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「梶山あゆみ」の「漫画 サピエンス全史 歴史の覇者編」「LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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東京都立大学人文学部英文科卒。『宇宙 最新画像で見るそのすべて』(ニコラス・チータム)、『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』(オリバー・ストーン)、『外食の天才が教える発想の魔術』(フィル ロマーノ)、『脳のなかの倫理―脳倫理学序説』マイケル・S. ガザニガ)などの翻訳を手がける。
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Posted by ブクログ
人生は短い。記憶が一過性のものであるだけに人生はなおさら短く感じられやすい。過去をつなぎ とめてくれるものが記憶だと私たちは考えがちだが、じつは単に過去の経験をしまっておくだけが人 間の脳の仕事ではない。脳はそれをはるかに超えた存在である(どれだけ超えているかはこれから本 書で学んでいく)。忘れることは記憶の欠陥ではない。周囲の状況を理解して複雑な世の中をたくみ に渡っていくには、その目的に役立つ情報を優先させる必要がある。脳内にはそういうプロセスがあ り、そのプロセスが働いた結果として忘れるという現象が起きる。しかし、私たちが能動的に取り組めば忘れ方をコントロールできる。現在において意識的な選択をすることで、選ばれた記憶の充実したセットをつくり、それを携えて未来に向かっていくのである。
心的時間旅行からメリットを得るには、時間旅行の能力をそもそもどうして人間の脳が進化させたかを考えるといい。それは特筆すべき経験から学ぶためだ。過去の文脈に旅すると、現在に対する見方を改めさせるような経験にアクセスできる。ネガティブな出来事の記憶をよみがえらせれば、かつて学んだ過去の教訓を再度思い起こす機会になり、それが現在においてよりよい決断を下す役に立つ。ポジティブな出来事を振り返れば自分がよりよい人間になるための助けが得られ、いま以上に他者を思いやりながら他者のために行動できるようになる。ある研究によると、人助けをした出来事を鮮明に思い出した人は、そうでない人より他者の苦境に共感しやすく、困っている人に進んで力を貸そうとする傾向にある。思いやりや賢明さ、あるいは忍耐や勇気を発揮した瞬間に立ち戻ることで、私たちは過去とつながる。そしてそのつながりを利用することで、自分に何ができて何者になれるのかをもっと広い視点でとらえられるようになる。
スキーマのおかげで私たちは出来事の表層だけにとらわれずに、すべてがどうつながり合っているかという深い部分まで見通すことができる。その過程で何百何千という経験の記憶を圧縮して一つのフォーマットに変え、そのフォーマットを用いることで、まだ経験していない出来事に関しても推測や予測ができるようになる。すでに起きたことに関する知識を利用すれば、これから起きることに対して有利なスタートを切れるわけだ。
しかし次章で説明するように、こうした生成的記憶システムはメリットを与えてくれる一方で、潜在的なコストも抱えもっている。私たちがスキーマに頼りすぎ、さまざまな出来事に対して知識を再利用していると、実際に起きたことから逸脱するかたちで記憶の空白を埋めてしまうおそれがある。その場合はいったいどうなるのだろうか。
ほかの神経修飾物質と同じようにドーパミンも神経可塑性を高める。しかもドーパミンが放出される場所は、報酬を得る方法の学習を助けるうえで重要な脳領域に集中している傾向にある。その一つは扁桃体――恐怖を学習するのと同じ脳構造――であり、扁桃体内のドーパミンは報酬が近いことを告げる手がかりを学習するのを助ける。もう一つは海馬で、海馬内のドーパミンは報酬を得られそうな文脈について学習するのを助ける。最後の一つは側坐核(かつては脳の「快楽中枢」とみなされていた)であり、側坐核内のドーパミンは報酬を得るために何をする必要があるかを学習するのを助ける。ドーパミンは報酬へと至る手がかり・文脈・行動を関連づける記憶を形成しやすくし、実際に報酬を得たときにどんな経験をするかの期待値を設定する。
私たちが大きな報酬を得るたびに脳は多くを学習すると読者は思うかもしれない。しかし実際は、結果が期待と一致しなかったときにのみ学習するように脳はできている。ドーパミンは私たちが報酬を期待しているときに増加し、脳が報酬にどう反応するかをその期待が決めている。たとえば給与のように、得た報酬が完全に予想どおりだった場合、ドーパミン値はおそらく変化しない。報酬を得はしたが、何かが給与から差し引かれるなどして報酬が期待を下回ればドーパミン値は低下し、事前通告なしにボーナスがもらえるなどして報酬が期待を上回ればドーパミン値が上昇する可能性がある。
