春日武彦のレビュー一覧
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ネタバレ[ 内容 ]
奇妙な言動、不可解な事件の裏に…。
躁を知ると人間理解が深まる。
“国民病”の「うつ」と比べて、知られざる「躁」。
その奥深い世界を、初めて解き明かした一般書。
[ 目次 ]
第1章 突進する誇大妄想
第2章 奇人と病人
第3章 躁と風景
第4章 事件の真相
第5章 躁という危うさ
第6章 医学的なこと、その他
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
ネタバレ内田樹は好きですが、たまに難しい言い回しで分からないところがありますw
自己実現っていう言葉を私語にしてほしいというのは同感。(よく使っちゃうけど☆)もう自己責任とか、自己実現とか、その言葉が一人歩きしてるような気がして。
キャリアは自分で形成するものではなく、向こうから扉が開かれないと、積んでいけないんだよっていうのはメモしとこ。資格をとってとか、こういうキャリアを積んでとか、そういうのは大事だけど、何より求められているのは、経験やその場で何ができるか、把握する力だから。
こういう対談って、その空間で観客として聞いてるような感覚が、とても好きで、やはり専門家同士の知識と考え方の交換というのは、大変楽しいものだと再確認どす。 -
Posted by ブクログ
しつこい人と出会ってしまったら、自分自身の人を恨む気持ちに折り合いがつかなくなってしまったら――――。
春日武彦先生が提示するのは「苦笑」というソリューションである。
「自分が恨みを深く抱いたり復讐を誓いたくなるような状況に陥った際、わたしは何人かの人びとのことを思い浮かべてみるのである。その人たちは有能で心が広く魅力的で、腹が据わり、少なくともわたしの目から見ればどんな苦境にもスマートに対処していける。そんな知人や、かつて出会ったことのあるそのような人物を想起してみる。そして彼らだったらこの不快な状況をどんな具合に扱うかと考えてみるのである。
おそらく彼らは表面的には淡々としていることだろう。そこでわたしは彼らに直接尋ねてみる、「大変ですねえ。ムカつくでしょう?」と。すると彼らは、おそらく苦笑してみせるのではないか。「いやあ・・・」と、懐の深さを実感させてくれるような「素敵な苦笑」を浮かべてみせるに違いないのである。」(本書p.175-5)
処女作『ためらいの倫理学』で内田樹さんが提示した「ためらい」にも似た、見事に成熟した知見だと思う。ぎこちない、でも素敵な苦笑のできる大人になりたいと思った。 -
Posted by ブクログ
なぜついつい内田樹の本を手に取りたくなるのかが、読み始めて5年目(くらい)にして初めて気が付いたような気がする。単純に話題が豊富で話が面白いというのもあるけど、何より読んでいて「気持ちよく」なるからなのだと思う。内田樹自身も、自分が気持ちよくなるような仕方で文章を書いている(あるいは話している)のは間違いない。その気持ちよさが読者にもよくよく共振するのだと思う。まあ文章に限らず、氏は人生においても自身の気持ちよくなるようなそれを希求しているのだろう。だから氏は疲れる対談は絶対にしない。その姿勢は見事に濁りのないもので、ある種の清清しさすら感じられる。またそうした生き方は、一つ間違えれば非常に”態度の悪い”ものになるはずなのだが、そこにはきちんと一歩線を引いていて、そこはかとなく”ディセント”である。これらはこの本を読んだだけでは感じにくいことかもしれないけれど、このバランス感覚が他の単純に"態度の悪い"作家とは一線を画していると個人的には感じる。
ということで、この対談は、基本的には、内田樹がいつものように話しまくって終わりました、という感じのものです(そうとう加筆したんだろう。今回に限ったことではないけど、会話のバランスが不自然だ)。対談相手も内田樹的に態度の悪い人(養老孟司とか)であれば「対談」になり得るんだけど・・・。
春日武彦は一人で書いた文章の方が絶対に面白いと思う。巻末こそが氏の特色がよく出ていて、読み応えがあった。
以下メモ
人間が精神的に健康である条件について(p224)
・自分を客観的に眺められる能力
・物事を保留(ペンディング)しておける能力
→自分も前からこの能力の重要性についてしばしば考えていた
・秘密を持てる能力
→「自分の世界を持てる能力」と置き換えたい
・物事には別解があり得ると考える柔軟性
非常に納得のいく4点でした。 -
Posted by ブクログ
最終章の苦笑の効用が拾い物。ついつい人を恨んだり、憎んだり、問題点を周囲のせいにしてしまう。するとそのうちに自分が不幸になっていくことは経験上感じる。人を呪わば穴二つということです。
そうした気持ちに陥りそうになったとき、”釈然としない気持ちと引換に自分の脆さや厄介さを「苦笑を交えつつ」眺めるための「練習をしている」と心得ること。”、憎しみや恨みを苦笑という形に変換することで、自分の気持ちを客観的に眺め、昇華させるということかなと。
敵討ちを通じた心の変遷を描いた「恩讐の彼方に」や、古今東西の人の恨みや憎しみを扱った作品の引用がたくさんありました。 -
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鬱というのはよくスポットがあてられているけれども
その対称にある「躁」は見過ごされがちで
病気とも認識されにくい そして厄介やと思った。
鬱は「心の風邪」ならば 躁は「心の脱臼」らしい。
あーなんかあの芸能人とかも躁の傾向大ありやなー なんて思いながら
鬱だとか 人格障害や認知症だとかの数ある精神系の病気は、実は全てひとつの症状で、それが軽度か重度かの違いなのでは、という著者の論は なるほど、面白いと思った。
著者がこの本を記したのは、自分も躁状態ではないかと思い、人々に迷惑をかけないためにも~みたいなことを書いていましたが。
誰しもが瞬間瞬間に鬱と躁の間を行き来しているのだと思うけれども。
どちらかの極から戻ってこれない人々が、病、ということになるんですかね。 -
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僕は基本的に親子関係は希薄な方がいいという考え方。取り越し苦労はやめよう。なにが起こるのかわからないのだから、全方位的にリラックスして構えていないと対応できないよということ。取り越し苦労するひとは、その最悪の事態の到来を願うようになる。 育児というのは待つことなしにはあり得ない事業。子供相手にすぐ結論をだせっていったって無理なんだから。大切なことは時間に委ねるしかない。育児を経験すると、即断即決なんてできないことの方が世の中には多いことがよくわかる。 結婚生活のトラブルはその八割が双方の親族が原因でおこる。 宣言というのは幽王。人間て、自分がいったん口に出した言葉には本当に呪縛されちゃう。愛しているという言葉も言っているうちにその気になってくる。 いま家族がうまくゆかなくなっている原因の一つは、全部がショートスパンになってきて、本来ロングスパンで成否をみるはずの相手や親子のあり方を、はやく決断しろ、はやく結果をだせというビジネス的な時間感覚がゆがめているせいじゃないかな。 アントニオ猪木 ピンチというのは無数のファクターの総合的な効果である。 部屋の片付き度と頭のなかの整理度はパラレル。 アメリカ 自己決定したという事実だけでアチーブメントが獲得できる。この治療法を決定したのは私だという心理的効果でぐいぐい治ることがあり得る。 日本では無理。 がん告知にしてもインフォームドコンセントにしても、制度みたいなものが先行して、まだ患者側の人間的な成熟が追いついていない。 とりあえずまるごと承認してきいてくれるのは弁護士と精神科医だけ。 人間が精神的に健康的である条件 1。自分を客観的に眺められる能力 2。物事を保留しておける能力 3。秘密をもてる能力 4。物事には別解がありえると考える柔軟性