春日武彦のレビュー一覧
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「屋根裏に誰かいるんですよ。 都市伝説の精神病理」河出書房新社 1999
「家屋と妄想の精神病理 あるいは、狂気とアナクロニズム」と改題、増補 2005
「屋根裏に誰かいるんですよ。 都市伝説の精神病理」に戻して文庫化(ツイッターでバズったので) 2022
バズったツイートは以下。
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ジェット・リョー
@ikazombie
2022年7月29日
この本よかった。精神科医として数々の"常軌を逸した"家を訪問した筆者が語る、「家は心休まる空間であると同時に、狂気を培養する孵卵器でもある」という視点が面白い。少なからず他人の目がある外と違い、自分の価値観だけが正となる自宅は、時 -
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医師として多くの死と向き合ってきた著者が、死についていろいろと考えたことを、まさにそこはかとなく書き繕った、という感じ。それなりには楽しめた。
死の瞬間に関しては、死んだ瞬間に見ていたものを再現できるオプトグラフィーという技術(実際は未実現)のこと、「ピンチャー・マーティン」という小説が本編(岩礁に漂着して苦難の中で精神が崩壊しやがて死に至る)がまるごと(少なくとも小説の5ページ目以降は全て)死の瞬間に見ていた幻であることが終盤に判明する下りなどが紹介される。
次に死によって向き合わされる「永遠」について。反復の永遠(記憶がつながっていれば絶対に飽きる。どうやっても絶望に至るだろう。)、無の永 -
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先日、著者の対談を立て続けに聞く機会があって、その流れから『自殺論』を読み、たまたま手元にあった本書も読んでみた。
どうやら、本当は人格障害について書くはずの本だったようであるが、出来上がってみれば、著者のいうところの「わたしにとっての珍奇なコレクション」を集めたシロモノになったようである。
まあ確かに、野次馬根性的なにおいは否めない。でもだからこそ、そこに妙な人間臭さも感じられるのも事実。
本当にそんなことが?とか、なんでまたそんな、とか思うような事件等々が引き合いに出されているが、大正時代とか、ずいぶん前の事件か何かと思いきや、せいぜい10数年くらい前のことだったりして、あれ?この時私は -
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Posted by ブクログ
ネタバレ個人的メモ。
p26 ものごとを単純化し過ぎる、矮小化簡略化し過ぎる態度というか精神状態は、自殺の危険に直結します。自殺者は、自分なりに考えに考え、ついに死ぬしかないと結論を下すわけですが、そのプロセスに身も蓋もない単純化が介在してしまうからそんな結論に至る。
p34 どうこう言っても、猫に不自然な生活を強いているのは確かなのです。一生、他の猫と遊んだり喧嘩をしたり交尾することはない。広い場所を存分に駆け回ることもできないし、鼠を捕まえる機会もない。我が家の猫は猫らしさを奪われているわけで、たとえ安全で快適な環境を提供しようとも、それが猫の幸福に直結している可能性については判断がつかな -
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人にはそれぞれ恐怖を感じる対象がある。怖がりという言葉が何に対してどの様な恐怖心を抱いているか、時には他人には理解できないこともある。大半の人は幽霊などの現実世界には無い様なものを恐れるだろうし、極端なスピードで高速や一般道までをも走る車、包丁を持って近づいてくる人がいれば、有無を言わさず恐怖するだろう。私は幼い頃に高い木から落ちた経験からか、高いところが苦手、所謂、高所恐怖症だ。今世の中を見れば恐怖で溢れ返っている。街中や通勤電車内で刃物を振り回したり、ビルから包丁や人が(歩行者を狙ったのか)落ちてるくる、強風で飛ばされた農業用テントやら看板が電車にぶつかって人が亡くなるなど、自分に降りかか
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Posted by ブクログ
仕事柄、車を運転する機会が多くて、おかしな動きをする車がマジで怖いです。
初心者またはペーパードライバーなのか、公道でなんらかのチャレンジを行っているのか、もしかしたら脳に欠陥があって恐怖心を感じない人なのか知りませんけど、そういうのを見ると反射的に警戒モードになります。
恐怖は、人間が備えた防衛本能であると同時に、恐怖症や不安障害のように人間を追い詰めて弱らせる自滅システムのような一面もある。
あってもなくても困るし、人によって対象も程度も違う。
改めて複雑な感情だなぁと思いながら読みました。
この本は精神科医である著者が、小説や映画のワンシーンを引用しながら、様々な角度から恐怖という感 -
Posted by ブクログ
著者の死への好奇心が詰まった一冊。とはいえ、軽薄なものではなく、死にたいする尊厳と畏怖が随所に感じられた。
第2章については共感した。永遠など、まったく不要。どんなに幸せな状態でもそれは刹那的なものだから価値があり、永遠に続くとなれば必ず虚しさに襲われると思う。それが辛い状況ならなおさら永遠などごめん被りたい。
私自身の病気、母の死を迎えて、死が非常に身近なものになった。それでも、だからなにができるわけでもない。自分が死んでも毎日は続いていく。死ぬ前になにがしたいとか、名を残したいなどもない。ただそこに自分がその瞬間にあっただけ。病気と共に不安と安堵を繰り返しながら、ただひたすらにその瞬間