あらすじ
「生きづらさ」を「生きやすさ」に変える「発想」というマジック
作家・森博嗣が伝授する万能の秘訣
「今、この本に出会えてよかった。」と、思える本との出会いは最近ありましたか?
あなたが大切にする人に、どうしても教えてあげたい本を何冊持っていますか?
言葉を使うこと、そして考え追究することを職業としてきた作家、森博嗣の思考と発想のエッセンスが凝縮された「あなた」のための一冊。
そして「あなたが大切にする人」のための一冊でもあります。
(以下本文より抜粋)
道は、歩かなければ行き着けない。道が人を運んでくれるのではない。人を歩かせるものは、道を見ている目、見えない先まで思いを馳せる頭、そして、一歩ずつ繰り返し交互に前に出る足である。
道の先にあるものは未知だ。なにかがありそうな気がする。この予感が、人を心を温める。温かいことが、すなわち生きている証拠だ。
したがって、行き着くことよりも、今歩いている状態にこそ価値がある。知識を得たことに価値があるのではなく、知ろうとする運動が、その人の価値を作っている。
たとえば、人生という道だって、行き着く先は「死」なののだ。死ぬことがこの道を歩く目的、価値ではないことくらい、きっと誰でもわかっているだろう。
(以下、目次より見出し一部抜粋)
道を探しているだけで良いのか?/時間の第一法則
兎が亀に負けるか?/思考の道筋/表通りか抜け道か
人生の道草/絆という幻想/精神論はノウハウではない
発想できる頭を持とう/目的達成に必要なもの
頭のダイエットをしよう/「発想」というマジック
映像で考える/思考と行動の両輪/トラブルがあるのが普通
神と理屈はだいたい同じ/仮説で切り開くフロンティア
理屈による説得は難しい/矛盾の活用/「死」について考えよう
まとめるな、まとまるな/「自分を信じろ」は正しいのか?
目標は転ばないこと/エラーが出ると嬉しくなる
装飾でなく本質を/言葉より数を見る/「甲斐」vs「やすい」
多数派か少数派か/落ち着かなくても良い/一所懸命より誠実さを
いつまでも子供でいたい/後悔する人は後悔したい人
未知こそが教養である/etc.
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Posted by ブクログ
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日本人は性格的に議論が苦手というよりは、言語の性質上議論が難しいらしいね。言語というものが性格を形作るのかどっちが先かわからないけど。
私も嫉妬したことない。自分が望んで無いものが上の人はそもそも興味無いし、自分が望んでるものだとしても、自分はそれに対して死ぬ気で後悔が無いぐらい努力してるから、それでかつ、自分より上なら尊敬にしかならない。これって人と比べないというのもそうだけど、自己肯定感の高さとかも関係あると思う。
森博嗣の本読むと、普通の人はそれはそれだと何も考えずに受け入れる所を、ことごとく全ての事を自分の頭で考えてるんだろうなという印象を受ける。小さい頃にものをバラバラに分解することが遊びだったって言ってたけど。それはモノだけじゃなくて社会通念とか目に見えないことに関してもバラバラにして考え直してるんだろうなと思う。
当たり前のことも森博嗣独自の解釈で語られてるの見ると、そういうことかみたいに良い意味でゾッとすることが多い。
森博嗣 もり・ひろし
1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。以後、続々と作品を発表し、現在までに300冊以上の著書が出版され人気を博している。小説に『スカイ・クロラ』、『ヴォイド・シェイパ』、『ダマシ×ダマシ』、『青白く輝く月を見たか?』など。エッセィに『自分探しと楽しさについて』、『小説家という職業』、『科学的とはどういう意味か』、『孤独の価値』、『作家の収支』、『夢の叶え方を知っていますか?』などがある。
