しているようにしたところが非常に面白かった。

また、サドについてはあくまで研究対象であり、一切「本人」として登場しないのにサドに感情移入してしまった。遠藤周作の凄さを感じる。


田中のような悲観的な人間が物事を楽観視することって可能なのだろうかと思った。

0
2012年03月20日

Posted by ブクログ

留学経験あり、フランスを巡ったこともあり、キリスト教徒になったこともあり、サド文学を読んだこともある私にとって、この本は、読むべくして読まれた!

「語学力が向上した」「日本文化の魅力を再認識した」「国境を超えた友達が出来た」 そんな楽観的な言葉が聞かれるような留学ではない、これは。遠藤周作のフランス留学の、深い苦しみに、悩みに、私は泣きそうだった。私たちは似たもの同士のような気がして。他の人がいとも簡単に出来ることが、出来ない。根本的な所に行き詰って、考え込んでしまう。私たち、相当人生に不器用ね。

西洋の大きなお世話。Leave me alone! 

新しいモノ好き、欧米好きの日本人が、欧米人の大好きな「神」の概念を受け入れないのは何故?

「君のために・・・」この期待に耐えられる?プレッシャーだよ。

皆の期待が重くのしかかる。僕は皆の希望を担っている。皆の星。でも、そんなの鬱陶しい。そんな大役、僕には無理だ。お門違いだぜ。

空気を読む能力に長けているために、ノーと言えない日本人。はっきり意見を言えない日本人。

モラルと和を尊ぶ集団主義の日本人には、神の概念が必要ない。個人主義の欧米人にはお目付け役の「神」が必要不可欠。世界はそういう風にして出来ている・・・?

日本人って難しい。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「外国文学と自分との違和感をたえず意識している人間」
「自分と全く異質で、自分と全く対立する一人の外国作家を眼の前におき、自分とこの相手とのどうにもならぬ精神的な距離と劣者としての自分のみじめさをたっぷり味わい、しかも尚その距離と格闘し続ける者」
「私生活でも精神の上でもあまりに隔たった人間」

外国文学者の苦しみ。老ハムハムもLewisと?でも、まるで彼と僕。サドとルネ。どうしようもない事実を突きつけられた時、人は自分を見失う。だめだ・・・レベルが違いすぎる!一生かかっても追いつけない!悔しい・・・!僕は愕然とした。

0
2009年10月04日

Posted by ブクログ

情けなさ、悔しさ、屈辱、挫折、失敗…。時代が変わっても、異国で生活する時に直面する困難は同じ。共感する分、暗い気持ちになる。

0
2013年03月19日

Posted by ブクログ

最初の短編しか時間の都合で読めなかったのですが


ふまじめでまじめ。

胃が痛くなった。


遊びに行くんじゃない。
でも勉強ってなんだろう
博士になりたいとか
論文を書きたいとか
そんなご立派な勉強じゃないんだよ

0
2012年09月02日

Posted by ブクログ

あんなに楽しかったパリ旅行なのに、これを読んでから思い返すとなぜか陰鬱な空と街並みしか思い出せない。共に文化を大事にする国なのに石と藁じゃわかりあえないのね。

0
2012年03月14日

Posted by ブクログ

出てくる人みんな何らかの陰を背負ってるんだけど、妙に共感できます。気分が沈むけど、遠藤さんの描くフランスの情景が魅力的でついつい読んでしまいます。

0
2009年12月20日

Posted by ブクログ

遠藤周作自身の留学体験(1950年〜)をもとにして書かれて
いる。「ルーアンの夏」の工藤や、「爾も、また」の田中は遠藤周作の分身。

0
2009年10月04日

「小説」ランキング