春日武彦のレビュー一覧
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関節はずし猫ダマシみたいな芸風の
精神科医と歌人が
《まっとう》な題材をを語ってみようの対談集。
春日さんは存じ上げなかったのだが
穂村さんいわく「あ、このひとは変」がじわじわ伝わってくる。変なんだけど、社会人として世界に溶け込んでいるように見えて変。
《怒り》
怒り方には人間の品性みたいなものが出るという一文に共感、穂村さんの披露した怒り方は猟奇的で薄ら寒くなった。
《努力》
見つかりさえすれば…スタート地点に立てれば…努力の仕方はおのずとわかるというもの。
だが、そのスタート地点に立つまでが大変で、ほんとうにパワーのある奴は自分の才能に見合うジャンルをも作っちゃうぐらい確信をもっている。ほとんどのひとが確信もてないから、いまあるジャンルの中から探す、というお話はウワーッと大声あげたくなる。
《孤独》
自意識がすべてを醜くする。
《不安》
不安というのはあるスペース、余地に入り込むもので、でも、同時に、スペースがない時はもう死しかないような気もする。
死を忘れるな、死の隠蔽を忘れるな。
もののけ姫でジコ坊が鍋ぐるぐるしながらアシタカに言ったことと同じようなことだとおもう。
《記憶》
記憶に性差はあるのか。
エピソード記憶は女のほうが強いのかなと思うけど、どうなんでしょう。触感とかにおいは意外と忘れてしまうなあとおもう。
でもやっぱり記憶なんて大概あてにならないとおもうし、時間がたてばどんどん捏造されてくもんだとおもってる。証拠もないし。
《愛》
男女のもの、家族のものでなく、好敵手の関係で愛を表現した対談に男性会話のおもしろさを感じた。
明智小五郎と二十面相しかり、矢吹丈と力石徹しかり、星飛雄馬と花形満しかり。
天才同士だから相手の真価を知るのは互いだけっていう関係性に、周知の愛とおもうその感じが女にはない清々しさだなあ。
トークテーマは他にもたくさんあったけど
上記に上げたものがピピッときた。
この中からこの2つを題名にしたのもいい。
男性の飲み会にコップ持って参加した気分。
盗み聞きってやつですね。 -
Posted by ブクログ
内田樹を活字で読んだのは初めてかもしれない。精神科医の春日武彦との対談(というか、春日のあとがきに書かれているように「話に花を咲かせた」、あるいは内田という独特の思想を持った患者を春日が医療面接している、というのが適切か)。話のテーマは色々と移り変わるが、普段から自分がぼんやりと抱いていた思いが言語化されていて「あーそういうことか」と納得する場面が多かった。特によかった節を挙げると、『中腰で待ってみよう』『自ら「変人」の不シールドを張る』『ことばの力は身体感覚を変える』『身体は賢い』、そしてタイトルにもなっている『健全な肉体に狂気は宿る』。
今はどうやっても結論が出ない問題を、明日死ぬかもしれない自分が、今すぐになんとかする必要はなくて、出来る範囲のことをやりつつ変化に対応できる状態で待と、意外となんとかなる。そして、こうなってほしい、と思うことは、具体的にイメージすれば必ず実現の方向に近づく、というあたりは、そのとおりだなぁ、と思った。
もっと読んでみたいお二方である。 -
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ネタバレ「しつこさ」に目がいって通読。
著者の読みやすい文章にのっていってスラスラ読めた。
テーマは「恨み」。
いやいや、別に誰も恨んではございません。
ただ、「恨み」という感情は誰にだってある。
僕にもある。
この「恨み」との付き合い方が知りたくてね。
主に文学作品『恩讐の彼方に』などのテキストや実際に精神科医としてかかわった人たちとのエピソードから、「恨み」に関して分析。キーワードは「不条理」と「被害者意識」。つまり、不条理な事柄に遭遇してしまった人は、芽吹いた「被害者意識」にせっせと肥やしとやって、やがて「復讐」へと感情を募らせていく。
この「復讐」。ドラマのように、いやドラマであっても、カタルシスを味わえるものではない。むしろ、虚無感に苛まされるだけ。では、どうすればいい??
