春日武彦のレビュー一覧
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ネタバレ[ 内容 ]
精神科医とはどんな人たちなんだろうか。
人の心を治療する医者だから、人の心の闇を知り精神の歪みにも精通し、人格的にも高い成長を遂げているはず。
だが本当はどうなのか。
テレビに出てくるあの人はあやしくないか。
臨床体験豊富で熟練の精神科医である著者が、エクソシスト医師、無責任医師、赤ひげ医師、新興宗教の教祖的医師、タレント医師、世間知らず医師などなど累計100名を、裏も表も建前も本音もすべてリアルに描き尽くす。
[ 目次 ]
第1章 赤ひげ医師・熱血医師・愚かな医師
第2章 相性ということ
第3章 技術と人柄
第4章 優しさと支配
第5章 物語・心・世界
第6章 偽善と方便
第 -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
奇妙な言動、不可解な事件の裏に…。
躁を知ると人間理解が深まる。
“国民病”の「うつ」と比べて、知られざる「躁」。
その奥深い世界を、初めて解き明かした一般書。
[ 目次 ]
第1章 突進する誇大妄想
第2章 奇人と病人
第3章 躁と風景
第4章 事件の真相
第5章 躁という危うさ
第6章 医学的なこと、その他
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間が -
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ネタバレ内田樹は好きですが、たまに難しい言い回しで分からないところがありますw
自己実現っていう言葉を私語にしてほしいというのは同感。(よく使っちゃうけど☆)もう自己責任とか、自己実現とか、その言葉が一人歩きしてるような気がして。
キャリアは自分で形成するものではなく、向こうから扉が開かれないと、積んでいけないんだよっていうのはメモしとこ。資格をとってとか、こういうキャリアを積んでとか、そういうのは大事だけど、何より求められているのは、経験やその場で何ができるか、把握する力だから。
こういう対談って、その空間で観客として聞いてるような感覚が、とても好きで、やはり専門家同士の知識と考え方の交換とい -
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しつこい人と出会ってしまったら、自分自身の人を恨む気持ちに折り合いがつかなくなってしまったら――――。
春日武彦先生が提示するのは「苦笑」というソリューションである。
「自分が恨みを深く抱いたり復讐を誓いたくなるような状況に陥った際、わたしは何人かの人びとのことを思い浮かべてみるのである。その人たちは有能で心が広く魅力的で、腹が据わり、少なくともわたしの目から見ればどんな苦境にもスマートに対処していける。そんな知人や、かつて出会ったことのあるそのような人物を想起してみる。そして彼らだったらこの不快な状況をどんな具合に扱うかと考えてみるのである。
おそらく彼らは表面的には淡々としていること -
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なぜついつい内田樹の本を手に取りたくなるのかが、読み始めて5年目(くらい)にして初めて気が付いたような気がする。単純に話題が豊富で話が面白いというのもあるけど、何より読んでいて「気持ちよく」なるからなのだと思う。内田樹自身も、自分が気持ちよくなるような仕方で文章を書いている(あるいは話している)のは間違いない。その気持ちよさが読者にもよくよく共振するのだと思う。まあ文章に限らず、氏は人生においても自身の気持ちよくなるようなそれを希求しているのだろう。だから氏は疲れる対談は絶対にしない。その姿勢は見事に濁りのないもので、ある種の清清しさすら感じられる。またそうした生き方は、一つ間違えれば非常に”
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最終章の苦笑の効用が拾い物。ついつい人を恨んだり、憎んだり、問題点を周囲のせいにしてしまう。するとそのうちに自分が不幸になっていくことは経験上感じる。人を呪わば穴二つということです。
そうした気持ちに陥りそうになったとき、”釈然としない気持ちと引換に自分の脆さや厄介さを「苦笑を交えつつ」眺めるための「練習をしている」と心得ること。”、憎しみや恨みを苦笑という形に変換することで、自分の気持ちを客観的に眺め、昇華させるということかなと。
敵討ちを通じた心の変遷を描いた「恩讐の彼方に」や、古今東西の人の恨みや憎しみを扱った作品の引用がたくさんありました。 -
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鬱というのはよくスポットがあてられているけれども
その対称にある「躁」は見過ごされがちで
病気とも認識されにくい そして厄介やと思った。
鬱は「心の風邪」ならば 躁は「心の脱臼」らしい。
あーなんかあの芸能人とかも躁の傾向大ありやなー なんて思いながら
鬱だとか 人格障害や認知症だとかの数ある精神系の病気は、実は全てひとつの症状で、それが軽度か重度かの違いなのでは、という著者の論は なるほど、面白いと思った。
著者がこの本を記したのは、自分も躁状態ではないかと思い、人々に迷惑をかけないためにも~みたいなことを書いていましたが。
誰しもが瞬間瞬間に鬱と躁の間を行き来 -
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僕は基本的に親子関係は希薄な方がいいという考え方。取り越し苦労はやめよう。なにが起こるのかわからないのだから、全方位的にリラックスして構えていないと対応できないよということ。取り越し苦労するひとは、その最悪の事態の到来を願うようになる。 育児というのは待つことなしにはあり得ない事業。子供相手にすぐ結論をだせっていったって無理なんだから。大切なことは時間に委ねるしかない。育児を経験すると、即断即決なんてできないことの方が世の中には多いことがよくわかる。 結婚生活のトラブルはその八割が双方の親族が原因でおこる。 宣言というのは幽王。人間て、自分がいったん口に出した言葉には本当に呪縛されちゃ