遠藤周作のレビュー一覧
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転落の象徴的逸話である首飾り事件の余波で民衆のアイドル的存在から憎悪の対象へ一変し公開処刑に至るまでを描く。気まぐれで移り気な民衆の怖さ、それでも貴族としての立ち振舞を意識し愛と優雅さに生きるアントワネットの姿が印象的だ。徹底的な悪政のイメージが強いルイ16世だが、王と王妃は囚われ逃亡しながらの何度も救出が試みられることから貴族社会からはそれなりに支持があったことが窺える。
搾取された民衆に同情すべきであるが、万策尽き刑宣告まで幽閉され疲弊しながら衰弱するアントワネットのさまはなんともいたたたまれない。ギロチンによる公開処刑直前、執行人の足を踏み一言「あらごめんあそばせ」、最後まで気品ある態度で臨んだオーストラリア出身の王妃の象徴的エピソードである。 -
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マリー・アントワネットの壮大な一大歴史叙事詩を遠藤周作氏が描く。アントワネット氏の豪奢で絢爛な面だけでは品性を保ちながらもフランス革命前夜の時代に翻弄される姿が印象的に描かれる。史実を、マルグリットやフェルセンのフィクションで照らすことで、さらに物語的な深みが増している。マルグリットとサド侯爵のやり取りはもちろん架空だがひょっとしたらこういうエピソードもあったのではないかと思わせるのは遠藤氏の極めて高度なレトリックの結果だろう。特にギヨサンとサンソンの話は結果皇妃自らが裁かれることを知る我々にとっては不気味にそしてなにかもの哀しい。
教科書で見る浮世離れしたアントワネット氏の姿ではなく、純粋な14歳の少女から王妃としての自覚と品格を備え毅然とした態度で社交界で振る舞う姿が印象的だ。ひとりの女性としてどうであったか、マルグリットの嫉妬と羨望の眼を通してアントワネットの僥倖と苦悩が描かれる。 -
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聖地エルサレムを訪れる「私」の現代の物語と聖書の挿話を小説として描く過去の物語が相互に進行する。「私」の物語は実話かと思いきや創作であるが遠藤周作氏の実体験に基づくものと考えても差し付けないだろう。
特に印象的なのは小説的手法を用いて等身大のイエスを描いたことだ。「人として」のイエスを描くことで同列の人間たち、現代の物語の冷めながらも何処かで神を捨てきれない戸田や卑屈に神に縋り続けたねずみ、過去の物語での様々な登場人物の目線や感情を通して、筆者自身も見出せてない信仰心の「在り方」を問うことに成功している。信仰と奇蹟を結び付ける人々と寄り添うことに神の愛の本質を説く信仰、その差が落胆や失望を生むのだが人によっては信仰をより強固なものにさせる。
並行して「イエスの生涯」も読んでいるが、等身大のイエスを描く手法は賛否両論はあろうがよりリアリティを持って信仰というものについて考えさせらるきっかけになろう。 -
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’’ブラック大名に仕えてるんだが、俺はもう限界かもしれない’’ー信長に仕えて反逆した荒木村重と明智光秀が主役に据えられています。
明智光秀が本能寺の変に踏み切った理由として信長が違約して四国の長宗我部討伐に踏み切ろうとしたことを中心に、荒木村重が有岡城の謀反をおこした理由として本願寺顕如に魅かれつつあったという設定で書いていますが、要するに信長の恐怖威圧に対するプレッシャーに耐えきれなかったという書きぶりです。
両者の戦に共通する人物として、高山右近と豊臣秀吉をうまくフューチャーしています。特に秀吉が戦を始める前に徹底的に根回しするさまの書きぶりは、遠藤周作が日本統一するまでの秀吉のスキルを非常に高く評価していることをうかがわせます。あの頃の秀吉はまさに対信長を除けば天下無双ですね。直情的な戦闘武士の柴田勝家ではそりゃ勝てないはずです。そして、高山右近が中川清秀が味方してくれるはずと、希望的観測に強く依拠しながら裏切られて敗北する両名に人の弱さをうかがいしれます。
それにしても、荒木村重が妻子を見殺しにされた後もなお自決を選択せずに生き続けたことは当時の棟梁にしては異例な選択なので、その点をもっと突っ込んで書いてくれるとなおよかったかな