著者は、「苦笑」を提唱する。そういう恨みに出遭いそうな出来事があった時は、「苦笑い」。もしくは、自分が尊敬する人を想像して、「この人ならばどう思うかな」と思い、きっと「受け止める」と思い、自分の気持ちを落ち着かせる、という薦め。もし、尊敬する人が「恨めー恨めー」としきりに言うのならどうする?「苦笑」した唇の上がり具合が半端ない時はどうする?と、解決策には??がつくが、総論としてはおもしろい。ただ、文章がスラスラとしていて、サスペンスのようなネタも入っているので、読みふけて精神の世界に迷い込まないように注意は必要。 -
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ネタバレだいたいおんなじいつものあの話。
まーでも飽きない。
賢いリスクヘッジをしたと思っている人は、
無意識的にリスクの多い選択をしてしまうという例えに、
中古車の話をしている。
「ぶつけても大丈夫なように中古車を買ったら必ずぶつける、
だってそうしないと中古車を買った意味がないんだもの。」
これ至言。
また、
人間が「個人」になるプロセスの話が面白い。
これはラカンの鏡像段階とか、
先ごろ読んだ「ミラーニューロン」にも近いものがあって、
産まれた時、
人は世界全体と溶け合っていて、
自分とそれ以外という分節をしていない状態にある。
だから、
「個人」としての「自分」がまずあるのではなく、
「全体」としての「自分」が先立ってあるのである。
それを家族という共同体に置き換えると、
「私」という個人がまずあるのではなく、
「○○家の次男(例えばです)」という役割がまずあって、
そこから徐々に「自己」を立ち上げていくというプロセスを経ているのである。
釈迦牟尼の「縁起」と「空」という考えも、
こういった自己生成過程に沿った考えのような気がするなぁ。
また、
核家族の閉塞性という話も興味深かった。
「父」「母」「子」の三項だと、
関係性や価値観が膠着してしてよくないから、
「おじさん」乃至は「おばさん」(子と対になる性)を入れて、
四項にしておくと開放性が保たれて上手くいくらしい。
これは、あきらかにレヴィ・ストロースだった。
わたしもよいおじさんとしての地位をなんとか気付きたいものです。
それにしても内田先生は相変わらずおしゃべりな「男おばさん」である(褒めてます)。 -
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副題に"江戸の仇をアラスカでうつ人"とあります。仇討ちに代表されるような恨みつらみを晴らす行為はしつこさという、ともすれば病気の範疇に入りかねない危うさをはらんでいます。
春日先生は臨床で見られる光景や報道された事件を引き合いに出しながら、登場する人物像を解説します。
また豊富な読書量からあらすじを述べて場面を引用することも多いので、読んだことのない本を知る機会にもなります。実在の人物から架空の人物まで人間ウォッチングが詰まった内容になっています。
その中で臨床経験から述べている次の一説が興味を惹きました。
…精神科医の臨床経験から述べると、自縄自縛で自分を不幸にしていくタイプの人がいる。彼らには「自分は間違っていない」という信念がある。論理的で理屈っぽく、何事も収支決算の帳尻が合うことに固執する。被害的で自分は損ばかりしているといった感情のもとに思考を進めがちで、また自尊心が高い。…自分は間違ってないモードへ常に気持ちを設定しているので、すぐに「許せない!」と苛立つ。あんなことをするなんて信じられない、と憤る。
…ストレスを溜め込む。ときには当てつけに近いことをあれこれと試み,しかし大概独り相撲に終わってなおさら苛立つ。自分は誰からも理解されないと「拗ねる」つまるところ、常に自己愛が傷ついている。…との下り。
思い当たる節に気づきます。自分も少なからず‥周りにも‥!
