橘玲のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
遺伝がどの程度ヒトを形成する要因になっているかが科学的な観点から記されていた。
研究の対象者数や条件も比較的信頼度の高いものだと感じ、遺伝が人格や能力に影響を与えている影響が想像よりも大きいことを学んだ。
今まで無意識下で、能力の低さや反社会的な人格については、本人の努力や環境のせいにしていたことに気づいた。確かに、秀でた才能については親が優秀だからだと遺伝の影響を考慮していたのに劣性の才能について目を向けていなかったのは盲点だと感じた。
本書の目的はこの不都合な真実についての認知を拡げ、本当の意味での平等な社会を設計していくこと(本書の中では限りなく難しいと言及されているが…)だと読み取ったので、頭の片隅に本書で学んだことを置いておこうと思う。 -
Posted by ブクログ
タイトルの通りの内容が書かれていておおむね満足ですが、おじさんがおじさん向けに書いてる(ダイヤモンド社なので当たり前と言えば当たり前なんだけど)な〜という部分がちょこちょこある。20代女性は読み飛ばしてもよいかも…というページが何ページかあった。でも、ためになることがたくさん書いてあった。
参考になったこと↓
◎人的資本、社会資本、金融資本を最適化することが合理的な人生設計といえる。
◎人間の脳は原始時代に最適化されている。現代には適応し切れない。原始時代にどんな暮らしをしていたか?考えながら生活することが合理的。
◎人間は生得的に人と比較をして自分の幸福を測る。SNS時代に脳は適応していないが、環境が変わるわけではないので、自分自身がうまくSNSとの付き合い方をコントロールすることが必要。
◎シンプルな生活やミニマリズム×AIやインデックス投資による自動化が合理的な戦略となる。
◎大体のことにシンプルで合理的な人生設計を応用できるが、親になること(とりわけ母親になること)は不可逆であるため、合理的な選択は不可能。 -
購入済み
内容は難解だが....
進化心理学や行動遺伝学の知見を敷衍し、自我という不可侵の領域をビッグファイブや遺伝率という指標で解剖する野心作。
意識は後付けの錯覚に過ぎず、パーソナリティ空間における無意識のアルゴリズムこそが我々の本性であるという主張は、自由意志を根底から揺さぶる。終盤には霊魂の終焉が宣告されており、その徹底した還元主義的構成は難解ではあるが興味深い。
INTP型を自認する私にとって、この決定論的な人間観は陳腐な精神論の虚妄が払拭される点で面白い。
自他の情動や非合理な振る舞いすらも、進化の淘汰がもたらした適応の帰結とされているが、さて冷徹に俯瞰し最適化を図る、
それが真に合理的な人生なのかといわれると虚しさも残る気がする。 -
Posted by ブクログ
自由を求めてるはずなのに、自由になってってるはずなのに、現実はどんどん息苦しくなる。
ポリコレやソーシャルジャスティスの名の下に、今日もあちらこちらで火が上がる。SNSでの炎上は、もはや通常運転のうちになっています。オンライン上に残した足跡はすべて監視され、バレたら総叩きの目に。いまやこの世はおそるおそる薄氷の上をゆくようなキャンセル・カルチャーの嵐です。どうしてこんなことになったのか、またどうやってこの地獄をサバイブすべきかをこの本は教えてくれます。
五輪担当をキャンセルされた小山田圭吾の問題。会田誠の芸術作品『犬』に見る表現の自由と言論の自由。差別へのNoを先鋭化させた海外リベラルの、度を越した言葉狩り。複雑多様な性別やジェンダーを紐解くために、変態性癖やその原因であるテストステロンにも触れ、はたまた日本語の敬語表現など言語学的なフィールドにも分け入り、それらを全体的に俯瞰しながら、キャンセル・カルチャーの構造を暴きます。
この本の中で著者はリベラルを「自分らしく生きたい」という価値観、だと定義します。そもそも人類史において、生まれながらの身分などに縛られず、”自分らしさ”を追求できるような社会になったのは戦後からだということにあらためて驚嘆しました。日本も戦後急激にリベラル化が進み、いま現在もみんなが自分らしく生きられるように、よりよい社会を目指しています(そのように見えてはいます)。
しかしそんな戦後のリベラルな運動によって、格差や人間関係の複雑化、婚姻率や出生率の低下、価値観の衝突が生まれたとこの本は説きます。旧態依然の価値観やコミュニティでは安定を得られなくなり、リベラルな価値観からこぼれ落ちたものは、その反動でより右傾化。そして2026年2月現在、今の政治的潮流はまさにこの説明の通りで、この右傾化する結果まで含めて、近現代のリベラル化の必然的な帰結だと述べられています。そもそも「リベラルで格差や生きづらさがなくなるという考えが大きな勘違いだった」というのが(どちらかというと)リベラルな自分にとっては少なからずショックでした。インクルーシブを目指してるはずなのに、不寛容になって、息苦しさが色濃くなっていくなんて、本末転倒すぎる。こんな残酷なカラクリってあるの!?
