あらすじ
ものごとを瞬時に判断すれば、膨大なエネルギーを消費する脳を活動させるコストは最小限で済む。そのためわたしたちヒトは進化の過程で、面倒な思考を「不快」と感じ、直感的な思考に「快感」を覚えるようになった。すべての対立を善悪二元論に還元することは、いわばヒトの“デフォルト”だ。ところが現代社会では、簡単な問題はすでにあらかた解決されている。いまを生きるわたしたちが対処を迫られるのは、対立する当事者がいずれも「善」を主張し、第三者には単純に判断できないような【DD】的な問題なのだ。
面倒な問題をまともに議論する気のないメディアへの信頼感が失われ、SNSではそれぞれが交わることのない「真実」や「正義」を掲げる。――そんな世の中ではとかく嫌われがちな、しかしそんな世の中にこそ必要なはずの【DD】な思考から、日本や世界がいま抱えている社会問題に鋭く斬り込む。
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Posted by ブクログ
2025.03.01
世の中にあふれる表層的な物の見方をばっさりと斬る一冊。
特に秀れていると感じたテーマは、旧ジャニーズ事務所の代表として、「法的責任」を課されるべきではない藤島女史に関する記述。
日本人に限らず大衆はムードだけで判断し、あれはあれ、これはこれと分けて考えることをしなさすぎるよなという感想と、いわゆるそんなこと知っていたとうそぶく「大マスコミ」の輩の悪癖。立花隆氏が田中元総理のロッキード事件を暴いたときも大マスコミの面々は田中元総理のカネに纏わる悪癖を知っていたのに書いたり報道したりしなかった。
マスコミという特権階級に属する人々の悪癖がSNSで議席を獲得する輩を生み出す土壌となっていることを思う。
Posted by ブクログ
私が大好きな作家・橘玲さんがロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・ハマス紛争、売春、トランスジェンダーの競技参加、安楽死、SNS、マイナ保険証等、連日世間を賑わせた(ている)問題についてマスメディアの報道とは違った観点から問題提起してくれる良書です。私としてはトランスジェンダー女性(元男性)が女性として1位になってしまう事やマイナ保険証のデメリットばかり報道するマスメディアに辟易していた自分にとってはスカッとする論調でした。
Posted by ブクログ
本書は、橘玲さんの週刊誌に連載されたコラム+書き下ろしで構成されており、相変わらず世の中の言いにくいことをエビデンスなども交えながら淡々と述べていくスタイルが心地いい。
短めのコラムが中心ですが、Part0の書き下ろし「DD(どっちもどっち)と善悪二元論/ウクライナ、ガザ、広島」をはじめとして、著者は世の中で正義とされている事柄の「不都合な真実」にも遠慮なく踏み込んでいきます。
特にPart4の「マイナ騒動は『老人ファシズム』である。『紙の保険証残せ』はエセ正義」と、「自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ」の2本のコラム、そして「あとがき」はそれぞれ痛快かつ刺激的で秀逸。
ソフトで冷静な口調ながら、マイナ騒動を、メディアらによる紙とFAXの世界に戻せという「現代のラッダイト運動」とまで評し、ジャニーズの一連の騒動については、同じくメディアを「正義の名を騙る者たちの偽善と自己正当化」とサラリと斬るのがいかにも橘さんらしいところ。
SNSに流れてくるような、単純な善悪二元論や「正義」に流されることのない視点が大事、ということを痛感させられる一冊でした。
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橘玲さんの最新刊『DD論』を読みました。最近の事件や社会の動向について、橘さんらしい冷静でありながら鋭い指摘が光ります。語り口は淡々としているものの、その内容は非常に考えさせられるものばかりです。本書では、善悪二元論が認知のゆがみである「二分思考」につながり、危険な考え方であることが明確に示されています。この指摘には深く納得させられました。現代社会の様々な出来事を別の視点から捉え直すために、多くの方にお勧めしたい一冊です。
Posted by ブクログ
衝動買い。以下のように全部で5パートに分かれているが、パート0以外は過去の短い単発記事を集めたもの。いずれも橘氏の鋭い着眼点と分析が光るが、単発記事はやはりやや物足らない。また、それとは別にパート4にあるマイナ保険証を巡る話はちょっと頂けなかった。マイナンバーカードの是非は取りあえず置くとして、それを保険証に強引にひも付け、旧来の保険証を一気に廃止することで、もともと「任意」であったマイナカードの取得を実質的に強制する姑息なやり方に一切批判がないのは驚き。マイナカードに何もかも一本化することは、マイナが駄目になったらすべて駄目になるというリスクもある。医療保険証や運転免許証など大事なものは別のままにしておくか、マイナと併用で両方使えるようにしておくべきだろう。個人認証に顔認証以外の生体認証を使うというのは賛成だが、そもそも新生児からマイナカードを作らせる必要があるのか。いろいろ生煮えのまま、ごり押しで無理を通そうとしているのがマイナであるという視点も欲しかった。
