あらすじ
ものごとを瞬時に判断すれば、膨大なエネルギーを消費する脳を活動させるコストは最小限で済む。そのためわたしたちヒトは進化の過程で、面倒な思考を「不快」と感じ、直感的な思考に「快感」を覚えるようになった。すべての対立を善悪二元論に還元することは、いわばヒトの“デフォルト”だ。ところが現代社会では、簡単な問題はすでにあらかた解決されている。いまを生きるわたしたちが対処を迫られるのは、対立する当事者がいずれも「善」を主張し、第三者には単純に判断できないような【DD】的な問題なのだ。
面倒な問題をまともに議論する気のないメディアへの信頼感が失われ、SNSではそれぞれが交わることのない「真実」や「正義」を掲げる。――そんな世の中ではとかく嫌われがちな、しかしそんな世の中にこそ必要なはずの【DD】な思考から、日本や世界がいま抱えている社会問題に鋭く斬り込む。
感情タグBEST3
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これはこう!これはこう!という無意識の線引きをしているが
蓋を開けてよく考えてみれば、どっちもどっちなのでは…?というDD論。
作られた声が大きい人が発信する事が、さも正しいように思える昨今のSNS。
デジタルかアナログかで騒ぎ、これから起きるであろう本当にアナログなまま・デジタルなままでいいの?という疑問。
事件や事故で当事者だけで話し合えばいいのに、騒ぎ立てる全く関係の無い第三者。
こんな環境だからこうなったんだという本人の自立や努力皆無の決めつけ云々
言い出したらキリがないけど、全くその通りだよな。と思った。
身近でもこういうことはよく起きるし
実際俯瞰してみると、あぁまたやってんな〜と冷めた目で見てしまう。
みんな一旦立ち止まって考えてほしい。
立ち止まって考えることはすごく必要。
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世界の混沌とした社会問題、事件、事故、戦争など世界の見る目を曇らせる「善悪二元論」が蔓延り始めた。それは世界を善(正義)と悪に分けようとする力関係だ。だが、本書にあるDD(どっちもどっち)は、歴史的な背景など双方の立場を知れば知るほど複雑になりつつある事を説明をしている。実際、ファクト情報が数によるフェイク情報でネジ曲げさせられる現状がある。例えばロシアとウクライナとの戦争、イスラエルとガザでの戦争も歴史を知るとどちらも加害者であり犠牲者となり得る。一方、肝心なメディアでさえ、一部の力による隠蔽あるいは偏った情報(陰謀論・権力者の個人情報、あるいは弱者保護、または世間の批判や抗議を避ける為)による報道判断は説明責任を避けているのが現状だ。よって一方的な報道情報だけを信じることが曖昧で、且つ危険なこともあり、面倒な思考なしで、直感的に自分の都合から「快感」を選択するようにもなったのも現実だ。今後世界は多くの情報(モノの捉え方、見方)を発信するがDD(どっちもどっち)の視点からの洞察が必須となり、圧倒的多数(集合知)で網羅する情報の判断には気を付けた方が無難となる。
本文での気になる言葉「メディアにとって「正義」は他人(権力)を批判する道具で、報道とは読者を煽動してお金を稼ぐビジネス」
Posted by ブクログ
2025.03.01
世の中にあふれる表層的な物の見方をばっさりと斬る一冊。
特に秀れていると感じたテーマは、旧ジャニーズ事務所の代表として、「法的責任」を課されるべきではない藤島女史に関する記述。
日本人に限らず大衆はムードだけで判断し、あれはあれ、これはこれと分けて考えることをしなさすぎるよなという感想と、いわゆるそんなこと知っていたとうそぶく「大マスコミ」の輩の悪癖。立花隆氏が田中元総理のロッキード事件を暴いたときも大マスコミの面々は田中元総理のカネに纏わる悪癖を知っていたのに書いたり報道したりしなかった。
マスコミという特権階級に属する人々の悪癖がSNSで議席を獲得する輩を生み出す土壌となっていることを思う。