ベリッジのラットのような動物実験を踏まえるなら、ドーパミンの活性レベルが急に低下すると意欲が失われ、逆に活性レベルが上昇すると活力が与えられる(ただしそれが快感とは限らない)ようである。だとすれば、一杯のコーヒーや焼き立てのクッキーで嬉しくなるか、何も変わらないか、はたまたひどくがっかりするかは、過去の経験から何を期待するかでおおむね決まることになる。ドーパミン値がこのように変動するせいで、私たちは快楽のはずみ車から降りられなくなり、喪失感をまぬかれたいばかりに喜びもないまま働きすぎてしまうのかもしれない。
以上のことからいえるのは、記憶のほかの側面がすべてそうであるように、既知感にも良い面と悪い面があるということだ。脳が知覚の効率を絶えず高めるうえでの有用な副産物となり得る一方で、とらえどころがないだけに、単に何かに接した結果として脳内の処理が容易になると、それが意識のレーダーをかいくぐって私たちの選択や判断や行動に影響を及ぼしかねない。何も考えずに、いわば自動操縦モードで行動していると、既知感によって選択肢が限定されて結果的に自分の世界が狭くなるおそれがある。
だが自動操縦モードは避けられないわけではない。すでに学んだように、注意と意図を用いれば有益な物事を記憶することに集中できる。それに、過去の経験から来る重要でない印象と、現在において重要な情報とを区別する能力を私たちはもっている。既知感がいかに自分の行動に影響するかを忘れずにいれば、私たちは自分の自由意志を少し取り戻すことができる。
ここまで、記憶と探究の循環的な関係について掘り下げてきた。私たちは記憶を使って予測をする。予測誤差が起きると、私たちは新しい情報を得るよう促され、その情報が優先的に記憶される。問題はただ一つ―――かならずそうなるとは限らない点だ。マティアスのトリビア問題研究では、好奇心がどれくらい学習効果を高めるかにかなりの個人差があった。好奇心を抱いているときに学習効果が大幅に向上した人もいれば、向上がいっさい見られない人もいたのである。好奇心のもつ学習効果に個人差が現れるのはどうしてなのか、いま私たちは解明しようとしており、その理由の一端は気質にあるかもしれないとの可能性が浮上している。
好奇心による学習効果の最も高い人は、「開放性」と呼ばれる性格特性でも高いスコアをとることが私たちの研究からは示唆されている。このことは別の研究結果ともうまくなじむ。何かというと、開放性をもつことが、単に学問の追究に興味があること以上に学習効果をうらなう指標になると示されているのだ。開放性で高いスコアをとる人は型破りな考えを受け入れやすく、信念や文化的慣行の多様性を尊重し、新しい場所や新しいテーマを探究するのを厭わず、特定の目標や成果がなくても学習するのを楽しむ傾向にある。気質が好奇心に寄与しているかどうかについてはさらなる研究が必要ではあるものの、情報を探し求めたいという人間の根本的欲求がいま挙げた行動のすべてに表れていると考えるのはけっして的外れではない。
私たちの記憶は石に刻み込まれているわけではない。たったいま学習したり経験したりしたことを反映するために更新されるので、記憶は絶えず変化している。意外に思うかもしれないが、思い出すという行為こそが記憶の更新を引き起こしている。私たちが何かを思い出すとき、ただ受動的に過去を再生しているのではない。記憶にアクセスすることは、「再生」と「録画」のボタンを同時に押すのに近い。心のなかで過去を再訪するたびに私たちは現在の情報を携えていき、それが記憶の中身を微妙に改変するおそれがある。アイヴンズのケースのように、重大な改変がなされる場合すらある。したがって、私たちが何かの経験を想起するたびに、それを最後に思い出したときの名残が記憶に充満している。そしてそれは繰り返されていく。その一回一回が、神経の鎖を構成する一個の環であり、しかもそれは編集や更新をまぬかれない。このため、私たちの記憶は時とともに当初の出来事からますます離れていきやすい。
臨床の現場で再固定化を利用して安定した結果が出せるかどうかについては、まだ結論が出ていないと私は考えている。それでも、こうした研究からは一段深いメッセージが読み取れる。すでに明らかになっているように、記憶は引き出した瞬間から強めることも弱めることも、修正することもできる。この種の記憶の更新は心理療法の根幹をなしており、要は新たな情報に直面したときに古い接続を変化させることにほかならない。心理療法が目指すのは過去の記憶を消し去ることではなく、違った角度からアプローチすることで新しい状況に適応できるように記憶を更新し、自らと過去との関係を改めることにある。