パート0:DDと善悪二元論 ウクライナ、ガザ、ヒロシマ
パート1:「正しさ」って何?リベラル化する社会の混乱
パート2:善悪を決められない事件
パート3:よりよい社会/よりよい未来を目指して
パート4:「正義」の名を騙る者たち
Posted by ブクログ
DDというはアイドルオタクのあいだで使われるネットスラングで「だれでも大好き」な状態だそうで。特定の推しがいない。DDだと。そこから派生して「DD」はネット上の議論に転用されるようになり「どっちもどっち」を表すようになった。私は見事にこの言葉を知らない。
善悪二元論、勧善懲悪、両論併記、二律背反…ハッキリと白黒つけて扱う言葉は色々あるが、旗幟を鮮明にせず「どっちでも良いだろ」とか「そんな単純に扱えない」「断言する方が稚拙」みたいな大上段からのシニシズム的態度にも見える。私は断定しない、何故なら自らの無知を知るからだ。論戦するに適した安全圏からのアウトレンジ戦略。DD、それは卑怯な立ち位置でもある。
世の中には情報が溢れかえっていて、その割に正確に認識できるほどには情報は与えられてはおらず、全てに対し半端な評論家にしかなれない。そもそも当事者でもなく、利害関係も定かではない事案に対し、片方を援護射撃する必要もないのだ。DDは、いっちょかみするなという警句でもある。
本書で取り扱われる象徴的な事例がロシア対ウクライナ。どちらが正義だとか、どうなるべきだとか意見や関心を持つことは大切だが、究極的には偏った情報から正しい判断など難しいという姿勢を忘れてはならない。DDは常に冷静である。
イスラエルとパレスチナ問題もそう。DDは感情だけで推断はしないのだ。
ー 「日本人はヒロシマを、戦争の加害責任から目を逸らすために利用してきた」になるでしょう…世界のあらゆる場所で「犠牲の物語」をめぐる"記憶の闘争”が起きており、ヒロシマ(日本)と従軍慰安婦(韓国)を東アジアにおけるその象徴的な事例として、「地球規模の記憶構成体」の視点から考えることです。「戦後日本の民族主義と朝鮮半島の民族主義には「敵対的な共犯関係」がある」ことを見いだします。韓国と日本の民族主義はどちらも、「自民族の生存を脅かす隣人の攻撃的民族主義」という想像上の他者を必要としています。日韓の「歴史戦」とは、「日本の右翼の歴史否定論が韓国の反日民族主義を正当化し、韓国の民族主義による日本たたきが日本の右翼の民族主義を強化する」ことで過激化してきました(そして大きなビジネスになりました)。「いかなる民族主義も他者の存在なしには成り立たない」のです。
上記は凄い発言だなと思ってメモ書き。DDが回避すべき対立構造を戦略的に相互依存関係として見抜き、双方を〝プロレスとして揶揄する“論説だ。こんな言い方を許して良いかは別として、実際にはバイキンマンがいなければアンパンマンが成立しないように、そうした共存関係はあり得るものだ。DDは物語ブレーカーにもなるかも知れない。
Posted by ブクログ
「解決できない問題」には理由がある。
物事は、単純化できないですね。
社会問題の複雑さに切り込んだ内容で、自分の思慮の浅さに気付かされる。
ディープな内容もあり、「どっちもどっち」というタイトルが軽々しい印象すら受けた。
「言ってはいけない」けど、言っちゃう橘玲さんは、貴重な作家さん。
Posted by ブクログ
どっちもどっちであるかもしれないと気持ち悪いところを浮遊しながら、その根拠を探し続けるグレーな環境にニンゲンはいたくない。ただそう言う願望とは別のところにある意味での真理があるのかも?
Posted by ブクログ
いつも通り橘節が冴える。
面白かったのは、夫婦別姓を導入すると、日本の家庭制度が崩壊する、とか、自動運転を導入すると、犯罪が増える、とか、安楽死を認めると不当な強制が横行する、などの保守派の議論は、世界の他の国の人たちにはできていることを、日本人にはできないと言う自虐史観だと言う指摘。
Posted by ブクログ
この方の本は読むと賢くなった気になれる
ただ前半の70ページほどがタイトルの内容で自分が知らなかった若しくは考えもつかなかった論が展開され唸らされた
後半は雑誌連載の掲載のようでこちらは短いセンテンスで時事問題を中心に
アレ?この話はこれで終わりなの?って感がして全体としての統一感は無い
Posted by ブクログ
取り扱ってる範囲が広くて1冊にまとまってるようでまとまってなくて惜しい。ただ1本1本の内容は濃く露宇戦争から戸籍制度、エロスの資本化まで世界の潮流を知るための良書だと思う。
Posted by ブクログ
オーディブルにて。
この著者は過激な書き方もするが、どっちもどっち論と題するだけあって、他方から新たな視点を提示してくれるという意味では参考になった。
Posted by ブクログ
DD論の定義が最初に分かり易く書いてあるので、まず読む前にこの本はこの位の気持ちで読み進めばいいのか、と目安になる。
発刊当時の時事ネタについて、引用も多く、少し時間が経った現在からすると、そんなこともあった、とかいつまんで把握できた。
さて、DD論。どっちもどっちは、ほんまそれ。
使い古されている表現だが、置かれた立場から見た、考えた、その景色からの評価、考え方、認識でしかない。
と、みんながみんな思えればいいけどね!
