半藤一利のレビュー一覧
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太平洋戦争前夜の昭和史について、今までの著書で書ききれなかった部分を、世界史と絡める視点から描こうとされています。その時日本では、ドイツでは、ソ連では、とそれが関係しあって全体的な流れが出来上がったのだということを、一部著者の推論も入りながら知ることができます。なぜ日本は戦争に向かっていってしまったのかについて、別の視点から考えることができるのではと思います。
日本国内のどうしようもない無責任が、あの戦争に向かわせたことは事実ですが、そんな人間ばかりで、あの時代は全世界が戦争に向かっていった時代だと思っていました。しかし、なんとかしてその流れを変えようと努力した人間もたくさんいたはずと。本書を -
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この組み合わせ、このテーマでつまらないわけがない。案の定めちゃ面白かった。しかし両名の著作に馴染んでいる立場からすれば、当然ながら予想の範疇の内容で新味には欠ける。
阿部正弘・大久保利通・勝海舟を絶賛する一方で、吉田松陰・伊藤博文・山縣有朋はボロクソ。対談集だからこそのこの切れ味。
半藤さんの名著「昭和史」(2冊)、「幕末史」を再読したくなったとともに、新刊の「世界史のなかの昭和史」を買わねば。
加えて、両名が揃って勧めていたアーネスト・サトウ、海舟の「氷川清話」、そして松本清張が山縣有朋を描いたという「象徴の設計」を読みたいリストに追加。ウキウキするわー。 -
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ネタバレ昭和天皇が天皇になるために周囲がどんな教育をしてきたか、迪宮がどのようにして天皇になるのかを描いた序章。
子供ながらに自分の名字がないことを気にして養育係の足立タカに竹山というハンコを作って打ち明けるシーンはなんとも言えない。
幼いながらに理知的な一面を持ち、周囲との違いを感じていたのか。天皇として生まれたと言えばそうだが、元を辿れば庶民と変わらぬ人間という生き物である。同じ人でも教育課程、環境で日本国を背負う人になる。
暮らしぶりを見れば当時の時代背景から庶民より恵まれてはいただろうが、この生き方は辛くもあるように私は思う。
今の天皇一家はこの本をどのように捉えるのだろうか。 -
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朝鮮情勢の命運に世界の注目が集まっているこのタイミングだったらこそ、昭和の戦争に向かっていったあの時代の世界と対比させて読むことができた。
金正恩は現代のヒトラーなのか。少なくともヒトラーほどの野心はなさそうだだが今この時点ではなんとも言えない。だが金正恩を取り巻く世界情勢は80年前と変わらないようになってきたと思われる。経済発展を優先し、他国を顧みない現在は二度とあの大戦を起こさない方向に本当に進んでいるのであろうか。しばらくは朝鮮半島から目が離せない。
これを読んでいるとif、if、ifとあの時にといったポイントがいくつもあり戦争を引き起こさなくても良かったのではないかと思えるが、それはや -
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1巻と同様、浩瀚な資料をもとに、当時の世相から戦局に至るまで詳細にまとめられており、とても勉強になる。
しかし一方で、乃木将軍の軍事差配やその他評価については個人的な意見と反する点が多かった(私はこの将軍が好きなのだろう)。
旅順戦で乃木の第三軍は数万名にのぼる死傷者を出し、司馬遼太郎を始めとして世の批判を受けた。しかしその内容は戦後感覚での批判であり、評価に値しないと感じる。
日露戦争当時は戦車もなければ戦闘機もなかった。攻め手の最大の武器は「歩兵の突撃」だった。当時の作戦思想もある程度の歩兵の損害を前提にしている。つまり、銃剣を装備した歩兵の密集隊形で波状突撃を行い、第一波の8 -
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都立墨田川高校の先輩後輩という間柄の、半藤一利と宮部みゆきの二人が、実に楽しげに対談している。
しかし語るのは、昭和に起きた、日本の運命を変えたともいうべき大事件ばかり。
歴史探偵を自負する半藤氏は、「歴史はひとつの大きな流れに見えて、じつは多くの要素がパズルのように組み合わさっているから、一つの要素が変化したら、一見とんでもなく遠い関係のない場所のパズルも変容してしまう。それが歴史の意志というものの姿なのでしょう」と、喝破する。
一方宮部氏は、小説家の目で、昭和15年が日本のポイント・オブ・ノーリターンの年だと指摘し、半藤氏と同様なことを語る。
すなわち、三国同盟締結と大政翼賛運動が起きた年 -
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とてもよく調べられていてとても面白い。
打倒露国に燃える民草と軍部という社会的背景は確かに太平洋戦争時と似ているので著者が頻繁に比較調で述べるのはわからんでもないが、幾分冗長。なにを取っても昭和のダメ出しをするのは、逆に短絡的な主張に見える。
個人的にこの二時代の違いは、国家の施政を担う実質的な意思決定者が、敵国との懸隔の差をどう受け止めていたかによると思う(この意思決定者に天皇は含まない。第一次大戦の独墺の皇帝がそうだったように、立憲君主制下の最高権力者は極めて民主的に振る舞った。責任閣僚の意見を無視できない制度だったからだ。)。明治の方が(元老たちは)相手との歴然たる差をその通りに受け止