塩野七生のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
確か10年以上前、塩野氏の「ローマ人の物語」1巻途中で挫折しており、苦手な意識が植えついてしまい、ついつい避けてきてしまった
でもイタリアは好きだし、イタリアの歴史をもう少し知りたい(しかし歴史の教科書のような本を読むのも面白くない…)
というわけで、塩野氏へいざ再チャレンジ!
15世紀末、当初のイタリアは今のように国家が出来上がっておらず、ナポリ王国、フィレンツェ共和国、ヴェネツィア共和国…というような小国家が群生している状態であった
誰も「イタリア」と言葉にしないような時代に、統一国家を目指そうと野心あふれる一人の男
それがチェーザレ・ボルジアである
父が法王であり、その父がチェーザレをバレンシア大司教に抜擢、さらにバレンシア枢機卿へ任命…こんな感じでボルジア家の継承者へという思惑があったのだが…
ある時期になると彼は枢機卿を返上し、大司教の職を捨て、俗界に降りることを決意
そこまでしてなし得たかったことは自分の力で統一国家をつくり上げることだ
父である法王の教会勢力を操り、政略結婚によって得たフランス王の援助をとりつけ、目的のためなら手段を選ばず、たとえ身内を手にかけても己の野心を全うする
誰もがチェーザレの残虐さとしたたかさと強大な野心に恐れを抱くようになる
そしてついに反逆が始まるのだが…
どれだけ孤独になろうとも彼の野心は衰えを知らない
が、勢いだけでもない
忍耐強くしぶとく、そして裏切りは決して忘れず許さない
どれだけ時間をかけ待ったとしてもやると決めたことはやり抜くのだ
そしてあらゆる決断を一人で下す
誰の助言も必要としない
どんな作戦かも、今からの行動さえも家臣に語らない…
織田信長みたいである
孤独でただ戦うことと己の野心のみで生きたチェーザレ
話をすることはなくても立ち止まることはない…
ルネサンス期を生き急ぐように駆け抜けた!
(本当に飛ぶが如く、いつもいつも奔走している)
そして31歳という若さで命をおとす
チェーザレに関わった偉大な歴史的人物として2人が登場
■レオナルドダヴィンチ
チェーザレはダヴィンチに国土計画を依頼した
この書では似たもの同士が良い相乗効果で…とあるが、以前読んだウォルターアイザックソンの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を思い出す
レオナルドはチェーザレに仕えるものの結局チェーザレの残虐さに嫌気を指すとあった
レオナルドは20年以上も軍事技術者になることを夢見てきたのだが、平和主義思想で不和や戦闘はごめんだと言っているのに、武術に興味がある…という葛藤があったようである
■マキャヴェリ
マキャヴェリは曰く
「チェーザレ・ボルジアは、残酷な人物とみられていた。しかし、この彼の残酷さがロマーニャの秩序を回復し、この地方を統一し、平和と忠誠を守らせる結果となったのである。」(メディチ家に献言するために執筆した「君主論」による)
本書ではチェーザレはもちろん他人に一切心の内を見せることはなかったようであるが、それなりにマキャヴェリを気に入っていたようである
チェーザレのセリフがほとんどなく、
そのためチェーザレの心境を読み取る…という小説のようにはいかない
実際記録が少なかったようで、ある意味史実に忠実な描写ともいえるのかもしれない
しかしそれでもチェーザレの強い意志と颯爽とした様子は勢いよく伝わり圧巻ではあった
地名や職業的地位、人物が混乱するほど多く出てくるため、これはまたもや挫折か…と途中で焦ったが、今回こそは1冊なんだから!と混乱しそうな部分はメモを取りつつ進めた(この時代のイタリア史の知識が豊富ではない限り、理解して読み切るのはなかなか大変である)
やはりどうも相性が宜しくないようで…
楽しめたかというと微妙である