そして、強迫神経症(何度も手を洗わないと気がすまない等)を呈する人は一見穏やかソフトな物腰であるが、実は怒りや攻撃性を胸に押し隠しているといったタイプが多いとも述べています。あくまで我慢しているので鬱屈したエネルギーを安全な形で(無意識に)鎮めたいと考え、強迫症状という無意味な馬鹿げた「儀式」に拘る。との説明もありました。
世の中、恨みつらみで仇討ちをするまでに至らなくても、こういう精神性を持ち合わせている人や場面を味わうことは、当たり前というくらい多いような気がします。その時に先生がいうように自分を客観視して"苦笑"出来るような余裕が持てれば違うのでしょう。 -
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誰でも思い通りにことが運ばないことはある。容易には解決できない問題の前で、蜘蛛の巣に絡め取られたように自由が効かずに、「もう、うんざりだ!」と言いたくなったことは、誰にでもあるはずだ。
そうした時に、大声で「うんざりだ!」と自己主張せずにはいられない人がいる一方で、その場はじっと耐える人もいる。いずれにしても、その鬱屈が澱のように心に溜まっていき、他人からは自暴自棄としか見えない行為に及ぶ人もいる。
本書は、さまざまな小説から自暴自棄に至るまでの状況や登場人物の心の動きを取り出して、自暴自棄について考察している。
「誰でも自暴自棄への誘惑に駆られることがある。ある種のカタルシスが伴うことは確かにせよ、そんなことをしたら「損」なことはしっかり理解している。にもかかわらず、人は自暴自棄に走りたくなる。」(p.4)
と著者は書いているが、自暴自棄の行動に走ったときに、理性はどれほど働いているのだろうか。損得の理性の歯止めが効かなくなるから自暴自棄になるのではないか。
アメリカ映画を観ていていつも嫌な気分にされるのが、登場人物が些細なことで怒り狂ってモノを投げたり叩き壊したりするシーンが多いことだ。アメリカ人にとって破壊によって怒りを収めるのは普通のことらしい。モノを壊せば使えなくなるし、後で掃除が大変だったりする。映画で描かれることないが、放り投げ散らばってしまったモノは自分で拾いに行くのだろう。その時にこんな馬鹿なことは二度とやるまいと反省しないのか。
「ひょっとしたら、自暴自棄とは不条理な事態への異議申し立てをするために心が創りだした突飛きわまる装置といえるのではないだろうか。不条理を与えてくれるのが(抽象的な意味での)神であるなら、神へ抗議するためには自暴自棄という理屈を超えた行為でなけでば怒りは届くまい」(p.5)
自殺は究極の自暴自棄である。自殺に関しても考察している。「自殺を決意した私」を演じるうちに、それがやがて自殺を実行できるかどうかの二項対立に陥ってしまい、自殺の決意から逃れられなくなってしまう。
著者は、患者が自殺をするつもりだとか打ち明けているわけでもないのに、「引き返すことのできなくなるような決断は、熟慮したつもりでも錯覚を伴いやすいから気をつけたほうがいいよ」とか、「踏みとどまることは、恥でも臆病でもないからね」などと、「独り言のように」語ることがあるという。患者はきょとんとしているか、薄ら笑いを浮かべながら黙っている、そのどちらかだという。しかし、著者がこう語った患者の中に自殺者はないくて、こうしたメッセージを発しなかった患者の中には自殺者がいるということは、自殺の抑止に役立っているのかもしれないという。
究極の自暴自棄である自殺から逃れるには、隣にそっと立って見守ってくれる存在が必要だということなのだろう。 -
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ブログ等を見ると精神科医に対する患者の不満をよくみかける。
俗に言う3分診療などというものである。
この本は、あまり表には出てこない精神科医の本音、つぶやきのような事象が多くあり、そのへんの事情についても書かれている。
患者にとっては、医者は唯一の存在だが、医者からみれば大勢の患者の一人であり、全員にカウンセリングを行うことは不可能だとわかる。
個人的には第七章の幸福・平穏・家族の章は大変考えさせられた。
病気という契機以外でも同様の価値観の変化が起こる可能性もあり、ステレオタイプな幸福は本当は大事ではないと皆気がつきながら、逆にそういった幸福がないと本当の幸福に辿り着けないというジレンマは大いに共感してしまった。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
精神科医とはどんな人たちなんだろうか。
人の心を治療する医者だから、人の心の闇を知り精神の歪みにも精通し、人格的にも高い成長を遂げているはず。
だが本当はどうなのか。
テレビに出てくるあの人はあやしくないか。
臨床体験豊富で熟練の精神科医である著者が、エクソシスト医師、無責任医師、赤ひげ医師、新興宗教の教祖的医師、タレント医師、世間知らず医師などなど累計100名を、裏も表も建前も本音もすべてリアルに描き尽くす。
[ 目次 ]
第1章 赤ひげ医師・熱血医師・愚かな医師
第2章 相性ということ
第3章 技術と人柄
第4章 優しさと支配
第5章 物語・心・世界
第6章 偽善と方便
第7章 幸福・平穏・家族
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