半藤一利のレビュー一覧
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奇跡の人材登用が生んだ日本の近代化
〜開国→富国→強兵のグランドデザインと武士階級の自己改革〜
■概要
作家の半藤さんとライフネット生命創業者の出口治明さんの対談。薩長栄光の歴史とされる明治維新を幕末の動乱の時期から、各藩/各人の思惑に焦点を当てることで、明治維新をどう観るかを問いなおす。明治維新を見なおすことは、人間ドラマにとどまらず、人材登用や複雑な利害関係者との交渉など、現代社会にも多くの示唆を与える。
■所感
明治維新をよく理解していなかったが、歴史作家の大家である半藤さんと、歴史と哲学に精通し"啓蒙経営者"と呼べる出口さんの知見から明治維新を学びなおせる。薩長、坂本龍馬、岩倉使節団くらいしか知らなかったが、各人の明治維新において果たした役割を学べた。
ただ歴史をなぞるのではなく、現代の意思決定に学べる要素が大きい。情報収集から情報公開の大切さ、人材配置などはいつの時代も肝になる。
歴史は勝者が作るというのが、明治維新(薩長革命)にも当てはまると痛感。
■詳細メモ
・明治維新(明治政府誕生)は薩長の暴力革命
関ヶ原の戦い以降の200年の禍根を薩長が晴らした、それが明治維新。幕府の開国決定が尊王攘夷につながったものの、攘夷は無理と判断した薩長が尊王倒幕に傾いた。
そもそもの尊王は、家康?が廃止した「幕府が朝廷にお伺いを立てます」を復活させたあたりから始まっていた。攘夷は開国に伴い生まれたが、薩英戦争と下関戦争で海外の実力を知り断念。まず倒幕が作家の目的に。
・ただ人材登用は抜群
たとえ薩長を中心とした西軍(官軍)びいきの人材配置でも、奇跡のピースがピタリとはまった。狭義の明治維新かつ(武家政治終了)は暴力革命でも、広義の明治維新(日本の近代化)は当時の素晴らしい人材とその登用術のおかげ。
・活躍したのは誰か?
- 勝海舟の様に幕府側からも支えた人が。〇〇人に入るのは薩摩人、京都人などが当時の概念だったのに対し、初めて「日本人」を概念にした。幕府と薩長で争っている場合ではない、と一気に人々を啓蒙した。
- 隠れた構想家、阿部正弘。グランドデザイン。出口治明さんが選ぶ功労者第1位。
- 坂本龍馬はアイデアのパクリスト、ただ構想力とコーディネート力が抜群。秀吉やビルゲイツタイプ。
- 大久保利通は阿部正弘の構想(グランドデザイン)を実行に移した、視座が高い。出口治明さんが選ぶ第2位。
- 伊藤博文や山縣有朋は"小粒"。それでも伊藤博文は日露戦争の落とし所をわきまえていた、現状把握ができる人。山縣有朋はシビリアンコントロールを日本から無くした。統帥権の独立が後の大戦の悲劇に
- 徳川慶喜はよく分からない。鳥羽伏見の戦いで錦の御旗を見ただけで撤退したのは謎
- 岩倉具視は謀略家の腹黒(かなり悪く書かれている)。ただ岩倉使節団は明治維新に寄与した。(倒幕後の国家隆盛に欠かせない)
- 西郷隆盛は革命家。毛沢東に近い(詩人であり農本主義、ロマンチスト)。だから革命後の政府で上手く立ち回れなかったが、革命には欠かせない人。
・明治維新の成功の要諦
阿部正弘が「開国→富国→強兵」の順に進めようとしたこと(出口さん)。日本には資源がない、しかも鎖国で海外の情報ない。だからまず開国しないと富国も強兵もできない。
なお、日露戦争以降、日本が誤った道に進んだのは「閉国」路線を歩んだから(司馬史観に近い)。これでは海外の正確な情報つかめず、兵器開発や戦術面でも劣る、だから大和魂と白兵戦法のゴリ押しで大戦では悲劇を生んだ。
開国後の吉田茂は「強兵」をアメリカに任せて、開国と富国に集中。これが戦後復興に寄与した。
・勝海舟、西郷隆盛らの自己改革
武士階級が封建社会と決別しようとしたことも忘れてはならない。自己改革できる覚悟ないと「維新」は成し遂げられない。これも阿部正弘がアヘン戦争の現状を知っていたからこそ、開国やむなしとできた。ただそれを受け入れた幕府側の武士(阿部もその一部だが)の功績、勝海舟こそ立役者。(半藤さん)
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ネタバレ2020年11月22日記述