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私が大好きな作家・橘玲さんがロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・ハマス紛争、売春、トランスジェンダーの競技参加、安楽死、SNS、マイナ保険証等、連日世間を賑わせた(ている)問題についてマスメディアの報道とは違った観点から問題提起してくれる良書です。私としてはトランスジェンダー女性(元男性)が女性として1位になってしまう事やマイナ保険証のデメリットばかり報道するマスメディアに辟易していた自分にとってはスカッとする論調でした。
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本書は、橘玲さんの週刊誌に連載されたコラム+書き下ろしで構成されており、相変わらず世の中の言いにくいことをエビデンスなども交えながら淡々と述べていくスタイルが心地いい。
短めのコラムが中心ですが、Part0の書き下ろし「DD(どっちもどっち)と善悪二元論/ウクライナ、ガザ、広島」をはじめとして、著者は世の中で正義とされている事柄の「不都合な真実」にも遠慮なく踏み込んでいきます。
特にPart4の「マイナ騒動は『老人ファシズム』である。『紙の保険証残せ』はエセ正義」と、「自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ」の2本のコラム、そして「あとがき」はそれぞれ痛快かつ刺激的で秀逸。
ソフトで冷静な口調ながら、マイナ騒動を、メディアらによる紙とFAXの世界に戻せという「現代のラッダイト運動」とまで評し、ジャニーズの一連の騒動については、同じくメディアを「正義の名を騙る者たちの偽善と自己正当化」とサラリと斬るのがいかにも橘さんらしいところ。
SNSに流れてくるような、単純な善悪二元論や「正義」に流されることのない視点が大事、ということを痛感させられる一冊でした。
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橘玲さんの最新刊『DD論』を読みました。最近の事件や社会の動向について、橘さんらしい冷静でありながら鋭い指摘が光ります。語り口は淡々としているものの、その内容は非常に考えさせられるものばかりです。本書では、善悪二元論が認知のゆがみである「二分思考」につながり、危険な考え方であることが明確に示されています。この指摘には深く納得させられました。現代社会の様々な出来事を別の視点から捉え直すために、多くの方にお勧めしたい一冊です。
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複雑な思考にはエネルギーが必要なので人間は本能的に帰納的な事実に即した判断よりも演繹的に結論ありきの思考法に快感を覚える。さらに現代では様々な情報が広く共有されているため明らかに答えの出る問題には既に解答が得られている。即ち今の社会で議論されているのはほとんどが解決が難しいものや原理的に解決できない問題がほとんどである。
ウクライナとロシアの戦争は善悪二元論で捉えられがちだが、このような場合でさえも例えばロシア侵攻以前のウクライナの内戦のような多面的な視角がある。逆に善悪二元論にこだわって正義を追求することにより現実的な休戦協定が結べないという負の側面もあるのは事実だと思う。
一般的に戦争をやめるにはDDという煮え切らないままの状態で停戦するのが現実的である。その意味で平和とは必ずしも平等を意味しない。ある国が他国を搾取していたとしても、その状態を是正するために戦争を起こすのは本末転倒だと思うが、言い換えれば解決策は例えば人権抑圧を黙殺するか戦争をしかけるかという二択から選ばなければならないのが現実である。
多様な視点が求められ善悪二元論が成り立たなくなった社会では、インディアンを制圧する西部劇などのドラマは作れなくなり、スター・ウォーズのような人間以外の敵を作り上げ勧善懲悪の物語を作ろうとした。だがそれでも敵のキャラクターを一方的な悪として描くことは難しいと感じられるほどに世の中の視点は多様化している。
弱者によるテロリズムの大多数は若者から中年にかけての男性によってなされる。そのような層に対する格差は構造的に存在していて、現時点で格差は広がり続けているので、テロリズムの可能性も上がり続けている。
