大田直子のレビュー一覧
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雷に打たれ命を取り留めた替わりにいきなり音楽に取り憑かれた男、金管楽器の低音に反応しててんかん発作を起こす船乗りと言った様々な症例を紹介するオリバー・サックスは「レナードの朝」の原作で有名な神経学者だ。
歌手がよく音楽の力を口にするがどうも一定の条件では本当に力を持つ。言葉を話せなくなった失語症の患者が音楽にのせると会話ができるようになる事がある。なんと話しかけても「オイ、ヴェイ、ヴェイ。・・・」を繰り返す自動症の患者に音楽に乗せて問いかけると答えが帰ってくるようになった。「コーヒー、それとも紅茶?」「コーヒー」・・・「デイヴィッドは治っている!」彼の食事を持って帰りこう告げた。「デイヴィッド、朝食だよ」「オイ、ヴェイ、ヴェイ。・・・」
絶対音感を持つ者がいれば、音楽を認識できない人もいる。4~5歳で音楽の訓練を始めた場合ちなみに中国人の6割は絶対音感の基準を満たしたのに対し、普通のアメリカ人の場合わずか14%に留まった。声の高低を使う声調言語が音感を鍛える様なのだ。絶対音感のある音楽家の脳は側頭平面の大きさが、左右で大きく違っており、赤ん坊の方が絶対音感に頼るところが大きいことから「大部分の人間は絶対音感をなくし、音楽能力が縮小した」のかも知れない。とは言え絶対音感と美しい音楽を作る能力は別物だ。
生まれつきの視力障害の場合に聴力が発達するのは使われない視神経を聴覚に割り当てるからで、感覚神経は融通が効くものらしい。音色や言葉や数字に色を感じる共感覚はなんだか電話が混戦しているような話だ。特定の才能だけが飛び抜けている知的障害のサヴァン、「なぜ私たちみんなにサヴァンの才能がないのだろうか?」、胎児や乳幼児で弱い左脳が損傷を受けた場合、右脳が対照的に過剰発達をしてしまうのか。左脳が発達すると右脳機能の一部を抑制したり阻止したりするのだが左脳の損傷で変則的に右脳優位になる場合がある。
脳神経に起きているのはおそらく物理的な現象だがそれにしてもいろんなことが起こる。オリバー・サックスの新作は「見てしまう人々 幻覚の脳科学」すでにiPadの中で積ん読状態でこちらも楽しみだ。 -
Posted by ブクログ
「誰が儲かったのか?」「誰が得したのか?」
というのが物差しになっています。
イデオロギー、正義、悪、ではありません。
こういう近現代史の本、読みたかったですね。
読み物としても、とっても英語的なちょっとした皮肉を交えながら、実に滑らかによどみなく進みますし、ドラマチックに描かれていて、飽きさせません。
そして、アメリカの近現代史というのが、当然ながら全て日本に跳ね返ってきます。
読みながら、日本の近現代史なんて、アメリカや欧州帝国主義の歴史を把握しないと、事実や年号だけ記憶しても何の意味もないんだなあ、と思わされました。
思った以上に、娯楽的にも実に面白い本でした。続きも読もうと思います。
2013年に日本語訳で出た本のようですね。
映画監督のオリバー・ストーンさんと、履歴は知りませんがアメリカの大学教授さん、つまり専門的な歴史学者さんなんだと思いますが、ピーター・カズニックさんという人との共著。
当然ながら、少しでも売れるように、読まれるように、という意図からこういうタイトルになっているのだと思われます。
簡単な話は、「アメリカの近現代史」なんです。
とは言ってもアメリカは、日本と比べれば建国以来歴史が若いので、そのほとんどが近現代史なんですけど(笑)。
そしてそれも、
「学校や政府では教えないけれど、実はこういう裏事情があったのよ」
というお話に特化して書いています。
ただそれも、推測的な陰謀論に基づくものではなくて、基本的にちゃんと歴史的な資料があって書かれています。
(まあ、この辺は情報公開法含めて、アメリカはある部分とてもオープンなんだろうなあ、と思います)
思想的には、前述したように特定の視点から固まって書かれているものはないです。と、僕は思います。
ただ、「アメリカ政府、アメリカ人はいつでも正しい」という心情の人から見れば、あまりに懐疑的で左翼的すぎるのかもしれませんが(笑)。
(最近は笑っていられないのが、「〇〇政府、〇〇人はいつでも正しい」「〇〇政府、〇〇人は悪者だ」というような唖然とするしかない根拠のないコトバを、大真面目でのたまう人が、どうやら僕が住んでる国でも増えてきているらしいことですね。うかうかするとすぐに「非国民」という言葉が復活しそうで。怖い怖い…)