英語圏で”障がい者”を表す単語が、よりポジティブなものに言い換えされていった結果、当事者である障がい者の側から「まるでポジティブであることを強要されているようだ」という声が上がって、元の単語に戻ったというエピソードが紹介されています。一見笑い話のようだけれど、なんとも考えさせられる示唆に富むものでした。叩かれないように言葉遣いに気をつけた結果、「無意識レベルの差別だ」という言いがかりで、◯◯警察が逮捕(ネットスラング)し始めて、しまいには当事者間でも意見が分かれるような細かいニュアンスまで掘り下げてしまっては、息苦しいに決まっているでしょう。
現代美術家・相田誠を取り上げた章が特に面白かったです。美術や表現活動が不適切だという場合、抗議は作家に対してではなく、美術館や主催者などへ向く場合が多いとのこと。なぜなら作家への抗議は表現の自由への配慮があるからだそう。相手の言論・表現の自由を直接否定することは、ブーメランのように自分に返ってきますもんね。でも平気でそれをする奴がいるのも事実。昨今の論破ブームも、自分の正当性を守りたいだけで、そのために相手を引きずり下ろすばかり。それでは建設的な議論にはなり得ません。他者の文脈を読み取りつつ、自分の文脈も守っていかなきゃ。それが本当に難しくて、体力を使うことは百も承知だけれど。
わたしにとって複雑怪奇だったのがジェンダー/セクシュアリティ問題を取り上げた章。ひとくちに「性」といっても、生物学的な性、性自認、ジェンダー、表現する性と階層は複雑。でもこの章を読んで昨今話題になった、男性から女性に転換したトランス女性は女性トイレ・女風呂を使ってもいいのか問題をわかりやすく捉え直すことができました。
社会的なステータスを得られないものが、匿名かつローコストで正義のヒーローになれるSNSを手に入れ、正義の名のもとに他者を糾弾するようになり、”正義というエンタテインメント”の味を覚えた、と著者はキャンセルカルチャーの社会的・生物学的な背景をこのようにまとめています。
この本を読んで、キャンセル・カルチャーはこんなに複雑で繊細な問題なんだと気づきました。ジェンダー、人種、宗教、性的指向、障がいなどの全てのポリコレに適応するなんて無理ですよ。配線が張り巡らされた爆弾に立ち向かう地雷処理班ぐらいの器用さじゃないとサバイブできないのでは、と思えてきます。
「正義」という、まるで大いなる意志のようなものがつねに自分たちのそばにある、というのがまず幻想だと思いますし、その幻想が人それぞれで全く違うということが問題の複雑さを産んでいると思います。そもそも正義なんてない!地球が誕生して以来、正義なんてものを自然は用意してない!人間が作っただけ!本当はすべて個別の事案!どんなルールにも完璧はない!ルールや、ルールを作った存在である人間に、完璧はない!、、、ゼエ、ゼエ、ゼエ、、、とこんな風にヒートアップする自分も、「正義」という幻想に取り憑かれているのかもしれません。
放火魔のごとく、火をつけ焚き付け面白がっているだけの人間のことはわからないけれど、少なくとも本気でキャンセルを訴えている人にはその人なりの理屈や文脈があるんだ、ということは分かっておこうと思いました。それを理解できるか、理解する必要が自分にあるかは置いておいて。
とりあえず瞑想でもするか、、、 -
Posted by ブクログ
話題にするのを憚られるような内容を集めたような本。
キャンセルカルチャー、差別、偏見、頭の悪い人、自尊心、マウントなど、SNSで発言しようものならあちこちから叩かれそうなことについて科学的な実験をもとに見解を述べている。
ちゃんとした実験をエビデンスにしているようなので内容はある程度信頼できるが、人間相手の実験なので、時代や被験者で結果は変わるかもしれない。
ただ、色々な事柄について書かれてはいるが、本書全体を通して筆者が言いたいことはイマイチ伝わってこないかもしれない。
それで結局どうなのか?ということについてもう少し書いて欲しかった。
SNSや企業PRでキレイゴトばかり並べたててるけど、現実はそんなにうまいこといかないよね、というのは皆感じていることだと思う。
内容がアレなので、強くおすすめはしないが、まぁまぁ面白い。 -
Posted by ブクログ
なるほど確かに、自分らしく生きるの呪縛はすごい。
夢ハラスメントを起こしかねないしひいては孤独をも生み出す。
資本主義のもとで平和が続くと格差は拡大していくんだって。
私は資本主義社会、知識社会に於いては恵まれている側の人間だからこそ知らなかったことも沢山あるなと感じた。
現代社会では、失敗しても死ぬことはないだろうと思っていたけど、死にたくなるくらいの絶望はあるのかもしれない、、、。
じゃあそこを解決するために尽力することはできないけど、現実を知っておくこと、その上で自分はどんなスタンスを取りたいか常に考えておくことは重要だと感じた。
もっと経済の勉強がしたくなった。 -
Posted by ブクログ
唯一平等な時間を何に割くか。
健康に気を使いつつ、働き、余暇を楽しむことが人生であるのだが、
よく寝て(8時間)働いて(8時間)、食事など(5時間)で残りは3時間ほどしかありません。
そんな限りある時間で、ぼくは“善”について考えていました。
でもそれは、“善”について「考えたくないから考えていた」という側面があったと思います。
「人生の解」「人とは」「善」…答えのない問いですが、それらの(考える)土台がなければ、「社会」「お金」「ビジネス」等は考えられないと(直感で)感じており、しかし、働いて食事をしなければならないジレンマが人生でした。
働いて食事をするために、「人生」や「善」の解をさっさと出して終わらせて次に進みたいのです。
しかし、ご存知の通り名だたる哲学者たちでさえその解に辿り着いていません。
結局、「人による」ものなのでしょうか。
「いま、ここ」に集中して楽しめと言えど、
やはり将来が不安(仕事があるか、お金があるか)で、余暇を楽しめないこともままあります。
けれど今は、非常に良い時代であることは確かで、質量ともに不自由なく過ごせることが多い。情報も悪質なものもありますが、学べば確かなことにいつでも届きます。
つまり、「人による」そして、「何をしたいか(好きか/得意か)」に収斂されるのだから、余計なことはAIにでも任せて、考えたいことを考え続ければいいのでしょう(か)。
“善”についてもまた考えます。