森博嗣のレビュー一覧
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★その通り、だが誰に届くのか悩ましい★いろいろなところで言われるように、科学的とは方法論で、再現可能なこと。「だから結局なに?」という早急な問いかけや思考停止をやめて、きちんと過程を考えよう、その方が面白いし役に立つ、というのは至極もっとも。理系の人が理屈っぽいといわれるのは、丁寧で慎重なだけ、というのもまさにそのとおりだと思う。津波は単なる波ではなく、大量の水の移動なので堤防の高さに応じて津波の高さも変わるという説明も分かりやすい。
ただ、著者の言う通り、科学的であることが好きでない人にどう届けるのかは本当に難しい。美術やスポーツが好きな人が関心のない人にいくら熱を込めて語ってもなかなか伝わらないのと同じだ。著者のエッセーを読む人はどちらかといえば、科学的なことが嫌いではない人だろうし。
しかし震災後の3月に、本書を3日間12時間で書いたという。小説を含めて書くスピードがすごいのは、書くことに迷いがないからなのか。 -
Posted by ブクログ
「人工知能は、既に人間の知性を大きく上回っています。完全に超越している。そこから生まれる知性は、新しい知性です。最初から肉体を持たない世代が、これから登場します。いえ、今でもその誕生は実現できます。残るのは、人間が許容するかどうか、という問題でしかない」
「いや、気にしないでほしい、一般的な判断であって、個人的な意見ではないから」
「個人的な意見をお聞きしたいと思います」
「うん、そうだね…、それは、なかなか難しい。私の希望と君の自由を天秤にかけるようなことは、避けたいな」
「グアトの希望というのは、グアトの自由なのではありませんか?」
「そう言われてみれば、そうなのかな。しかし、個人の希望というのは、個人の内部にあるわけではないよ。個人の周辺にある。個人の環境にある。たとえば、もう既に君がそこに含まれている」 -
Posted by ブクログ
ネタバレ先般、「意識・無意識」に関する本を読んだ際に、「意識」というのは非常に「思い込み」や「決めつけ」が多く、主観的になってしまいがちな性質があるということを知った。意識が働くと、「ああではないか」「こうではないか」と勝手な想像を巡らしがちだというのである。
多分それと関係するのかもしれないが、著者は「世間一般の人たちの考え方は、極めて主観的であり、大多数は具体的である」と言い、しかも「その考えがスタンダードであると思い込んでいる」ところを非常に憂いている。
「主観的で具体的」というのは、「自分はコレ」という考ええであり、簡単に言えば「決めつけ」である。しかもそれを標準と考えるのだから「狭いものの見方」となり、ときには感情的になりがちだというのである。
そこで、著者は「いろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」という命題を立て、その答えとして「客観的で抽象的に考えよ」と提案している。もちろん決めつけているわけではなく、どうでしょうかと読者に問うている。
例えば「原発の問題」「領土問題」などを例に出して、「主観的で具体的」な意見どうしを戦わせていても、議論が進まないのであり、それを「客観的で抽象的」に発想を変えてみれば、議論の幅が拡大していくのではないかというようなことを述べている。この議論の幅(=発想を広げること)の大切さを特に強調していると思う。
事件のニュース報道で「バールのようなもので壊された」というような表現がされるが、これが「バールで」と表現する場合(具体的)と、「バールのようなもので」と表現する場合(抽象的)では、断然後者のほうが発想が広がるのであり、つまりは具体的より抽象的なほうが発想が広がるというこの説明は分かりやすかった。
本書のエキスはおそらくコレである。抽象化のメリットとして、「適用範囲が広がる」とか「類似したものが連想しやすくなる」などをあげていたが、これはすなわち「考えの選択肢が広がる」とか「より適切な解決が得られる可能性が広がる」ということにつながってくる。
現在の情報社会で、我々は一見豊富な情報に恵まれているように感じるが、それらの情報の多くは、主観的で具体的な「決めつけ」情報である場合が多い。マスコミ情報も同様である。
昔の取材は、記者が自ら記事を取りに行っていたが、今はすべての記者が同じ場所に集められて、提供側から出される一方的な情報をメモしているだけで、その報道を受けている我々も「主観的で具体的な決めつけ」を鵜呑みにしているだけ、というような趣旨の話が書かれていたが、これにはハッとさせられた。
社会がそういうスタイルになっているだけでなく、現代人そのものがネット情報を鵜呑みにするというような生活スタイルとなってしまっており、「客観的で抽象的」に考える力が退化しているというような指摘もあったと思う。
著者は、作家以前は、工学系の准教授として研究者の経歴をもっており、その時代の習慣はひたすら「客観的で抽象的」に考えることであったから、自分の中にその習慣が定着しているという。それもそうだろうが、そういう経歴以前に、著者自身がすでに自由度の高い発想の人であったように思える。
著者の話を聞いているだけで(読んでいるだけで)、非常に発想の幅が広がり、生き方の自由度が広がって、人生が楽しくなるように感じられるのは確かである。
著者には、ガーデニングというライフワークがあるようだが、「抽象的思考の場は、まさに自分の庭のようなものだ」と述べている。「それぞれが自分の庭という思考空間を頭の中に既に持っているのである。そこは、基本的に他者に邪魔されることなく、自分が思い描くとおりに整備することできる。」だそうである。 -
ネタバレ
本との生き方を考えさせられる
本との生き方を考えさせられると共に、本を大切に読みたいと思わせてくれる一冊。
【印象に残ったこと】
・著者の読書人生について
文章を読むスピードが遅いこと、漫画との出会い、両親の教育方針
・「自由な読書」について
本の選び方
電子書籍の利点
今後の本の在り方
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Posted by ブクログ
ネタバレ3.5
S&Mのミステリー研のエピソード2編や物理・数学系の研究者や大学の話を含む短編集。各々叙述トリックなど工夫が凝らされておりなかなか面白い。真夜中の悲鳴では、結婚したので阿竹効果ではなく石阪効果とか。やさしい恋人へ僕からでは、一人称僕が女性だったり。悩める刑事では、専業主婦と刑事の話と思わせつつ、女性刑事と作家の話。妻の夫を盛り上げ悩む所が微笑ましい。キシマ先生の静かな生活では、純粋に数学を追求する研究者の話。最期は奥さんの自殺と音信不通だが数学を考える面白さが描かれる。学問には王道しかない。森博嗣のミステリィ工作室によると、強いて言うならこれが著者の一番のお気に入りらしい。