オリバー・ストーンさんという映画監督さんは、割と実は「いつも重くて辛そうな映画ばかりだから、あまり観ていない」監督さんなんです。恥ずかしながら。
ただ、「JFK」と言う映画は、たまたま見てしまって、うんざりするほど長かったのに、見たら、息を呑むほど面白かったんですね。
ことほど左様に、エンターテイメントでもありますが、骨太なタッチの作家さんでもあるんだなあ、と。その個性はこの本にも発揮されています。
同名のドキュメンタリーが先行したそうで、それも観てみたいなあ、と思いました。
################以下、個人的な備忘録###############
●第1次世界大戦、第2次世界大戦は、民主主義の解放とか帝国主義打倒とかと言われることもあるけれど、真っ赤なウソである。
結局は植民地主義帝国同士の奪い合いに過ぎないし、アメリカもその例外ではない。
ということであるとか、
●ウォール街と投資家たちの私利私欲の果てに導かれた「怒れる葡萄」的な不況。
●それを社会主義的傾向で歯止めしたセオドア・ルーズベルトの施策と、それに対する資本家たちの反発。
●反発の結果、資本家たちが立てた「言いなり政治家」ハリー・トルーマン。
●19世紀以降、アメリカで、どれだけの社会主義、共産主義運動があったか。つまり言い換えれば、資本家がどれだけ酷いことをしてきたか。そして、どれだけ無茶苦茶な逮捕弾圧が、加えられてきたか。
●20世紀以降、アメリカがどれだけ南米中米で無茶苦茶な介入をして、都合のいい政府を作り、その政府の暴虐や虐殺を事実上支援してきたか。そしてそれでどれだけ、アメリカ大企業がぼろもうけしたか。
●二つの大戦で、どれだけ武器製造業がぼろもうけしたか。
●つまりアメリカ政府=ウォール街、銀行家、巨大企業は、とにかく商品を買ってくれないと困るわけである。
商品を買う相手を作る為に、海外に進出する。
だから、いちばん困るのは社会主義国家だったりする。この単純な行動動機は、産業革命と帝国主義の勃興から、基本的に変わらない。
21世紀の今も変わらない。
正義の戦いなんて、存在しない。
●資本家が儲けるための戦争で、なぜ労働者のうちの息子が死ななければならない?という声が、どれだけアメリカでもあがっていたか。
どれだけそれが報道されないか。あるいは、歴史としての語られないか。
●第2次大戦で日系在米人が受けた、迫害、収容、そしてなにより財産と事業の没収。巨額の金が簒奪された。
などなどが豊富な例証と事例で語られます。 -
Posted by ブクログ
本書によると、人類とその他の生物の違いは分業化からくるイノベーションにあり、そのおかげで例をみない繁栄ができたとある
本書の細部がどこまで正確かは議論があるとは思うが、
全体像としては極めて正しいと思う
未来に対して楽観主義過ぎる様にも見えるが、
イノベーションに制限を加えない前提においては、
正しいのだと思う
ところで、本書の視点で日本を見ると怖くなる
世の中的に先端の研究開発していると見られている
企業ですら分業が下手で突出した個性を活用できない
(問題意識はあるのでまだましだが・・)
教育、特に初等教育は更に悲惨で問題意識すらなく
分業のアーキテクチャーを構想できる人材や
分業化において突出した能力をもつ人材を
徹底的に排除しているようにしか見えない
この国がどうなってしまうのか心配・・・ -
Posted by ブクログ
第一次大戦から第二次大戦原爆投下までの歴史。アメリカのリベラルな立場から語られている。内容はかなり重く、考えさせられる。アメリカは第一次世界大戦の時には化学兵器であるマスタードガスを大量に製造していたが使うチャンスがなかった。しかし、原爆はそれを開発し使用した。マスタードガスの話は知らなかったが、原爆の話はその使用に大いに議論のあるところだ。そもそも、第一次世界大戦の前からアメリカの銀行家のためにアメリカ軍が彼らの利益を守るために利用されていたこと、そして、彼らが死の商人として大いに利益を上げていたことが語られる。また、第二次世界大戦ではアメリカではドイツ、イギリス人とは違い人種差別により日本人は駆除されるべきゴキブリ程度にしか思われていなかったこと、日本の降伏は時間の問題だったにも関わらず、原爆は投下されたこと、トルーマンがなぜ副大統領になったのかなど様々な内容が語られる。無差別戦略爆撃や原爆の使用がナチスドイツとそれほど変わらないと考えるアメリカ人がいることに救いを感じる。それでもやはり勝てば官軍で結局は彼らの都合のいいように歴史は語られてきたように思える。
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購入済み
教科書にない...