とまあ、そういう概念的なこと、抽象的なことを書いても、ピンとこない人が多いことと思う。僕自身は具体的なものが大嫌いで、抽象的なものをいつも求めている。けれど、世の中は大半は、具体的でないと話さえ聞いてもらえないようなのだ。 たとえば「どんな仕事をしたいのか」と尋ねると、ほとんどの人は既に存在する職種を具体的に答える。さらに、自分の知った人が実際にしているものが、憧れの仕事として認識されている。そんな場合が多い。 世の中で大成功をして大金持ちになった人というのは、たいてい、それまでなかった仕事を始めた人である。誰もやっていなかったことを発想して実行したのだ。これなんかが、道のないところへ踏み出したフロンティア精神といえる。
都会とゲームの中ではそのとおりかもしれない。でも、現実の世界をよく見てみよう。世界には、都会でないところの方がはるかに広い。現実はゲームのようにお膳立てされていない。
逆に、馬鹿に大袈裟に(しかも必要以上に繰り返し)伝えられる情報は、実は大したものではない。大騒ぎさせて、誰かが儲けようと仕掛けているだけのことで、慌てるような事態ではない。「もうすぐ○○が品薄になるから今のうちに買っておけ」といった情報は、まちがいなく宣伝である。真に受けると、高いものを買わされるだけだ。
なんでも良いから、毎日こつこつと続けていると、この自分の変化を頻繁に観察することができるし、小さな自信が毎日生まれる実感がある。べつに、大したことではない。毎日ジョギングをしても、毎日庭いじりをしても、毎日本を読んでも、なにをしても、自分に変化がある。「こんなに走れるようになった」という実感である。 仕事である必要は全然ない。仕事なんて、人生における主目的ではない。仕事は道の一つにすぎないし、不可欠なものでもない。生きていく目的というのは、むしろ自分の変化を楽しむ方にある、と僕は感じる。
ビジネスにおいても、道具は非常に重要だ。道具にばかり凝る人間を「道具道楽」とする向きもあるが、上手く嚙み合うことがないわけではない。道具によって人生が変わることだってある。少なくとも宝くじを買うよりは、道具を買った方が期待値が高い。ときどき、ちょっと高価なものを求めるのも良いと思う。素晴らしい道具は、機能的な満足度だけではなく、使う人間の背筋を正す効果があるものだ。
折合いとは、譲り合いみたいな意味だ。妥協といっても良い。理想のとおりには生きられない。それは、森林の中に道を通すのと同じで、どこに道を通せそうかと見定める眼力、あるいは思考力が必要になる。理想というのは、妥協によって部分的に可能になるものだ。この折合いによって、夢が現実へと導かれる。
中学生のときはワンゲル部だった。ワンゲルは山とは限らないけれど、でもだいたい山道を歩く。登山部よりは少しだけソフトな感じ。山に登ると本当に気持ちが良く、これは登った人にしかわからない感覚だろう。ただ、山道というのは、山の頂上へ向ってほぼ一本道で、多くの場合、行き着いたあとには同じ道を引き返さなくてはいけない。いささか虚しい行為だけれど、それでも、多くの人たちが山登りに魅了されていて、危険を顧みず臨む人だって沢山いるのだから、よほどのことなのだろう、と思ってほしい。
楽しいことは、「発想」から生まれるものだ。他者が持ってくる面白そうなものに飛びつくだけの人生では、真の楽しさを知らずに終わることになる。そういう人は、誘われることでしか楽しめない。誘われるようになるにはどうすれば良いのか、と悩んでばかりいる。そのうち、誘ってくれないのは相手が悪い、と周囲を憎むようにもなるだろう。
数日まえに、奥様(あえて敬称)と二人で、二千キロほどのドライブをしてきた。四日かけてである。これだけ走ると、けっこう風景が変わるものだ。風景が面白いのは、老人の特性で、僕たちはもちろん老人である。 娘と犬たちが留守番だった。僕はこういうときに、簡単な遺書を書いて出かける習慣である。いつ死んでも良いと思っている。綺麗事ではなく、本当にそう信じている。