エロス資本という概念は定量化すると莫大な金額になり得る。しかしこれをマクロで考えるかマイクロで考えるか。マイクロで個別のケースを考えると、エロス資本をマネタイズするのは社会的、法律的、物理的など様々なリスクを抱えている
なぜ振込詐欺の文章はあまりに稚拙なのか→メールを送るコストはほぼゼロだが、そこから金を回収するところに人的コストがかかる。例え綿密なメールで注意深い人を騙せたとしても実際にその人に金の振り込みをさせるのは難しい。そういう意味では非常に稚拙なメールを送り、そんなメールにさえも引っかかるような標的に照準を合わせたほうが効率的である、
特定の人間がコミュニティの人間を監視するというシステムはコストが高くスケーラブルではないが、一方で道徳警察による相互監視、または人間の自己家畜化というシステムは非常に低コストで効率よく機能する。ただしそのためにはコミュニティが安定して存在していることが前提となっており、特に道徳による管理は日本を含む東アジアで顕著である。ただし道徳の規律の厳しい社会では不道徳な行為に対して人々は不寛容であるため、不道徳な行いを明かさず隠れる傾向がある点も留意が必要である
以下の点に関しても著者の考えがロジカルに述べられていて、必ずしも同意しないが理解はできた。
死刑制度廃止、マリファナ解禁、戸籍制度廃止、安楽死容認、世代間格差、学校制度の限界、多数派と少数派の安定、マイナカード及び行政手続のデジタル化推進、ジャニーズ問題におけるマスメディアへの断罪
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特に前半の戦争の解釈に対する部分が面白くて示唆深かったな、自分が色んな国や場所で展示を見て話を聞いて感じた違和感が言語化されてた
後半は1ヶ月経つと覚えてない、、
Posted by ブクログ
人間が単純な2項対立で考える傾向がある、という例を深掘りできる本かと思った。
薄々勘付いていだが、安易に善悪を決めつけると本質を見失うことになるのだ、と改めて考えさせられた。
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衝動買い。以下のように全部で5パートに分かれているが、パート0以外は過去の短い単発記事を集めたもの。いずれも橘氏の鋭い着眼点と分析が光るが、単発記事はやはりやや物足らない。また、それとは別にパート4にあるマイナ保険証を巡る話はちょっと頂けなかった。マイナンバーカードの是非は取りあえず置くとして、それを保険証に強引にひも付け、旧来の保険証を一気に廃止することで、もともと「任意」であったマイナカードの取得を実質的に強制する姑息なやり方に一切批判がないのは驚き。マイナカードに何もかも一本化することは、マイナが駄目になったらすべて駄目になるというリスクもある。医療保険証や運転免許証など大事なものは別のままにしておくか、マイナと併用で両方使えるようにしておくべきだろう。個人認証に顔認証以外の生体認証を使うというのは賛成だが、そもそも新生児からマイナカードを作らせる必要があるのか。いろいろ生煮えのまま、ごり押しで無理を通そうとしているのがマイナであるという視点も欲しかった。
パート0:DDと善悪二元論 ウクライナ、ガザ、ヒロシマ
パート1:「正しさ」って何?リベラル化する社会の混乱
パート2:善悪を決められない事件
パート3:よりよい社会/よりよい未来を目指して
パート4:「正義」の名を騙る者たち
Posted by ブクログ
「解決できない問題」には理由がある。
物事は、単純化できないですね。
社会問題の複雑さに切り込んだ内容で、自分の思慮の浅さに気付かされる。
ディープな内容もあり、「どっちもどっち」というタイトルが軽々しい印象すら受けた。
「言ってはいけない」けど、言っちゃう橘玲さんは、貴重な作家さん。
Posted by ブクログ
どっちもどっちであるかもしれないと気持ち悪いところを浮遊しながら、その根拠を探し続けるグレーな環境にニンゲンはいたくない。ただそう言う願望とは別のところにある意味での真理があるのかも?
