森博嗣のレビュー一覧
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ネタバレp46
「目にすれば失い、口にすれば果てる」
p119
「だいたい、そういった分野では、一人で活動できない。何人かで協力し合う場合が多い。自然に、そんな中からリーダが生まれる、というわけ」
p134
もはやせまい窓からキーツの部屋をのぞきこむ観光客はいなかったし、詩人の末期の眼に映った最後の光景を見ようともしなかった。
p200
ウォーカロンは、全体でリンクしています。
p249
「私はどこから来たのか、私は何者か。私はどこに行くのか?」
引用は、アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』。
シリーズ3作目。まだ近い未来の展開中という感じ。何かで書いていましたが、シリーズものは最初はつまらなく書くと(もちろんその中にもいくつかの優れた部分があるのでしょうが)。徐々に世界は明るみに、またストーリーのテンポと構成もエンタメに振り切るのかなと想像。だいたい半分(5作?)行ったところからギアが上がるのを期待。ウグイとのやりとりもほぼサービスのようなもの。
本シリーズ、ただの幻想小説として読めない。優れた研究者、作家、語弊はあるけど頭の良い人。だからその世界情勢や人との関係やテクノロジーの数々は自分の見ることのない未来のように思えてならない。
数年か数十年のラグはあるものの言ったこと、思ったことがだいたい当たる著者のことだから適当に書いているわけではなさそう。
攻殻の『機械たちの時間』を彷彿する。すべてのAIやアンドロイドが意識を共有する未来。素敵。と無責任に思える時代に今私はいる。 -
Posted by ブクログ
面白かった。
自由にいきたいなーと思って買って読んだ。真新しい発見はなかったが、自由を自分の中で再度定義できたような気がした
挑戦とか、楽しいとかいうワードが出てきたのがよかった。
とくに文中の表現で印象に残ったのは
座右の銘が「なにものにも拘らない」で、なにも拘らないようにはどうしたら良いかという質問に「なにものにも拘らないようにすると、なにものにもこだわらないという方針にこだわっていることになります。だから、なにものにも拘らないためには、ときどになにかに少しこだわる方が良いでしょう」と答えたところ。
示唆的な文章ではないが面白かった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレミステリーというより、命の価値観が異なるスコシフシギな世界に迷い込んで、生きること、復讐すること、罪などなど。改めて主人公と一緒に考えるような物語だった。
未来の技術に託してコールドスリープさせるので基本、「死」ではなく「眠りにつく」という捉え方の世界。だから近しい人が眠りについても淡々と受け入れる人の描写がある。ミチル同様、異質に思えるけれど、例えば他の物語で登場人物たちが「来世でまたね」的なことを絶対絶命の場面で言ってたら、異質さではなく何やら泣けてくる……かも。来世も遙か未来の科学技術も不確かな約束事なのに。
来世は証明しようがなくて信じる信じないが個人の判断に委ねられる。有るんだかないんだか、て感じだ。科学技術よりも遥かに不確かで、口にする登場人物たちも心の底から来世を信じてるとも思い難かったりする。不確かさにすがるしか他に道がない儚さに胸が詰まる。何より「命が終わる」こと前提だ。
一方の、ルナティックシティは「眠らせといて未来で治そう」(かたく信じてる)。儚くない。事務処理感すらある。名残惜しさがない。命が終わらない。
でも、一緒に過ごせなくなるなら、寂しかったりつらかったりするもんじゃない?人間だもの。
あと、未来の技術に期待するあまり、みんな、だんだん大した怪我や病気じゃなくても、できるだけいい条件で眠りについて、未来で楽しく過ごそうってならないの?
などなど、読んでて思わず思考が良き道に行っちゃう話だった。 -
Posted by ブクログ
前作からますます存在感を増してきていた真賀田四季博士、そして100年シリーズとの接点。
かつてのイル・サン・ジャックの遺跡で発見された、真賀田博士が作ったと思われる巨大な人形の頭。数百年ぶりに起動されたそれの口から語られた言葉。
「私の役目は、人類の共通思考の構築です。」
前作でヴォッシュ博士の元を訪れたときの真賀田博士の意図も含めて考えると、今のところ真賀田博士は世界の進むべき道をデザインし、彼女の崇拝者の元へ現れて啓示を与えて回っているように見える。
そして彼女の望むように世界は進むんだろうか。
昔から欲のためでも完全なる善意からでも世界を自分でデザインしようという存在は最終的に打ち倒され、あるいは自らの誤りを悟って消えていくものなのだけど、森作品の第一作目から君臨する博士がそんなボスキャラ的存在になるとも思えないし。といろいろハラハラしながら読んでいます。
先が楽しみです。