僕は、病院に何十年も行っていない。風邪薬も頭痛薬も一切飲まない。苦しいときは寝ることにしている。眠れないくらい苦しい病気も幾つかしたけれど、救急車を呼ぶまえになんとか治った。一番酷いときは三日間苦しんだ。もう諦めようかと思った頃に少しずつ良くなり始め、もしかして、まだ生きられるのかな、と思ったのを覚えている。 そんな僕であるから、もし具合が悪くなったら、とにかく、痛みや苦しみを避ける治療をしてもらうことはあるだろう。でも、病気を根本的に治してほしい、とは思わないし、また、この治療をすれば寿命が延びる可能性がある、といったものもご免だ。だから、健康診断も不要。 ようするに、延命治療は望まないということである。それから、もし合法になったら、是非とも安楽死で死にたいとも考えている。自分の判断で死ねるのは、大いなる自由だと思う。僕の場合、これは若いときからの希望だった。ただ、人にはすすめない。人は皆、それぞれ自分の生き方があるだろう。それが自由だ。
実は、僕は「嫉妬」という体験がない。嫉妬の意味は知っているけれど、自分がその立場になったことがない。また、他人を羨ましい、妬ましいと思ったことが一度もない。 たとえば、お金持ちを羨ましいとは思わない。お金持ちになりたい人だったのだな、と思うだけだ。みんなが自分の欲望を自分の方法で実現しようとしている。その欲望は人によってさまざまだし、また方法も人それぞれで違っている。だから僕の場合、羨ましいとか嫉妬とか、そういう他者との比較関係になりえないのである。自分と同じ人間はほかにいないのだから。
こういった価値観は、やはり、価値をシェアしていないから生まれるものだろう。つまり、人と取り合いにならない。欲しいものは、すべて自分の中から生まれてくるのだから、誰かに取られる心配もなく、また、欲しいものは無限にあるので、いくらでも人と分かち合える。 僕は、欲しいものを買うために行列に並んだことがない。僕の欲しいものは、そんなふうに数に限りがあるものではないからだ。誰かが素晴らしいものを持っていても、それが欲しいとは思わない。自分にとって素晴らしいものは何か、と考え、人と同じものを欲しくはない。 悪事を働く人を見ても、困ったことだな、と感じるけれど、腹が立つことはない。それが、その人の欲望と方法なのだなと思い、そういう人がいることを認識し、自分の立場を確認するだけである。
研究者という極端な環境に三十年近く身を置いたためか、僕は本質の価値を学ぶことができた。それは、実社会ではあまりにも異端で、常識外れといえる価値観だろう。でも、今まで一度も裏切られたことがないし、今もそれが間違っているとは全然考えていない。 一般に、極端な考え方は嫌われる。そんなことばかり口にしていると、相手にしてもらえなくなる。だが、そこは、匙加減だ。 本質は飾りとは無関係だ、みたいな極端な価値観は、それだけでは成り立たないにしても、たとえば、スパイスのようなもので、微量でも加わると絶大な効果がある。
英語圏の組立てキットは、今でも文字だけの説明のものが多い。つまり、英語の文章は、それだけ精確に手順を示せるし、読んだ人も、頭でその映像を展開できる、ということだろう。日本人は、これができない。だから、わざわざ立体のイラストをありがたがることになる。 日本語というのは、論理性に乏しい。非常に曖昧な表現しかできない。必然的に、この日本語で思考をする日本人の多くは、論理が苦手で、しかも言葉に拘る。議論をすると、相手の言葉尻を捉え、揚げ足の取合いになってしまう。
教育する側の人も、大多数が勘違いしている。子供になにかをやらせるときに、それを好きになってもらおうとする。
最初は中小企業が儲かっても、いずれ大企業にシェアを奪われるのと似ている。自然界は熾烈な過当競争なのだ、と思い知らされる。自然は、基本的に残酷だ。野生には人情など微塵も働かない。