21世紀の戦争論 昭和史から考える
2016年(平成28年)5月20日第1刷発行
半藤一利氏と佐藤優氏による対談をまとめた本。
初出
週刊文春 2015年5月7日14日合併号「今こそ読むべき14冊」
文藝春秋SPECIAL 2016年冬号「失敗の昭和史」
文藝春秋 2016年3月号「新しい戦争と日本軍の教訓」
はじめにで佐藤優氏が、あの戦争(第二次大戦)で活躍したエリートが戦後も日本の政治に表と裏の双方で影響を与え続けた。
そのために、日本に破滅をもたらした因子が、温存されることになってしまった。
という指摘をしている。
その通りだと思う。
しかし、全てをA級戦犯とし全員を死刑にしていくこともまた難しい。
ドイツも全ての罪人が死刑になったわけでは無い。
国家の再建に人材がいなくなっても困るという問題もある。
とは言え、構造的な問題を変えていく事で過去の過ちを繰り返さない為に過去の出来事を、そのプロセスも含め、虚心坦懐に知る事が重要なのだと
いう佐藤優氏の指摘は全く同意だ。
つくづく昭和史を日本人は知らないと思う。
大河ドラマ等も含めついつい戦国時代と幕末明治維新あたりばかりを取り上げるという問題もあると思う。
印象に残った点を取り上げていくと
旧ソ連諸国の特徴として、得体の知れない誰かが研究しているときはだいたい秘密警察がやっていると考えていい。
ベラルーシにそれだけの文献があるわけではないし、組織的な背景が無ければ、こうした論文は書けません。それがクオリティの高い雑誌に載るということは、何かに使うための材料だと考えられます。(佐藤)
殺戮用細菌は使用してはならない。国際的信義は大切にしたいという昭和天皇の判断
戦闘の目的は自分たちの主張するところを武力によって押し通すことにあります。
相手を納得させることです。
が、自分たちの言い分が通らなかったのですから、ノモンハン戦は残念ながら負け戦であったというほかはない。(半藤)
兵隊さんたちはみな、辻(政信)を褒めるんです。
あのぐらい立派な参謀はいなかったと、口々に言う。
戦場では、他の参謀はみんな後ろに下がっていて、最前線へ出てきません。(中略)ところが、辻は出ていく。
ノモンハンでも、のちに参謀を務めたガダルカナルでも、インパールでも最前線に立っている。
だから、特にノモンハンの生き残りの兵隊さんはみな、あのぐらい立派な人はいない、と褒めるのです。(半藤)
まるで暴走族の頭のようじゃないですか(笑)。
そうやって現場を踏んで帰ってきて、今度はデスクにいる参謀たちにお前達は戦場を知らないと、恫喝したのでしょう。
つまり辻はインテリ向きではなく、大衆を引きつける魅力があった。
その意味では、彼がクーデターの方向にいかなくてよかったですよ。(佐藤)
確かに自分で率先してやることはやる。ただし、ガダルカナルにしても出ては行くけれども、上から見るだけなんです。
このジャングルがどのぐらい深くて、突破するのにどのぐらい時間がかかるかというところまでは見通せない(半藤)
日露戦争以来、34年間も日本陸軍は近代戦を戦ったことがない軍隊だった。
(中略)
その34年間、日本軍に何が起きていたかといえば、官僚化だったと思うのです。
実戦がない軍隊で出世するのは、事務能力の高い人間です。(佐藤)
そこでノモンハンでの戦いのもうひとつの重要な教訓として浮上してくるのが、ロシア人の国境に対する考え方です。私は究極的には日本とソ連の国境線の
違いこそノモンハン事件の原因だと思うのです。
実は、ロシア人の国境概念はわれわれとはちょっと違うんです。
国境線があっても、その外側に緩衝地帯がないと安心できない。
その地帯は自分たちの領土でなくていいんです。
しかし、いつでも自由に動ける地域でなくてはいけない。
つまり、線ではなく、幅のある「面」の国境をつくりたがる。
例えば第二次大戦後、ソ連は東欧諸国をソ連邦に加盟させてもよかったはずです。
ところが、それではロシア人は落ち着かないのです。
だから東欧全体を人民民主主義国にし、緩衝地帯とした。
複数政党制で、教会政策も締め付けを緩くした。
ソ連国内では民間企業をつくれなかったけれど、東欧諸国では従業員5、6人の企業であればつくれました。また、たとえばモスクワでは喫茶店もすべて国営でしたが東欧諸国や、ソ連領でもバルト諸国では家族経営が認められていました。