その当人にとっての、その場の平和的解決方法がその言動であり、
その時点を離れたらまた複数の選択肢が現れる。
多数の人間が集合することで、様々な知が入り乱れ、統率は難しくなる。
Posted by ブクログ
DD 「どっちもどっち」わかりやすいけど、もっといい言葉ないのかな
ぱーと0以外はネット記事とかの再掲みたいです
まとめて読めるのはいいんだけど、見たことあるフレーズが頻繁にでてくる
この本読むひとは作者をある程度知ってるひとだと思うので、同じような感想になると思う
善悪二元論かどっちもどっち、私たちはどう選択するのか?
Posted by ブクログ
0/100で分別しきれない複雑な問題で溢れかえっている現代。そんな中で無理のある善悪二元論を振りかざすから、平行線の議論や要らぬ争いが生まれてしまう。
昨今のトレンドテーマである「正しさ論」から、世を騒がせている闇バイト・頂き女子まで、スパイスとしてのバイアスを多方面から掛けて語られていて面白かった。これが仮に一方向からだけならつまらなかったと思う。
多くの章の中でも、犠牲者意識ナショナリズムについては、国家から私自身に抽象化して置き換えてみて腑に落ちる部分があったからブログ化したいと思う。
Posted by ブクログ
【どうしようもない】
脳みそは膨大なエネルギーを消費します。
したがって、瞬時に判断すれば消費動力を少なくすることができます。つまり、善と悪がはっきりしている方がわかりやすいので、善と悪を決めつける極端な二極化に陥るのです。
考える能力が備わっている人間ですが、考えないように生きてきたので脳みそを有効に使えていません。
ただ、現代は飽食の時代です。
膨大なエネルギーを使用する脳みそを動かしても問題ない。
どんどん動かしていきましょう!
Posted by ブクログ
☆3.5 政治問題の決着のなさのなさ
双方の主張する善悪二元論が対立し、相対的な視点を失った論争に終りはない。ガザ、イスラエル、原爆、従軍慰安婦…… そのいづれにも犠牲者意識ナショナリズムは存在し、加害の歴史を無視し犧牲者たらうとする。
文学でもやたら原爆小説や原発小説が評価されるきらひがある。みづからが正義だと信じて疑はない者の多いこと。(その点、筒井康隆は谷崎賞の選評のとほりでえらい。)
さて、この本の内容自体は、日本の社会問題にたいしてリベラル観を問ひただすものだ。
それぞれ利害があって口にできないこと。それを橘さんは言ってのける。なかには首をかしげるものもあらうが、議論を深めるためには良い。
教育問題や親子問題などもあり、近代化によって旧弊な学校システムや戸籍制度がいつまでも持続してゐるのは、日本にとって良くないとわかる。先輩・後輩文化で過剰な媚びへつらひも、年齢差別。
Posted by ブクログ
自分にも善悪二元論のような0か1かのバイナリー思考のクセがあって、多面的なモノの見方が重要であることはよくわかった。ただ絶対悪とされるものを擁護したいばかりに、無理やりな感じが否めない。単なる天邪鬼と紙一重。
ウクライナ戦争の背景は初めて知ったが、ドンバスにおける地方の勢力争いの域を出て首都キエフの一般市民をミサイルで無差別攻撃し、政権転覆を狙うのは「どっちもどっち」ではないだろ。京アニ事件にしても大阪のクリニック放火殺人にしても全く擁護しようのない凶悪犯罪であり、「どっちもどっち」でも「善悪つけられない問題」でもない。後半になるとますますDD感がなくなってきて、もはや何が主題の本なのかわからなくなる。Part4に至ってはDDと言うよりDY(どうでも良い)だ。
Posted by ブクログ
いつもの橘玲節で子気味良いが、本全体としてはまとまりを欠く印象。
序盤で、ウクライナ戦争と第二次大戦のナチスドイツと、太平洋戦争での原爆投下を並べて、善悪二元論では解決できない「どっちもどっち」であることを明らかにする。これは、結構刺激的。
個人的には「日本は唯一の被爆国だから、核廃絶運動の先頭に立つべき」論について、「気持ちはわかるけど、何故そうなるのか理屈が分からない」と、昔から感じていた。著者はそこに「人類は誰もが被害者ポジションを取りたがる」という補助線を引く。これは、なかなか秀逸な視点で、侵略戦争の側面を薄め、被害側面を強調することで、集団維持に貢献している。そしてポリコレが進んだ現代では、この傾向は加速している。
中盤以降は、現代日本の様々な政治・社会問題について、同じようにどっちもどっち論で切っていく。だけど、節ごとのつながりが薄く、個別のネット記事を寄せ集めたような印象。節が移るたびに、唐突に話題が変わり、大きなテーマを追えていない印象。編集がもう少し全体の構成を作って欲しいところ。