知識を沢山持っていることが教養だと信じている人がいるが、それは間違いである。有名な格言にもあるが、自分がいかに知らないかを知っていることこそが教養といえる。 知っているから思い上がり、油断をし、そして考えなくなる。もし知識量が偉さならば、人間よりも辞書が偉い。辞書は自分が「知らない」という意識がないし、自分で考えない。だから、教養が高いともいえない。辞書は生きていない。それが、知識というものの限界でもある。「知らない」という意識は、知ろうとする動機になり、ほとんど「生きる」と同じ意味や価値がある。知らないから考え、知らないから努力をし、知らないから知るための努力に心を打たれる。
Posted by ブクログ
行き詰まったとき、迷っているとき、森博嗣の本を読んでいます。
自分を縛っている「当たり前」が、みんなにとっての当たり前ではないんだなって思えるからです。
森博嗣の文章を読むと、まだ、大丈夫。まだ、進めるって思えます。
とはいえ、真似はできませんし、落ち込むところもあります…。
Posted by ブクログ
著者の仕事の仕方が書かれていてとても為になった。
・地道に毎日コツコツやること
・やる気がなくともとりあえず、取りかかってみること
・めんどくさい道がもっとも失敗が少ない
・無駄な時間をなくすこと。本来やるべきことが取り掛かりやすくなるかも。
・ダイエットは確実に痩せる方法はあるのに(食べない、運動する)楽して痩せる方法を探してしまう。仕事も同じように楽して稼ぐことはできない。
・考えることとは、発想すること。発想してアウトプットすれば仕事に繋がり楽しくもなってくる。
・努力がしんどいのは、その努力に不信感があるから。試行錯誤、トライアンドエラーの繰り返しこそが人生。
・スポーツ選手の「楽しんでプレイできた」発言を信じてはいけない。好きでもないけれど、将来に置ける損得から生じる行動もある。
・一所懸命じゃなくて良い。一日少しずつ着実にするだけでも良い。
全然関係ないけれど、著者の小説はまず映像があってそこから文章を起こしているのだそう。
Posted by ブクログ
表紙に引き込まれて手に取ったら、大好きな森博嗣の本だった!
「行き着くことよりも、今歩いている状態にこそ価値がある」
この言葉を胸に刻んで生きていこう。
Posted by ブクログ
相変わらずの森博嗣節。さらに強化されています。
身体が弱いけど、病院に何十年も行っていない、というのは驚きです。
人のやり方は人のやり方。参考になるわけではない。
自分の道は自分で切り込んでいくしかない。
非常に淡々とした真実。
Posted by ブクログ
『すべてがFになる』の著者のエッセーです。こんな小説を書く人の頭の中を覗いてみたくて本書を手にしました。独特のものの見方をしているような記述が随所に現れていました。また、ご自身で制作している模型やお庭の様子が写真で挿入されているのも、楽しく拝見できました。
Posted by ブクログ
静止画的な日本人の思考の章で、述べてる事と例えがちぐはぐに感じ、うまくイメージできなかった。
ラノベの文章って読んで漫画的に映像をイメージしやすいから流行ったってことではないのか?難しい...
読んだ人の見解を聞きたい
Posted by ブクログ
・森博嗣さんがどんな考えの作家か知りたい方
・人の目を気にして生活することにつかれた方
にオススメです
以下自戒メモ
自分は何者なのか?と言った自分探しに憧れている人は多いが、それは他者を身過ぎていて周りを比べてばかりいるともいえる
なんでもいいから自分以外のものに没頭してみると、我を忘れた時間の後新しい自分になっていることに気がつくだろう
努力は苦しくない
ゴールを信じること、どうすればいいか迷うことが苦しい
未来のための行動より目の前のケーキに手を出してしまうのは子供
結果は常に具体的で人の心を揺さぶる
ケーキに手を出す人はいつまでも搾取される側の人間
一瞬の一生懸命は誰にでもできる
一生懸命を何回出せるか、どれだけ続けられるか
それが差を生む
Posted by ブクログ
何なんだ、嫌味か? 嫌味なのか?
でも、森先生はまーったくそんなこと考えてないんでしょう。
言っていることにはめちゃくちゃ共感できるのに、
次元が違い過ぎて、素直にうんとは言いたくない!