そういうふうにして、本国より少し規制が緩いけれど、ソ連圏として自由に行き来できる領域が周りにないと安心できない。
ですから当時、モンゴルも併合することができたはずですが、
そうせずに緩衝地帯として独立させました。(佐藤)
結局、各国が毒ガスを持っていたのに、第二次世界大戦ではどの国も使いませんでした。
一神教の世界の人々は、毒ガスを使えば皆殺しの報復にあうと、お互いに皮膚感覚でわかっているからです。(佐藤)
日本陸軍の弱点は、米を食べないと腹に力がこもらず戦えないことでした。
米を食べるためには、炊かなきゃならない。炊くためには火を起こさないとならない。
そうすると、火と煙が上空の飛行機から見えてしまう。
情けないくらいにそうなんです。ガダルカナルなどで日本軍が密林にいながら徹底的にやられてしまうのは、みんな飯を炊いているからです。
煙が上空から見えてしまう。(半藤)
そうそう、もうひとつ重要な例がありますよ。
日本が対米英蘭開戦を決意した「ハル・ノート」にあった「Chinaから撤兵せよ」という条件です。
日米関係の緊張が最高潮に達していた昭和16年の11月26日(日本時間27日)アメリカのハル国務長官から突きつけられた条件の中のひとつです。
この「China」がどの範囲を指すのか、日本政府も軍部も当然、満州が含まれると思っていた。
ところが、戦後になってアメリカから
「満州は含まれていなかった」という説が伝わってきたのです。
それを聞いた開戦時の国務大臣・企画院総裁の鈴木貞一中将が
「そんなバカな!もしそうであったなら戦争に踏み切る必要はなかった」と天を仰いで言ったのを私ははっきり覚えています。
アメリカは満州国を承認していなかった。
それで当然のことに満州国は
含まれていると、そう東條内閣は判断したというのです。
言葉というものが、外交的に正しく判断できるかどうか、恐ろしい話ですね。(半藤)
組織の中で個人的な名誉欲とか出世欲を、国益と混同しているようなタイプですね(半藤)
外務省にはいるんです、このタイプが(笑)。
「私の利益は外務省の省益で、すなわちそれが国益で、世界平和のためになる」
という理屈です。こういう人たちとの付き合い方は、非常に難しい。
自分の中で完結していますから「それは違うんじゃないか」と外側からいくら言っても、聞く耳を持たない。
勝海舟の言葉に「忠義の士というものがあって、
国をつぶすのだ」というのがあります。困ったことに、われわれは忠義とか国益という言葉に非常に弱い。(半藤)
勝の言葉は、全く正しいですね。こうした人間には2種類あって、
本気でそう思っている人間と、確信犯的にやっている人がいるということです。
前者は、ウソをついているという自覚すらなく、自分の利益=組織の利益=国家という物語をつくって、それを信じ込んでいる。
だから、息を吸ったり吐いたりするようにウソをつくことができるんです。
厄介なのは、この手の人間には歴史を動かす力があることです。
自分ほど無私な人間はいないと思っていますから、少々のことではへこたれない。
強いんですよ。
さらに厄介なのは、彼らが往々にしてチャーミングであることです。
ノモンハンのところで名前が挙がった参謀・辻政信など、まさにこのタイプではありませんか。
昭和陸軍には外務省同様、他にもこのタイプがいそうです。(佐藤)
(佐藤賢了を1963年(昭和38年)にインタビューした際に)
戦後15年以上経っていましたが、自分がやったことは完璧に正しいと信じていましたよ。
そもそも、「閣下」と呼ばないことには、
答えてくれなかったんですから(半藤)
幼年学校の卒業生は語学がよくできるという神話がありましたが、あれは間違いだと思うんです。
昔、外務省に幼年学校からロシア語を
勉強している大使がいたのですが、あんなにロシア語ができない人はいませんでしたよ(笑)。
先程も話に出た戦時下のベルリンの大使館にいた
吉野文六さんにそのことを話したら、「大島浩大使(幼年学校出身、陸軍中将)も、ドイツ語は何を話しているかわからなかった」と言っておられました。(佐藤)
エッ、大島は東京地方幼年学校出身の、チャキチャキの陸軍軍人なのにね。
そのドイツびいきで、白鳥敏夫イタリア大使と一緒に三国同盟を推進した大島が、ドイツ語ができなかったというんですか(半藤)