Posted by ブクログ
いつも通り橘節が冴える。
面白かったのは、夫婦別姓を導入すると、日本の家庭制度が崩壊する、とか、自動運転を導入すると、犯罪が増える、とか、安楽死を認めると不当な強制が横行する、などの保守派の議論は、世界の他の国の人たちにはできていることを、日本人にはできないと言う自虐史観だと言う指摘。
Posted by ブクログ
この方の本は読むと賢くなった気になれる
ただ前半の70ページほどがタイトルの内容で自分が知らなかった若しくは考えもつかなかった論が展開され唸らされた
後半は雑誌連載の掲載のようでこちらは短いセンテンスで時事問題を中心に
アレ?この話はこれで終わりなの?って感がして全体としての統一感は無い
Posted by ブクログ
取り扱ってる範囲が広くて1冊にまとまってるようでまとまってなくて惜しい。ただ1本1本の内容は濃く露宇戦争から戸籍制度、エロスの資本化まで世界の潮流を知るための良書だと思う。
Posted by ブクログ
周りくどくて何が言いたいのか分からない長文が続く。最初と最後の段落を読むだけで把握できるので、飛ばし読み推奨かも。
橘先生は経済・投資関係だと竹を割った分かりやすい書きぶりなのに政治・社会がテーマだとこねくり回す表現になることに驚いた。
Posted by ブクログ
Part.0
世界の様々な問題が「正義」と「利権」がコインの裏表のような状態にあるため、最初は被害者だったものが後々加害者に変わることがある、ロシア・ウクライナやイスラエル・パレスチナ。被害者を守ることは大切だが、それを口実に被害者利権に走る最低な人達はいる。
日本もヒロシマナガサキの悲劇をアウシュビッツと同化することで自国を被害者と信じることが出来るため、『夜と霧』『アンネの日記』はそれぞれ発売後日本で最初にベストセラーとなったらしい。確かに日本は戦争に関する特番、教育を行っているがどれも被害者目線にしか立っておらず、被害は分かるがどのような悪業を行ったかを知らない日本人も多いと思う。
Part.1
同性婚どうたらについて色んな感情的な議論があるようだが、そもそも子供がいる場合のみ制度的な優遇を与えればいいんじゃないだろうか。結婚によるビザ発行なども子供がいないとできない、というようにすれば形上の婚姻は出来るわけだし。差別どうこう抜きにして、異性婚含めて人口を増やす助けをしない人達を税金で支援する訳は分からない。
Part.2
犯罪者の扱い、精神異常や病気の犯人の動機は理解し難く、一般人からは自分勝手な異常者としか見えない。
認知能力に問題がある人は犯罪を犯しがち、何が間違ってるか理解しにくいからどうしたらいいのやら。
Part.3
日本には超少子高齢化という問題があり、若者世代全体に将来への漠然とした不安がある。著書にも書いてあったが高齢者を若者が助ける、という構造を見直して高齢者の中で富裕層が貧民層を助ける、という構図も取り入れるのはいいと思った。
金持ち老人を貧乏若者が助けなければならない今の構造に誰かメスを入れてくれ。
Part.4
橘さんは偽善的で風見鶏のようなメディアというものが大嫌いなんだなあと思った。スポンサーのため視聴率を稼ぐためならどんな立場にもたって人々の興味を煽るのは昨今のYouTuberの再生数稼ぎにそのまま引き継がれたんだなあ。注目を集める=成功って構図が変わらない限り多くの人を騙す詐欺のような注目集めは無くならないだろう。
Posted by ブクログ
オーディブルにて。
この著者は過激な書き方もするが、どっちもどっち論と題するだけあって、他方から新たな視点を提示してくれるという意味では参考になった。
Posted by ブクログ
DD論の定義が最初に分かり易く書いてあるので、まず読む前にこの本はこの位の気持ちで読み進めばいいのか、と目安になる。
発刊当時の時事ネタについて、引用も多く、少し時間が経った現在からすると、そんなこともあった、とかいつまんで把握できた。
さて、DD論。どっちもどっちは、ほんまそれ。
使い古されている表現だが、置かれた立場から見た、考えた、その景色からの評価、考え方、認識でしかない。
と、みんながみんな思えればいいけどね!