Posted by ブクログ
森さんのエッセイを数冊読んでいると、感心するところと、反感をもつところがいろいろでてくる。
「絶対に私は勝つ」とか「俺は絶対に失敗しない」とか、そういうセリフをドラマ以外でもし本気で言う人間がいたら、あまり近づかない方がよろしいだろう。
これには同感。うさんくさい。
森さんは嫉妬したことがない。と書かれている。
これはちょっと違うなぁと感じました。
本人の行動では認識していないと思うので。森さんの奥さんに聞いてみたいかも。
Posted by ブクログ
森さんの本はエッセイばかり3冊目になるが今回も色々な示唆に富む話で雑誌の連載で特に20代女性の若い人向けに書いてあるそうだが40歳のおじさんが読んでも読み応えのある内容だった。『生きていく目的というのはむしろ自分の変化を楽しむ方にあると僕は感じる。駄目もとで仕方なく少しずつやっていると、そのうち面倒を面倒と感じない自分が出来てくる、自分が変化するのだ。これは本当に素晴らしい、仕事の結果よりもずっと価値がある。そしてこういった自分の変化の積み重ねるうちに、自分には出来ると思える「自信」というものが育つ。』『つい「道を探そうという姿勢」積極性は立派だが探すのではなす築くもの。ただ毎日こつこつと進む一歩によってしか近づけない。』『人によって能力に差があるとすればスピードの差だ。時間をかけようとせず自分には才能がないからとやらないのが大多数の凡人である。けっして時間をかけたことが偉いわけではない。ただ時間をかけた方が良いものができる確率がたかいということだ。』『「楽観は馬鹿でもできる」上手くいかないだろう、成功するなんて可能性は低いという見方を常にする。』「失敗の練習」でデータを積み重ねる。最近引退したイチローのコメントとも被る部分が多くある。参考にしよう。
Posted by ブクログ
道の先にあるものは未知だ。なにかがありそうな気がする。この予感が、人を心を温める。温かいことが、すなわち生きている証拠だ。したがって、行き着くことよりも、今歩いている状態にこそ価値がある。知識を得たことに価値があるのではなく、知ろうとする運動が、その人の価値を作っている。たとえば、人生という道だって、行き着く先は「死」なのだ。死ぬことがこの道を歩く目的、価値ではないことくらい、きっと誰でもわかっているだろう。
本文P.250 より
すごくシンプルな生き方をしている人なんだな、というのが読んだ後の印象.共感できるところ多数.道は未知だから面白い.我が道をゆくとき未知との遭遇を楽しめる自分でありたい.
Posted by ブクログ
一所懸命になる必要はないが、誠実にものごとに向き合う姿勢は大切だと思う。誠実とは、簡単にいえば、「怠けない」ということである。
ふぁー!厳しいことが色々と書かれております。
上に書いたやつとか、考えろ!とかね!