うーん何故だろうか…
それでもチェーザレの人生とこの時代のイタリアに触れられたことはなかなかの経験だ
刃の薄く鋭いナイフが何度もビュッと耳元で鳴っているような気がした -
Posted by ブクログ
ネタバレ塩野氏の作品と言えば、古代ローマやルネサンス期の歴史小説。
歴史好きとしてはいつか挑戦してみたい大作だとかねてより思っていました。ただそのボリュームにひよった結果、手にしたのが本作。
そして思ったことと言えば・・・。
やっぱり塩野氏とくれば歴史小説を読んだ方が良いのではないでしょうか。
という感想となりました。
初めての塩野氏の著作ですが、今更ながら読む順番を間違えたかもしれません。
始めに何らかの歴史小説作品を読んでいれば、作品の作風や著者の人となりを曲りなりとも感じ取ったうえで本エッセーを読めるかと思います。
ところが私は本作が初で、しかもこれがエッセーでした。第一章のどこぞで「最近の日本人は顔が幼児化してきた」とか「日本の女は女であることを放棄している」等々の発言を見て、なんかえらい口が悪いばあさんだなあ、と感じてしまった次第です(ごめんなさい)。
きっと他の作品を先に読んでいれば受ける印象も違ったのではと思った次第です。
その中でも第五章「仕事の周辺」は面白かったです。こちらは歴史小説を執筆する際の舞台裏の話でした。
歴史小説とはできる限り資料をあたり、史実に基づいてストーリを構成するそうですが、どうしても資料で埋めきれない部分があるそうです。その穴を埋めるための創作の呻吟はこうしたエッセーでなければ知る由もないなあと感じた次第です。 -
ネタバレ
盛者必衰
一部ご紹介します。
・国家の指導者は、国民を「女」と考えるべきなのだ。女は苦労が嫌なのではない。「君には苦労を掛けるね」の一言だけで、奮い立つのが女というものである。苦労とは、「わかってはいるけれど」という想いだけでやるならば、苦でしかないが、こちらがやる気になってする苦労は苦ではなくなるのである。
・盛者必衰がなぜ歴史の理になるのか。それは、「これまでうまくいってきたこと」を変える勇気が持てないからだ。今は成功の要因だとしても明日、そうである保証はない。それどころか足枷に変わることもあり得る。
・ローマとヴェネツィアの例は我々に次のことを教えている。
第一に、変えるといっても、自分自身の体質にあったやり方で変わる事。必要を超えた無理は、病気をよび、死につながるからだ。
第二に、改革は体力の、つまり経済力のあるうちに為されなければならない事。改革を実行するのに無理が伴わない筈がないからだ。ただし、これは必要な無理である。必要な無理を許すのは体力しかない。体力のあるうちに改革を先取りしておけば、競争の次元という変化の荒波を乗り越えることもできる。ローマもヴェネツィアもそれをやった。ただ、改革が後手後手に回ったとき、千年の寿命を誇ったこの二国も衰退したのである。
・誰だって、誤りを犯したくて誤りを犯しはしない。ただ、晴天の日に、翌日には雨が降るとは考えないだけである。 -
Posted by ブクログ
Wikiによると、
1522年のロドス包囲戦(ロドスほういせん、英語:Siege of Rhodes イタリア語:Assedio di Rodi トルコ語:Rodos'un Fethi)は、オスマン帝国が聖ヨハネ騎士団をロドス島から完全に駆逐した戦い。この結果オスマン帝国は東地中海での覇権を確立し、聖ヨハネ騎士団はシチリア島に撤退、後にマルタ島へ移ってオスマン帝国に抵抗し続けた。
中世のほぼ最後の騎士による戦いといったところだろうか。
キリストvsイスラムという構図の中で、ヨーロッパ各国からの支援が全く期待できず、まさに孤軍奮闘する様は騎士道の最後にふさわしい。
ローマ人の物語のように長編ではなく、文庫本1冊に収まる分量なので流れは良いけれど、もう少し重厚感が欲しかったところではある。