これはトラウマの記憶に限る話ではない。私たちが日々の経験を少し不快な感情とともに思い出すことはよくある。誰かに悪いことをしてしまった記憶や、誰かから不当に扱われた記憶などがそうだ。私たちの脳は進化を通してこうした記憶を修正できるようになった。つまり、新しい視点を取り入れればそれらの記憶に対する感情を組み立て直すことができるということだ。上司に叱責されたことを思い出すとき、きっと向こうは相当にストレスが溜まっていたのだろうと考えればその記憶に対する見方を変えられる。デートがうまくいかなかった記憶にしても、自分がパートナーにどういう性質を求めるかを学ぶいい機会になったととらえ直せばいい。思い出すことを利用して過去に対する見方を改められるようになれば、つらい記憶を更新して耐えやすいものに変えることができる。ひいてはそれが自分の成長につながるかもしれない。
いま振り返ってみると、もっと何年も前からこの方式を導入しておけばよかった。というのも、この方式は人間の脳機能のもつ単純な原理を活用したものだからだ。私たちの脳は失敗と困難から学ぶようにできており、これを「エラー駆動型学習」と呼ぶ。この単純な原理はさまざまな現象を説き明かしてくれると私は考えている。学習効果が最も上がるのはどういう状況で、忘却につながるのはどういう状況かもこの原理からわかるし、ことによると寝ているあいだに記憶が変化する理由までもがこの原理で説明できるかもしれない。
エラー駆動型学習について新たに生まれつつある理解は、教育のやり方に対して大きな意味をもっている。教育者は何世代も前から、優秀な人間を選抜するための手段としてテストをとらえ、生徒は教科書を繰り返し読むことでテスト勉強をしてきた。繰り返すたびに頭に入る情報量が格段に増えるという考え方がそこにはある。だが芝居の演出家が初演に向けてただ台本を繰り返し読めと役者に指示するだけで、覚えたセリフを暗誦させようとしないとしたらどうだろうか。
エラー駆動型学習の効果は単に情報の記憶力がアップするというだけにとどまらない。学習を取り巻く文化において、正しい姿勢で臨むことがいかに大切かを際立たせてもいる。従来型の教育のやり方は結果を重視している。つまり授業の内容を学習しているのかしていないのかが重要になる。中国やインドなどのアジア諸国で実施されている統一試験(過酷なことで知られる中国の大学入学試験「高考〔正式名称は「普通高等学校招生全国統一考試」〕」など)は成果を測る尺度として用いられており、しかも受験生の将来にきわめて大きな影響力をもっている。アメリカでは(とくに大学や医科校や法科大学院の入試に関しては)統一試験より成績のほうに重きが置かれているものの、トップレベルの成績を修めるにはつねにテストで高得点を取る必要がある。あいにくこの種のテストは土壇場の詰め込み勉強向きであって、短期的な成果を向上させはするが学習内容を保持する役には立たない。それだけでなく、私たちは知識を蓄えるうえでの脳の自然なメカニズムにも反しているようである。学校は朝早くから始まるので生徒は睡眠不足になりやすく、休息したり振り返ったりする時間もほとんど与えられない。十分な睡眠が奨励されていないうえに、回復のための活動をするダウンタイムも奪われているわけだから、生徒は脳本来の学習メカニズムを活用する機会をもてずにいる。それができさえすれば情報どうしのつながりを見出して、学んだことを有益な知識に変換できるのだが。
大人になる前の私は、あらゆるテストでいい成績を取ることが学校での自分の仕事だといつも思っていた。いまならわかるが、やりようはもっといくらでもある。つねに正解するわけではないエラー駆動型学習からは、長続きするメリットが得られる。情報を丸暗記してから求めに応じて吐き出すだけよりも、自分の知識の限界まで奮闘するほうが学習の効果はアップするし、学習内容を保持する効果も高まる。私たちは成功に報いるのではなく、間違いや失敗を当たり前のものとしたうえで、絶えず改善を図るよう動機づけすべきなのかもしれない。習得することに重きを置くのではなく、失敗しながら苦戦することをたたえる必要がある。自分が何かを学んだことを証明するのではなく、学ぶために努力していくことが大事なのだ。
Posted by ブクログ
老化を避けられない運命ではなく、将来的には介入できる現象として捉えている点は興味深い。サーチュインやNAD、エピジェネティックな変化、細胞のリプログラミングなど、さまざまな研究を一つの大きな問いにつなげて示すことで、老化研究が持つ可能性を強く感じさせる内容になっている。
一方で、動物実験や細胞実験で得られた成果と、ヒトで実際に有効性が証明された治療とは区別する必要がある。NAD関連の介入なども研究は進んでいるが、ヒトで明確な健康寿命延長が確立しているわけではない。また、部分的リプログラミングのような技術も大きく進歩しているものの、まだ臨床研究の初期段階にある。
だからこそ、本書の内容を否定的に捉えるのではなく、「将来性の高い仮説」と「すでに証明された事実」を分けて読むことが重要だと思う。本書は老化研究への期待を大きく広げる一冊であると同時に、科学では大胆な発想ほど厳密な検証が必要であることを考えさせる本でもあった。