遠藤周作のレビュー一覧
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☆☆☆2020年3月☆☆☆
江戸時代初期、まだ大坂の陣は終わっていない頃。
徳川氏の天下が確定しつつあった頃の物語。
東北から、宣教師とともにメキシコへ、ヨーロッパへと旅した「侍」と、宣教師を中心とした物語。
「侍」=長谷倉のモデルは、明らかに支倉常長だろう。
異国との通商を求めるという親書を携え、メキシコへ、スペインへ、イタリアへ、苦難の旅。
「宣教師」=ベラスコはポーロ会という宗派の宣教師で、日本にキリスト教を広めたいという強い思い、そして自分が出世したいという秘めた野望を持っている。
長谷倉らは、使命を果たすため、やむなくキリスト教に改宗。これが帰国後彼らにとって悲惨な結果と -
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ネタバレ20年も前に書かれた本ではあるが、その姿勢は現代のターミナルケアに通ずる部分も多い。以下、自分の印象に残ったこと、気づき。
・最期に自分を支えるのは、やはり精神だ。先立たれた大切な人に会える、だとか苦しんでいることを理解してあげることが一番いい。
・延命処置の是非。尊厳死はどうなのか?天寿を全うしているなら、尊厳死でもいいのか?
・ACPは、死に直面したときに初めてスタートする。在宅医の先生の訪問診療について行った時の経験を思い出した。
・安楽死は可哀想だから死なせてあげるという家族のエゴが入っている。尊厳死はその人が死に方を選べる。しかし自殺はダメ。天寿を全うしてないから。
・痛みも生きて -
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遠藤周作先生による恋愛というか男女のあれやこれやに関するエッセイ
前半はまぁ大体納得できる
「情熱」と「愛」の違いとは?
「信じる」とはどういうことか?
「嫉妬」とはなにか?
愛とは信じる事
「裏切られた」「女は信用できない」という言葉は、まず「信じる」ありきということ
心に残った部分
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現代において女とたくさん寝ることは易しい。
青春の論理としてむつかしい行為を選ばねばならぬ。むつかしい行為とはなにか。それはこの地上でたった一人の女を選び、その女を愛するように努力 することである。ひとりの女を選んだならば、それを生涯、棄てぬことである。これはやさしいこ -
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遠藤周作、高校生以来久々に読んで、あれ、こんな読みやすい人だったのか。と思う。
なんとなく親しみにくいイメージだったけど、まず、文体が読みやすい。
今回は、イスラエル旅行に合わせて、イスラエルを舞台にした小説ということで読み始めた。
なんせ、宗教をしっかり勉強したことなく、キリスト教とは、ユダヤ教とは、というか宗教だけじゃなくて、イスラエルの建国ってどういうこと?から、よく分かっていなかった私にとって、なんとなくキリスト教と、イスラエルの理解が進む、良本でした。
特にキリスト教について、遠藤周作なりの、私なりの、理解ができて、なんとなくキリスト教に納得がいった。
奇跡を起こさないキリスト、 -
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--概要--
・「イエスが死後どのようにキリスト(救世主)として認められていったか」というテーマ。『イエスの生涯』に続く著書とのこと(私はこちらは未読)。
・巻末の高橋たか子氏の解説にあるように、「イエスという人が実際にいた、そして十字架上で死んだ、ということがあった、それを素材として創作された話が新約聖書なのだという見方」で書かれている。ペトロ、ヤコブ等の弟子や宣教師ポーロなどの視点で、彼らがどのような体験・思いから書簡(=今日の新約聖書)を書いたのかが様々な資料の研究の上に述べられている。
・イエスの死、迫害、分派、弟子や伝道師の殉教、ユダヤ戦争での多くの信徒の死といった苦境の中で、「神が -
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イケメン南条、デブサ野呂、美人な戸田京子の三角関係のお話
遠藤周作が本人の役で出てきて、若者から請われてトンデモな恋愛指南(唐辛子作戦とかヤキモチ作戦とか)をしてたりする
