遠藤周作のレビュー一覧
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三部作。最後の話やたら長い。本作も他の作品と同じく西洋文化キリスト教と日本の文化との対峙、本質的な相違について描かれている。
主人公はもちろん遠藤周作ご本人がモデルなんだけど、しかし苦しい。なんでこんなに苦しまなあかんのか。時代ゆえなんか、芸術とか文学を志す者ゆえなんか、とにかく苦しい。文学者として、日本人して、クリスチャンとして、男として、人間としてと、いろんな、○○としての自分がのしかかってきて、押しつぶされている。重い。今時「私らしく」とかいう一言で済まされそうなもんなのに。重い重い。でもそんなものに縛られて必死に逃れようとしてまた何かに引っかかりけつまずき、劣等感を抱いたりプライドを傷つけられたり卑屈になったり、苦しんで苦しんで葛藤して、まさに「身を切り肉を切り」言葉を生み出して何かを伝えてきたのが日本の文士(この言い方は出てこないんやけど)なのかなと思える。私はサドよりそっちをベロベロ舐めたいわ。
サドのことは全然知らんが、主人公が記したサドに関する考察はおもしろかった。しかし、サドの本が読みたいとはあんまり思わん。 -
Posted by ブクログ
なんか見事なほど誰も幸せになれなかった。切ないっていうのとはちょっと違う気がしました。
初めて読んだのが高校の時だったからずいぶん前の話なんだけど、今さらながらにこの作品が自分が生まれるより前に出版された作品だってことに気づきました。
もちろん昭和の香りが漂いまくっているんだけど、そんなに時代を感じさせないです。人の心ってどんな時代でも一緒なんだろうなと思いました。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い、綺麗なものは綺麗なんです。
京子の“野呂が生理的に受け付けない”って気持ちがよく分かるんです。小鳥が死ぬときの目が一番好きなんです、なんて言える人間は暗いし気持ち悪いです。死に際を見守る野呂は優しいのかもしれません。でもその優しさが暗すぎる。それは女性に向ける優しさではないと思いました。
正直野呂は優しい人間というより、ただの鈍くさい奴に見えました。
あのタイミングで京子の前に現れて、結局京子の気持ちも考えずに自分の意見を通し切りました。考えずにというより想像もつかないんでしょうね。周りから見たら貧乏くじを引いたのに愛する女性に尽くす優しい男なのかもしれません。京子が望んだのはそんなことじゃなかったのに。切ないというよりやりきれないって感じかな。 -
Posted by ブクログ
三部作中、小説として完成度が高いのは前二編のように思う。遠藤作品で繰り返し語られるカトリックと日本人とのテーマ。だが自分に一番響いたのは三編目「爾も、また」インテリとしての自負、だが実の所平凡で俗的な自分を自覚し欧州文化に押しつぶされていく主人公。サドを研究テーマとしながら自分とサドの接点などまるでないと悩む。真理を追究もできず表面的にうまく立ち振る舞うことも出来ない。
その姿は、表現すべき中身を持たず、表現の場を得るために上手くコミュニケーションすることも出来ず、それなのに表現することを辞められない自分に酷似。つらい。
時々こういう自分を突きつけられるような体験をするから読書はやめられない。
二回目に城を訪れた時の、喀血と雪のコントラストが実に映像的で鮮やか。 -
Posted by ブクログ
遠藤周作・・・狐狸庵先生が他界されてからもう17年たちます。
狐狸庵先生の作品は多く残されていますが、
この本は、死後偶然見つかった未発表原稿をまとめたものだそうです。
遠藤さんファンにとっては天国からの贈り物ですね。
遠藤さんらしい作風でユーモアを交えて
実にわかりやすく、主に手紙の書き方を書かれていました。
「一寸したことですが・・・」で始まる文章は、
お礼状からラブレターにいたるまで、
手紙を送る相手をいつも気遣って書いてください。と、
細やかな心遣いを、わかりやすく述べられていました。
手紙をほとんど書くことのなくなった現代をみたら、
狐狸庵先生は何と思われるでしょう。
なにしろ、恋人同士の別れは、
携帯メールで「好きな人ができたの」と送るだけですむ時代です。
じっくりと文字を読んで
書いた人の気持ちを思い浮かべるような情緒もゆとりもないのです。
なんと、殺伐とした時代でしょう。
・・・なんて、偉そうにいう私も、
確かに昔は筆マメで、よく友人に手紙を書いていたのに
最近は乱筆ということもあり、手紙を書いていません。
なんだか痛いところを狐狸庵先生にたたかれたような気がしました。
すみません。狐狸庵先生!
PCメールでもいいから、相手を想いやった文章を心がけます。
十頁読んで面白かったので、最後まで読み
あらためて狐狸庵先生の温かさがわかりました。
手紙や人の交流の大切さを
今一度噛みしめるのに最適な一冊です。