その当人にとっての、その場の平和的解決方法がその言動であり、
その時点を離れたらまた複数の選択肢が現れる。
多数の人間が集合することで、様々な知が入り乱れ、統率は難しくなる。
Posted by ブクログ
DD 「どっちもどっち」わかりやすいけど、もっといい言葉ないのかな
ぱーと0以外はネット記事とかの再掲みたいです
まとめて読めるのはいいんだけど、見たことあるフレーズが頻繁にでてくる
この本読むひとは作者をある程度知ってるひとだと思うので、同じような感想になると思う
善悪二元論かどっちもどっち、私たちはどう選択するのか?
Posted by ブクログ
0/100で分別しきれない複雑な問題で溢れかえっている現代。そんな中で無理のある善悪二元論を振りかざすから、平行線の議論や要らぬ争いが生まれてしまう。
昨今のトレンドテーマである「正しさ論」から、世を騒がせている闇バイト・頂き女子まで、スパイスとしてのバイアスを多方面から掛けて語られていて面白かった。これが仮に一方向からだけならつまらなかったと思う。
多くの章の中でも、犠牲者意識ナショナリズムについては、国家から私自身に抽象化して置き換えてみて腑に落ちる部分があったからブログ化したいと思う。
Posted by ブクログ
【どうしようもない】
脳みそは膨大なエネルギーを消費します。
したがって、瞬時に判断すれば消費動力を少なくすることができます。つまり、善と悪がはっきりしている方がわかりやすいので、善と悪を決めつける極端な二極化に陥るのです。
考える能力が備わっている人間ですが、考えないように生きてきたので脳みそを有効に使えていません。
ただ、現代は飽食の時代です。
膨大なエネルギーを使用する脳みそを動かしても問題ない。
どんどん動かしていきましょう!
Posted by ブクログ
☆3.5 政治問題の決着のなさのなさ
双方の主張する善悪二元論が対立し、相対的な視点を失った論争に終りはない。ガザ、イスラエル、原爆、従軍慰安婦…… そのいづれにも犠牲者意識ナショナリズムは存在し、加害の歴史を無視し犧牲者たらうとする。
文学でもやたら原爆小説や原発小説が評価されるきらひがある。みづからが正義だと信じて疑はない者の多いこと。(その点、筒井康隆は谷崎賞の選評のとほりでえらい。)
さて、この本の内容自体は、日本の社会問題にたいしてリベラル観を問ひただすものだ。
それぞれ利害があって口にできないこと。それを橘さんは言ってのける。なかには首をかしげるものもあらうが、議論を深めるためには良い。
教育問題や親子問題などもあり、近代化によって旧弊な学校システムや戸籍制度がいつまでも持続してゐるのは、日本にとって良くないとわかる。先輩・後輩文化で過剰な媚びへつらひも、年齢差別。
Posted by ブクログ
自分にも善悪二元論のような0か1かのバイナリー思考のクセがあって、多面的なモノの見方が重要であることはよくわかった。ただ絶対悪とされるものを擁護したいばかりに、無理やりな感じが否めない。単なる天邪鬼と紙一重。
ウクライナ戦争の背景は初めて知ったが、ドンバスにおける地方の勢力争いの域を出て首都キエフの一般市民をミサイルで無差別攻撃し、政権転覆を狙うのは「どっちもどっち」ではないだろ。京アニ事件にしても大阪のクリニック放火殺人にしても全く擁護しようのない凶悪犯罪であり、「どっちもどっち」でも「善悪つけられない問題」でもない。後半になるとますますDD感がなくなってきて、もはや何が主題の本なのかわからなくなる。Part4に至ってはDDと言うよりDY(どうでも良い)だ。