こんな設定は現代のラノベに通じるものもあるし、前半は男女の機微を知らない若者をからかい半分にいじる周作先生のキャラがユーモラスに感じる
でも、中盤から描かれてあるのは運命に翻弄される若者たちの姿
何というか、もっとどうにかならなかったのかなぁと思わざるを得ない
南条はまぁ一般的な感覚を持っているのであろう
時として軽率だけども、若者ゆえのこらえ性のなさと見ればまぁ許せなくもない
ただ、その行為が後にどんな結末をもたらすか -
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ネタバレ「沈黙」のテーマ「神の存在の有無」に対し「侍」は「宗教とは何か」という問いかけの小説だと思います。
キリスト教のお話でありながら、日本の宗教観についても描かれていて、「なぜキリスト教は日本に向かないのか」をヴァレンテ神父が語る場面は、深く頷きながら読みました。ヴァレンテ神父の語った日本の宗教観や社会構造は現代日本に脈々と受け継がれているものがあるのを感じました。
また、江戸時代の日本社会の陰湿な部分を、政府上層部や役人の描き方や、暗く冷たい建物の描写で表してるところがすごく印象に残りました。
でも正直読みながらずっと思ってたのは「ベラスコのせいでこんな事に…!!」ということです。こいつさ -
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「侍」は、実在した仙台藩の支倉六衛門常長をモデルとした史実に基づく小説であり、遠藤夫人が夫遠藤作周作の著作中で最も好きな作品として挙げている。
キリスト教に帰依したことを理由に処刑されることとなった「侍」に従者が伝える「ここからは……あの方が、お仕えなされます」という台詞について、遠藤は「この一行のためにこの小説を書いた」と後に語っている。
「あまりにも多くのものを見すぎたために、見なかったのと同じなのだろうか」
「日本人たちはこの海を日本を守る水の要塞にして、自分たちは土の人間として生きてきたのだ。日本人たちはこの世のはかなさを楽しみ享受する能力もあわせ持っている」 -
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先日「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」を読んだ。そちらは生前のエッセイや著書からの引用でまかなっていたが、本書は全編を通じて遠藤節が味わえる。
『赤毛のアン』シリーズの中に「求婚する前に、彼女の父親の支持政党と母親の教派を調べておけ」という処世術が出てくる。男性と女性で信仰のありようが違うのは、今も昔も変らない。
思うに、多神教のはびこる未開のヨーロッパへ布教するには、十二使徒や聖母・マグダラ両マリアのタレント性が不可欠であろう。
第9章「かくれ切支丹のマリア」は興味深い。切支丹の教義の中で、イエスの贖罪の対象は人類に非ず、まさかの……。 -
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聖地エルサレムを訪れる「私」の現代の物語と聖書の挿話を小説として描く過去の物語が相互に進行する。「私」の物語は実話かと思いきや創作であるが遠藤周作氏の実体験に基づくものと考えても差し付けないだろう。
特に印象的なのは小説的手法を用いて等身大のイエスを描いたことだ。「人として」のイエスを描くことで同列の人間たち、現代の物語の冷めながらも何処かで神を捨てきれない戸田や卑屈に神に縋り続けたねずみ、過去の物語での様々な登場人物の目線や感情を通して、筆者自身も見出せてない信仰心の「在り方」を問うことに成功している。信仰と奇蹟を結び付ける人々と寄り添うことに神の愛の本質を説く信仰、その差が落胆や失望を生 -
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果たして基督教の信仰とは何なのか、苦難に対峙してもなお沈黙する神とは何なのか。時代と政に翻弄される「侍」長谷倉と烈しい信仰を持ってベラスコの眼と体験を通して日本人の宗教観が立体的に描かれる。万の神を認めて藩主を絶対的統治者とした当時の侍たちに対し、当初は使命感と意志をもって基督教布教を謀るベラスコの姿は滑稽で狡猾ともみえるが、後半になるに従って長谷倉は藩への疑義に反して信仰を問い、ベラスコは教会への不信に反して信仰を深める姿が印象的だ。
『沈黙』と比べると直接的表現も多く、理解しやすい反面文学性はやや劣るが、『侍』のほうが会社の命令に右往左往する悲哀溢れるサラリーマンに通じるものがあり感情移