Posted by ブクログ
感服いたしました。理系の自分には今まで何だかなあ世の中って、思うようなところが多々あったりしたんですが、それをうまく説明して下さり「助かりました。先生!」って感じです。
Posted by ブクログ
ウェブ連載で読んでいたものを含む、続きの書き下ろしメインで読みました。
つい1つ前に読んだ本(MORI Magazine)との比較をしてしまいますが、1つのテーマごとに丁寧に紐解かれていると感じました。
切れ味よりも先生に教えを乞いたいタイプの人におすすめ。
Posted by ブクログ
森さんのエッセイ集。月刊誌+Web版+書下ろしで48回のエッセイを読めます。
かなり尖った意見が多いと思いました。森さんならではの視点で気づかされる点も多いのではないでしょうか。
庭園鉄道の写真が多く掲載されていて、こんな老後を過ごすのも良いのかなと思いました。写真は本よりもWeb版の方が大きい画像で楽しめます。
Posted by ブクログ
230319.11
大多数の人がしたくても出来ないことをさも当たり前の様にやっている森先生...。
嫌味かな?笑
と思ってしまうけど、そんなことはないんだろうな。
「どんな成功も毎日コツコツと進む一歩によってしか近づけない」
私のような怠けものからしたらそれができる人は天才。
やり始めたら手を動かすだけって分かっているんだけどね。
Posted by ブクログ
森博嗣のエッセイ。昨年から彼のエッセイを数冊読んでいるが、最初は考え方が面白かったけれど、どの本にも似たような話が出てきて飽きてきた。発想は面白いし、独自の意見も解るけれど、自分の成功体験ベースの話、しかも作家という特殊な事例なので、その考え方を普通のサラリーマンが実践するのは難しいと思う。日本人は、日本社会の規範に従って生活するしかない。 お金に不自由しない生活ができるなら、運が良ければ著者のような生活もできるとは思う。この本には、著者の趣味の庭園鉄道写真が紹介されている。 何をやっているかわかるけれど、その楽しさは本人にしかわからないだろう。 この本は、著者の自己満足の本だから、興味がある方はどうぞということだ。自分はアルバイトで書いた彼の小説は読む気がしない。 たぶんそれで良いと著者も言うだろう。
Posted by ブクログ
続くのか心配しながら書いていた雑誌の連載で、案の定~01道を探しているだけで良いのか(カーナビで消える道/つい道を探してしまう/僕は何様か)02情報とは何か(情報に敏感でありたい/生きている人間は情報ではない/禅問答か)03万能の秘訣を教えよう(何もやる気が起きない/何をやっても駄目だ/癖のようにする)04時間の第一法則(時間はあればあるほど良い/努力よりも結果/〆切よりも前に)05時間の作り方(時間ほど貴重なものはない/無駄な時間とは何か?/出歩かない生活)06一歩ずつしか進めない(兎が亀に負けるか?/不可能が可能になる/できないと思い込むのは自分)07それぞれに違う(表通りか抜け道か/自分と他人は違う/奥様の話)08道は入り口が関門(歩き始めるまでが山場/苦労がなければ仕事ではない/反省しない人)09人が歩くべき道(日本人は「道」が大好き/道徳とは、ほとんど会話である/心のない見違っても駄目)10道はつながっている(ドライブが趣味かも/空間的なつながりしかない/可能性の価値とは何か)11道具の心持ち(道具がおもちゃだった/道具の機能とは/道具から入るのもあり?)12思考の道筋(頭は使うものか?/考える道筋はいろいろある/小説を書く思考)13人生の道草(道草をしました/道草をした方良い/周囲を見ない時間)14未知の魅力(森林の中に線路を通す/線路は何故二本なのか/自分が知らなければ未知だ)15道を歩くのは一人だけ(社会の中で生きる/絆という幻想/庭園の自然とともに)16人間は自然の一部(海千山千/健康のために生きるのか?/庭園の自然とともに)17精神論はノウハウではない(精神論が幅を利かせた時代/「虫のいい本」が売れる?/作家の仕事もしています)18発想できる頭を持とう(考えるのは大事/発想できない頭/ジューン・ブライト)19目的達成に必要なもの(反応は単なる計算/考えて、どうするのか?