ええ。細かいコミュニケーションはほとんどできなかったようです。
その伝統は今も続いていますよ。
私の経験でも、防衛省から在外公館に出向している防衛駐在官で、英語以外をまともに使える人を見たことがありません。
新聞記事ひとつ訳すのに2日はかかるから、意見交換なんてまず無理。
最近、テロ対策で防衛駐在官を中東諸国に増やすといわれていますが、彼らのアラビア語、ペルシア語の力では情報を取るのは難しいと思います(佐藤)
現実的な対応力では、やはりアメリカは優秀です。
修正する思い切りの良さ、方針転換したときのスピードが違う。(佐藤)
先程アメリカによって日本の輸送船がさんざんに叩かれたという話がありましたが、これも真珠湾でアメリカの主力戦艦が使えなくなってもっぱら潜水艦などを使った通商破壊に転じたという面があります。
航空母艦重視にせよ、ロジスティクスの見直しにしても、結果として確かにアメリカは「失敗」によく学んでいるのです。
こうして振り返ってみますと、昭和の陸海軍がどうして参謀重視という形になったかがおわかりいただけたと思います。
その参謀には、とにかく当面の戦闘に勝つことだけを考えて、大きな戦力構想を持つところまでは至らなかった。
「war」に勝つのではなく「Battle」に勝つことしか考えていませんでした。(半藤)
戦闘の勝利の蓄積の上に、戦争の勝利があるという思想ですね。
しかしそこでは「合成の誤謬」が起きてしまう。
ひとり一人が正しい行動をとっても、全体で見ると思わぬ悪い結果を生んでしまうのです。
そして、硬直した組織では、外側の変化に対応できないということがよくわかります。陸軍が情報を握りつぶしたことといい、
海軍の海戦要務令といい、変化のシグナルは出ていたはずなのに、また、それに気づいていたはずなのに、自らを変えられなかった。
これはなかなか根が深そうな問題です。(佐藤)
「日本のいちん長い日」は私が35歳の時に書いたものです。
当時私は文藝春秋に勤めていたんですが、編集者仲間と太平洋戦争を勉強する会をつくっていたんですね。変な話ですが、昭和30年代の初め頃は
文藝春秋もいわゆる「平和論」に染まっていて、戦争のことにはできるだけ触れないような風潮があった。私など、半藤をもじって「反動」などと呼ばれていたくらいです。
それなら自分たちで勉強しようじゃないかというので、旧軍人や官僚といったさまざまな立場で
あの戦争の当事者だった人たちを呼んでは話を聞いていた。
すると、知らないことばかり出てくるし、当事者でも案外、自分が直接関係していない部分は知らなかったりする。
ならば、いろいろな人に聞いて、いったいあの日、何が起こったのかを再構成してみようと思ったのです。(半藤) -
Posted by ブクログ
ーえっ? 日本が昔 アメリカと闘っていた?
という言葉を この耳で聞いたことがあります
まだ10代の若者であったとは言え…
なんとも いえない 嫌な気持ちになったことは
今でも 覚えています
ー八月や 六日九日十五日
俳句の世界ではすこぶる有名なんだよ
(本文より)
私は(周知のことであるとは)知りませんでした
ー十二月八日
のことを 全く知らない若者には
何人も出逢いました
最後の方に
「戦争は
国家を豹変させる
歴史を学ぶ意味は
そこにある。
半藤一利 」
の手描き(鉛筆)の文字が
心に迫ってきます
そんな今だからこそ
読まれて欲しい 一冊です
そんな今だから
手にしてほして 一冊です -
ネタバレ 無料版購入済み
皇室関係の漫画があるとは
昭和天皇のことは玉音放送とか歴史の講義で学んだことしか知らんが、マッカーサー相手に全責任を負うと発言するところとか乃木閣下への最期の言葉とか当時としては異質ながらも強い方だったのだなと感じた。(乃木閣下の下りはどこまで本当か分からんけど)
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購入済み
5.15事件直前
軍部の暴走の過程が描かれ、緊迫していく様子と天皇の苦悩が描かれる。
侍従武官長については昭和天皇の親任が厚かったかのように書いている書物もあるが、
実際はこうしてご意向を無視していたとは。白川大将が対照的。