月並みな言い方ですが、まさに教科書にないアメリカ史。
建国以来の政治的中心(すなわち大統領)がどういう思想傾向を持っていたかがよくわかります。
1巻は2つの大戦を中心に描いているので、ウィルソン、フーバー、ルーズベルト、トールマンといった人たちの描写が自分には新鮮でした。
ただ相当リベラルよりの内容なので、当の米国では本書はどんな評価なのか気になります。
TVシリーズも見たほうが理解という点では補助になりそうですね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ前半は「脳は座標系でものごとを認識する」というお話。自分の周囲に置き換えると確かに座標で紐付けて考えてる。ただ座標系でパッと浮かぶxyz次元じゃなくてもっと複雑な次元。よくわからんイメージできない。
後半は人間の古い脳(本能)と新しい脳(理性)という視点を基にした今後のAIの発達についてというお話。
世界との物理的相互作用が無ければ学習はできないという性質上、学習スピードが早くても新しい知識とスキルの獲得には時間がかかるので知能爆発は不可能(どれだけシミュレーションが優れてても再現は必要)。AIによる人類滅亡も人類が手引きしないと起こり得ないという話。冷静な考え方だな。人類の脳と人工知能を結びつけて展開される議論になるほどなと。
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Posted by ブクログ
面白かった。
要点としては、自己自身を原因とするような存在はない、ということだと思う。
それが本書で繰り返し言及される、全てはカメ、宙に浮いたカメはいない、などの例えが主張していることだと思う。
本書の主張自体は妥当かなと思ったし、神経科学は知らないことばかりだったので勉強になった。
ただ、時々書かれる誰かに当てつけたような文章は要らないかなと思った。
創発とか複雑系などのワードはそれぞれの構成要素を超越した何かを生み出してるような気にさせるが、本書の主張する通り構成要素のもつ制約は何も変わってないと思う。
というか、環境との相互作用によって創発現象が起きているのであって、周囲の環境や世界の法則を飛び出し法則の外側で無から有が生み出されているわけではないと考えている。
確率論なども原因因果とは違う法則になるのかもしれないが、全く無関係なものが無から生じているわけではないでしょと思う。
仮にそうだとしたら自由意志の擁護どころか無秩序な世界になりかねない気がする。
まあ単純な原因因果では説明できない領域もあるとは聞くが、無から有が湧いてくるような理論はあり得ないし、そんな理論があっても理論として無意味なので、そんなに気にすることでもないかなと思った。
本書でも述べられているように、両立論者は自由意志はあって欲しいとか無いと困るからあると主張しているように感じた。
だけど、そうであって欲しいやそうであるべきと、そうであるは違う。
それにそんな人たちの立場はどうでもいいし哲学ではないかなと思った。 -
Posted by ブクログ
上巻で5つのバージョンの多宇宙が紹介され(ひも理論の余剰次元をインフレーション理論と合体させて泡宇宙を生じるとするランドスケープ多宇宙は意味不明だった)、下巻ではさらに4つのバージョンが紹介される。まずは多宇宙で最も有名だと個人的に思っている量子力学(確率でしか捉えられない不確定性原理)の他世界解釈について。ここはシュレディンガーの猫をそのまま思考実験の例にすればよいのに、何故かあえて地図上の光子を検出する余計な例えに置き換わっていて残念に感じた。確率しか現実を語れないのはおかしい、あり得た量子の位置・速度は全て並行宇宙として実在するのである、とする多宇宙論。量子論で最小単位(プランク長さの最小時空)がコマ送りにされていく中で、不確定性によって量子の取りうるパターンが何通りもあり、そのたびに全パターンが実在です、というのは直感的にも違うかなと思ってしまう。猫が生きてるか死んでるか、どころの騒ぎでなく、全宇宙の最小単位(プランク長さの体積?だと10の185乗)が全てこの調子だとさすがにいくら宇宙が壮大だとしてもやりすぎな感じしかしない。次はブラックホールの境界面の研究から派生したホログラフィック多宇宙だが、ここに来て難易度がさらに飛躍する。ざっくりなイメージだと、先ほどの最小単位=プランク長さの体積ではなく、境界面の面積(これだと観測可能な宇宙の範囲で10の123乗で済む)を本質的に考えて、空間を情報量の自由度と考える発想の転換が必要となる。しかしバルク(体積)の物理と境界面の物理を同一視することができる理論が謎すぎるのと、それが実質的に異空間を投影していることになるため、ここから多宇宙が導かれるというのも謎だった。非常に興味深い話なのでブルーバックスなどで補っておくのがよいか。最後の多宇宙はシュミレーション仮説について(厳密にはさらにもう一つ、取りうる宇宙は何でも実在するという究極の多宇宙はスルーしつつ)。我々はコンピュータプログラムのシュミレーションの中にいるかもしれない、というのは昔から人を惹きつけてきた(リングの続編ループや、映画マトリックスでもお馴染み)。ここでの考察は、いくらコンピュータが極めて高性能だったとしても数学的な計算やプログラムがベースになるであろうということになり、無限や近似をどう扱っていくことになるかが非常に面白い。また、数学がベースになる以上、不完全性定理がシュミレーションといえど宇宙という広いスケールに当てはめられるのも興味深いが、ここはあっさり計算可能関数に収まっているだろうという一言で終わってしまっている。万物の根源は数である、と言ったピタゴラスの格言を思い出させる。
多宇宙をテーマに壮大な思考世界を旅させてくれる本書は、検証・観測が不可能かもしれない理論を研究する意義や、それを科学と呼べるかについて肯定的な立場を取っていて、この点は賛成できる。宇宙の晴れ上がり以前の重力波や、宇宙マイクロ波背景放射の詳細な観測で、何かを掴める時が果たして来るのか、自分が生きてるうちに…