/作家はバイトでやっている)20頭のダイエットをしよう(奥様はダイエッタ/言葉で述べることの大切さ/リノベーション中)21一歩踏み込んだ想像をする(想定して考えて見る/「発想」というマジック/毎日土いじり)22映像で考える(道を映像で考える/思い浮かべる/夏も終わりかな)23思考と行動の両輪(図面を描く意味/思考と行動の両輪で前進する/夏のオープンディ)24トラブルがあるのが普通(トラブルを想定する/注意力は危険察知力/最近の研究)25神と理屈はだいたい同じ(最初の一歩を踏み出す決断/努力は苦しくない/ロングドライブ)26仮説で切り開くフロンティア(努力が難しい理由/「仮説」を持つことの大切さ/庭園内サイクリング)27気持ちを気にしすぎる気持ち(コメントって何?/寄り添えない人の道/それで、コメントは?)28理屈による説得は難しい(仮説は他者には利かない/理屈よりも結果という現実/冬は工作と実験)29流線型に思いを馳せる(流線型は格好良い/流線型の生き方/執筆の季節)30矛盾の活用(ジレンマを抱えて生きる/矛盾を活かす生き方/歳をとりました)31「死」について考えよう(死に方を想像する/命懸けが普通/除雪車の整備)32まとめるな、まとまるな(まとめたがる人たち/まとまりたがる人たち/年末年始ですが、なにか?)33「自分を信じろ」は正しいのか?(自分は絶対に間違える/自分の信じる道を貫け?/雪の季節)34自分が信じるものの価値は?(自分が信じる道は正しいか?/「偶然」を力だと錯覚する/目標は転ばないこと)35エラーが出ると嬉しくなる(エラーが嬉しい/間違いでも真実/氷点下の庭園で毎日遊ぶ)36追いつかれると嬉しい(追い抜いてもらっても良い/嫉妬をしたことがない/無自覚の無関心)37小食ではなく本質を(表現で印象は変わるが/極端な価値観のスパイス/春は自然嬉しくなる)38言葉より数を見る(褒められても喜ばない/つまり、質より量である/春は工事開始のシーズン)39「甲斐」vs「やすい」(苦労か安易か、どちら?/探して見つかるものではない/いつタイヤを交換するか)40掃除をした人は綺麗に見える(庭掃除は自然破壊/着手した人に見えるもの/桜は人間がいなくても咲く)41制止が的な日本人の思考(動画が普通になった/日本人の思考は、文章的/世間との関わり)42多数派か少数派か(少数派はいつもいる/かつてよりは個人主義になった/いずれが生きやすいか)43落ち着かなくても良い(落ち着いたことがない/落ち着かない思考のメリット/趣味と仕事の棲み分けは?)44好きだからしているのはない(「好きなこと」をしている?/好きなことを仕事にしたい/緑の進出)45一所懸命より誠実さを(本当に一所懸命なの?/大事なことは誠実さである/若いうちは一所懸命でも良い?)46いつまでも子供でいたい(大人になりきれない/子供でいることの有利さ/どんどん良くなっている)47後悔する人は後悔したい人(後悔を恐れているか?/悲劇にヒロイン願望/工作で失敗が多い)48未知こそが教養である(知らないことの素晴らしさ/最後の雑誌連載/ますます引き籠もりに)~休刊したけど、Webで再開。間が5年ほど空いている。テーマとサブテーマを書いてみたけど、へぇそんな事書いていたっけ?逆じゃない?と思わされる
Posted by ブクログ
小説家である森博嗣さんのエッセイ集。未知を知ろうとするプロセス自体に価値がある、などなど森さんの人生や生き方に関する様々な価値観を知ることができる。その中には「たしかに!」というものもあれば「そうか?」というものもあるが、自分の価値観を本に落としてくれているものは自分の価値観を知るための参照軸になるので、賛否両論感じることができて良かった。特に森さんはかなり尖っていて確信が強いので、参照軸としては凄く良いが、疲れている時には読みづらいかもしれない。
Posted by ブクログ
⚫︎成功すると、そこに道ができるけど、それはほかの者が通っても同じような成功は辿り着けない。
⚫︎どこに問題があるのかといえば、それは「道を探そうという姿勢」にある。積極性は立派だが、自分の道というのは、探すのではなく、自分で築くものだからだ。
⚫︎空間ではなく時間に対する道を考えてみよう。時間を超えてつなげられるものがあるはずだからだ。自分の過去や未来に対しては、自分自身でつなげる必要がある。昨日のそれが明日のあれになる、というように、できるだけつなげたい。そうでないと、毎日が無駄になっていく気がする。なんとか自分の人生を意味のあるものにしたい、という欲求とは、つまりは、自分の時間的な道に対する憧れなのだ。
Posted by ブクログ
理論を理解することは、たとえるなら、神を信じるのと似ている。必ずできるという自信を生み、だからこそ、諦めずに実験を続けられる。
(P.135)